※大幅に変更される可能性があります。
「ヘレ、準備はいいか?」
 スピカさんが私に問いかける。アスクたちと別れて、私たちは陽動作戦を開始する。高い場所、目立つことを目的に屋根の上に登り、市街地を見渡す。
 ふうっと息を吐いた。少し緊張はしてるけど、大丈夫、目的もはっきりしてるし、スピカさんもいる。シャウラの蠍は帰ってしまったので心細いけど、スピカさんだけに頼らないようにしないと。私たちならできる。
 目指すのは民家が密集した場所よりも奥、大きな円形の建物がある場所。警備兵たちを惹きつけながらも捕まらないように移動しなくちゃ。
「うん、大丈夫。このまま屋根を伝って向こうまで駆け抜ける」
 すでに警備兵が私たちを見つけて、下から「降りてくるように」とか言ってる。私は屋根を駆ける。時々、幅が広いところは加護のメ―メ―に助けてもらって、円形の建物を目指した。
 屋根を上って追ってくる衛兵は、スピカさんが剣で制してくれる。
「しかし、あの円形の建物は劇場か何かなのだろうか?」
「やけに熱気がありますね」
 遠くからでも歓声のような声が聞こえてくる。いったい何の施設なのか、予想もできない。
「……妙だな、追手に真剣さがない」
 スピカさんは衛兵を軽くいなしながら、訝し気な声色で呟く。たしかに、追手は数えられるほど、しかも屋根に上ってくるのは数人だけだ。まるで私たちを捕まえる気がないみたい。
 だからか、円形の建物の近くまではすぐだった。大きな歓声、そして怒号や野次が響き渡ってる。
「なに、これ……」
 円形の建物の天井はなく、客席が敷き詰められ、中央が大きく開いている。そこで、人と人が戦っているのだ。観客は円形に敷き詰められた客席から眺め、様々な感情をまき散らしている。
「賭け事をしているようだな」
 スピカさんも私の横に来て上から円形の建物の内側を眺める。私の星では賭け事といえばサイコロやカードを使った質素な遊びでしかなかった。こんな大規模な場所でどんな賭け事をしてるの?
「でも、真ん中で戦ってるのは人だよ? 何か賭け事をするような施設には思えないけど……」
「あの真ん中で戦ってる奴らの勝敗を賭けているようだ」
「戦いの勝敗!?」
 わざわざ戦わせて、勝敗を賭け事にしてるってこと!?
「でも、あの真ん中の人たち、ボロボロで片方は武器も持ってないよ?」
「……武器を持ってない方の足に焼き印が見えるな。……天秤の星で裁かれた罪人だ」
 罪人が戦ってる?
「え、でもあんな武器ある人と戦っちゃったら死んじゃう、よ……?」
「…………幾人も死んでいるのだろうな。中央の台の上で戦っている人間にばかり目が行っていたが、台を降りると死体がいくつかある」
 ひゅっと喉が鳴った。理解ができなかった。見たくなくない。でも、目の端でちらちらしているのが気になってしまう。
 吐き気、がする。見てられなくて身体ごと外へと向けた。
「大丈夫か?」
「ごめんなさい……あんまりこういうのは見たことなくて……」
 背中を撫でてくれるスピカさんに、少し気分が楽になる。
 実際人があんな風に死んでいるところを見たのは初めてかもしれない。人として、どれだけ自分が恵まれているのか、痛感する。
「私も初めてだ。あそこまで残酷なのは」
 でもスピカさんは動揺してなくてすごい。やっぱり牡羊の星の世界は狭すぎた。世間知らずだと、自覚してしまう。
「どうしよう。こんなところで捕まったら……」
「下手すると私たちもあの真ん中の場内に駆り出されるな」
「うぅ……」
 やっぱりそうだよね。罪人ってことは、追われてる私たちもその部類に入るわけで。なんでエスカマリさんはここを目指せって言ったのかしら。
「わかってるじゃなーい!」
 可愛らしい声が聞こえたと思ったら、首に圧力を感じる。首に腕を回されて、落下の浮遊感に襲われていることだけがわかった。なにこれ!?
「ヘレ!」
 視界に、建物のヘリから私に腕を伸ばすスピカさんが見える。けど、ダメ、遠い。スピカさんは驚いてた表情を一瞬にして切り替えると、私の方に向かって飛んだ。どうして……!?
 スピカさんが落下するのを見ながら、私はそのまま落っこちていく。このままじゃ二人とも衝撃で動けなくなっちゃう。
「メ―メ―!」
 加護の名前を呼ぶ。大きな空飛ぶ羊――メ―メ―が出てきて、必死に捕まる。衝撃で首に絡んだ腕が外れる。私はスピカさんに手を伸ばし、反対の手で掴んだ。
 すでに中央付近まで落っこちてきていた私たちは、メ―メ―に捕まって、ゆっくりと中央の四角い台へと降りた。
 仁王立ちをして腕を組む小さな女の子が、こちらを睨みつけている。オレンジの髪を二つに結び、可愛いフリフリの服を着ている。彼女はたしか、アルディさんを探してた女の子……なんでここに?
「もう、大人しく案内されなさいよ!!」
 ぷんぷん怒って地団太を踏む様子は、言葉と同じ感情そのまま。
「案内って、私たちここに用事はないんだけど?」
 困ってしまう。アルディさんの知り合いなんだろうけど、こんなところに引きずり出されてしまうと周りの視線が痛い。
 「どうした!? 早く始めないのか!?」「なんだ、今度は女の対決かぁ!?」など野次が飛んでるのは聞こえないふりをする。
「用事は作ってあげるから大丈夫なの」
 ころっと表情を変えて、にこにこと笑う少女。周りの大人たちに両手を上げて、注目するようアピールする。
「みんなー! 次走はこの二人が何回戦まで残れるかですのー! ちゃんと賭けなさいね~!」
 何故か場内に大きく彼女の声が拡声された。とっても厄介なことを言ってるぅ。
「ちょっと、私たち出ないって言ってるじゃない! アルディさんの知り合いだろうけど、勝手なことしないで!」
「うるさいのっ! アルディお姉さまの時間たっぷりもらったくせに、くせに! 絶対酷い目に合わせてやるんだから!」
 会話がかみ合わない。本当にアルディさんの知り合いなの!?
