2025年1月17日(金)
おはようございます。昨日は伯母の告別式に行ってきました。わたしの仕事には忌引きというシステムはありませんが、喪に服す時間という意味で、「忌引き」という言葉を使わせてもらおうと思います。今日は忌引き休暇中のフリーライティングのため、のんびりやらせてもらいます。今日のフリーライティングは、自分への癒しとしてのそれにしたいんだ。あんまり推敲もしない。推敲するの好きだからね、最近こまめにやっちゃいがちだけど、仕事じゃないから。今日のこれは。(仕事の時間にはカウントしてるんだけど。)(!)(サボりってこと。)
矛盾しているかな?
わたしにとって、文章を書くことは癒しでもあり、仕事でもあるから、ここの線引きは自分でも分からなくなることがあるよ。

田舎に行った
それはいい。
田舎に、田舎に、と言うと田舎暮らしの人から「そこは田舎ではない」と怒られることがあるけど、わたしにとっては田舎だから、田舎って言うね。田舎に久しぶりに行ったんだ。
いろんな、よくわかったことがあったし、わからないこともあったし、書けそうで書けないような、書けないかもしれないけれど書きたいような、そんなことがいっぱいある。でも書いたら疲れてしまいそうで、少し怖気づいている。
駅に降り立った瞬間に「絶対住みたくねえな」と思うような、郊外の駅前。
駅を作る際に想定されていた利用数と、現在住んでいる人間との数がすっかり合わなくなった、昔のベッドタウン。
そこからは車がないとどこにも行けない町。
駅前の小さなチェーン店のカフェに、新聞を読みに来る老人がたくさん。待ち合わせていないのにわたしの兄弟もそこにいた。そこしか行けるところがないから。わたしの兄弟たちは、みんな葬式の後に予定を入れていた。だってずっと親と一緒にいたくないもんな。わたしは7年前に「このままだと親を殺してしまう」と思って家を出てから、はじめて会う機会となった。
父親が違うひとりの兄弟は、葬式には来なかった。そりゃそうだ。父方の伯母の葬式だったから。
葬式に行った
葬式は儀式だ。悼むための儀式だ。そのためにルールや順番が定められている。型がある程度決まっている。
それはとてもいいことのように思えた。親しい親類が亡くなった時、冷静でいられる人はそう多くはないだろう。それでさえエンディングノートとか遺言とかで指定しておいてもらわないと迷うことがあるというから、よっぽど多くの決め事があって大変なんだ。
わたしが最後に行った葬式は、たぶん18歳の時。当時の彼女のお父様の葬式だった。あの頃は何にも分かってなかったな。本当にまったく。
そう思うくらい――今回の伯母の葬式のほうがかなり規模が小さかったということもあるが――、いろんなものが見えた。いろんな人間の思惑と、いろんな人間の願いと、意思も。
火葬場は暑くて寒い。SF好きが喜びそうなメタルのエレベーターに棺が入れられて、その間にわたしたちはご飯を食べさせられる。ご飯を食べ終わったら、「遺体が焼けました」をもっとボカした言い方で、なんだっけな、忘れてしまったけど、そういう館内アナウンスがあって、骨を取りに行く。なんと不思議な時間なんだろう。隣のほとんど話したことのない従妹と、脊椎近くの骨のかけらを取って、骨壺に入れた。薄い青色の美しい陶器に伯母が納まった。
火葬場から出ると、もうひとりの伯母――今回亡くなった方の姉――が、緊張がほぐれたのか、とてもたくさん話し始めた。もっとも、前からよく喋っていたのかもしれない。わたしはこの土地についたころから、もうほとんど誰が何を言っているのか聞いていなかった。
伯母は大きな声で喋っていた――あの子は障害者として生まれたけど、あんなに骨も立派で、あんな素敵な壺に入れてもらったら、ふつうの人と同じなのね。やっとふつうの人間に戻れたのね――と。
亡くなった伯母は知的障害を持っていた。
そもそもあったダウン症に加え、最後の数年は車椅子生活だったという。お姉さんが介護の中心に回っていたようだし、看取ったのも彼女だったから、思うこともたくさんあったろう。
