ぼくとさんとあかあしくん
記念写真
「あかーし、写真撮ろ! 記念写真!」
そう言って木兎さんに肩を組まれたとき、俺は初めて気づいた。木兎さんと二人きりで写真を撮ったことが今まで一度も無かったことに。
いいですよ、と快諾してそっとシャツの襟を触る。折れていないか。ボタンは一番上まで閉まっているか。ブレザーの肩に糸くずは付いていないか。記念写真を撮るにふさわしい格好かどうか確かめる。それから少し、気休め程度に髪を整えた。
木兎さんたちがもらった卒業アルバムにはマネージャーを含めた男子バレー部全員の集合写真が載っているはずだ。あのときはまだ夏の終わりくらいだった。ワックスで固めた木兎さんの髪にはどこでくっつけて来たのか手のひらサイズの葉っぱが乗っていたらしく、ひと通り写真を撮り終えたあとに「あ!」と騒いでいた。俺は他の二年生とともに端のほうにいたから気づかなかったが、三年生はさすがに気づいていて、わざと黙っていたらしい。意地悪じゃなく、そのほうがみんなの思い出に残るからだということを後で木葉さんがこっそり教えてくれた。愛されてんのよ、木兎は。このチームの全員に。あのときの木葉さんは良い顔をしていた。俺が写真部だったらすぐさまシャッターを切っていたと思う。
俺が身支度を整えている間に、木兎さんは別の誰かに声をかけてスマホを渡していた。それも三年生だった。胸には薄いピンク色の花のコサージュが付いている。
「バレー部?」
「そ! あかーし!」
果たしてそれで会話になっているのだろうか。俺の名前を教えたところで目の前の三年生は十秒も経たずに忘れてしまうだろう。だけど木兎さんの誇らしげな横顔を見ればそんなのはどうでもいいように思えた。大切なのは今この瞬間だ。
「じゃあ撮るよー」
「あかーしカメラ見て! あっピースして! ピース!」
木兎さんのスマホが横向きに構えられる。ケースには細かい傷がたくさんついている。画面にも横一文字に罅が入っていると知っている。けれどカメラレンズは無事のようで、黒々とつややかに俺たち二人を捉えている。
木兎さんが俺の肩に腕を回した。花束のセロファンが俺の側頭部に当たってくしゃりと鳴った。卒業式のあとに配られた花束なのに散々振り回したのかセロファンはくしゃくしゃだった。中の花は無事だろうか。そんなことを思いながらピースサインを作って胸の前に掲げる。
「ちょっと木兎、じっとしないとブレるって!」
木兎さんとのツーショットだ。肩を組むのは初めてではないけれど、ツーショットは初めてだ。カメラを向けられた木兎さんがどんな顔をして笑うか知っている。『あかーし撮って!』と請われてカメラを向けたことも、何も言わずにひっそりと撮ったこともある。木兎さんの笑顔はまぶしい。安直な例えだけど太陽みたいだ。夏合宿の最中に体育館の扉を開けたとき、室内の暗さに慣れた目にまっすぐ突き刺さる真昼の太陽光。まばたきをしても瞼の裏にじんと残る影。
「はい、チーズ!」
もう一枚撮るよー、と今度はスマホが縦を向く。今自分がどんな顔をしていたかわからない。服装も髪型も意識したのに、カシャリと音が鳴る瞬間だけぼうっとしていた。すぐ隣にいる先輩のことを考えていた。
「木兎さん」
あなたはどんな顔をしているんですか。横顔を盗み見ようとしたら、ばちりと目が合った。ああやっぱり太陽みたいだ。瞼がじんとした。風が吹いて、校庭の木が大きく揺れた。胸のサコッシュより淡い桃色の花びらが目の前で踊る。木兎さんの髪に貼りついたそれに手を伸ばした。いつかの笑い話になるとしても、俺は、ツーショットがよかった。俺と木兎さんだけのツーショット。花びらは要らない。だってもう次の一枚っきりなんだから。木兎さんと一緒にうつる写真は、これっきり。これが最後。明日からは、――ああそっか。
明日からは、この校舎のどこを探したって、このひとの姿を見つけることはできないんだ。
「いくよー。……って、えっ、タカハシくん!?」
「アカーシ!」