 少女は言いたいことだけいって、台の上を降りていく。慌てて追いかけようとしたら、上から柵が降って来た。いや、それは檻だ。四角い台を囲むように大きな檻が降ってきて、私とスピカさんを閉じ込めたのだ。
「どうしよう、スピカさん……力づくで逃げる?」
「いや、どうやらこの檻、加護の力を使っているようだ。ヘレと私では火力が足りそうにない」
「そんな……」
 逃げ道は塞がれたってこと!?
「この二人は別の星の加護持ちだからね! オッズは相当偏ると思うけど、挑戦したいヒトいるかなぁ? もし勝てたら、刑期は全部無しにしてあげてもいいのよ」
 アナウンスが流れる。観客はその煽りに沸いた。地響きのように地面が揺れて、腰が引けちゃう。
「おっと、ふんふん、一〇人、一三人……二十四人の候補者が出てくれたのね! 一斉にいこっか。刑期ゼロは早い者勝ちだよ~!」
 地面がせり上がって、二十四人の受刑者たちが各々武器を持って現れる。どう見ても一般の人と大差がない体格。数がいたとしても私たちは加護持ち、一般人に負けるわけない。
「メ―メ―、もこもこの束縛(マリアロス・デスモス)!」
 私は加護に指示を出す。メ―メ―が小さいもこもこに分裂し、襲い掛かってくる相手にぶつかる。そのままもこもこに包まれて相手はころんと転がった。修行をして成長はできなかったけど、技だけは私もいくつか開発したんだ。今回は、動きを制止する技。相手を傷つけずにすむからとても便利。
 零れた相手はスピカさんが手際よくのして行く。二十四人はすぐに戦闘不能になる。
「ふーん、戦闘不能にするだけなの。つまんなーい」
 少女は口を尖らせてぶーぶー文句言ってる。かちんと来た。殺せなんてそんな容易く言うもんじゃない。
「つまらなくてもいい。こんなことに命かけられても困るもの!」
 怒りのまま口をつく。
「でも、どうせ死ぬのよ? みーんな死刑囚なんだから。それならわたしたちを楽しくさせてくれた方が罪滅ぼしになるじゃない」
「だからって、無残な死に方をさせる必要ないでしょ!」
「わかってないなあ、あなたたちは今、同じ立場に立ってるのよ?」
 いつまでも平行線。
 業を煮やしたのか少女が何かを取り出した。注射器? みたい。でも、それが何かわからない。
「加護の力ってさ、強いのよね」
 柵まで近づくと、近くにいた囚人に注射針を刺した。何かを投与された囚人は、体がみるみる大きくなっていく。
「なに、これ……」
「ドーピングってヤツよ。まあ、加護の力が強すぎて数分後にはドカンだけどね」
「貴様! そんなものを使用していいと思ってるのか!?」
 スピカさんが大きくなっていく囚人に剣を向けて牽制しながら、少女にがなる。少女は肩を竦めて視線を周りの客席へと向けた。
「周りを見てみるべきよ」
 歓声が飛び交っていた。やれーだの、面白くなってきただの、言いたい放題。頭がくらくらする。同じ人が、加護の力で無理やり力を引き出されて、下手をしたら死ぬっていうのに、なんて嬉しそうな表情をするんだろう。ぞっとした。
 檻の天井まで大きくなり、影が台を覆うほど。大きな腕が振り上げられた。
「きゃっ!」
 スピカさんの方に振り下ろされて、地面が飛び散る。思わず顔を庇って、視界が悪くなってしまう。
 ドサっという大きな音に目を開ければ、巨体が後ろへと倒れ込み、スピカさんがその上で剣をその巨体の喉元に当てている。
「こちらの声は聞こえているか?」
「うああああううう」
 スピカさんの問いかけに、相手はしゃべれずに唸っている。
「言葉も理解できない状態なんて、いったい何をしたの!?」
「だーかーらー、加護を与えたの。疑似的にね」
 ぷくっと頬を膨らませて、少女は言う。
 加護を与えたって、どうやって? この子、神の力を手に入れてるの? だから、こんな余裕で私たちを遊びのように見下してるの?
 考えても答えがでなくて、息が浅くなる。じわっとした恐怖が足元からせり上がってくる。
「理解してよ。加護を液状化させて投薬させるんだ。耐性があれば加護の力を使えるようになるけど、耐性がないと力が暴走してそんな感じ。後数分の命かな?」
 私たちが答えなければ、業を煮やしたように説明された。胃の中がムカムカする。命を弄ぶ相手に、嫌悪感が積み重なる。
「人の命をなんだと思っているんだっ!」
「だからね、ソレらはもう死ぬだけなの。利用価値があるだけマシじゃない? なんなら、苦しまないように殺してあげた方がいいんじゃないの? だって、死ぬまでそこから下がれないもん」
 スピカさんの怒号も相手には効かない。どんどんとヘドロのような内容をまき散らしていく。膝が笑ってしまう。殺すなんて、私たちが、しなきゃいけないの? 指先まで震える。血が通わない。
「……そうだな」
 冷たい声で淡々とスピカさんは言った。その後に、ザシュっという剣で何かを切り裂いた音が聞こえた。
 スピカさんの方を見れば、血しぶきが飛び、巨大化した人間の顔を胴が離れていた。
「わぁ、やるねぇ」
 スピカさんは同時ずに、次々に相手を剣の動きで制し、躊躇なく切り裂いた。
「……これでいいのだろう。死体は外へ出せ」
 スピカさんの行動や、言葉に意味がわからなくて唇が震える。どうして、こんなことができるの? 別の方法はなかったの? それとも、何か意味がある?