「障害者、障害者、障害者、障害者って思っていたんだけど、ふつうの人と同じだったわよ。なんかちょっとおかしいような気もするわよね」とお姉さんが言い、隣で誰かが「でも骨壺に『障害者』とは書かねえだろう?」とジョークを言っていた。
こう書くとジョークに読めないかもしれないけど、彼らは本当にジョークとして言っていたんだ、これを。
健常者として生まれたわたしたちですら、時に生きることは辛い。伯母にとって生きることは本当につらかったのかもしれない。できないことや腹立つことの連続だったかもしれない。式場にグループホームの人たちからの色紙が飾られていて、「ハサミを職員が持つと『ダメ!』と怒っていた姿が印象的」と書かれていた。わたしが伯母に最後にお会いしたのはわたしが10歳くらいのときだけど、それでもありありと想像できた。しっかり意思表示をなさる、可愛らしい人だったのだ。
伯母に出会えてよかったと思う。もし死後の世界というのが本当にあって、伯母に話ができる機会があったなら、いろいろと聞いてみたい。何が面白かったか。何が嫌いだったか。何をしてみたかったか。何が好きだったか。
未熟だったわたしたちはあまりに自分たちの生活に忙しすぎて、話を聞くべき人に聞けていないかもしれなかった。金言を持っているのはその人かもしれないのに。
親の未熟さを知る
そう、わたしたち――子どもだったわたしたちはもちろんのこと、両親たち――はあまりにも未熟だった。母親は知的障害のある伯母を恐れた。全然会いにも行かなかった。そもそも「嫁」としての態度は早々に放棄していたようだ。それはそれで、「そうかもな」と思う部分はあるが――とにかく、母親は、わたしたち子どもに、こう言って憚らなかった。
「障害者は生まれて幸せなことなんかない、幸せなのは可愛がっている人たちだけ」
そういう思想を持っている人が子どもを産み育てるのは、なんという矛盾だろう。子どもに先天的な障害が後々見つかる可能性もあれば、後天的に障害を持つ可能性だってあるのに。出生前診断をいくらしたって、生まれてみなければ分からないのに。
わたしを産んだとき、母はまだ24歳だった。今のわたしはその母の歳をだいぶ超えている。「ああ、子どもだなあ」とその発言を回顧しては思う。
時代の流れもあるだろう。優生保護法が廃止されたのは1996年のことだ。おそらく今回亡くなった伯母も避妊手術をされていたのではないか。母は本当にナイーブで、古い人だった――優しく言い換えれば。それでも自分が生きていくために、子どもを産み続けざるを得なかった。これは多産DVの話にも繋がる。わたしの親は未熟だった。
ナイーブで古い人だった母の感覚からすれば、レズビアンに「なった」わたしは、――シスヘテロセクシャルとして育てられた子どもは後になって性的指向を自覚せざるを得ないわけだが、それは育てた側から見れば「セクシャルマイノリティにわざわざ・・・・なった」と表現するのが正しいだろう――「障害者」だと思う。かつて同性愛は精神疾患とみなされていた。WHOが同性愛を精神疾患から外したのは1993年のこと。わたしが生まれたあとのことだ。
4人の子どもを必死に育てて、10年、15年駆け抜けてきた母親が、それらの知識を蓄え続けられたとはとても思えない。母自身もその間に双極性障害やパニック障害を経験していて、自分があんなに嫌っていた「障害者」になってしまった・・・・・・・
わたしがこれだけのことを書き連ねる――書き連ねざるを得ない気がする――一方で、母自身はたぶん、ここまでのことは考えていない気がする。わたしの記憶の中のあの人はいつも意識が朦朧としていたし、正しいこととそうでないことの区別がまるでつかない人だった。WHOが、とか、本当にどうでもいいと思う。自分が「嫌だ」と思うかどうか。それで生きている人だった。わたしから見た母は。
昨日、わたしの母は、もちろん葬式には来なかった。葬式があることを、伯母が亡くなったことを、知らされてすらいないのではないか。
