●五伊地すごろく
「20-11相手の墓前で言う言葉は?」
 大きな体躯から発せられる腹からの声は良く響くが、特段五条が伊地知を呼ぶ時の声はどんな喧騒の中でも聞き取れるくらいに響き渡る。それは伊地知が五条のことを人一倍気に掛けているというのが一つ、もう一つは五条の機嫌が悪いと後々色々と面倒だからというのが理由だった。
 五条の声に伊地知は毎度慌てて「どうしたのか」と駆け寄る。「伊地知」と呼ぶたった三音の発音や呼び方で五条の機微が察せるくらいには長い付き合いだ。
 今回の声は声だけは踊るように弾んでいたが、そのまま五条が愉快でいるとは限らない。寧ろ全くの逆で正反対でありそうだと、伊地知は同行しなかった五条の任務内容を思い出しながら同僚に暫く席を外す旨を伝えて「どうされました」と駆け寄った。
 場所を休憩室に移し自販機で購入したココアを五条に渡し、伊地知も缶コーヒーを開けながら用件を切り出されるのを待つ。
「伊地知が死んでも何も変わんなかった」
 五条の会話の始まりが突拍子もないことなのはままあることだが、今のそれもそうだった。どうやら五条の中で伊地知は死んでいるらしい。
「私が死んでも何も変わらなかったんですね」
 一度五条の言葉を全て聞こうと否定はせずにおうむ返しする。
「そりゃあ硝子も七海も伊地知が死んで目の下の隈を濃くして、死にそうな顔してたけどそれでも普通に息して飯食って眠ってクソみたいな呪霊相手に任務して――僕もそうした。そうすることが伊地知が死んだのにできた。なんだったら僕は伊地知が死んだっていうのに悲しいとすら思わなかったし、お前を慕ってた連中が皆して毎年墓参りとかして、それに僕も付き合わされてお供えなんて買って墓前に立っても何も、なにも思わなかった」
 五条の言っていることは支離滅裂で、今ここに伊地知は生きているというのに死んでいること前提で話が進んでしまっている。たとえ渋々だとしても五条は伊地知の墓参りに来てくれるらしいというのがわかって、不謹慎だが嬉しくなる。
「別に無理に悲しむ必要はないと思いますよ、私としても嬉しく思われなかったならそれで」
 自分の死を喜ばれるのは伊地知だって傷付くが、五条は悲しみもしなかったがう喜びもなかったということらしいので、それでいいのではないかと告げる。
「……伊地知は、いじちは僕が死んだ時はどうすんの?」
「五条さんがですか」
 想像すらしなかった、とは言わない。五条がいくら最強だからといっていついかなる時も最悪想定をしておかなくてはならない。
「それこそ私も何も変わらないですよ。きっと大変な混乱の状態に陥るでしょうから、どうにかこうにか手を尽くして呪術師の皆さんをサポートして、それできっと落ち着いた頃に五条さんに会いに行きます」
 これで五条の望む回答になっているかと隣を見上げるが、まだ足りていないらしく続きをと視線で促された。
「状況にもよりますが、どうでしょうありがちですけど近況報告とかあなたの教え子たちの成長や呪術界のこととか話すんじゃないでしょうか」
「泣かないの」
「泣きませんよ、いい大人なので」
 五条の問いかけに言い切ってからきっと泣くのは墓前ではなく帰宅して部屋に戻ってからだろうという確信が伊地知にはあった。五条という人が生きたことを思い返し、それを喪失したことを思い知ってどうしようもない現実に打ちのめされる。そんなことを五条に話すつもりはない。五条にはそんなしみったれた感情ではなく、後を任せてよかったと思ってもらえるくらいに強い人間だと見栄を張りたかった。
「伊地知が死んだら僕は自分のこともっと取り乱すと思った。伊地知のこと好きで愛してるから」
「それは、その、ありがとうございます」
 五条の声があまりにも真剣で、突然の熱烈な告白にどもってしまう。
「でも、全くそんなことなくて伊地知が死んでも僕はどうしようもないくらいに最強だった」
 五条という人間は個人に執着するべきではない。そのことを五条はきっと誰よりもよくわかっている。
「それを言うなら私は五条さんが死んでも、どうしようもないくらい補助監督であり続けますよ。私たちの関係はこれが正解でなくても最適解です」
 伊地知が言葉を放ってから五条は考え込むように黙り込んで何も喋らなくなったので、伊地知も何も言わずにただ缶コーヒーを傾ける。
「……いじち」
「はい」
「なるべく死なないようにして」
「努力します」
 今度こそ五条は伊地知の返答に満足したのかココアを飲み干すと立ち上がる。これから一年生の授業があるはずだ。立ち去る背中に聞こえても聞こえなくてもいいと思いながら小さく「五条さんも」と呟けば五条はサムズアップした後に休憩室から出て行った。
 幻覚を見せる厄介な呪霊だと同行の補助監督から事前に情報は聞いていた。何人も術師が幻覚を見せられて手に負えなくなったということで特級案件として五条に回ってきたのだ。 
 見慣れた黒いスーツ姿に一瞬だけ驚いてしまったのが不味かった。呪霊は対象の深層心理にまで入り込み本人が最も望まない幻覚を見せる。すぐに対抗したので実際五条が幻覚に囚われたのは数秒にも満たなかったが精神を疲弊させるには充分な時間だった。
 五条が見たのは、伊地知が五条の知らないところで死んでしまうという幻覚だった。
 はじまりは家入からの電話で、いつになく暗い声で「伊地知が死んだ」とそれだけを五条に伝えて通話は切れてしまった。冗談だと思うには家入の声は重く、同時に連絡を受けたのだろう同行していた補助監督のわっと泣き崩れる声が伊地知の死を本物だと示している。補助監督は戦闘は禁止されているが、呪術師の戦う前線のすぐ傍に立つのだから危険が伴って当然だ。そうやって何人も見送ってきて、ただ運悪く伊地知の番だった。それだけのこと、そう考えている自分の思考に五条は戸惑う。
 高専に伊地知が入学してきてから長い時を共に過ごして、きっとこれは愛というものだろという感情も抱いていたのに五条は伊地知の死を惜しむ気持ちはあれど悼む気持ちは芽生えなかった。五条家に生まれ無下限術式と六眼を継承したことは、五条を普通の人として生きることを許さない。それでも、五条は知り得る限り弱くて今にも死にそうだったくせにいつまでも五条の傍から居なくならなかった伊地知のことを愛しいと思っていた。思うことができたと思っていた。
 その伊地知が死んだというのに五条は、あまりにも普通に生きることができた。
 それからすぐに意識を現実に戻し、五条は原因となる呪霊を祓って補助監督への元へと戻った。
「伊地知は」
「伊地知さんなら今日は事務作業メインなので帰校したらおられるかと……電話しますか?」
 五条がどのような幻覚を見たか知らない補助監督がスマホを出すので断ってからすぐに高専に戻りたいと後部座席に乗り込む。優秀な補助監督はそれ以上何かを言うことなく運転席に座ると車を発進させた。流れる景色を眺めながら五条は伊地知が死んだ世界のことを考えていた。
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20240925「20-11相手の墓前で言う言葉は?」
初公開日: 2024年09月25日
最終更新日: 2024年09月26日
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●五伊地すごろく「20-11相手の墓前で言う言葉は?」