 私は唇を噛んで、じっとスピカさんの行動を凝視した。
「わかったのー」
 少女は不満そうに口を尖らせながらも、檻の一部を開放した。スピカさんはそこへ死体を投げ込んでいく。
「乙女の騎士は案外あっさりしててつまらないの」
「そうか? よく頑固だ。と言われるのだがな」
 檻が閉まったところで、スピカさんは少女に笑って答えた。
「生命維持ではなく治してくれ、リヒトメーア」
「あい、解った」
 スピカさんの言葉に、彼女が持っている剣が光を放った。次の瞬間、檻から放り投げた人たちがむくりと起き上がる。手を握ったり、斬られたところをさすったりしている。
 スピカさんの加護が具現化した剣――リヒトメーアが回復の加護を使ったに違いない。よかった、殺された人はいない。スピカさんには考えがあったんだ……!
「な、なにこれ!?」
「貴様は、私の能力をまったく知らないようだな。死にたいのなら一度殺してやる。冥途の土産はくれてやれんがな」
 光の収まった剣を少女の方に付きつけ、スピカさんは高らかに宣言した。
「もう! もうもうもう! つまんなーーーい! どうしてそうなるの!?」
 少女は手足をバタつかせて叫ぶ。つまらなくたっていい。人を簡単に殺すなんてダメだもの。
 スピカさんが少女に向かって駆け出した。甲高い音とともに、剣が檻を切り裂く。切っ先は少女へと迫るが、下からせり上がる新たな檻が火花を散らして防いだ。
 刃が届かないことに、スピカさんは喉を鳴らし、一歩下がる。
「ボクに攻撃しようとしたの? もうムカつくなあ!」
 少女が手をかざすと、足元の地面が不意にぐらりと揺れた。
「なっ……!?」
 足元をすくわれ、尻もちをつく。視界の端で、さらにせり上がってくる檻が私たちの間に立ちふさがった。
 囲まれた。私とスピカさんは別々に小さな鉄檻に閉じ込められてる。
 スピカさんは必死に再び斬りつけるが、先ほどのようにはいかないようだった。
 そのとき、スピカさんの檻の前に、二匹の獣が大男に引きずられるようにして現れた。そしてもう一つの小さな檻が現れ、小さな少女が押し込まれる。
「牡羊の女、あんたが選びなよ。そいつと、あの女の子、どっちが獣の餌になるかをさあ」
 オレンジ色の髪をした少女が、低く唸るような声で言った。ぞくりと背筋が凍る。
 ……何を言ってるのか、わからない。
「ヘレ、私の方の檻を開けろ!」
 目の前にある機械に、二つの押しボタンが設置されていることに気づく。それが檻の開閉装置だと理解するのに、ほんの数秒かかった。
「いい? 死ぬまで獣や人間をあてがってやるんだから、どっちを選んでも同じなの」
 少女は、私にだけ聞こえるように囁く。
 そんなの選べるわけないじゃないっ! どうしたら……どうしたらいいの!?
 俺が駆けつけた時には、ヘレとスピカは幾人もの人間と戦うことを迫られていた。
「アスク、どうすンだ。アレ」
 マルフィクが俺に問いかけてくる。わかってる、二人を助けなきゃいけない。何かあってからじゃ遅い。
「早く助けに行かなきゃ!」
「おい!」
 マルフィクが止める声を無視して、人ごみの中を中央に向かって駆け降りる。早く、助けなきゃ。
 けど、いきなり腕をぐっと掴まれて、前につんのめった。
「わっ! マルフィクなに――!?」
「オレじゃねェ」
 止めたのはマルフィクだと思った。でも、振り返ったら金色の瞳と目が合った。金髪に、額の傷、見慣れた顔。
「レグルス!?」
「そんなに急いでどうした、アスク」
 にやっと笑って、手を挙げて挨拶するのは紛れもないレグルスだった。その手には賭け事に使われているであろう紙をいくつも握りしめていて唖然とする。
 どうしてレグルスが? 賭け事してる? なんで?
 疑問で目の前が白黒する。
 すぐに止められたことに、頭がかっとなった。
「呑気に見物してる場合!? ヘレもスピカも今ピンチなんだよ!?」
 揚々としているレグルスに、捕まれた腕をぶんぶんっと振って抗議した。
「あのなぁ、ヘレちゃんもスピカちゃんも二人とも強いでしょうが。このくらいで負けやしないって」
 飄々としているその態度が気に喰わない。焦りから来る苛立ちに唇を尖らせた。
「でも、二人とも戦いづらそうにしてるっ!」
 二人が負けやしないのはわかってる。でも、ヘレやスピカは人を殺さないように立ち回ってるみたいで。このまま戦い続けたら決着がつかずにヘレもスピカも体力を削られる。
 それに、どうして二人がそんな立ち回りをしてるのか俺にはわかる。
 だって、たぶん俺も同じ状況になったら戸惑ってしまったと思うから。
「ヘレやスピカは人を殺すのは望まないよ……」
 ぐっと手に力が入る。ヘレもスピカも理不尽な選択を迫られてるに違いない。なんとかしたかった。
「やっぱり、どうにかしなきゃ! 矢の雨(ヴロヒ・トン・ヴェロン)!」
 気持ちが焦って、俺は牡羊の矢の名前を唱える。けど、それは発動しなかった。一緒に今までの熱が霧散した。さっと血の気が引いていく。
 レグルスに再び手を掴まれて引きずられるように後ろの方に連れてかれる。
 頭の中はどうしようという言葉で埋め尽くされていた。
「……アスク、どういうことだ?」
「エスカマリさんが、また俺の加護を奪ったんだ……」
 ぽそぽそと話す。目頭が熱くなる。牡羊の星の頃のようにまた何も使えなくなったらどうしよう。
 上手く言えない俺の代わりにマルフィクが話してくれる。
「エスカマリッていうヤツが、アスクの力を神の天秤にかけやがッた。制約の”天秤の星の利益になるかどうか”で利益にならないと判断される度に黒い皿が沈む。ンで、アスクの加護が奪われるンだ」
「なんだそれ。お前らのがよっぽどやばいじゃんか」
 レグルスが頬を引きつらせた。
「確認しただけでも蠍、双子、牡羊は奪われてンな」
「どんどん減ってるってことか? 帰属の加護はどうなんだ?」
 帰属での加護は、スピカとマルフィクにもらったやつだ。俺はマルフィクを見た。
「たぶん、取られるだろ。アイツは加護だけでなくアスクの力をすべてもらうッて言ッてたからな」
「帰属の加護を取られたら、みんなには影響ないの?」
 不安が頭を擡げる。帰属は、お互いに認め合ってもらうことのできる加護だ。奪われた場合、与える側のデメリットはないのかな?
