毎週木曜日は毎度おなじみ滑り込みの日。というわけで今日も豪華2本立てでお送りします。
 まず1本目はこちら!
 邦画アクション界における革命的作品とも言える「ベイビーわるきゅーれ」シリーズの第3作。作品自体はすでに1回見てるんですが、好きな作品を好きな映画館で見るとパワーアップするというカツカレー理論に基づき今回見てきました。
 今回は2回目ということで前回の感想で触れなかった点についても書いていきましょうかね。というか本作は、当然のことながら次の「ドキュメンタリーオブベイビーわるきゅーれ」と合わせるとより深く考えられます。なので今回の感想は「ドキュメンタリー~」を見たあとに改めて「ナイスデイズ」の感想を書く、という形になりますかね。
 まず書きたいのはやはり今回、ちさととまひろの前に立ちふさがる最強の敵、冬村かえでについて。
 冬村かえでは狂気的なキャラクターです。ではその狂気の種類はなんなのか。クレイジーかサイコパスか。冬村かえでの狂気の正体はアンバランスだと思います。
 冬村かえでは強大な戦闘能力を持つ強敵です。では彼は誰もが道を譲って平伏するような強大さを持っているかと言うとまったくそうではない。パンフレットでも触れられていましたが、敵と相対したときには凄まじい強さを発揮するいっぽうで、弁当屋で箸をもらうこともできずに指で弁当を食べるような不器用さや惨めさも持っている。執念深くちさととまひろを追ってくるいっぽうで、ふたりを取り逃がした後に子どものように癇癪を起こす稚拙な側面も持っている。
 こうしたキャラクターはしばしば血も涙もない冷徹な殺人マシーンとして描かれがちです。冬村もある側面ではたしかに冷徹な殺人マシーンではあるものの、本作の冒頭の現実とも幻影ともつかない幼少期の思い出で描写されているように、ハンカチを差し出してくれた友達のことを覚えていたり、逆に叩きのめしたはずのまひろにハンカチを差し出すという一面も持っている。
 そして冬村かえでのもっともアンバランスな部分が私生活というものをほとんど持っていないであろうという点。150人殺しを達成しようとしている冬村ですが、それだけが彼の人生の全てになっている。しかもこの150人殺しというのが別に親の仇を取ろうとか莫大な賞金がほしいとかではなく、とにかく150人を殺すということだけが目的であって、そのためだけに生活している。これが冬村の最大の狂気なんじゃないかと思います。
 冬村は人間として致命的なものが数多く欠落しており、それを埋めるためだけに150人殺しという目標を達成しようとしているように見えます。彼の私室に大量に貼られた標語も、なんというか彼の身の内から出てきた感がないんですよね。いかにも意識高い系の自己啓発本からそのまま書き写したかのようなものに感じられます。なんというかこの冬村かえでというキャラクターからは、欠落がそのままアイデンティティになっているかのような不気味さと惨めさを感じます。彼の殺しに対する異常なまでのストイックさは、この欠落から来るもののようにさえ思えます。ストイックさを邪魔する自我すらもがまともに育ちそこねているからこそあそこまでストイックになれるという。このアンバランスさが冬村かえでというキャラクターの狂気の正体なんじゃないでしょうか。
 そしてこのアンバランスさが生じている明確な理由があります。アンバランス、つまりバランスが取れていないのはなぜか? それは支えられていないからにほかなりません。
 「ドキュメンタリー~」にて、深川まひろ役の伊澤彩織氏から「冬村かえではちさとに出会わなかった世界線のまひろであると監督から説明を受けた」という発言がありました。まあこれが答えですよね。今回の「ナイスデイズ」では、メンタル面でもフィジカル面でもちさととまひろがペアでなかったら確実にダメになっていたという場面が山ほど出てきます。特に致命的なポイントだったのがラストバトルの直前、冬村に敗北したことでメンタルが落ち込んでいたまひろが口にしてしまった「向こうで待ってるから……」発言。メンタルが落ち込んでいると思考がどんどん悪い方暗い方に向かってしまうのは誰もが経験があることだと思いますが、こういうときは自力でどうにかすることはもちろん、自分のメンタルが落ち込んでいることを自覚するのも難しいもの。
