八百文字 2024/9/9 百二十一日目 題:速度
 普段はWordで書いている800文字をテキストライブで書いている。なんとなく、書く速度を図りたい気持ちになったからだ。書く速度と言っても、別に何の参考になるとも思ってはいない。小説とかエッセイとか、なんでも、頭を使って書く場合には考えることに時間が割かれるので、脳みそ垂れ流しのコレで計れるものと言えば、ただただタイピング速度くらいで、タイピング速度なんて別に早くもなんともないことは知っているので、ほんとうに、なんとなくの、意味のないものなのだ。
 それで、そのタイピングだったり、絵のね、落書きって言うのでしょうか。そういう速度は速い方だと思う。でも意味のないものだと思う。ツイッターで、なぜか流れてくるツイートに(なぜか流れてくるツイートというものは、たくさんある。色んな種類がある。こんなもの見たくないというのを流してくるツイッターくんの神経を疑う。今はツイッターくんはエックスと呼ばれている)、今月こんだけ読んだとかいう読書量を流しているものがあり、読了とかいうのもあり、そういうのも、別にそのスピードには、意味がないと思う。たくさんの冊数を読んでいることを誇ったりそれを強要したりするようなツイートで、なんかしかし中身のない感じがして、だって、教養を得るための純文学って訳わかんないこと言ってるんだもん。なんかそういう文字列を読むと、そういうもの(鑑賞するということが近いか?)を分かる素質が無い人っているのかも。そんでもって、そういう人ばっかりが、ツイッターで本を読もう、読書好きさんと繋がりたいとか言っているように見えて、なんか、ぼく、アニメがじとじとしたオタクの集いとして居場所にしていたのにアニメ好きの陽キャが現れて居場所を奪われたオタクみたいな気分(知らんけど)。ああ、実用書。実用書ばかりを読書と言える現実主義的人間。現実主義的人間の、純文学の価値は、教養を養えること。わはは。世界が一つしかないヒューマン、分かり合える気がしないヒューマン。分からない、分かり合えるかどうか、分からない。でも、なんか、そういう読書好きのツイートを見るたびに「分かり合えない」という、大きな、断絶を感じるのです。
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