「繋がりがアイツの方に移るッてだけじゃねェか。お互いの位置がわかるぐらいしか帰属のメリットはねェしな」
「そっか」
 ほっとした。もし取られてしまってもマルフィクにもスピカにも影響がないんだ、良かった。
「なら、ちょうど良かった。アルディから預かってきたんだ。帰属の契約書を」
 レグルスは懐から巻物を三つ取り出した。
 たしかに、アルディさんが後で帰属の書類を寄越すと手紙をくれたけど、まさかレグルスが持ってくるなんて。
「牡牛、水瓶、蟹の加護の契約書だ。帰属の許可をサインすれば、お前に加護が帰属する。もちろん獅子の加護も俺から渡すぜ」
「ああ、持つ加護を増やすッてことか」
 契約書を開いて、レグルスは俺にペンを手渡してくれる。契約書にはアルディさん、サダル、タルフの文字で帰属をしたい旨が書かれている。
「キャパを増やせば奪うのに時間がかかる。そのうちにどうにかしようぜ」
 心強かった。どうにか、しよう。気持ちを引き締める。
 俺は契約書にサインをした。契約書はパッと光って、その光が俺の腕に入った。
「俺のも受け取れよ」
「うん!」
 頷いた。余裕が出来たことで、焦りが少し緩和した。
「それで、ヘレとスピカが大変なのはわかった。あの二人はまだ上手く立ち回ってくれてるみたいだけど、どうやって助けるべきか話し合おう。試合を止めるだけでいいわけでもないだろう?」
 そうだ。試合を止めても、助けに入ったとしても、ここから逃げなきゃいけない。それに、俺たちにはまだ解決してない問題がある。
「あのね――」
「こんなところでのんびりしてて良いのですか?」
 声に振り返れば、最初にあった時と同じようににこっと笑いながら、エスカマリさんが俺たちの後ろに立っていた。俺たちを追いかけてきたんだ。じりっと一歩下がる。
「お前――レーピオスのとこにいたっ!」
 レグルスが驚きながらも、俺たちとエスカマリさんの間に入って、警戒するように腰の銃に手をかけた。
 レーピオスの名前に俺はマルフィクを見た。エスカマリさんのことを知ってるとは言っていなかったはずだ。
 マルフィクは口元に手を当てて頭を振って見せる。エスカマリさんのことは知らなかったようだ。
「あら、レーピオスさんとお知り合いなんですね。私は天秤の加護を持つエスカマリと申します。貴方、誰ですか?」
「会っただろうが! レグルスだ!」
 エスカマリさんは落ち着いた様子でレグルスを見る。レグルスに名乗られてもわからないように首を傾げている。
「レグルス……レグルス……どこかで聞いたことがあるような」
「獅子の加護を持つレグルスだ!」
 いい加減にしろよと、レグルスが大きな声で威嚇する。
「あ、ああ~! 落ちこぼれの、あのレグルスですね」
「はっ?」
 思い出したのか手をぽんっと叩いて、エスカマリさんはにこにこしている。今度はレグルスがぽかんとして彼女を見た。
「何番目でしたっけ? あまり興味がなかったので弟のことはそこまで覚えてないんですよ。ごめんなさいね」
 なおもにこにこと話すエスカマリさん。
 弟って何の話? レグルスのお姉さんがエスカマリさんってこと? でもレグルスは獅子の加護を持ってて、エスカマリさんは天秤の加護を持ってる。わけがわからない。
「思い当たるヤツがひとりだけいる。お前……デネボラか?」
 レグルスは眉間に皺をよせながら、おそるおそるといった様子でエスカマリさんを指さし、知らない名前を呼ぶ。
「はい。獅子の星のデネボラですよ~」
 軽い口調。エスカマリさんは、否定しなかった。獅子の星出身なのに、エスカマリさんはどうして天秤の加護を持っているんだ?
 レグルスが知っているデネボラと同一人物だとわかったのに、レグルスの額の皴は消えない。
「お前が、あのデネボラだって? そんなはずないだろっ。姿形が違いすぎる!」
「ええ、お借りました。天秤の星ではエスカマリとして活動してます」
「お借りました? 笑わせるな。どうせ奪ったんだろ?」
 珍しくレグルスは怒ったような威嚇するような棘のある声色をエスカマリさんにぶつけた。印象は良くないようだ。ぴりぴりとした雰囲気に、呑まれる。
「だったら? 何ですか?」
 レグルスの様子をエスカマリさんは冷ややかな目で嘲笑った。それが悪いとは微塵も思っていないようだ。
「別のヤツが生きる人生だっただろっ! お前に奪う権利なんてない!」
 レグルスも負けじと言い返す。しかしエスカマリさんの冷ややかな目はずっとレグルスを射抜いていた。
「奪わなければ、私が死んでいた。弟のくせに私に死ねと言うのですか? 薄情ですね」
 ふっと鼻で笑われる。馬鹿にしていると俺でもわかった。お前たちにわかるわけないだろう。そんな圧を感じた。
「はっ! 思ってもないことを言うなよ、デネボラ」
 レグルスが睨みつける。「あら、わかります?」と笑うエスカマリさんに、レグルスは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「弟だとも思ってないだろ。話をズラすのをやめろ」
 エスカマリさんは口元に手を当てると小首を傾げた。
「説明したところで、貴方にはわからないでしょう? 獅子の加護を失った私が、どう生きたのか。どれほどの苦渋を舐めてきたのか。理解もできない相手を説得しようなんて、さらさら思いませんよ」
 明確に獅子の加護をエスカマリさんが持っていたことがわかる。やっぱり獅子の星と関係があるんだ。
 獅子の星について、俺が知っていることを反芻する。獅子の星は熱帯のジャングルだ。獅子の星では王になる可能性がある人間に加護を渡して、他の星を周らせる。別の星をすべて回り、戻ってきた者が次の王になる。という風習があるってレグルスが言ってた。
 加護を持ってる人間がいっぱいいるって思ってたけど、加護がなくなるってことは、獅子の星の加護は途中でなくなるってこと?
