おはようございます。これから日課の「毎日フリーライティング」を始めます。どうぞよろしくお願いいたします。
あぶねえ。誤ってブラウザごと消してしまった。
改めて、おはようございます。
突然だけど、今のこちらの様子を画像でお届けしたい。
お届けできない。(笑) アップロードできる画像のサイズを超えているらしい。
じゃあ、X(Twitter)に貼ろう。
https://x.com/tamuramanatsu/status/1871722590949257362
x.com
マウスを置く場所に猫の尻があるので、今とてつもなく作業がしづらい状態になっている。嬉しい悲鳴。
今日は「承認欲求」という言葉について話そうとしていたんだ。
もう若干古びてきている言葉だと思う、「承認欲求」。SNS上では悪しきものとして言われることが多い。「承認欲求に負けて〇〇をしてしまったな」みたいに使うことが多い気がする。
これからわたしが言おうとしていることは、多くの大人がすでに言っていることだとも思う。だからわざわざわたしが言うのは違うよな、と思ってもいるし、だからこそわたしも表明しておくといいのかな、とも思う。まだ迷いながらこれを書いている。
まあ、つまりは、「承認欲求って別にそれ自体が悪いものではないよね」ということだ。
あと、世間で(主にインターネットで)言われている「承認欲求」はそもそも誤用かもしれない、とも思っている。自己顕示欲とか、支配欲みたいな言葉のほうが適切な可能性がある。
「"わたしは人から愛されたい!"って思うこと自体が罪」とは、わたしは思わない。だからわたしは「承認欲求が強いって別によくないか?」と思っている。(し、「その"承認欲求"の使い方って、合ってる?」とも思っている。)
ハートありがとう。でも、連打はやめてほしいです。ありがとうね
承認欲求について書こうと思っていたけど、なんか、これ以上書くことがないような気もしてきた。そもそも興味がないかもしれない、人の承認欲求が高いとか低いとかいうことについて。
「承認欲求」というワードから連想された思い出があるので、それを少し語ろう。
仕事の先輩とサシで飲みに行ったとき、「田村は承認欲求ってある?」と訊かれたことがある。そのとき、わたしは「ありますよ! 『その仕事、いいジャン!』とか言われると嬉しいっす!」と答えた。
「そういうことじゃないんだけどなあ…… まあ、いっか。まなっちゃんにはああいう"承認欲求"はなさそうだ」と勝手にクロージングされて、その話は終わった。
わたし自身の「承認欲求」という語の認識がズレている可能性が出てきたな。n=2で語るのもどうか、という話だけど。
ズレているかも、と若干不安になりつつも、まだまだ語ろう。ていうか、承認欲求ってそもそもマズローの欲求構造の話をしているんだよね?(不安)(この不安は、"マズローの欲求構造"という語を知らなくて不安、ということではない。世間で言われている"承認欲求"がマズローのそれを指しているんだよね?という不安。)マズローの欲求構造から考えれば、「承認欲求」って結構高い位置にある欲求なんだよな。「成長欲求」の中のひとつでもある。もっとちゃんと知りたい人はググってほしいが、こんな感じだ。
[成長欲求] [精神的欲求] 自己実現欲求
[成長欲求] [精神的欲求] 承認欲求 👈ココ
[欠乏欲求] [精神的欲求] 社会的欲求
[欠乏欲求] [物質的欲求] 安全欲求
[欠乏欲求] [物質的欲求] 生理的欲求
絵が描けないとムチャクチャ分かりづらいな。要するに、元来の意味で「承認欲求」を使っているのであれば、それは相当高い位置の欲求をしてるんだよ、ってこと。人間は生理的欲求・安全欲求・社会的欲求があってから承認欲求を求めるようになる。ちゃんと眠れて、ちゃんと健康を維持できて、ご飯が食べられる。そして仲間がいて、所属する場所がある。そうしてやっと、「他の人から尊敬されたい」とか「名声を得たい」みたいな「承認欲求」に移行していくと考えられてたはずなんだよな。
でも、今のインターネット上で言われている「承認欲求」って、もっとしょうもない意味で使われていないか? 「いいね」がほしいとか、「リアクションがないと不安」みたいな。あるいは「仲間内でいいねと言われることをするために世間から逸脱したことをしてしまう」とか? 一番最後の例に関しては、承認欲求は別に悪くなくて、それによって行動が逸脱したことを論じるべきでしょう。だって、承認欲求はある程度満たされた人間であれば皆持つものなのだから。
これに限らず、「心理学/精神医学の用語をテキトーに使う一般人が多いと語義がグチャグチャになって面倒だ」という話かもしれないな。境界線(バウンダリー)とか、ADHDとか、躁鬱とか、この辺もグチャグチャになっているのが散見される言葉だと思う。
定義から逸脱せずに話せよ!
