長らく小説を書いていないことに危機感を覚え、とにかく最初から最後まで書くやつをやろうと思う。
 あの事件から五年が経った。十二月の終わりに二階堂さんが逮捕され、私は事務所を移転し和田垣と二人でアイドルをすることになった。これからどうなるのだろうと不安を抱えつつした年越し配信は今までの何百倍もの視聴者が来て、すぐに事務所から電話がかかって中止することになった。和田垣は殺人で逮捕され、二階堂さんは釈放され、いつの間にか春になっていた。和田垣とやるはずだったアイドルユニットが無くなった私は芸能界を引退するつもりだった。元から、アイドルをやるモチベーションも落ちていたし、いい機会だと思った。
「ちょっとドラマ出てみない?」
 新しいマネージャーに、今度こそ辞めると言おう。そう思ってしかし言い出せずにハイソな暮らしを紹介しているユーチューバーのモーニングルーティーンを見ていると、マネージャーから電話が掛かってきてそう言われた。
「ドラマ?」
「ワンシーンだけ。優香ちゃんが出るはずだったんだけど、ほらインフルになったでしょ?」
 優香? 知らない名前がマネージャーの口から出てくる。検索すると同じ事務所の女優だった。私と同じ十八歳で身長も同じ。今すぐ現場に行けるちょうど良い人間が捕まらないからお願い! とマネージャーの必至そうな声を聞くと、暇だし、行ってあげてもいいかもなと思った。事務所辞めたところで何をするとかまだ決めてないし、ワンシーンだけだし、午後からの予定とかもないし、それもマネージャーも知ってるし。
 ワンシーンだけだったが、その演技がウケてちょっとした話題になった。警察官の主人公が突入した会議室で上司に迫られて無理やりテーブルの上に押し倒された地味な事務員の役。度々婦女暴行の通報があったが証拠もなく、現場を抑えるために潜入した主人公は上司を取り押さえ私から引き離し、会議室のカーッペットに組み敷く。その上司を見下ろし罵倒する台詞が、冷ややかだが嫌悪感が滲んでいる声が、非常にリアリティがあり良かったと何故かウケたのだった。
 それから、あの事件から一切なかった仕事が一気に増えた。優香ちゃんの名前は事務所のホームページから消え、私はドラマや映画の現場に出続けた。私の肩書はアイドルではなく女優になり、収入も以前の何十倍にもなった。仕事に出て、いろんな人と交流して、時間はすぐに過ぎていった。私はあまり多くの人との交流の場に出るのは好きではなかったが、マネージャーに言われて出来る限りは頑張った。現場でも、プライベートでも多くの人と関わって疲れた。業界人が多く済むという綺麗な広いマンションに引っ越しても、ラインやSNSの通知は鳴りやまない。身にまとっている全てのものを脱ぎ捨ててお風呂に入る時間だけが、私の、ひとりの時間だった。
 二十三歳の誕生日を迎えて半月くらいたったころマネージャーが急にうちに来て、私はしばらく仕事を休むことになった。映画の現場で一緒になった男性アイドルと私が一緒に私のマンションに入るところを撮った写真が、マネージャーの手に持たれていた週刊誌に大きく掲載されていた。映画はもう撮り終っているから仕方がないとしても、宣伝として出るはずだったバラエティ番組にも朝の情報番組にもそのアイドルと一緒に出るはずだったのだが、出られなくなるとマネージャーは言った。
「私だけ? あいつは?」
「一緒に出るのがダメって向こうの事務所に言われたの。それどころか他の仕事もしばらくキャンセルよ」
「なんで?」
「なんでって、アイドルに手を出したんだから」
 アイドルが問題を起こしたら謹慎するのはアイドルではないだろうか? 私は女優なのに。
 別に謹慎と言われること自体に文句は無かったし、そもそもそんなに好きな男でもなかったから会えなくても問題はない。ただ、向こうはどうやら仕事を通常通り続けられることに、不公平だと、その時は感じた。