「別に? 加護があろうがなかろうが、生きるのに変わりなんかねぇだろ」
「はあ、やはり落ちこぼれですね。加護を使えるからこそ、そこに立っていられるということもわからないなんて」
 エスカマリさんの顔が苦々し気な表情に変わる。
「お前の方なんて、最初に選ばれた割には苦労してるみたいだけどな?」
 レグルスは鼻を鳴らして挑発する。一向に話がわからないまま進んでいく。予測しかできないことにいら立った。もうわけがわからなくなって、俺はレグルスの袖を引いて小さな声で問いかけた。
「レグルス、さっきから何の話をしてるの?」
 けど、答えたのはレグルスじゃなかった。
「あらあら、アスクさんはレグルスのことも獅子の星のことも何もご存じではないんですね。私も彼も、獅子の王の子どもなんですよ。レグルスは兄弟の中で一番の落ちこぼれだったという話です」
 また落ちこぼれって言った。レグルスは加護をもらっているし、それなりに頼りになる人間だ。落ちこぼれというイメージとあまり一致しない。ふと、アルディさんに尻に引かれているレグルスがよぎったけど、頭を振った。
「まあ、最後の最後に加護をもらったからな。こいつの言ってることは本当だ」
 レグルスは肩を竦めてあっさりと肯定した。
「俺は別に獅子の王になりたくもなかったからな。興味もないことを放置してたら落ちこぼれと呼ばれていただけだ」
 レグルスの説明に、たしかに誰かの言うことを聞くのは苦手そうだと思った。どちらかというと自由に生きたい感じがする。獅子の星とレグルスはあまり相性がよくなかったんだろうな。
「やはり兄弟の中で最後だったんですね。納得です」
 エスカマリさんは、鼻で笑って見下してくる。レグルスははあと息を吐いてから、目を細めた。
「そういうお前は、一番優秀と言われた兄貴だったよな? 性別まで変えてくるなんて驚きを通り越したぜ」
 エスカマリさんがレグルスのお兄さん……!? え、余計わけわかんなくなったんだけどっ。
 あまりの衝撃な話に頭が殴られたように混乱する。
「お兄さんって、え……エスカマリさんの姿……え?」
「落ち着け。あいつはもう神の力をもう持ッてるッてことだ」
 マルフィクが後ろから補填してくれる。
「神の姿は様々だッただろうが。姿を変えることができるヤツもいるらしい、好きな姿になれるらしいぞ」
「えぇ? そうなの?」
 たしかにシャウラは子どもなのに、姿形は大人の女性だ。人型じゃない神もたくさん居た。
「ああ、獅子は加護で変身ができるからな。加護の力を昇華した結果なのかもしれない」
 レグルスからも肯定された。そういえばレグルスは獅子に変身するんだったっけ。元々獅子の加護を持ってたエスカマリさんが変身するのは不思議じゃないのかもしれない。
「この姿が使いやすかったんですよ。天秤の星では。エスカマリ、彼女はたしかに存在しました。みなから愛され、信頼され、次期天秤の神にと支持されてました。だからこそ、私には都合が良かった」
 存在したエスカマリという女性。彼女はどうなったんだろう? 胸が押しつぶされそうな苦しさを覚える。俺もレグルスと同様にデネボラのやり方は嫌いだ。けれど話はそこで急速に終わらされた。
「話も平行線――終わりにしましょう。さて、ヘレさんとスピカさんにも”選択”が迫られたようですし、私の天秤の加護がこの場を審判しましょう」
 ヘレとスピカの言葉に、闘技場の真ん中を見た。檻が個々を囲み、その檻の前を二匹の獣がうろついている。ヘレがスピカと女の子の選択を迫られていた。
「ヘレ!」
 声を出しても届かない。
 闘技場の真ん中の上に、巨大な天秤が浮かび上がった。
「これは貴方に見せた天秤と連動しています。選択を”誰か”が誤れば、天秤はどんどん傾いて行きますよ。さあ、アスクさん。あがいてみせてください」
 にっこりとエスカマリさんは笑った。
 そして、エスカマリさんは巨大な天秤の上に軽々と移動してしまう。
「あ、レグルスの力を借りるのは好きにしていいですよ~。お仲間、なんでしょう?」
 その言葉を残して。
 俺はレグルスとマルフィクを見た。どうするべきか、ほとほと困っていたからだ。
「デネボラのヤツ、言いたいだけ言いやがって……あの天秤をどうにかしねぇとだな」
「天秤を白い方に傾けられればいいんだけど……」
 そのためには、天秤の星に有利なことをしなきゃいけない。それはたぶん、エスカマリさんの味方になるってことだ。
「んなこと言って、どうすンだ? 天秤の星のために力を使いますとでも言うのか?」
「エスカマリさんのためになんて使わないよ」
「じゃあ、どんどん黒い方に傾くな」
 わかっている。しかも、黒い方に傾けば傾くほど、俺の力は奪われていく。ジレンマが激しい。
「デネボラのために使う必要はないだろ? 天秤の星――つまり天秤の神のために使えばいいんだろ?」
 意味がわからないとでも言うように、レグルス眉を顰めた。ここで何かがひっかかった。
「あいつが天秤の神に成り代わッて、神の力使ッちまッてンだよ。そのせいで、あいつの思い通りだ」
 俺の代わりにマルフィクが答えた。マルフィクが言うことは正しい。でも、やっぱりひっかっかった。天秤の神についてだ。天秤の神は、本当はどう思っているんだろう? だって、天秤の神はまだ生きている。
 瘦せこけて衰えた、あの天秤の神は、本当にもう何も考えていないのだろうか。ただエスカマリさんに操られるだけなんだろうか? 違うような気がする。そう”確信”する。
 だったら、どうしたらいいんだろう? 俺には天秤の神の考えてることなんかわからない。だって、彼のことを何も知らないから。
「天秤の神は、どう思ってるんだろう?」
 急にどうした。と、マルフィクが顔をしかめる。
「俺も知らねぇけど、知らないなら知ればいいんじゃないか?」
