実際に誰かから見られているかどうかは関係なく、そこに他人の視線があるのが怖い。他人の存在を意識するのが怖い。パーカーとヘッドホンで視線と声を遮断しているが、その壁はあまりにも薄く頼りないものだ。マスクやパーカーの布一枚、ヘッドホンのパッドひとつ隔てたその向こう側には、無数の他人の存在がある。
自分は大丈夫だ、と少女は何度も自分に言い聞かせて、少女はなんとか電柱の影に辿り着く。おそるおそる視線を上げて、行き交う人々がだれも自分を見ていないことを確かめた。ほら、大丈夫。だれも私を見てなんかいない。私は雑踏の中に溶け込めている。
手のひらを胸に押し当てて、動悸が落ち着いていくのを時間をかけて確認する。手のひらの下で暴れていた心臓がゆっくりと落ち着きを取り戻していくのを感じていると、ほんのわずかだが安堵を覚えることができた。
もう一度自分に、大丈夫だと言い聞かせようとしたその瞬間、すぐ近くを通りかかった通行人の手が、垂れ下がっていたヘッドホンのケーブルに引っかかった。
声を上げる間もなくケーブルが引っ張られて、ヘッドホンが外れる。反射的に頭を上げた拍子に、被っていたパーカーが脱げた。
――瞬間、少女の目と耳を通して濁流が流れ込んできた。
人の視線、視線、視線。
人の声、声、声。
異常な明瞭さで自分に向けられた視線がわかり、異常な音量で人の声が聞こえる。それらの情報を、少女は視線と音として認識できなかった。
遮るもののなにもなくなった視線と声はたちまちのうちに熱を帯びた無数の針となった。真っ赤に赤熱した鉄の針は、すべてその先端を少女に向けている。転瞬、無数の針は少女の全身をあますところなく刺し貫いた。
ほとんど物理的な熱と痛みを伴って認識された周囲の視線と声は、一瞬にして少女の認識を苦痛で焼き焦がす。耐えられるはずもなく、少女は痙攣しながらその場に倒れ込んだ。
倒れ込んでもなお、周囲の視線と声は少女を苛み続け、やがて彼女は意識を失った。その瞬間まで少女は悲鳴を上げて続けていた。けれど、不思議なことに。
自分の悲鳴だけは、彼女の耳には届かなかった。
意識を取り戻した少女の視界に最初に映ったのは、見慣れた病院の天井。彼女がこの世で唯一正面から受け止めることができる視線。すなわち、彼女の父親だった。
その涙をいっぱいに溜めた視線をベッドの中から見上げるたび、彼女は罪悪感と同時に深い安堵を覚える。その視線は、父親が彼女を愛している証だったから。
「よかった……!」
父はいつもそう言ってくれる。大きな手で彼女の小さな手を包みながら、いつもそう言ってくれる。彼女にはそれが嬉しかった。
「父さん、いつも心配かけてごめんなさい」
そう言うと、父はいつも困った顔をする。
「お前が、自分の病気を克服しようと頑張っているのはわかる。でもなあ、あんまり無理はしてほしくない。正直なところ、お前が家の外に出るのも父さんは……」
父は少し言葉を考えた。いつもそうだ。父は決して彼女を傷つけないでいてくれる。否定しないでいてくれる。傷つけないように、否定しないように考えてくれる。
「……あまり、してほしいとは思わないんだ。でも、お前は外に出ることに慣れていきたいんだよな」
「うん」
少女がそう答えたとき、病室のドアがノックされた。父が促すと、白衣を着た若い医師が入ってきた。