 久しぶりに暇になり、私は家でSNSを見漁った。アイドルに手を出すアバズレだと書き込むブス。二度とテレビに出ないほうが業界の為と何故か業界の未来を案じているブス。私が過去に他の業界人もたぶらかしていたと勝手に推測し、昔の取材での発言などをそれにこじつけている馬鹿。疲れて、スマホの電源を切った。目を閉じてベッドに寝転がる。そうすると、もうここは誰の影響も受けずただ静かだった。
 謹慎して一か月経った頃、マネージャーから電話があった。次の仕事に行っていいという。現場は静岡の海の家で明日の早朝に現場まで運ぶ車がマンションの前に行くから乗ってねと言われた。
「吉田さんは?」
「私はその日はどうしても別の子の現場に着かなきゃいけないから」
 マネージャーはそう言うと電話を切り、ドラマの台本と概要の資料を送ってきた。聞いたことない監督の大したことではない役だったがまあまあ台詞量があるので頑張って覚えなきゃいけない。私は自分の出る場面の箇所だけ印刷し、立ち上がって台詞を声に出した。
「……久しぶりだな」
 翌朝、マンションの前に停まった車に乗り込むと知った顔の男が運転席に座っていた。かつて私のマネージャーだったその男は、以前に比べると痩せていて髪も短くなっていた。
「なんで?」
「出所してしばらくは缶詰工場で働いていたんだが今年の春に辞めて……色々あっておまえのいる事務所に専属の運転手として拾ってもらったんだ」
 この男は、山本は、前のアイドルグループで一緒だった三矢さんの体をバラバラにしてそれを捨てた男だ。そしてそれを隠ぺいするために、二階堂さんを守るためにヤクザに言われて私に美人局をさせていた男だ。あの事件が発覚した時、私の美人局はバレなかった。事務所も私がこの男に美人局をさせられていた事を知らなかったから、だから別に私の運送に使ってもいいと思ったのだろうか? いや、それにしても男にバラバラにされた子と同じアイドルグループに居た私を、そいつに送迎させるなんて、ましてや二人きりなんて。
 そう思ったところで山本は車を発進させた。
「まって、出さないで、ベルト締めてない」
「ああ、悪い」
 山本はそう口では言うが車を停めようとはしない。私はシートベルトを締めてそれを両手でぎゅっと握った。罰なのかもしれない。そう思った。事務所から、私に対する罰。嫌がらせの類だとおもうと溜飲がさがった。そうすることにした。なんか、もう色々考えるのが面倒な自分がいた。
 運転席に座る山本はマスクをし眼鏡をかけていた。目が悪かっただろうか? と思ってその顔を見ていると「これか?」と山本が言った。
「市村の帽子みたいなものだ。俺もまあ、顔が知られてるから」
 そういえば謝罪会見での山本の発言、特にファンがやったかもしれないと匂わせる場面は一時期SNSでよく流れていたが、そんなに気にするほどでもないように思えた。
「帽子の私より厳重じゃん」
「念のためな」
 車は大通りからすぐに高速道路に入る。高速道路に入ってしばらくは順調に進んでいたが、すぐに渋滞になって車の速度は下がり、やがて完全に停車した。
「最悪」
 私が呟くと、山本のスマホに電話が入った。山本がそれに出ると車のスピーカーからマネージャーの声が聞こえた。マネージャーの声がいつもより明るい気がする。今、マネージャーがついているという別の子は新しく事務所に入った十八歳で、私よりもかわいい。謹慎するまでの私は忙しくてイライラしていてマネージャーに嫌味や愚痴を言うことも増えていたから、きっと私よりもその子についている方が楽しいのだろう。SNSでその子のショート動画を見る。かわいい。親も芸能人で、育ちが良くて、きっと私より性格も良いだろうと思う。その子の投稿をスワイプすると次々にかわいい子たちが流れてくる。その中に、私が謹慎するきっかけになった男性アイドルのダンス動画も流れてくる。みんな、キラキラしているな、と思う。
 通知欄を開くとその間にまた届いている知らないアイコンからのメッセージ。「ブスのくせに調子乗んな。タヒね」
「やっぱり私向いてないな」
「え?」
「芸能界、向いてない」
「そんなことないだろ。演技が認められて、ドラマも映画も良い役で出てるし」
「山本さんに何が分かんの? 何も分かんないよ」