 逆に、さも当然のようにレグルスは応えてくれた。それができれば苦労しない。今は話せもしない天秤の神相手に、どうやって知ることができるというのか。牡羊の星のように、天秤の星の記録を見に行く? でも、神の考え方なんて乗ってなかった。誰か他の神に聞いても、天秤の神の考え方がわかるとは思えない。それに、そんな余裕は今ここにない。
「俺の恩賞を貸しひとつで譲ってやるよ」
 さっきまで真剣な表情だったのに、レグルスはいつものような自由気ままな笑顔をにかっと浮かべる。俺は目を瞬いた。恩賞――山羊の神の恩賞の話だ。過去か未来に一度だけ飛べる。マルフィクの方はすでに双子の星の過去を視るのに、使い終わってしまった。レグルスはそれを譲るというのだ。
 たしかに、天秤の星の過去をその目で見れるなら、天秤の神を知るきっかけになるかもしれない。
「え、いいの?」
「おう。どうせ見たい過去も未来もないしな」
 真剣な話なのに、その後、「賭け事の未来はちょっと惜しいけどな」と笑う様子に、俺の焦りが解けて行く。なんだか、気分が明るくなったような気がして、俺は笑ってしまった。
 デネボラと対峙していた時の緊迫感はなくて、少しおどけている口調はいつものレグルスだ。
「仲間の窮地を救う方がおいしいだろ?」
「ふふ。ありがとう、レグルス。うん、俺。天秤の星の過去を視たい」
「ああ、じゃあ。すぐに視ようぜ」
 促されて俺は、レグルスの手を取った。
「目を閉じて、時期と場所を頭に思い浮かべてほしい。今回は、天秤の神についてだから場所は天秤の星でいいけど……」
 時期をどうしようか。天秤の神の考えが一番わかる時期がいい。
「だッたら、六千年前の双子の神殺し会議をしてる辺りがいいンじゃねェか」
「たしかに、星の方向性とか決めてるかも」
 マルフィクの提案に乗った。時期は六千年前にしよう。
「場所は天秤の星、時期は六千年前。レグルス、目を閉じて……時間逆行(インヴェルシオー・テンポリス)」
 俺も目を閉じて、力を発動させる言葉を唱えた。ぐっと引っ張られる感覚。ぐるぐるとする。目の前にいろいろな映像が飛び交っては消えていく。
 ある瞬間、ぐっと強い力に引っ張られて放りだされた。
 オレだけが授かった時間操作の山羊の加護。その加護の使用者――案内人として俺もレグルスと一緒に来たらしい。
 俺とレグルスが立っている場所は、空だった。足元の地面が遠い。足がすくむ。落ちるかと思ったけど、そんなことはなかった。
「ひぇ……どこここ……」
「すっご、下までよく見えるな。あそこ、なんか人多くないか?」
 レグルスが楽しそうに口笛を吹きながら、遠くを指さした。豆粒くらいの人がたくさんうごめいている。それを見守るように、空にもう一人立っていた。
 白いゆったりとした服。長い白髪を垂らし、じっと灰色の目で人々を見ている。その愁いを帯びた表情を見て、ふとミイラのようにやせ細った天秤の神の姿が頭をよぎる。面影があった。
「ねえ、あれ。天秤の神……だと思う」
「へー、なんであんなとこから見下ろしてんだ?」
 レグルスはつかつかと歩き出した。え、歩けるの? 俺もおそるおそる足を前に出すと、地面があるように足が無事ついた。レグルスの後を追う。
 レグルスは怖いもの知らずにひょいっと天秤の神の顔を覗き込んだ。天秤の神はこちらにはまったく気がつかない様子で、じっとの人間たちを見つめている。
「……下でやってんのは戦いか」
 興味を無くしてすぐにレグルスは下でうごめいている人間を観察する。少し近づいたせいで、カンという音が響きあい、剣での打ち合いが目で見てとれる。幾人、いや幾万人の人のぶつかり合いだ。いままで見たことがない光景に、ことりと喉が鳴る。怖い。これ以上近づいて見たくない。
「ってことは、これは戦争だな。十三以外の星々との争いの時代か」
 六千年の双子の神殺しよりも、もっとずっと昔の出来事のことだ。様々な星が存在し、その中で人々は争い領地を奪い合っていた。その光景が目の前にあった。
 天秤の神が天秤を上へと掲げた。光り輝いて、地面が割れ、人々を飲み込んでいく。あっという間の出来事に、目を瞬いた。
「どうして戦いを止めないのか。愚かな選択は天秤を傾けるだけなのに……」
 天秤の神の呟きが聞こえる。彼は戦いを望んではいなかった。それだけはひしひしと伝わって来た。でも、反面、地面はさらに裂け、なおも人々は逃げ惑う。
 星が大変動を止めたのは、天秤の星から相手がすべて逃げ出してからだった。天秤の神は天秤を降ろすと呟く。
「私はそれでも……いつか、よい選択ができると信じたい」
 ただ、心の底から呟くような、絞り出すような声。
 よい選択ってなんなんだろう。思っている間に場面が変わった。まるで意思があるように、場面は会議室へと変わった。座っているのは十三人の神だ。見知った顔――アリエス様、カプリコルヌス様、ポルックス様にカストル様が居たので、すぐにわかった。
 他の面々は知らないが、天秤の神――リーブラ様が議長を務めている。
「では、他の出入り口は封鎖する方針で決定します」
「争いを厭う面々だ、これで戦争は起きまい」
 凛とした声で、女性の姿をした神がリーブラ様に賛同する。みんな安堵したような表情をしていて、戦いに終止符が打たれたことは理解した。
 なんだか俺もほっとした。あんな争いは見ていたくなかったから。
「再び愚かな選択がなされないよう、お互いに見張り、牽制しあいましょう」
 最後にリーブラ様がそう締めくくった。戦いを心底嫌っているのだと伝わってくる。
 場面がまた変わった。
 リーブラ様ともうひとり、長い白髪をひとつにまとめ大きな金色の目を光らせる青年が相まみえていた。場所は荒野といってもいいだろう、草が多少生えているその場に他にひとけはない。岩の空洞が青く光っているのが目立って、それが他の星に転移する場所なのだとわかった。
