東京都選抜に選ばれた時。功にいが携帯を買ってくれた。だから、すぐに僕はあの人に自分のメールアドレスを伝えたのだった。
「そうか。風祭も携帯を持つようになったのか」
そう言って微笑んでくれた渋沢先輩とは、実は今、こっそりとお付き合いをしている。と言っても、選抜の練習や学校で忙しい日々だ。何か恋人同士らしいことを出来ているかと言えば答えは「NO」なのだ。
「これで選抜の練習日以外でも連絡が取れるな」
爽やかに笑う先輩に見惚れながら、僕はうんうんと大きく頷いた。なんでもないやりとり、それこそ、おはようとか行ってきますとか、そういうものをこれから渋沢先輩と出来るのかと思うと僕はワクワクと一人胸を躍らせていた。
だから、そんなに急に先輩から嬉しい連絡が入るとは思ってもみていなかったんだけど。
『今週金曜の武蔵野森サッカー部の練習がコーチの都合で無くなった。風祭の都合が合えば、一緒にスパイクでも見に行かないか?』
学校も学年も違う僕と先輩が会うのはなかなか難しい。特に、平日はほぼ毎日放課後にサッカー部の練習があるし、週末は東京選抜の練習や試合がある。選抜で先輩に会えるのは嬉しいけど、二人っきりで話したりすることはほとんど無い。だから、先輩の方からそうやって会えないか? と連絡してきてくれたことがすごく嬉しかった!
すぐに返事を書いて、返事を待つ。僕は金曜の放課後の練習があったけど、それは早退きさせて貰うことにしていた。サッカーに関する買い物に行くんだから良いよね! とちょっとだけ自分自身に言い聞かせて。
といっても、実は、うちの周りには大きなスポーツ用品店が無い。しかも、先輩の学校の寮からうちの近くに来て貰うには少し距離が遠すぎる。なので、当日の待ち合わせはうちと先輩の寮の間くらいにある大きな駅に集合ということになった。
「先輩、お待たせしちゃいましたか!?」
「大丈夫だよ」
駅に着いた時、僕は自分の格好があまりにも部活帰りであることを後悔した。だって、先輩がパリッとしたジャケットを着てすごく大人っぽい格好をしていたから。よく考えたら、先輩と二人っきりで出かけるなんて初めての事だ。つまり、初デート。なのに僕は桜上水のジャージ姿に学校鞄。スポーツバックも持っていて、急いで来たからうっすら汗もかいている。少しでも早く先輩に会いたかったから着替えずに来たけど、もうちょっと考えて来れば良かったと後悔していた。
先輩が笑顔で手を振ってくれる。それが嬉しいのに僕は自分自身の格好が恥ずかしくてなかなか先輩の真横に並べなかった。
「部活お疲れ。荷物持ったまま来てくれたんだ」
「あ、いや、その……先輩に早く会いたくて……」
かっと僕の顔が赤くなったのが自分でも解った。部活を早引けして着替えもせずに出てきたのは本当にただ先輩に早く会いたくてという一心だ。
先輩が益々穏やかな笑みをする。そうして、そっと僕の荷物を一つ持ってくれた。しかも、ジャケット姿には似合わないスポーツバッグの方。
「早く来てくれて嬉しい。行こうか」
「あ。はい!」
エスカレーターに乗る先輩についていき、地上に上がれば、駅前には大きなパルコがある。そこにスポーツ用品店が入っていたはずなのだ。僕は先輩と何を話して良いのか急に解らなくなってしまった。学校のこととかサッカーのこととか選抜のこれから当たるチームの話とかいろいろある気がするのに、いつもと雰囲気の違うかっこいい先輩にドキドキしてしまって言葉が出なかった。二人でただひたすらスポーツ用品店を目指して歩く。相変わらず僕はかっこいい先輩と並んで歩くのが恥ずかしくて少し遅れて歩いていた。時々先輩がそんな僕を気にして振り返ってくれる。
「選抜にでるようになってスパイクの持ちが悪くなったんだ。風祭はどうだ?」
「え、あ、はい! 僕のはまだ大丈夫ですが……えっと……」
「ん?」
もだもだどきどきしている僕の様子に気付いているのかいないのか? 先輩はいつも通りとても優しい。僕は相変わらず顔の赤さを少しうつむいて隠しながら「えっと」と次の言葉を探していた。
「僕は、選抜にでるようになってから功にいにお祝いで新しいスパイクを買って貰ったので……」
「あぁ、そうか。お兄さんは本当に風祭のことをよく気にかけてくれるんだな」
「はい。功にいは本当に僕がサッカーすることを応援してくれていて。いろいろプレゼントしてくれます」
「その気持ち、解るよ。大好きな人にはいつだって何かをプレゼントしたい気持ちになるから」
大好きな人、と先輩があまりにも大切そうに口にするから、僕は思わず先輩の顔を見上げていた。苦笑する先輩が「やっとこっち向いてくれた」と呟く。そんな苦笑までもかっこいい先輩に見惚れながら、僕はまたどうしていいか解らずピタリとその場に立ちすくんでしまっていた。
「俺も風祭に何かプレゼントしたいけれど、全てお兄さんに先を越されてしまっているな」
ちょっと悔しいよ。
ストレートにそう言ってくれる渋沢先輩があまりにもカッコ良くて僕は益々顔を赤くしていた。頭の中は真っ白になりそうなのに、ただし部沢先輩を好きな気持ちが胸の中で溢れてぐるぐる回っているようだった。
先輩のスパイクを選んで、あっという間に買い物は済んでしまう。だけど僕はずっと上の空で考えていることがあった。先輩がプレゼントしたい、と言ってくれたことについてだった。
あの、と僕は口火を切る。どうしても今日のうちに先輩にお願いしたいことがあったから。
どうした? と振り返ってくれる渋沢先輩の顔は少しだけ心配そうだ。多分、僕がずっと上の空で考えていたせいだろう。
「あの……功にいには絶対に出来ないプレゼントがあるんですけど……」
「高価な物は無理だぞ?」
「いえ」
僕はふるふると首を振る。先輩に高価な物のおねだりなんか絶対にしない。そんなことよりもずっと僕が望んでいる事が今、一つだけあるのだった。思い切って口に出す。
「駅までの帰り道……手を繋いでくれませんか?」
ぱっと右手を差し出す。すごくドキドキした。指先が震える。
「恋人と手を繋いでデート、というプレゼントは渋沢先輩からしか貰えないので……」
もし嫌だって言われてしまったら悲しい。デートだと思っていた今日が本当にただの買い物だったらもっと悲しい。そんなマイナス思考が頭をよぎって段々僕の言葉は尻つぼみになってしまっていた。
けど、そんな物は杞憂だったみたいだった。渋沢先輩の表情が固まってちょっとだけ赤くなる。そんな恥ずかしそうな表情をする先輩を見るのはもしかしたら告白したとき以来かもしれなかった。
「そうか」
少し照れるな。そう言って渋沢先輩は片手を差し出してくれる。どんなボールをも防いで僕たちチームを守ってくれる大きな掌。それがすっぽりと僕の手を包んでくれて……。
「やっぱり照れるな」
もう一度笑う先輩の頬の緩みを、穏やかな瞳を僕はきっとずっと忘れないことだろう。照れますね、と言いながら隣を歩く僕の歩幅は来たときよりもずっと大きくなっていた。先輩に追いつけるように。
短い買い物だったけれど、その日は本当に素敵な初デートになったのだった。