こんにちは。これから日課の「毎日フリーライティング」を始めます。どうぞよろしくお願いいたします。
今日は午後から仕事。昨日頑張りすぎて、へとへとになってもうたので。こういうときに自己調整が楽なのが、個人事業主のいいところだ。その代わり有給休暇や社会保障が薄いという致命的な欠点はあるが。
何のことについて書こうかな。
今日の午前中に考えていたことは、かなりヘビーで、まだ言語化が難しい。たぶんわたしの「根幹」に関わることだから、ここには書きたくない。これは寝かせるもの。寝ておいてもらうもの。
目に見えるものを書いていこうか、
デイリーポータルZのカレンダー。スピーカー。モニター。ライト。鉛筆削り。パソコン。手縫いのポーチ。さっき飲んだ薬のカラを捨て損ねているのに気がついた。月経でちょっと腹が痛い。
猫が膝の上で寝ている。触るととくとくと音がする。
「唯ぼんやりとした不安」は学生時代に国語便覧を読み込むタイプの人間ならみんな知っているだろうが、今はそんな心持だ。あ、そう書くと危ないか。……危なくはないか。単に身体の調子が悪いような気もする。沼にいるみたい。M-1ではしゃぎすぎた説もある。そうだとしたら、ちょっとかわいい。
小説の〆切が3月末にある。
構想もあらすじもできている。ここまでいければ、あとは組み立てる作業になる。主人公を仮決めする。登場する施設の名前を決める。時代と場所の設定。章立て、各章の大体の文字数を決める。そこで起きることのアウトラインを書く。あとは、書くだけ。構想の段階が一番難しい。「書くだけ」に至れば、あとは自分は文章を排出するだけの筒だ。人間萌えがある人は、登場人物から考えることもあるらしい。わたしは『リーリー』(レズビアンが社会を変える話)の主人公を除いて、そういう作り方をしたことがない。作っている数が少ないということも大いにあるが。
今、わたしが文章を書くときは、「音」を大切にしている。わたしの大好きな小説に町田康の『告白』があるのだが、これを読むと音とかグルーヴ感、テンポの良さに引きずり込まれる。非常に残忍でグロテスクで長い物語なのだが、読まされる。ああいうものを書けたらな、と思う。
「あんなものを書けたらな」と思うもの、他にもある。でも、忘れた。ド忘れ。
水を持ってくる。
思い出した。遠藤周作の『海と毒薬』。これもテンポがいい。『沈黙』も読むと文才のすばらしさにのたうち回る、わたしが言わずとも世間がとっくに知っている名作であるが、『海と毒薬』のほうがもっとテンポがいい。言うまでもないが、『沈黙』と比較すると明らかに前者の方が軽いタッチで書かれている。それを(おそらく)使い分けているところも恐ろしい。遠藤周作になりたい。いや、なりたくないが……
昨日、自分の書いた昔のブログを読み返した。といっても、全部は読み返せない。わたしは16歳くらいのときからブログを書いている。とんでもない量が残っているので、全部読み返したら夜が明けてしまう。しかもとんでもなくつまらない。しょうもないな、と感じる。(わたしのブログをずっと読んで下さってきている方が少なからずいるのをわたしは知っている。だから自分で自分の書いたものに対して「しょうもないな」と思っていることに対して「しょうもないな」と感じることもあるのだけれど、こればかりは許してほしい。わたしは昔の自分が書いたしょうもない文章を許すことができない。)
しょうもないと感じる部分はいくつもある。例えば、意味のない並列が多すぎることとか。テンポが悪すぎることとか。タイトルだけつけて、本文で脱線していることとか。挟み込むエピソードの入れる場所が不適切であることとか。なぜ自分がそれを書いたのか、思い出せないくらいはるか遠くにある、駄文。それが積み重なった場所がインターネットのどこかにある。まじでしょうもないな、と、ほとほと呆れた。昔の自分に。
その一方で、これを「しょうもないな」と思えるくらいには自分がましになってきたのかもしれない、とも思った。それから、昔ヒットした作品ばかりがフューチャーされて、新作を評価されなくなった数多のクリエイターたちのことも考えた。わたしにとっての「最大のヒット」が、既に過去にあるとしたら? 考えるだけで背筋が凍る。そういうわけで、そうそうにブログを読み返すのはやめた。自分の書いたものを読んで陶酔できるのは進歩していないときだけだ。
ほとんどの自分の文章はあまりよく読めなかったが、「2019年の振り返り」と題されたそれだけは辛うじて読めた。体感では、3,4年くらい前のものは未だギリギリ読める感じがある。2年くらい前に同じことをしたときも、同様のことを思った。わたしは3,4年単位で脱皮している可能性がある。
ちょっと長い引用になるが、「ここは読めるぞ」と思った部分があったので、以下に書きたい。
何を言っているか分からないところがあると思うから、フキダシ機能を使って今のわたしからツッコミを入れていく。
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『狂うひと』という名著がある。この本を読んだのは2018年だったと思うが、ここにあった「『書いてしまう人』特有の地獄」について、2019年は幾たびも考えた。自分が相手の物差しで勝手にジャッジされるのは、皆にとって嫌なことだ。人について書いたときには同時に対象(者)を客体化し、ジャッジを下すことになる。『狂うひと』にはその地獄に嵌ってしまった人間の、極端な末路が書いてある。