 リーブラ様の表情は戦争の時と同じ、愁いを帯びたものだった。一方、青年の方はきりっと表情を引き締めている。
「貴方も、人間が落ちていくのは見ていられないのかと思っていました」
 リーブラ様が悲しそうに言う。同じ志を持っていたはずだと、訴えかけている。
「人間が戦い殺し合うのは愚かだ」
 同じ考えだと青年も同意する。しかし、手を握り込んで彼は続けた。
「だが、人間が成長を破棄し、落ちぶれて行くのもまた愚かなこと。我は、常に人間には先を生きるべきだと考えている」
 青年の言葉にリーブラ様は頭を振る。それには同意ができないだと、じっと青年を見つめる。
「進歩はゆっくりでいいのです。急いて再び戦うようになれば、人間は滅びます」
 人間の未来を考えて、どうか踏みとどまってほしいと、両手を仰ぎ前のめりリーブラ様は訴えた。
「――としても、人間が選んだことだ」
 しかし、青年はきっぱりという。俺は薄情だと、正直思った。でも、彼の顔には迷いなんかなく、それが人間の生きる道なのだ。と主張していて、喉につっかかりを覚える。
「……やはり、相容れぬよう。十二の星は蛇使いの星と断絶する。二度と十二の星の地を踏むことはない」
 リーブラ様は悲しそうに眉尻を下げたまま、しかし今度は明白に線を引いた。説得するのを諦めた様子に、青年はふっと笑った。
「理解できなくても構わない。遠い……とても遠い未来、結果は出よう」
 彼は、頭を下げてからリーブラ様の横を通り、青い光を放つ岩の空洞へと歩く。どちらもお互いの信念を譲れはしない。だからこその決別なのだと、感じた。
 人間と同じだ。神にもお互いに折り合えない感情と意思があるんだ。だから、きっと十三番目の蛇使いの神と十二の星は決別を選んだんだ。
「人間は思っているよりもずっと愚かで、ずっと頭がいい」
 矛盾する言葉を置いて、彼は静かに去った。
「私は、人間は愚かではないと思いたいのです……正しい道を歩めると信じている」
 天秤の神は、誰もいなくなった後にぽつりと呟いた。
「戦いなど愚かだ……」
 最後に耳に届いた言葉は印象的だった。
 はっと意識が浮上した。目の前にいるマルフィクが眉根を寄せてじっと俺たちを見ている。数回目を瞬くと、頭も起きた。
 同時にどっと胸が大きく鳴って、体が熱くなる。
「ねえ、レグルス。天秤の神って今の状況を見たらどう思う?」
「そりゃあ、嘆くんじゃねぇか?」
 俺もそう思う。だって、天秤の神は戦いを絶対に望んでいなかった。こんな、否応なしに戦いに駆り出され、見世物にされる風景なんて天秤の神は望んでなんかいない。
 でも、それができてしまうほど、天秤の星に今、天秤の神の影響が薄い。頭にあのひからびた天秤の神の姿がまた浮かび上がる。力のない身体、意思の感じられない光を映さない瞳。生きてないような精気のなさを感じた。彼はもう天秤の星の民のことを諦めたのだろうか。あれだけ信じたいと言っていたのに。
 でも、それも蛇使いの星が離脱した時だとすれば六千年も前の話。遠い過去の話だ。諦めてしまっても仕方ないかもしれない。でも、まだ希望はあると”確信”している。だって、双子の神のポルックスだって、六千年も過去に縛られても諦めなかった。だから、民と繋がれたんだ。だから、六千年の時は問題なんかじゃない。
 問題なのは、今。天秤の神が沈黙してること。エスカマリさんに力を使わせていることだ。打開策なんて、思いつかない。でも……。
「マルフィク。俺、やってみたいことがあるんだ。エスカマリさんのところに行けないかな?」
 エスカマリさんは今、大きな天秤を出した上に座っている。そこからヘレとスピカのやりとりを眺めているんだ。早く辞めさせないと、ヘレとスピカが危ない。
 俺は目の前のマルフィクの顔を見た。俺とレグルスのやり取りでもう状況を察しているようで、肩を竦めてみせる。
「使える加護による……けど、いいぜ。サポートしてやる」
 マルフィクが頷いてくれた。良かった。俺は今度はレグルスの方を見る。
「レグルス、たぶん時間がかかるんだ。その間にヘレとスピカを助けられない?」
「そうだなぁ。俺流でいいならやれるだけやってみるぜ」
 レグルスは笑って親指を突き出した。任せとけとは言わないけど、どうにかしてくれそうな雰囲気でほっとした。
「うん!」
 頷くと、レグルスはすぐに踵を返す。どうやら思いついたことがあるようだ。
「じゃあ、作戦立てッぞ」
「もちろん」
 マルフィクと向かい合い、俺は天秤の神の話と打開案を話し始めた。
 スピカさんの檻と女の子がいる小さな檻を交互に見る。二匹の獣が唸って檻に体当たりをしていて、女の子の顔は恐怖で引きつっていた。
「牡羊の女、選びなよぉ。早く、乙女の女か、なんの罪もない女の子、どっちが獣の餌になるかをさあ」
 オレンジ色の髪をした少女が、催促してくる。
 簡単に考えたら、戦えるスピカさんの方を開ける。でも、私には選べない。少女が私にだけ聞こえる声で言うのだ。
「檻を開けた瞬間にあの女の動きは奪ってやるからさ、安心して選びなよぉ」
「ヘレ! 迷うことは何もない、私の檻を開けろ!」
 スピカさんは戦う気だ。それじゃあ相手の思うつぼなの。
 私がいじいじしている間に、頭上が暗くなった。見上げれば巨大な天秤が空に浮いていた。
「うぉおお! エスカマリ様ぁあああ!」
 周りがいきなり大きな歓声を上げた。よく見れば巨大な天秤の上にエスカマリさんが乗っている。どういうこと……?
「あれ? 来たの~?」
 少女がエスカマリさんに話しかけた。どうして? エスカマリさんは私たちと仲良く話してた。それなのに、こんな境地に陥らせた張本人と仲良く話してるの?
