最期に見たのは、闇の底。
*
 会った時には、もうそう呼ばれるようになっていた。なんなら、本人から聞いたのだ。
「ああ、例の神童の」
 と言うと、皮肉っぽい含み笑いをして、あいつは「情報が遅い」と言った。
「今は"シーフォン"って呼ばれてる」
 ――あいつと関わっても、得がない。
 鳴り物入りでやってくるという特待生の噂が、次に聞いた時にはそうなっていた。
 うすのろの自分には、よくあることだ。夜空を見て星図を開き、方程式を右に左に動かしていたから、昼に起きているのは数日ぶりだった。その数日分の成果を誰かに話したかったのだが、とてもそんな空気じゃなかった。
 こういう時は、諦め半分に「またぞろ皆、『人生』の話をしているな」と思うようにしている。どの教授が金を持っているとか、どこの寮はペルクデウムに行けるとか、そんな種類の話題だ。どうにも興味が持てなくて、呆れられてばかりいる。
 シーフォンは『人生』の話をするのも上手いように見えたから、邪険にされているのが不思議だった。ところが、それが一週間と続かないのがよくないのだそうだ。いったんにこにこ笑った相手には、ずっと笑っているべきだというのが『人生』の流儀らしい。「教わりきった」と見るや先輩を先輩と扱わなくなるシーフォンの態度が、癇に障る人間は結構いたようだった。
 そんなもんかね、と自分は思っていた。苦労して卵からすり込んだ鳥のヒナだって、放せばどっかへ行くものだろうに。
 自分とシーフォンは、たいして深く話をしていたわけではない。数日計測に出て戻ってきた時、あいつが顔と名前を覚えたままだったので、少し感動したことはある。『人生』の損得勘定が下手だから、そういう、その場その場のことばかり覚えている。
 あの時だって、自分はお遊び気分だった。
 耳打ちされた黒魔術の話題を信じたわけでもない。観測の予定があったら、きっとそっちを優先していただろう。一週間付き合いが持てたら得になる人間のことも見極められなければ、一時間でも話したら大損の物事を見る目もない。
 そういう自分と違って、シーフォンは、うじゃうじゃある似たような話の中から、何かを見極めてやって来たようだった。
 ニワトリの血(かわいそうに!)で描いたいかにも不気味な円陣を、ろうそくを持った黒衣の人物が、それらしき祭文を朗々と唱えながらゆっくりと回っていく。教団の「兄弟分」たちは、後に続くように下支えの歌を歌っている。
 きょろきょろしている若者の中で、あいつはじっと何かを目で追っていた。照らし出されてひときわ目立つ血の紋章ではなく、リーダーらしき黒衣の人相でもなく。円陣の中で蛇のようにのたくった巻物の文字が、おどろおどろしいだけの鏡文字ではないことを知っていて、頭の中に今まさに書き写しているところなのだった。
 その様子に気付いて、魔法が解けたような心地になった。別の魔法にかかったようでもあった。秘密教団のことがどうでもよくなって、あいつを尊敬するような気持ちで見つめていた。
 こいつは、『人生』をどうでもいいと思っている人間だ。自分よりもずっと。いくらでも世の中でやっていける器用さがあって、なお。
 吐き出したくなるほど腹が熱くなった。後悔と羞恥心だった。今まで他人とうまくやれずにいる自分を受け入れられなくて、お高く止まっていたのが恥ずかしくなった。できることなら、自分は豪華な青春をやってみたかったんだと気付いた。だから、悪い遊びの裾をつかむようなことをした。何の目的もなく、今までの人生に復讐するように。
 激しく演出された黒魔術の空間は、冷静になるとただの薄暗がりだった。激しく乱れた心は、やがて穏やかに凪いで、目を閉じると別の暗闇が見えた。星をはめる。銀河を砂流しにする。何も見なくても今日の空を描ける。そうなったのは、何のためだ。現実逃避の口実じゃあない。本当に、それだけは、違うんだ。
 あそこに何があるのか、見てみたい。思い出した。子供の頃からそうだった。
 あくる日、シーフォンが自分を呼び止めた。
 「昨日の礼がしたい」とか、そんな言葉だった。魔術結社の会合に忍び込んで、何食わぬ顔でこうして戻ってくるまでに、夜歩きの多い自分がずいぶん役に立ったと。
 なんだか、随分なおべっかに聞こえた。自分に出来てシーフォンに出来ないことがそんなにあるとは思えなかった。それに回りくどい言い方が、あいつが『人生』の話を適当に合わせて媚びを売る時のようで、少し悲しいような気もした。
「なんだよ、シーフォン」だからこう言った。「僕たち、そういうんじゃないだろ」
 その時、目の前の子供が急に縮んで見えた。
 あっ、と、一瞬なにかを思い出した。ずっと連絡していない親父。神殿の手習いで隣だった奴。これまでに何度か見たありふれた表情だ。自分が何かしでかすと、人はぱっちり目を丸くして、それから何かを諦める。
 しかし、シーフォンはそうしなかった。たった一回、目を瞬いただけで、すぐに口の端を上げた。
「……そうだった」
*
 
 
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【書きかけ】(Ruina二次)叡知の子
初公開日: 2025年03月02日
最終更新日: 2025年05月01日
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コメント
英語版のシーフォンがSyphonで、ほーって思った