「書く」ということは「書かれる人がいる」ということであり、「書く」時点で「対象(者)をジャッジする」ということである。
このときはフィールドワークについて考えていた。大学生の学部時代に人文地理学を専攻していたので、どこかの土地に行って取材・調査をして論文をまとめるというのがわたしにとっての「書く」の根幹だった。フィールドワークはその土地の人間に対して時に暴力的な面を見せることがある。そのことについて書いている。
つまり、『狂う人』→「書く」→「フィールドワーク」という連想をしており、ここが飛躍しているんだが、本人は気づいていない。
それが傲慢であるとか、ひどいことであるとか、そういった批判はこの社会で365日24時間ずっとなされている。
「書く側」に回るということは、その批判を受ける側になるということだ。2019年はそれを手放してみようと思ったのだが、半年から一年くらい「書かない」をやってみたら、かえって書きたくなったのが現状だ。書くことによって自らにガソリンが入って駆動するような感覚があるし、何よりも書かないと脳内がうるさすぎるので、書かざるを得ない。そしてそれは自分だけで留めていては飽き足らず、人に読んでもらいたいという気持ちが自分の中にあることも分かった。そうなるとやはり人を傷つける「書く側」に回ってしまうわけだが、それを引き受けざるを得ない自分であることも分かった。
これは今も同じことを考えている。『雑文集 田村真夏』の中でも同じようなことを書いた。
本当に業だと思うが、それをはっきり自覚し、また記せるようになったのは、大きな変化だった。相変わらず仕事は忙しいのでどれだけ書けるかは分からないが、2020年は書ける限り書いてみたい。
結局ここから、書かなくなった。仕事があまりにも忙しすぎたため。
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「これはギリ読める」というものであってもこれだけのツッコミを入れたくなる。本当に他のものは読めない。そして、今読んでもらっているこれも、水ものだ。3,4年後のわたしは「ヘタクソすぎて読めん」とか言っているのかもしれない。いや、分からん。つくづく、自分のことは分からない。目が濁る。そういうふうにできているのかもしれない。
この仕事を本腰を入れてするようになって、わたしの読者と話をする機会がぐっと増えた。わたしの書いているものを愛してくれて、わたしの生活の姿を楽しんでくれて、とてもありがたいことだ。だけど、彼ら・彼女らが好きなわたしは、いつもわたしにとっては過去のわたしだ。過去を読まれている、といつも感じる。わたしが書いているのは「今」なのに。
それでも、文章というのはそういうものだ。物を作るというのは、そういうことだ。自分の「していること」ではなくて、「したこと」で今の自分を評される。そのタイムラグに抗い続けた人たちが何人もいるのを、わたしは既に知っている。
今日のフリーライティングは、年末の振り返りnote用の下書きとして書ければいいな、と思って、書き始めた。でもまあ、これはボツになるだろう。(笑) 年の締めくくりにこんなの出したくね~もんよ~。だから、ここで読んでくれている人たちだけの秘密だよ。
以下のようなことを書こうかな:
・本腰を入れて書き仕事を始めた。
・作家は普通、兼業→専業という経緯が多い。(収入が不安定なため)
・だけど、わたしにはムリ。
・なぜかというと、仕事をしていると仕事が面白くなってしまい、作家業を忘れてしまうから。
・でも、どれだけ面白い仕事をしていても、「書きたかったのに、仕事のせいで書けなかった」と後悔する日々が会社員になってから何年も続いていた。
・だから、思い切って専業になってみた。
・専業のほうがいい。「書きたいのに、仕事のせいで書けなかった」と苦労することがない。
・今は、何らかの理由で書けない日があったとしても、「書けなかったのは自分のせい。昨日書けなくても、今日書ける。今日書けなくても、明日書ける」そう思うことができる。(仕事をしていると、それが難しいことがある。突発的に仕事が忙しくなるなど、読めない状況が発生しうるため。)
・自分のしたいことを、自分のしたいだけこだわれる。自分のペースで自分のやりたいことを書きまくれる。その間に勉強ができる。これが非常に楽しい。最高の生活。
・あわよくば、もっと収入がついてきてほしい。(笑)
・👆でも、今は初期投資の期間だとも腹を括っている。
・わたしは2019年に「書くことで生かされているし、書くために生まれてきた」と言っている。今もそう思う。わたしは書くことで生かされているし、書くために生まれてきたと思う。
・今はその準備期間。めちゃくちゃ迷走することもあると思うけど、応援してほしい。
ここまで書ければ、あとは文章を排出する筒だ。わたしはこれから筒になる。
読んでくれてありがとう! 今日始めたとき、これもう終わったな! と思っていたけど、45分くらいか? 書いたらかなりよくなった。
とにかく書こう。何かあったら書く。何かなくても書く。昨日書けなくても、今日書ける。今日書けなくても、明日書ける。書くことで生かされているし、書くために生まれてきた。書く、書く、書く。
それじゃ、いってきます。
お疲れ様でした!
メリークリスマス!いや、ハッピーホリデーか。
(任意の祝福の言葉!)