【東と芝居】過去をすくいあげて
公演稽古期間の、談話室が好きだ。
稽古が終わると、冬組全員が談話室に向かう。密は既に半分寝ていて、丞や誉に突かれながら談話室に到着するや否や、ソファに座り込んですうすうと寝息を立てる。誉は仕事が立て込んでいなければ、「どれ。稽古終わりにワタシ特製の紅茶でも淹れてあげよう」と優雅にお湯を沸かし出す。
「稽古終わりならスポーツドリンクやお茶の方がいいだろ」
そういう情緒のないことを言い出すのは丞だ。それを隣で「まあまあ、誉さんの紅茶美味しいし」と窘めるのは紬だ。
「では、俺は軽く摘まめるものでも出すか。みんなも頭も体も動かしたから疲れただろう」
ガイがそう言ってキッチンに立つ。その様になっている姿に東は思わず微笑んでしまう。ついこの前まで自分と同じく包丁を持つのも慣れなかったと思ったのに、気が付けばプロの料理人になってるのだから、時間の経過とは早いものだ。
「……ふう。ねえ、さっきの稽古ラストのところだけど」
「ああ、俺もそこは気になった」
紅茶とカナッペで一息ついたと思ったら、紬が開口一番先程の稽古について話し出す。丞もすぐにその話に乗り、しばらくお互いの演劇プランを戦わせる。東たちがそれを微笑ましく見ていたら、紬がこちらを振り返りにこっと笑った。
「……って俺は思うんですけど、東さんはどう思います?」
「え? そうだな……ボクとしては、もっと感情を抑えてもいいのかなって思ったよ。あそこは外に向かう気持ちより、中での葛藤の方が強い場面だと思うから」
「しかし、その苦悩を表に出すのもまた、あの後の展開を考えると大事な場面だと思うよ」
「確かに多少役の感情が観客に見えた方がいいと思う。どちらも試してみればいいのではないだろうか?」
東の意見に誉とガイが口を挟む。結局、談話室でも稽古場の延長戦のような話に、通りがかった太一と天馬が思わず笑った。
「すごい盛り上がってるッス!」
「冬組もなんだかんだ芝居馬鹿の集まりだな」
芸能事務所にも所属している俳優たちの評価に、東は笑ってしまった。以前はそう言われるとくすぐったかったりしたのだが、今は誇らしさの方が勝つのだから、どうやら芯から役者に染まっているようだ。
東が役作りや芝居について上手くいかないところがあると、みんなが静かに寄り添ってくれる。
「東さん、これ良かったら」
「椿の枝か……珍しいね」
「庭を剪定されていた知人に、通りがかりに貰ったんです。東さんには椿が似合うと思って」
紬から手渡された椿を手に微笑む。まだ蕾のそれに、紬の託された想いを感じる。
「……花が咲くのが楽しみだね」
「はい。東さんなら、素敵な花が咲かせられると思いますよ」
綺麗な花瓶に入れられた椿を手に部屋に行くと、ソファで丸くなっている密がいた。
「密。寒いからソファで寝ると風邪ひくよ」
「ん……じゃあ、東と……東のベッドで……寝る……」
「ふふ、甘えん坊さんだね……でも、確かにちょっと疲れちゃったかも。じゃあ、一緒に寝ようか」
「うん……」
まだ明るい内からベッドに入る小さな背徳感にくすりと笑いながら、東は密と共に少しの休息を取る。
「東……あったかい」
「ふふふ、密もあったかいよ。猫を抱いてるみたいだ」
「東は、ベッドも……芝居も……いい匂い……すう」
「ふふ、芝居がいい匂いって言われたのは初めてだな」
そう言いながらも、東も瞼が重くなる。いい匂いのする芝居、というのは自分ではよく分からないが、憑依型役者の密からの褒め言葉は素直に嬉しかった。
そのまま密とゆっくり眠った東は、小さな扉の開閉音で目覚めた。
「……ん、」
「おや、東さんを起こしてしまったかね。密くんを回収しにきたのだが」
扉の前に立っていた誉が、いつものお徳用マシュマロより少し値の張るマシュマロを抱えて立っている。
「ううん、そろそろ起きなきゃと思ってたから」
「そうかね、それなら目覚めの紅茶を淹れてあげよう。ほら、密くんも起きたまえ」
「……くう」
「起きてるだろ! ほら、ちょっといいマシュマロを持ってきたから」
「行くよアリス」
「ふふふっ」
漫才のような誉と密のやり取りに思わず笑みが零れる東。そんな東を見て、誉も柔らかく笑った。