逸脱する場合は、逸脱しているよ、と言え!
(以上)
逸脱ついでに、最近もやもやしていた愚痴を聞いてくれないか?
とある売れっ子作家が、こんなことを言っていた。「自分は自分のやりたいことをして生計を立てているから、資本主義の中では生きていない。自分はその外にいる」と。その人は商業出版でナン十冊も本を出している人で、つい最近も新刊の宣伝で忙しくしておられた。
ふざけんなよ、と思った。
率直に書きすぎたかもしれない。でも、ふざけんなよ、と思った。
商業出版でナン十冊も出して、出版社から取次を経てAmazonだの書店だのに本が並べられる。それを売って稼いで生きてるんだ。何が「資本主義の外」なんだ?と。
ま、もちろん、作家の収入の中で、作家業だけで稼げる額というのはそこまで大きくない。よく「夢の印税生活」なんて言われるけれど、きちんと調べてみると、全く夢の額ではない。だいたい、新人文学賞の賞金が100万円くらいである、というのが既に絶望の金額だと思う。人によっては1年以上かけて作るものの賞金が、100万円。新人であることを加味しても、ふつうに会社員をやったほうがいい。会社員の平均年収は450万ほどのはずだ。
少し脱線したが、「作家業で生計を立てているわけではないので、作家業においては資本主義としては生きていない」と解釈したとしても、それも間違っている。この作家は、「資本主義」の語義をそもそも間違えているか、意図的に曲げて書いている可能性がある。
この人が自分で釣った魚を食って、木を切って自分で家を建てて農耕して暮らしているんなら、またちょっと話は変わってくるが。(これは皮肉だ、なんと分かりにくい皮肉だろう)
そろそろこの話にも飽きてきたので、強引にまとめる。
・語義をあいまいにした/曲げた状態で話をするな。
・語義を曲げた場合は、そのことを言え。
以上!
わたしがこんなに「語義」について考えるようになった一端に、大学生活の過ごし方があったと思う。
わたしは大学3,4年生のときに、インカレの学術団体に所属していた。120人くらい(だったと思う)が一堂に会し、5つほどのチームに分かれ、3ヵ月で1本の論文(卒業論文相当)を作る。それを5~10名ほどの教授陣に採点してもらい、一番出来がよかったチームを優勝とする、という大会がメインの学術団体である。
20~30人が1チームになって、3ヵ月で3万字ほどを書くのだから、これは大変なことだ。わたしは3年生のときに参加者として、4年生のときにチューター(見守り役)として参加したのだが、どちらの年も瓦解しかけたチームがあった。それでも3ヵ月後には論文を提出せねばならない。熱い団体だった。
ここで話し合いをするときに、一番大切になるのが「語義」だ。論文に使われるひとつひとつの言葉について、辞書を引き、先人がどう使っていたかを学び、一覧してから使う。特に「問い」を立てるときにはそれが非常に重要だ。同じ字面の言葉でも、どこの分野で誰が使っている言葉なのかによって意味が変わってくることがある。使う前に、それを把握しておく必要があるわけだ。
その学術団体で「語義」について考えまくった経験が、今の自分の性質にちょぴっとは影響している、そう思う。
今日の話は、これくらいで終わり。
言いたいことは以下。
・語義をあいまいにした/曲げた状態で話をするな。
・語義を曲げた場合は、そのことを言え。
以上!(3回目)
今日はこれからアイドルのライブに行ってきます。ペンライト2本持って、アイドルの名前入りタオルも首にかける。アイドル文化についてもめちゃくちゃ言いたいことがあるんだけど、まだ全然言語化できないので、今日は調査のつもりで行ってくる。楽しみだ!!
今日もみなさんの一日が面白いものになりますように。
お疲れ様でした! いってきます。