稽古終わりに、中庭で植物の世話をするのが好きだ。
稽古終わりの熱を宿した体を、風が優しく包んでくれる。その風に揺れる花たちが先程まで一緒だった冬組のみんなの笑顔に見えて、幸せな気持ちになる。その幸せを返したくて植物の世話をしていると、先程稽古場では思いつかなかった演技やもっと挑戦してみたい表現などが次々に浮かんできて、わくわくが止まらなくなる。
そんな気持ちで世話をしていると、花たちにも演劇好きな気持ちが移って更に綺麗に咲いてくれる気がする。
「ふふふ……俺と君たち、どっちが綺麗に咲けるか、勝負だね」
そんな風に微笑むと、花たちも楽しそうに揺れる。
丞には、「花に感情なんてないだろう」と言われるが、長年世話をしている紬には絶対にあると信じている。
(だって、「大きくなーれ、綺麗になーれ」って言って育てた方が、ずっと大きく綺麗に成長するのを、何度も経験してるんだから)
言葉には力が宿ると、紬は思っている。日本には古来より言霊という考え方があるように、言葉にしたことは現実に影響を及ぼす。良い意味でも、悪い意味でも。
だから、綴の脚本にもそれはそれはすごい力が宿っていると信じている。
――綴の脚本は、まるで創造の言葉だ。
『はじめに言葉があった』という書き出しで始まる福音書があるように、言葉とは世界を創造するほどの力があると思われている。綴の脚本も、そんな言葉が無数に編まれ綴られ紡がれた、いわば新しい世界にも等しい素晴らしいものだと思っている。
どの物語にも、その世界でひたむきに生きる人々がいて、役者の心を映し出す出来事があり、観客の魂に響く福音がある。読む度にわくわくし、深く考えさせられ、苦しみや悲しみの先にある希望を照らし出してくれる。
だから紬は綴の脚本が大好きだし、心から信頼している。そして何より、その脚本を紬たち役者に託してくれることを、誇りに思っている。
(綴くんの脚本に相応しい芝居をしたい。綴くんの脚本をこの世界に顕現させられる役者になりたい)
それは、このMANKAIカンパニーに入団してから変わらない、紬の目標の一つだった。
「月岡。花の様子はどうだ?」
「あ、ガイさん。みんな元気ですよ。このラナンキュラスは、もうすぐ咲きそうですね」
「そうか……あちらの水仙も、随分と美しく成長したな」
中庭で植物の世話をしていると、冬組のみんなも覗きに来てくれる。
一番マメにきてくれるのは、ガイ。最初は植物の話をしているのだが、気が付けば今日稽古で気になった点やお互いの芝居への感想、時にはアドバイスを言い合ったりしている。その間も手は休むことなく植物たちの世話をしているから、終わった時には手も口も疲れていたりする。
次によく来るのは、密。密はお気に入りの昼寝場所の一つを中庭にしており、その日の天気や気温で、ベンチで眠っていたり、木の上に登っていたりする。あまり話すことはないけれど、それでも同じ空間を共有できる幸せは感じている。紬が殆ど独り言のように芝居についてあれこれブツブツ言っていると、不意に隣に来て「……じゃあ、今から稽古する?」と誘ってくれたりもする。
東と誉は、頻度しては同じくらい。東も誉も、植物たちの成長を気にかけてくれており、来る度に「今日は綺麗に咲いてるね」「おや、今日はちょっと元気がないようだね」と紬と同じように声をかけてくれる。そのまま中庭でお茶会が始まることも度々だ。東とは静かで他愛のない雑談を、誉は大概詩の朗読会が始められる。けれど二人ともまた、気が付けば芝居の話になっていて、東からは紬にない視点のアドバイスを、誉からはユニークな詩と共に色々なお誘いを受けることが多い。