 やってないと言った二階堂さんを信じられずにヤクザを呼ぶような、ひとを一人隠してバレるはずがないなんて思うような、そんな馬鹿な山本に、分かるはずない。私に美人局させて、私たちの仕事のお金をヤクザに上げて、それで何とかなると思っているような人間に分かられたくもない。
「分かるさ、市村には才能があると思って、俺もオーディションで採用したんだから」
「今、そんな、上から言わないで」
 私が言うと山本は押し黙った。
「私の事を今も自分が言えばどうとでもできる、馬鹿な小娘だと思わないで」
「悪かった。確かに、今はマネージャーでもないもんな。俺の態度はおかしかったと思う。すまない」
「すまないじゃないでしょ」
「……申し訳ございませんでした」
 車は渋滞を抜けだしたのか、徐々に動き出しスピードも上がってきた。ハンドルを握る男の髪は染めているのか白髪は見えないが、眉毛に白い毛が生えているのが見えた。目元に、しわが出来ている。肌もなんだか以前より濁った色をしている。以前、マネージャーをしている時のこの男は大柄だったこともあり少し怖くて、それでもマネージャーとして頼れるところはあるように見えた。それが、今は痩せてずいぶんみすぼらしく感じた。
 スマホの画面にラインの通知が現れ見てみると、前の現場で一緒だった俳優からだった。災難だったねという慰めのメッセージと共に、あの男性アイドルと今現場一緒なんだけど別の女の子口説いてるよという謎の報告があった。開いてしまったので適当に返すと、しほちゃんは悪くないもんね、しほちゃんは騙されただけだもんねという言葉が返ってくる。美人局をした男を思い出した。
「……おしっこしたい」
「なら、もう少し先にサービスエリアあるからそこで……」
「嫌。今、今すぐ、止めて」
「え?」
「止めて。止めないと私に美人局させたこと社長に言う」
 山本は動揺の声を漏らしながらも車を高速道路の端、非常電話のすぐ傍に寄せた。
 私が助手席のドアを開けると、おい、という声が聞こえる。構わずに私は外に出て非常電話の看板の傍に立つ。乗っている間はそんなことなかったのに、降りた途端走り抜ける車がものすごいスピードを出していることを実感する。通り過ぎていく車の音と、道路に吹き付ける風の強い音が大きい。
「危ないだ……ですよ」
 山本は車を降りて私の傍に来た。風邪で山本のトレンチコートも私のスカートもバタバタと鳴っている。
「山本さんの方が危ないじゃん。運転席側」
「そうですが、市村さんを放っておくわけにもいかないので」
「ふ、いいよ、敬語。なんか山本さんが私に敬語ってやっぱ変。気持ちわるい」
「そうか」
「うん、気持ち悪い」
 気持ち悪いよ、全部。私も山本さんもみんなも。
 そう言ったが山本さんには聞こえなかったようで「悪い、風で聞き取れなかった」と言われた。
 もう一度言う気にはなれず、私がパンツを下ろすと山本は慌ててトレンチコートで私を隠すように覆った。隠すのが好きな男だ、と思うとなんだか愉快な気になった。
 スカートを捲ると足の間を吹き抜けていく風が冷たい。こんな場所でこんなことして、バレたら今度こそ、私、芸能界を止めさせられるかもしれないな、と思う。
「山本さん」
 呼んでみるが、聞こえないらしく山本は返事をしない。見上げると、ただ黙って顔上げ遠くの方を見ている。出来ないかも知れないと思ったが、放尿できた。足元から尿の湯気が立ち、私の顔に当たる。コンクリートに黒く液体が流れていく。
「山本さん、疲れたよ」
 風の音が強くなる。後ろから近づいてくる車の音がすぐに大きくなって前へと流れていく。耳を、足を、尻を、風が通り抜けてどんどん冷たくなっていく。
 山本ははためくコートを、必死に抑え続けている。
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即興でざっと最初から最後まで書くやつをやる
初公開日: 2025年02月02日
最終更新日: 2025年02月02日
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