「……東さんは、やはり笑顔が似合う。その感覚を忘れなければ今回の舞台は大丈夫だと思うよ」
「誉……ありがとう」
東は誉の言葉を胸に、誉の淹れてくれた紅茶と、密が分けてくれたちょっといいマシュマロを摘まんで、少し気持ちが上向きになる。そのまま気分転換に街中を歩き、その中で言葉にならない様々な感情が泡沫のように浮かび上がってくる。言葉にならないからこそ、なんだか誰かと話したかった。
「……やっぱり、ちょっと寄っていこうかな」
東はふらっといつもの扉を開けた。
「いらっしゃいませ……雪白か」
開店前の『Journey』のカウンター内で、マスター姿のガイが微笑む。
「ふふ、開店準備お邪魔したかな」
「いや、丁度手が空いたところだ。何を飲む?」
「うーん……ガイのおすすめで、モクテルを」
「ノンアルコールか、承知した」
そのまま作り始めるガイの前で、東は今日感じた様々なことを思い返していた。そして、丁度思考の空白が訪れたタイミングで、ガイが目の前にカクテルを出してくれた。
「どうぞ。『――――』だ」
そのモクテルの名前は今度やる公演の名前で、東は少しびっくりした。
「ありがとう。わざわざボクの為に」
「いや……雪白の顔を見ていたらなんとなく思いついた。良ければ飲んでみてほしい」
「うん、頂くよ」
そう言って傾けたグラスから、淡い色の液体が舌と喉を滑り落ちてくる。爽やかで、甘くて、僅かな苦みが最後に残る……本当に、あの脚本を飲み物にしたかのようだ。
「……すごい。美味しいよ。まるで舞台をそのまま飲んでるみたい」
東の感想に、ガイが嬉しそうに目を細める。
「随分詩的な表現だな。だが、良かった。せっかく雪白に褒めてもらったなら、今度の公演が終わるまで、期間限定でメニューに加えるか」
「いいと思う。みんなにも飲んでほしいしね」
そして、東はそのモクテルを傾けながら、稽古で引っかかっていた色んなことや、今日一日で感じた様々な感情を、とりとめもなく零す。ガイは時折相槌を打ちながら、静かに耳を傾ける。そして、東の中でやっと答えが出そうになった時に――カランカランと、ドアベルが鳴った。
「すみません」
「いらっしゃいませ……高遠か」
「いらっしゃい、丞」
顔を出した丞に、ガイと東が声をかける。丞は東を見つけると、肩に手を置いた。
「迎えに来ました」
「え? ……ああ。ふふっ」
丞が何を言いたいのか理解した東は、可笑しそうに笑った後で、カウンターにモクテル代を置いた。
「ガイ。お迎えが来たからもう行くね。本当に美味しかった、ご馳走様」
「承知した。二人とも、気を付けていってらっしゃい」
ガイに見送られ、東は丞と共に車に乗り込んだ。丞は何も言わずにハンドルを握り、アクセルを踏む。
「……」
「……どこに行くのか、聞かないんですね」
助手席で黙ったまま窓の外を見つめる東に、丞がぼそりと言う。東は可笑しそうに微笑んだ。
「なんとなく分かる気がするからね。それに、どこに行くか、より、そこで何するか、の方が重要なんでしょ、丞にとっては」
「……そうですね」
気持ちが通じて嬉しそうにも、サプライズが通じずつまらなさそうにも見える丞の横顔を人差し指でつついて、東はまた窓の外を見つめた。流れる景色は見覚えのあるものばかりで、その先にある思い出の場所への道に、東の笑みが更に深まる。
「……着きました」
「ふふ、やっぱりここだと思った」
思い出の、冬の海。そこで丞が台本を出してきたのに、やっぱり笑ってしまった。
「……じゃあ、早速稽古しよっか」
台本を受け取ってそう笑った東に、丞もニッと嬉しそうに笑った。
「東さんも、立派な芝居馬鹿になってきましたね」
◆
東にとって、芝居は自分の感情と向き合うきっかけだ。
幼少時代にはドラマや映画を家族と観るくらいだったが、流れに流れて天鵞絨町の近くで『添い寝屋』という仕事をしていると、自然と演劇を身近に感じるようになってきた。そんな中で、とある縁でエチュードをしていた万里と十座を助けた。その時傍ですら感じた熱がなんとなく気になって、彼らが所属する劇団が気になって、その劇団の千秋楽を観に行った。