一番来ないのは、丞。用事がある時か紬が荷物の運搬などを頼んだ時くらいしか中庭には顔を出さない。基本的に土いじりに興味がないのだ。けれど、紬が植物を大事にしている気持ちは尊重してくれるから、「おい、明日は一気に寒くなるぞ」とか「しばらく雨が降らないから、水やり気をつけろよ」と逐一天候と植物たちの様子は気にかけてくれている。
(みんな、俺の大事なものを大事にしてくれている。それがすごく――幸せだ)
だから紬も、みんなの大事なものを大事にしようと思う。言葉でも、行動でも……そして、芝居でも。
◆
紬にとって、芝居は呼吸だ。
小学校の学芸会で丞と舞台の真ん中に立って以来、その達成感と感動が紬にとっての酸素になった。それから、芝居はずっと紬の傍らにあった。中学時代、高校時代、大学時代……丞と芝居をするのがとにかく楽しくて、終わらない文化祭前のような空気をずっと吸っていたくて、大学卒業後の道に、GOD座を選んだ。
しかし紬は、そこで初めて丞と道を違えた。主宰のレニに『芝居の才能がない』と一刀両断され、GOD座に入団できず、一度は芝居を諦めた。
「……でも、一度は諦められたんだから、芝居は呼吸、っていうのは、さすがに言い過ぎの表現かな?」
「……何の話だ?」
204号室で、誰に言うともなしに呟いた紬に、筋トレ中の丞が怪訝そうな顔をする。
「ううん、なんでもないんだけど……芝居って、俺にとってなんなのかなーって考えてて、呼吸っていうのがしっくりきたんだけど、一回は諦めたしなーって話」
「何の話かはさっぱり分からんが……」
紬の答えに要領を得なかった丞は、しかしダンベルを置いて紬をじっと見つめた。
「――芝居を諦められなかったから、お前は今ここにいるんだろう」
「!」
丞の言葉に、紬は驚いて目を見開く。
(そうか……俺にとって芝居をしていない期間は呼吸ができてない時間で、それに我慢ができなくなって、結局芝居の道を選んだのか……)
つまりは、紬が公務員という安定した道も、彼女との結婚というありふれた幸せな選択もせず、天鵞絨町に戻ってきて、今MANKAIカンパニーにいるという事実が、紬にとって芝居が呼吸のように生きていく上で必要不可欠なものだという証左になるということだったのだ。
「紬……?」
固まって動かなくなった紬に心配そうな視線を向ける丞。その丞ににっこりと微笑んで、紬は何度目かも分からない決意を言葉にした。
「――そうだね。結局俺は、ここで生きていくんだね」
「? 何を今更……」
本気で不思議そうな顔をしている丞。紬はおかしくなって、ふふっと笑った。紬が何度も何度も思考して言葉にして確かめたことは、丞にとっては単なる事実でしかないのだろう。そう思ってくれる相棒が今ここにいる奇跡に、紬は心から感謝した。
「ねえ、丞」
「なんだ?」
「もしも俺たちが出会ってなかったら、俺たちは芝居をしてたのかな?」
「? してただろ」
丞はやはり不思議そうな顔をしながら即答する。そのあまりの速さに、紬は思わず「ちゃんと考えて」と文句をつけた。
「何をちゃんと考えるんだ……」
「俺たちが出会ってなくても、お互いそれぞれで芝居していた理由」
不満そうな丞に紬が宿題を伝えると、丞は少し黙り込んで、紬の顔を真っすぐ見て言った。
「……仮に俺たちが出会わず、一緒に学芸会もしなかったとする。でも、演劇に関わらず過ごすなんてことはできないだろうから、きっとどこかで芝居に触れる。そして、芝居に触れたら、俺もお前も、絶対にその道に惹かれていく」
淡々と述べられる理由に、紬は「なるほど」と頷く。
「確かにそうかもね……でも、どうしてそう思うんだろう?」
「そういう風にできてるんだろ」
「!」
丞にあっさりと断言され、紬は一瞬ぽかんとした後盛大に笑い出した。
