黒川医師は慣れた調子で問診を始めた。少女がこうして問診を受けるのは今回が初めてではない。
他者の視線や声に対する過敏な反応と恐怖心という精神的な問題を抱えている少女は、度々こうしてこの病院で診察を受けている。
「先生、娘はやはり……バロックとかいうやつなんでしょうか?」
父親の不安げな問いかけに、黒川医師は困り気味な笑みを浮かべて答えた。
「今や『バロック』という言葉はあまりにも広い意味で使われすぎています。それにバロックはあくまで俗称であって正式な診断名や病名ではありません。ですから、医師の立場としては娘さんがバロックであると言うことはできません」
「そうですか……じゃあ、娘は良くなるんでしょうか? それとも、やはりもう家から出さないほうが……」
肩越しにベッドの中の娘を見やる。娘の前では、ことこの話題を出しているときには不安な顔は見せたくなかったが、今やそれも難しい。
「他者の視線や声に過剰に敏感になることは、思春期にはよくあること……そんな言い方で片付けることはできません。娘さんの症状が一過性のものであるのかそうでないのかも、現段階では断言できないのが正直なところです。しかし……」
父親は神妙な顔で黒川医師の話を聞いているのに対し、少女の視線はベッドに固定されたまま。未だに父親以外の人間と直接視線を合わせることはできない。
「娘さんが外に出ようとしているのなら、我々は全力でそれをサポートするという姿勢は変わりません」
「先生……」
そう言って涙ぐむ父親の姿を長く垂らした前髪の隙間から覗き見て、少女はほんの少しだけ笑った。
この症状が初めて出たのは、中学2年生のときだった。もとから少女はややセンシティブで引っ込み思案だったが、それは病的なレベルのものではなかった。
最初のきっかけは廊下で転んだというなんでもないはずの出来事だった。少女が最初に思ったことは、「どうして廊下で転んだのに、やけどをするんだろう?」だった。
顔、手足、服で覆われていない場所に熱い痛みを感じた瞬間、それは白熱した激痛に変わった。同時に、耳を通り越して直接頭の中に無数の声が突き刺さった。頭の内側から突然生じた刺すような熱い激痛に、少女はひとたまりもなく意識を失った。
気がついたときには病院のベッドに寝かされていた。看護師から声をかけられた瞬間、少女は反射的にシーツを頭からかぶって耳を塞いだ。
他人の視線と声が、文字通り突き刺さる。
これまで他人の声や視線を気にしたことはあったが、激痛という身体症状を伴うほどのものではなかった。それが今では、頭からかぶったシーツ越しに聞こえてくる看護師の声さえも怖くてたまらない。
どのくらいそうしていただろうか。シーツ越しにそっと触れる感触があった。顔も見えず声も声も聞こえないのに、父だとわかった。
おそるおそる、シーツをめくる。