もはや冬コミが今週末に迫ってきていて新年の足音が聞こえてくる昨今いかがお過ごしでしょうか。
わたくし人形使いは今年中に見ておきたい映画がたくさん残ってて冬コミ出発前日まで映画館通いする可能性が出てきました。
というわけで今日見てきたのはこれ!
もう予告の時点でカッコよさ全開のシャー・ルク・カーン主演のこの作品、冬コミ原稿が無事に終わったのでギリギリ間に合いました。
さて感想なんですが涅槃(ニルヴァーナ)ッッッ!!
1本の映画に収めるには明らかに無理があるイケオジ濃度を顔面にブチくらって魂が強制的に涅槃へ送り込まれてしまいました。
インド映画はどれもこれも俳優のカッコよさを限界まで引き出してくるわけですが、本作は「シャー・ルク・カーンはカッコイイ、だからシャー・ルク・カーンがふたりいればもっとカッコイイ」という力技で2倍カッコイイ作品となっています。
わたくし人形使いは例によって例のごとく前情報はなしで見に行ったので、「これもしかして二役か……?」と最後まで疑ってましたが今調べて案の定二役だったので納得。
前述の通り本作もインド映画のご多分に漏れず、シャー・ルク・カーンのカッコよさをあらゆる方法で表現してきます。その方法というのが、「シャー様演じるアーザードは正体を隠すためにさまざまな姿に変装している」という設定で、衝撃の坊主頭、仮面、包帯男、そしてアーザードの父親であるヴィクラム・ラトールとさまざまな姿を魅せてくれます。
その姿というのがただ単に服装や髪型などが違うだけではなく「年齢層の幅で表現する」というのがすごい。
冒頭の列車ハイジャックのシーンの衝撃の坊主頭では50代くらいの貫禄を出し、刑務所長としてのアーザードは若々しく、そしてアーザードの父親であるヴィクラムは信じられないほどのイケオジ。信じられないほどのイケオジってなんだよ。
といった具合にシャー様をこれでもかと言うほど酷使してあらゆる幅広い年齢層の魅力を引き出してくれてます。というかシャー様、調べてみたら59歳だとか。インド俳優数あれど、こんな年齢がわからんインド俳優はシャー様だけ! 特にヒゲの有無による見た目年齢の変化には驚きました。あれだけ印象が変わるとは。
そして立ってるだけでカッコいいシャー様のカッコよさをさらに倍加させているのが演出です。いわゆるイケメン風は当たり前のこと、もう一挙手一投足の見せ方がカッコいい。その中でも抜群にカッコいいと思ったのが、敵に捕まったアーザードのピンチに、死んだと思われていたヴィクラムが駆けつけるシーン。
なんかよくわからんがカッコいいハンマーを携えてスローモーションで登場するだけでもカッコいいのに、いざバトルに入るというときにイヤホンを片耳ずつ着けるんですがそれに合わせて左→右と劇場のスピーカーからも音楽が順番に聞こえてくるというこの演出!