「あははっ! 確かに! 俺たちは、もう『そういう風にできてる』んだろうね! あはは、丞は本当に面白いな……!」
紬の思考なんて馬鹿馬鹿しくなるくらい、丞の思考は単純だった。
(説明なんてできない、要らないくらいに、俺たちは『そういう風にできてる』んだ。羽化した蝶が、そのまま空を飛べるように……)
その理屈は単純で、だからこそ美しく強固だった。
「……紬。大丈夫か?」
とうとう本気で心配し出した丞に、紬は「ごめんごめん」と笑いすぎて涙を浮かべた笑みで謝る。
「今度の客演でさ、自分の生きる理由を考え続ける哲学者の役をやるからさ。役作りでちょっと考えてみたんだ、俺の生きる理由」
「なるほどな」
役作りと言えば大抵のことは納得する丞なので、それ以上はツッコまなかった。
「あともういっこ質問。丞は、俺たちが幼馴染じゃなくても、どこかで会ってたと思う?」
紬の問いに、やはり丞は即答した。
「会ってただろ。お互い芝居で生きてたら」
自分と同じ答えを即座に返してくれる幼馴染に、紬も嬉しそうに微笑んで頷いた。
「だよね」
(丞だけじゃない……今のMANKAIカンパニーのみんなとは、きっとここで出会わなくても、どこかで絶対に交わった気がするな。芝居という灯火に導かれて)
だが、恐らくは……このMANKAIカンパニーで一緒に芝居ができる今が、最上だ。
だからこそ、絶対に手放さない。この道を――一生歩くと決めたから。
◇
紬の役作りは、山登りに似ている。
紬は洞察力と分析力、読解力が優れているから、脚本を何度か読み込むと、その役に対しての理想の姿が思い浮かぶ。紬はその理想の姿の解像度を上げつつ、その姿に近づけるように稽古をする。頂上で見えている役の姿に向けて、一つ一つのステップを着実に上がっていく。困ったり悩む箇所があれば、一度立ち止まり、時には少し後戻りしてでも、きちんと自分が納得できるように役作りをしていく。だから、傍目にはすごく地味で面倒なやり方だろうな、と思う。
「そんなことねぇ、すげぇやり方だ」
「そうかな。十座くんにそう言ってもらえると、なんだか嬉しいな」
いつもの夜のコンビニ帰り。役作りについてのやり方に悩んでいる十座に紬は自分のやり方を説明した。感覚的にやってる部分も多いから、こうして人と話すのは思考が言語化されてなかなか新鮮だ。
「俺は丞みたいに役が下りてくるタイプじゃないから、地道に積み上げるしかないんだよ。十座くんも、どちらかというと丞タイプかな?」
「よく分かんねぇっすけど、丞さんみたいにはなりてぇって思う。でも、紬さんの視線一つで語る芝居も好きだ。すげぇって思う」
「ふふ、ありがとう。俺も、十座くんの熱い芝居、大好きだよ」
そう紬が褒めると、十座は目をぱちぱちと瞬かせ、紬をじっと見た。
「……紬さんの芝居も、熱いっす」
「ホント? それはあまり言われることないから嬉しいな」
繊細だ、とか、丁寧、と言われることは多いが、熱い、という評価は珍しい。嬉しそうに微笑む紬に、十座は言葉を探すように視線を彷徨わせ、それから再び紬を見た。
「紬さんの芝居は、なんつーか、じわじわ伝わってくるっていうか……炎っていうよりコタツ? みたいな? ……あったかくて、包み込まれてると思ったら、すげぇ熱くなってる、みてぇな……悪ぃ、うまく例えれねぇ」
いつもきりっとしている眉をへにょっと下げて、十座が困ったように謝った。しかし、紬は目を細め、「ううん、ありがとう」と首を振った。
「嬉しいよ、十座くん……そういう芝居をしたいと思ってたから」
表面は繊細に、細部までも感情が伝わるように。けれど、内側はマグマのような熱を秘めて。
(一緒に演じている役者にも、見てくれている観客にも、気付けば胸の奥に燈火を灯すような、そんな芝居を……これからもずっと)【終】