勤労感謝
働く人に感謝する日
店に入った途端、目の前で配膳ロボットがピタリと止まった。黒猫のまん丸な目が俺を見る。俺の後に入店した宮が、ネコおるやん、と嬉しそうな声を出す。
「……店変える」
「いやいやいや! なんでやねん! ここにしよって決まったやん!」
回れ右をしようとしたら、宮はラグビー選手よろしく俺の腰にしがみついた。絶対離すまいという気概を感じる。それもそうか。宮の出す提案に却下に却下を重ね、三十分かけてようやく決まったランチの店だ。俺だっていい加減腹は減っている。
「ええやんネコ! 人が運ぶより清潔やん!」
「ぶつかったらどうする」
「今もちゃんと止まったやん!」
人感センサーがついている、のだろうか。突如目の前に現れた俺に、たしかにロボットはぶつからず動きを止めた。けれど今のはまぐれかもしれない。配膳中にぶつかられて、気に入りのコートを汚されでもしたら俺は一生許さない。
「まーまー、そう言わんと……あっ大人二名で!」
様子を見に来た店員に、宮はピースサインを掲げた。ご案内しますねと言って席に通される。これでは今更退店しますとも言い出しづらい。
店員の後を上機嫌について歩く宮の背中を小突くも、フフ、としか返事はなかった。
席につけばタブレット端末を示された。「こちらでご注文ください」と言い置いて店員は去っていく。本当に人件費を削った店らしい。オーダーも配膳も機械の仕事だ。そういえば今日は奇しくも勤労感謝の日だった。
「臣くん何にする? 俺はなー、パスタって決めとんねん」
宮の指が端末をすいすいと操作する。俺は画面に触りたくないから横から口を出すだけだ。サラダを付けること、食後のドリンクはコーヒーにすること。宮は「ほいほい」と返事をして俺の指示通りに注文を飛ばす。
「あ、ここスイーツもあってんて。んー……、まあ食べ終わってまだ足らんかったら考えよか」
独り言のように言って、宮はタブレットをもとの充電台に戻した。それから俺のほうに向き直ってあれこれとくだらない話をした。店に入る前までしていた話は尻切れとんぼに終わってしまったが許してやろう。宮はただ喋れたら何でもいいというようなところがある。それを黙って聞いたり、時には「違うだろ」と反論したりしながら、ころころ変わる宮の表情を眺める。
「でな、……あ、ネコ来たで」
話の顛末の一番盛り上がるところを話そうと息を吸った宮は、そのまま視線を動かした。ネコというのが何を指すのか一瞬忘れていて「何?」と振り返ったら、店内の通路をスーッと滑るようにやって来るロボットの姿があった。
「たぶん俺らのとこちゃう? ほら、ほらほら。来た。ほら〜。やっぱり俺のパスタやった」
二人掛けのテーブルのすぐそばまで来た配膳ロボットは、さあどうぞ、とばかりに動きを止めた。台の上には写真で見たのと同じパスタとサラダが乗っている。それをそろりそろりと受け取った宮は、最後にロボットの耳のあたりをぽんぽんと撫でた。
「ええ子やなぁ。ありがとうな!」
まるで言葉が通じたかのように、ニコ、と笑顔になったロボットは、くるりと向きを変えて来た道を戻っていった。その後ろ姿に宮は手を振っている。
「……ロボット相手にも言うんだな」
「何を?」
「ありがとうって」
「そら言うやろ。ちゃーんと運んでくれたんやから」
「人間じゃないのに?」
宮は配膳してもらったり商品を受け取ったりしたときはいつも「ありがとう」と言う。最初に聞いたときは意外に思ったものだけれど、慣れたらなかなかどうして良い習慣だと感じるようになった。自分が接客を受けるときは言えないけれど、宮が店員に対して「ありがとう」を口にしているのを見るのは好ましい。
「んー、まあロボットやけど、なんか頑張っとるって感じあるやん」
「それが仕事だろ」
「仕事やから余計やんか。働いてくれてありがとう、って」
おかげで人間が働かんで済むやん。そう付け加えた宮は、結露の浮いた水のグラスに口をつけた。こちらはさすがに店員が持ってきたものだ。透明なグラスの中を氷がカランと踊る。
「次来たら臣くんも言うてみ?」
「俺はいい」
「ええやん。言うだけ言うたら。俺の気持ちちょっとわかるで?」
ありがとう、と口に出す。それはやっぱり俺にはハードルが高いことのように思える。ロボット相手に独り言を話しているように見えるのも嫌だ。
「俺も一緒にありがとーって言うたるから。なあ?」
ずれた激励を送る宮に、そういえば今まで聞いたことがなかったな、と気づいて尋ねる。
「宮はなんでありがとうって言うの?」
「せやなあ……言うたったらサムがええ顔するから、やろか」
俺に対してはいつも通りやけど、と付け足して、宮はフォークを取り出した。銀色のカトラリーに先をわずかにパスタに埋めてクルクルと巻く。
「お客さんにありがとうって言ってもらったときのアイツがええ顔するからな。俺らもまあ、ええ試合してくれてありがとうって言われたら気分ええし。おんなじなんかなーって」
どこか照れたような早口で言って、宮はパスタをぱくりと食べた。話しながらずっとフォークをクルクルさせていたから随分大きな一口だった。丸い右頬がもぐもぐと動くのを見つめる。
いい顔とか、気分がいいとか、ロボットには縁のない話だろうけど。
さっきとは別の通路を通ってやって来たネコが俺たちの席でピタリと止まった。台には俺の注文したシーフードグラタンが乗っている。それをテーブルに移して、小さく息を吸った。
「……ありがと」
ニコッ、とネコが目を細めた。いい笑顔だった。くるりと背を向けたネコに手を振ったら、宮も頬を膨らませたままニコニコと手を振った。