カッコいい演出というのは一つ間違えるとスベってしまうこともあるもの。しかしこの演出は一気に観客を引っ張り込むだけの力を感じました。
かように本作はとにかくシャー・ルク・カーンという俳優のカッコよさを追求した作品なんですが、もちろんそれだけではありません。
冒頭でいきなり包帯まみれで登場した男は誰なのか? 列車ハイジャックを引き起こしたうえで死者をひとりも出さず、一連の事件を材料に政府との交渉に持ち込んだ「ヴィクラム・ラトール」を名乗る謎の男の目的は? 冒頭でばらまかれた謎はストレスなくスピーディに明かされてストーリーが進行していきます。電車をハイジャックしたヴィクラムと6人の女性たちはインド社会が抱える社会問題を一向に解決しない政府、そして危機感を持たない国民たちにの目を覚まさせるために、そして更に直接的に各々が大切なものを失ってきた場所でそれに関わってきた人物を拉致して次々と政府に要求を出していきます。それらの要求が最終的に行き着いたラストの最後の事件には本当に驚きました。
ヴィクラムは政府のトラックから「あるもの」を盗み出し、6000人の女性囚人が待ち構える自身の刑務所に溜め込みます。その「あるもの」とは、大金でも多量の武装でもなく……電子投票機。ここで電子投票機が出てくる当たりが、インド社会においてどんな莫大な金額よりもどんな強力な武器よりも「世界=政府を変えうる道具」だということがわかります。
そして全国に放送されているテレビモニタの前でアーサードは全国民、そして世界中の人に向かって素顔をさらしたうえで奪い集めた電子投票機の山を背に、それまでの飄々とした表情が鳴りを潜めた顔でインド社会の現状を訴えかけます。貧困のあまりに借金を返せない農民たち、工場から垂れ流されるガスや廃液で環境は汚染され、そうした過酷な環境で農民たちは年に10万人以上が自殺している。そうした現状を変える力があなたたちにはあるとアーサードは叫びます。必要なのは指一本。
この指で投票を行い、正しい政府を選ぼう。アーサードはそう訴えかけます。この作品でも、やはち唯一国民が政治に参加できる権利であり、巨大な怪物とも言える政府を追い払える、特別な指。
ヴィクラムの名前を使ってアーサードが起こしてきた一連の事件は、上層部は腐敗する一方の政府に対する脅迫であるのに変わりはありませんが、ヴィクラムのカリスマ性に惹かれて国民が次々と賛同者を増やしていきます。
そしてこの素顔をさらした生放送シーン、もう明らかにスクリーンを越えてこちら側に訴えかけてたと思います。国民の権利である投票。正しく使えばよりよい社会ができるのに、政府に関心がなく都市部の裕福な人々は農村部の現状も知らずに日々を過ごしている。それをやめて、この指一本を使ってよりよい政府、よりよい社会を選び取る責任があなた達にはある。そうアーザード……いや、シャー・ルク・カーンは訴えかけるのです。
「公」の行動原理を持つアーザードに対して「私」でしか動かないのが本作の悪役である武器商人のカリ。彼は最後まで「私」の行動を貫きます。戦闘で弟を殺したアーザードに異様に執着することの人物であるカリを演じるのは、「マスター先生が来る!」でバワーニを演じたヴィジャイ・セードゥパティ氏。この「歪んだユーモアセンスを備えた不気味な悪役」というのが本当に印象的。そして彼は本作における「因果」を体現するキャラクターでもあります。
かつてヴィクラムが所属していた部隊、アグニ連隊はカリの会社から卸された武器を使っていました。しかしある時の任務中に部隊の自動小銃がすべて動作不良を起こして部隊は総崩れに。
そしてラストシーンにて囚われたヴィクラムをアーザードの眼の前で撃とうとするカリ。しかし何回引き金を引いても弾は出ない……。この皮肉な因果こそがインド映画の背骨であると言えるでしょう。
また、冒頭で包帯まみれになり記憶を失ったヴィクラムに、「僕が大人になったらあなたのことを調べる」と約束した少年が、やがて警察官になり本当にヴィクラムの正体を突き止めるんですね。これもまた因果。
こうした作品のヒーローというのは、しばしばすべての問題を超人的な能力で解決する存在として描かれることがあります。しかし本作におけるヒーローであるアーザード、そしてヴィクラムはいわば起爆剤なんですよね。彼らの姿を見たものは、彼らに助けられたように誰かを助けようとする、立ち上がって戦おうとする。彼らは社会を構成する一般人たちに、ある種の「悟り」を植え付ける役割があるのではないでしょうか。力がある人物がひとり二人いたところで、巨大な集団である社会、あるいは世界には立ち向かえないし変えられない。しかし、たくさんの人が集まり集団となれば、それは社会を動かす力となる。これ、独裁政権と民主政治との対置構造ととるのはいささか考えすぎでしょうか。