 しかしまひろのそばには常にちさとがいます。だからこそここでまひろは落ち込み切るのを回避できたわけですね。しかし冬村にはちさとがいなかった。だからこそ冬村はまひろにはなれなかったという。今回はちさととまひろのふたりだけでなく、新キャラである入鹿や七瀬といった仲間との支え合いもあるので、よりいっそう冬村の孤独が際立つという……。
 今回再びこの作品を見て気付いた点なんですが、序盤で4人が冬村の自宅に張り込むシーン。あそこでちさととまひろが駄弁ったりビール飲んだり誕生日を祝ったりするの、あれってぜんぶ冬村が誰かとやりたかったことなんだよなきっと……。
 前回、そしてそれより前の「2ベイビー」の感想でも書きましたが、本作における殺し合いはコミュニケーションとしての側面を持っています。だからこそ、一方的に1発で射殺した相手とはコミュニケーションは成立していない。だからこそ、殺し合った相手のことは「殺しても、忘れない。」なわけです。
 しかし本作には、例外的にまひろと冬村のあいだで殺し合い以外のコミュニケーションが発生しているケースがあります。それは「まひろが冬村の日記を読む」というシーン。そもそも日記というのはもっともプライベートなアイテムのひとつ。それを読むという行為は、とりもなおさず日記を書いた相手の想念を追体験することにほかなりません。あの段階ですでにまひろにとって冬村は「殺しの相手」ではなく「殺し合いの相手」になっていたんだと思いました。
 やはり本シリーズにおける「殺し合い」は「コミュニケーション」であって、本作は「コミュニケーション不全者のコミュニケーション」の話なんだよなあ。
 あとやっぱり田坂さんが好き。というか田坂さんと宮内さんのコンビが好き。スピンオフ作ってください。
 そして2本目はこちら!
 「ナイスデイズ」の制作現場を記録したドキュメンタリー作品。本シリーズでまず目を奪う激しいアクションがどのように撮影されているのか、スタッフやキャストの思いは?といった舞台裏を明かしてくれる一本でした。
 まずは「アクションがどのように撮影されているのか」という点なんですが、なんというかもう「そのままやってた」って感じですねハイ。これアレだ、「マッドマックス怒りのデスロード」のメイキングと本編映像がほぼ一緒やんけのアレだ。
 本作のアクションシーンがCGとかワイヤーアクションとかなしで撮影されたものであることは知ってましたが、いざそのメイキングを見てると「あれ本当に生身でやってたんだ……」と驚かずにはいられません。
 当然、映画の撮影なのでアクション中にひとつ間違いが起これば大怪我につながってしまいます。なので一連のアクションはすべて段取りを決めて行ってるんですが、そもそもあのアクションを段取りにできるっていうのがすごい。そして演じる方も「せーの!」の掛け声に合わせてアクションに入れるのがすごい。
 そしてこれまた当然なんですが、あれだけ激しいアクションをしていれば当然疲労は凄まじいものになります。撮影中に汗だくになってるのはもちろんのこと、シーンの合間にアイシングしてるのがアクションの激しさを物語っています。
 また、練習ではマットやクッションを敷いた状態でやっているんですが、それを見た後だと本番のアクションシーンの危険さが改めてわかります。ほんとよくやったよなこんなアクション……。
 そして今回のメイキングを見て思ったのが、アクションシーンの迫力や完成度は攻める方だけでなくやられ役にも高い技量が求められるんだろうなあということ。
 「侍タイムスリッパー」では斬られ役がフィーチャーされてましたが、本作のメイキングでもやられたときのタイミングや受けた攻撃の種類によってリアクションが明らかに使い分けられてますし、後半の集団戦でも一気にたくさんの人が動けばぶつかったりもつれたりしそうなもんですが、きっちり順番通りに仕掛けて倒れて……という一連の流れに美しさを感じます。どこかで「アクションシーンでの強さを表現するのは実はやられ役の方だ」というような話を聞いた覚えがあるんですが、今回のドキュメンタリーはまさにそれを感じられました。
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塚口サンサン劇場「ベイビーわるきゅーれナイスデイズ」「ドキュメンタリーオブ~」見てきました!
初公開日: 2024年11月22日
最終更新日: 2024年11月22日
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