――その時感じた感情は、なんと言っていいか分からなかった。幼少期から大人になるまで、処世術として感情全部を希薄にして生きてきた東は、あんな風に舞台の上で弾ける激情を感じたことがなかった……だから味わってみたいと、初めて渇望した。
「……そういう意味では、万里と十座には、感謝しなきゃいけないね」
「「あ?」」
東に唐突に言われて、万里と十座は同時に振り返り、そして返事が被ったことを互いに睨み合って「真似すんな」「お前こそ真似すんな」と即座に喧嘩を始めた。が、
「ふふふ、本当に二人は仲良いね」
東に微笑ましげに言われると、その勢いも萎んでしまう。万里と十座は互いに視線で探り合いながら、東の意図を図ろうとした。
「それで? 東さんが俺らに感謝しなきゃいけないことって?」
万里が代表して尋ねる。が、東が「ふふ、色々♡」とミステリアスに微笑む。
「色々って……」
「俺は東さんに色々貰ってるから、いつも感謝してるっす」
呆れた万里と真面目に返す十座に、東はくすっと笑って話題を変えた。
「この前の二人の舞台、良かったよ。ボク、やっぱりみんなの芝居好きだな。熱くて、一生懸命で、観てるとこっちも熱に当てられそう」
そう言うと、万里と十座も嬉しそうに笑った。その子供みたいに無邪気な笑顔に、東はなんとなく胸が温かくなる。
「俺も、東さんの芝居好きっすよ。自然体で、仕草一つ一つに艶があって……舞台の上の雰囲気づくりはピカイチっすよね」
「俺も東さんの芝居、好きっす。静かだが、胸の奥にじわりと沁み込む……」
「二人とも……」
直接的な誉め言葉に、東は自分の頬が静かに熱くなるのを感じた。自分が初めて心を動かされた芝居をした役者の二人に褒めてもらえたことが、素直に嬉しかった。
「……じゃあ、これからも、そういうボクの芝居を磨いていかなきゃね」
(自分の感情すら分からなかった昔のボクの心も、揺さぶれるような今のボクの芝居を)
◇
東の役作りは、静かに自分と向き合うところから始まる。
役の感情を理解するには、まず自分の感情を理解し、共感できる部分があるかどうかを探ることが大事だと、東は思っている。
元々温和な性格に加え、あえて感情を希薄にして過ごしていた過去故か、東は咄嗟に役の感情を作りにくい。だから、いっそ大袈裟に作るのではなく、自分の奥底に眠る感情を呼び覚まし、それを役の感情として自然に発露できるように役作りをしている。
「……正直、東さんの役作りは危ういと思います」
いつだか、丞にそんなことを言われた。
「いつも役になりきっちゃって、稽古中や公演期間中に役として過ごす丞には言われたくないなあ」
東が言い返すと、丞は若干顔を赤くし、「それとこれとは話が別でしょう」と視線を逸らした。
「それで? なにが危ういの?」
「……東さんは、役作りの為に自分と向き合いすぎる。役者としては尊敬する姿勢ですが……一歩間違えれば、トラウマすら掘り返すやり方です」
東の過去を知る丞だからこそ、今の東のやり方ではいつか心にもっと深い傷を負ってしまうんじゃないかと、丞は心配しているのだ。
「ふふ……丞は優しいね。でもね、ボクとしてはこうやって芝居を通して自分の感情や過去を振り返れるのは、すごくありがたいことでもあるんだ。いつかはやらなきゃいけなかったことだけど、今までは色々言い訳してできなかったことだから」
「東さん……」
「芝居の為なら、やらなきゃいけないでしょ。それに……ボクも、ボクの為、って思うより、役の為って思う方が頑張れるんだ」
そう微笑むと、丞は心配そうな視線を投げかけた後で、静かに笑った。
「……優しいのは、あんたの方だ」
その笑顔をそっと受け取って、東はつけ足した。
「それに……本当に危なかったら、丞やみんなが助けに来てくれるでしょ。いつかの夜みたいに、いつかの帰省みたいに」
「そうですね。その時はまた、朝まで飲み明かして、みんなでドライブしましょうか」
あの時のことを思い出しながら、東は幸せに身を浸すように目を閉じた。
(芝居を通じて、過去のボクと、冬組やカンパニーのみんなと、こんなにも素敵な繋がりを紡げた。だからこれからもこの場所で、この感謝と感情を伝えていこう――)【終】