聞き間違いを正す木兎さんの声がすぐそばで、ほんとうにすぐそばで聴こえて、俺はいよいよ喉が詰まって、涙を止められなかった。後からあとから流れる。滝のようだ、って自分でも思う。
俺は誇らしいんですよ、木兎さん。
今日この日にあなたの隣に立てることが。
だけど同時にさびしいんです。
さびしいんですよ、木兎さん。
俺はピースをしたままカメラレンズをじっと見ていた。三年生は困惑した顔で、けれど根負けしたようにシャッターを切った。カシャリ。それが俺と木兎さんの記念写真。この世にたった二枚だけの記念写真だった。
*
「あかーし、写真撮ろ。記念写真!」
これが一体何の記念になるんだろう、と思いながらも俺は頷いた。木兎さんは食事の写真を撮ってSNSに上げるような人ではない。夜景を撮るような人でもない。ならば今、木兎さんが撮ろうとしているのは俺たち二人のツーショットだ。どうせなら皿の上にステーキが残っているうちに撮ればよかった。あるいはステーキが美味しかった記念に撮るのかもしれない。他の誰かが言い出したことならどんな記念だと聞き返すが、相手が木兎さんなら従うまでだ。撮りたいと思ったから撮りたいと口に出した。訊いたとしても返ってくるのはきっとそんな答えだ。
「俺のスマホでいいですか」
ソースの残る皿が下げられてしまう前にとジャケットからスマホを取り出せば、木兎さんは「んーん」と首を振って配膳のスタッフを呼んだ。すぐさま皿もナイフも片付けられ、真っ白なテーブルクロスの上にはワイングラスだけが残される。ずいぶんと寂しい光景だ。
木兎さんが再び手を挙げると、さっきとは別のスタッフが席に来た。写真撮ってください。木兎さんが毅然と告げる。俺は慌ててスマホをスタッフに渡した。指紋認証をしなくてもカメラアプリは立ち上がる。俺の正面に座る木兎さんは堂々としている。俺は少し待ってくださいと言って、真っ暗なガラス窓のほうを向いた。木兎さんと一緒に写るのだ。ジャケットの襟が折れていないか、シャツにソースを飛ばしていないか、ざっと確認する。
「あかーし」
木兎さんは俺に向けて親指を立てていた。なら大丈夫か。すとんと肩の力が抜けて、カメラのほうに向き直った。手は膝に。しゃんと背筋を伸ばす。木兎さんもピースサインなんかはせずに真っ直ぐ座っていた。撮ります、と言われた一秒後にシャッターの音がする。
「いかがですか」
差し出されたスマホには俺と木兎さんが写っていた。レストランの雰囲気に合わせてジャケットを着て、髪もきちんと整えている。四人掛けのテーブルにはワインだけ。俺たちの後ろには夜景が見える窓ガラスがあって、そこにはスマホを構えるスタッフがぼんやり映っていた。
「あっ、失礼しました。撮り直しますね」
俺が何か言う前にスタッフはスマホを構え直した。今度は自分が映らないよう角度や光量を調整しているらしい。その間に木兎さんにこっそり尋ねる。
「これ、何の記念写真なんですか」
すると木兎さんは言うのだ。いつもと変わらない声量で。
「赤葦へのプロポーズ直前記念!」
えっ、と声を出したのは、俺か、近くに座っていた別の客か、はたまたスタッフか。
「んで、プロポーズしたらプロポーズ直後記念写真も撮る!」
「……そうですか」
ようやく返せたのはそんなありきたりな相槌だった。床に片膝をついたスタッフが、お撮りしてもよろしいでしょうかと伺いを立てる。はい、と反射的に返してから、本当によろしかったのかと自問自答する。
俺は今どんな顔をしているだろう。呆気に取られた顔かもしれない。このあとプロポーズされて、もう一枚写真を撮ることになるのだろう。おそらくその時も俺は同じ顔をしている。直前記念写真と直後記念写真、もはや間違い探しだ。左手に指輪が嵌まっているかどうかの違いしかない。
それならばと、俺は五指をぴんと伸ばし、左手の甲をレンズに向けた。木兎さんも俺に倣った。
真面目な顔をしていた木兎さんが、俺と目が合ってニカリと笑った。夜なのに太陽のような人だ。つられて頬を緩めた瞬間、カシャリとシャッターの音が鳴り響いた。
END