母とはほとんど直接のかかわりがないのに、母の人生を変えた人。その人を見送ることができなくて、心底かわいそうな人だと思う。
遺影の伯母はダブルピースをしていた。とても利発で可愛らしい遺影だった。「このポーズが好きだったから、お父さんとお母さんが見つけやすいんじゃないかと思って」と、おしゃべりなお姉さんが言っていた。本当にその通りだと思う。白とピンクの可愛らしい花に囲まれて、伯母さんはとても可憐だった。
頑なであり続けると、自分にとって大切な何かを見逃すことになるのかもしれない。
わたしは見逃したくないと思った。しんどいジョーク、よくわからん儀式、つまらん話、そういうのも受け入れて、聞き流して、そうして砂金のように掴んだ僅かの「大切な何か」が、それでも貰えて幸せだと思えるから。
わたしは大人になってしまった。親の未熟さが分かってしまった。
それを受け入れて、聞き流して、その末に出てきたこれを、拙いながらも伯母への追悼の言葉にしたいと思う。

何も推敲せずに文章を書き続けるのは、楽しい! たまにはこういうのもいい。一種のトランス状態に入るというか、なんか、懐かしかった。大学時代くらいまではこんな風に文章を書いていたような気がするな。
今、映画「どうすればよかったか?」が話題を集めているように、次第に今日わたしが書いたようなことは世間に知られていくことになるだろう。そうなるとわたしの母の発言などははっきりとNGとなるだろう。(今もわたしはNGだろ!とはもちろん思っている)とはいえ、いろんな社会的背景や歴史があって、個々人の事情があってその発言になっているということは、忘れないようにしたい。
なんかさ~、疲れたよ。田舎に行くのもそうだしさ、いろんな人に会って、強烈なお姉さんに会って、もう話止まんないんだもん。べらべらべらべら。で、わたしの妹も話が止まらないタイプだからさ、べらべらべらべらべらべらべらべらしててさ、わたしは耳を閉じて――耳が塞げないとき、耳の穴を閉じているイメージをすることでその場をやり過ごすことがある――、なんとかやりきったよ。今じゃなきゃできなかった。もっと仕事が忙しかったり体調が悪かったりしたらできなかったと思う。そういう意味では、今で良かった。伯母さん、ありがとう。
今日は午後に一個仕事があるんだけど、それ以外はゆっくりさせてもらう。もう、本当に疲れたの!(笑) あれもやりたくねえな~。リスケできたらよかったのにな~。できないこともあるよな~。仕事だから。
これは余談なんだけど、葬式で会った妹も弟も、仕事をギチギチに入れていて、めちゃくちゃ「わたしの兄弟だな~」って感じがした。わたしも翌朝から1時間、これ、書いてるしね。
ワーカホリック気味にならないと乗り越えられないものがある期間って、あるよね。
へい、とりあえず、わたしは、学園アイドルマスターをやります。
今日は忌引きなんで。ひとつよろしくお願いします・・・
長々と見て下さって、ありがとうございました。
今日は推敲も全然していないし、内容も重たいから、読む側にとっては負担の大きい文章になったかもしれないね。ごめんなさいね。
ここまで読んで下さった方が、ちょっとでもいい一日が送れるように祈ります!
それじゃあ、またね!
お疲れ様でした。
カット
Latest / 65:57
カットモードOFF
【固定チャットコメント】
田村真夏
★執筆作業中のため、チャットには反応できないことがあります。★チャット内にて他の方と会話をするのはご遠慮ください。
03:20
田村真夏
★執筆作業中のため、チャットには反応できないことがあります。★チャット内にて他の方と会話をするのはご遠慮ください。
チャットコメント
文字サイズ
向き
チャットコメント通知
2025/01/17 田村真夏のフリーライティング
初公開日: 2025年01月17日
最終更新日: 2025年01月17日
ブックマーク
スキ!
コメント
内容:伯母の葬式
※障害者についての言及があります。ナイーブな方は注意されたし