「ええ、面白そうなので私も協力しますね」
 エスカマリさんはにこっと笑って、私の方を見た。灰色の瞳とかち合うと、口端がにぃっとあがった。気持ち悪い。
「ふふふ、ヘレさんとスピカさんにも、アスクさん同様に、天秤へとかけてあげますね」
「どういうこと……?」
 アスク同様って、アスク何かされたの!?
 わけがわからなくて、私はエスカマリさんに説明を求める。
「簡単なことですよ。選択するんです。その選択が間違っていたら、みなさんの加護を私がもらえる。そういう能力ですよ」
 エスカマリさんの言葉は信じられなかった。加護をもらうって、そんなことができるの?
「そうですね、矢の雨(ヴロヒ・トン・ヴェロン)」
 おもむろに発せられた言葉がなんなのか、一瞬わからなかった。聞き覚えがあるのに、別人の口から発せられたから。
 エスカマリさんの目の前に複数の矢が姿を現す。そして指先の指示で矢は私たちに降り注いだ。
「――っ! 羊毛の盾(スクートゥム・ラナートゥム)!」
 手を前に翳せば、腕輪からクリーム色の仔羊が飛び出す。仔羊が大きなって矢を毛で受け止めてくれた。スピカさんが剣で矢をはたき落す金属音が耳に届く。同時に――
「ひぃ!!」
 叫び声がした。女の子が矢に足を射抜かれていた。血で獣たちが興奮する。獣たちもいくつもの矢で怪我を負い、さらに気が立って吠えていた。
 どうしよう。女の子を助けなきゃ。でも、でも、さっきのはアスクの牡羊の加護の技だった。エスカマリさんが使えるわけがない。どうして? もしかして、アスクの牡羊の加護を奪ったの?
「ほら、これで証明できたでしょう?」
 にこにこ笑う。やっぱりそうなんだ。背中に冷たい汗が伝う。
「さあ、ヘレさん。どちらの檻を開けるのか、選択してください。正しい方を選択できなければ、貴方の加護は私のものです」
 怖い。選んでもし失敗したら、私のこの加護が相手にとられてしまう。怖い。
「ヘレ、早く!」
 スピカさんの声で、自分のことしか考えてないことにはっとした。嫌気がさす。
 私のことより、女の子を助けなきゃ。でも、少女がスピカさんに何かしたら? もし、その選択が間違っていたら? 怖くて、ボタンを押さなきゃいけない手が震える。
 もう、どうしていいかわからない。目の前がまっくらだ。このまま押したくない。
「ヘレ!」
 声が、聞こえた。一番聞きなれた声。私を呼び慣れている声。アスクが、空を飛んでいた。エスカマリさんに向かって落っこちていく形で。
 アスクと目が合う。大丈夫だと、すとんと何かがお腹に落ちた。そして、私はスピカさんの檻を開けるボタンを押していた。
「はは、やっぱりそっちだよねぇ? 牛の御者(アウリガ)!」
 少女が叫べば複数の縄が、スピカさんに絡みつく。足には土が盛り上がって絡みつき、スピカさんの動きを拘束した。
「っ!」
 スピカさんが息を飲む。必死に身体を捻って拘束を解こうとするけど、紐は思ったよりも頑丈みたいだ。
 でも、私は焦っていなかった。心臓は強く波打ってるけど、アスクが来たなら大丈夫だと。そう思えたから。
 二体の獣がスピカさんに向かって迫る。
 大丈夫、大丈夫だから。
 言い聞かせたら、二体の獣の後ろからさらに巨大な影が姿を現した。普通の動物とは桁が違う。ひっと喉が鳴る。
 大きな前足は鋭い爪が生え、牙は爛々と輝いている。オレンジを帯びた毛並み、顔の周りだけは太陽の光を反射してきらきらしている金色の毛並み。獅子だ。
「そんな……」
 こんな怪物。動けないスピカさんが勝てるわけない。
「いいね」
 満足そうな少女の声が耳をかすめた。獅子が大きな口を開けて吠えた。
「やっちゃえー!」
 少女の声とともに、大きな前足が薙ぎ払うように緩慢に動いた。砂煙が舞う。
「へっ?」
 間抜けな声が少女から出た。私も目を瞬く。獅子は獣二体を前足で薙ぎ払ったのである。
「レグルス! 来てくれたのか」
 スピカさんが嬉しそうに声をあげた。はっとした。そうだ、レグルスさんは獅子になれるんだった。この大きさも獅子の加護を持つレグルスさんなら納得も行く。
 足の力が抜けてへなへなとその場に座り込んでしまった。
「よかった……」
 少女の思い通りになんなくて本当に良かった。
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203:37
野崎抹茶ラテ
こんにちは!
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【うそそら】テキストライブ
こんにちは~!
225:25
野崎抹茶ラテ
すごいですね!といつも思います
225:42
【うそそら】テキストライブ
ほんとうですか!? うれしいです~!
403:52
野崎抹茶ラテ
こんにちはー
404:02
【うそそら】テキストライブ
こんにちはー
417:13
【うそそら】テキストライブ
今日はここまでにしますー。閲覧ありがとうございました~
474:31
Enak sekali
言葉選びがとても素敵ですね…!
474:51
【うそそら】テキストライブ
本当ですか!?わぁ、とっても嬉しいです^^ありがとうございます!
478:26
Enak sekali
今忙しいのでアーカイブで追います…!この後も頑張ってください…!
478:46
【うそそら】テキストライブ
ありがとうございます~!10時ぐらいまで頑張ります!
488:59
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今日はこの辺で終了します~
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向き
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オフィウクスの謎―加護を受けたと思ったら存在しない神だった―4章天秤の星4
初公開日: 2025年01月15日
最終更新日: 2025年11月19日
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コメント
天秤の星に来たアスクたちは指名手配されていた。
天秤の加護を持つエスカマリに助けられ、アスクは天秤の神が記載した歴史書を見るために図書館へ行くことを画策する。
FIX稿までは小説家になろうにUPしてあります。
https://ncode.syosetu.com/n1652he/