ほんの少しの甘いカラメル
その店を見つけたのは偶然だった。
不良ながらも規則正しく八時に起床し、ワイシャツを着て学ランを羽織り、学校へ行こうと高杉晋助は家を出た。この時点でホームルームはおろか一限も始まっているが、不良の高杉にとって大した問題ではない。ちゃんと学校へ行こうとする俺ってエライ、の境地だ。
鞄は持って出なかった。中身は教科書や筆記道具すら入っておらず、形だけとなっているからだ。喧嘩になったとき防具にもならないし邪魔になる。必要だと思った財布だけ尻ポケットに捻じ込み、なんとなく家を出たというのが正しいのかもしれない。
あえて携帯電話も鞄の中に放置してやった。携帯電話入りの鞄で相手を殴りつけ、壊してしまったのは一度や二度じゃない。武器や凶器にするには威力がイマイチなのに、修理費だけはバカ高いんだよな、コイツ。
昨日、新品の携帯電話を受け取ったが充電し忘れていたので持ち歩く意味がないと判断したのもある。
(万斉と連絡取れないのは、さすがに不便かァ……?)
まァいいか、と、一瞬考えるもゆったり歩く高杉の歩は変わらない。一応、学校へと進路を変えずに歩き続ける。
一応、というのは特にやることがなかったからだ。学生生活も喧嘩も飽きてしまった。……いや、喧嘩は未だに飽きていない。あの血肉が燃え、沸き上がるような昂揚に満たされているときだけ、生きていると実感できるような気がするから。
高杉は退屈を埋めるため、──…何かを探すように、いつもの通学路ではなく遠回りになってしまう人通りの少ない小径を歩いていると、不思議な看板と変な店を見つけた。
「……きっさ、よろずや……?」
喫茶と万事屋の文字が同じ大きさで書かれた看板と、暖簾が掛かった和風の佇まい。どうみても喫茶店に見えないし、だからといってこんなに早い時間に開いている個人経営の飲食店も珍しくて。
スリガラス越しに薄暗い店内をじーっと覗き込んでいると、高杉の人影に反応するように横開きのドアが開けられた。
「んぁ、……っと。にーちゃん悪いね、店に入る?」
「……いや、」
高杉の眼の前に立ちふさがった男は、柔和な微笑みを浮かべていた。
背は同じくらい、……もしかしたら、少しだけ相手の方が高いかもしれない。真っ白な髪は白髪なのか、おしゃれで銀髪に染めているのかも解らないし、年齢だって二十代と言われても納得できるけど、たぶんそこそこ高杉より年上だ。
店の入り口傍にあるカウンターイスに捨て置いたのはたぶん白いエプロン。慌てて置いたせいで、イスから落ちそうになっている。
服装はチェック柄のシャツにジーンズ。胸板が厚くしっかりした体格で、喫茶店のマスターらしくなかった。
眼鏡の奥の赤い眼はきっと自前だ。眼鏡をしながらカラーコンタクトをする意味がないから。──全てを見透かすような瞳に射竦められて、高杉は一歩も動けなくなってしまう。
そんな高杉の動揺を察したのか、ぽんぽん、と男が高杉の頭を撫でる。心地よくて、一瞬泣きそうになってしまったのを隠すように、高杉は男の手を振り払う。
昔は色々とやんちゃしていたのかもしれない。その手には、刃物だか銃創だかの古傷が痛々しく残っていた。
「触ンな」
「ふぅーん。俺って嫌われちゃった?」
「……ッ、」
ばっと顔を上げれば、しょぼんとしていた男の顔がぱっと明るくなる。
なぜこんなにも、この男は解りやすいのだろう。眦を細め、しわくちゃながら嬉しそうに微笑む顔に、なぜか懐かしさを感じた。
「悪いけどさ、そこの角のコンビニでジャンプ買って来てくんない? あと煙草」
めずらしく大盛況でさぁ、と男は煙草の空き箱と紙幣を高杉に押し付けてくる。高校生だから高杉は煙草を買えないし、そもそも初対面の自分を撫でたり、現金を渡してお遣いを頼もうとするなど、信じられない行動ばかりする男だ。
「……俺、学生だから煙草は買えねェぞ」
「あ、そっか。世間は厳しくなったね」
そう言いつつも、男は変わらず高杉に紙幣を握らせる。高杉がジャンプを買ってくることは男の中で確定事項らしい。この金を持って、初対面の高杉がバックレてしまう可能性だってあるというのに。
馬鹿なのか阿呆なのか、はたまたそれを突き抜けた天然なのか。高杉が解りかねて困惑していると、男はぎゅっと高杉の手を握り込む。男の手は熱く、伝播するように高杉の胸の奥も熱くなった気がした。
「じゃあさ、ジャンプといちご牛乳ね」
おつりはあげるから、とお遣いに出される。
──有りえない、いろいろと有りえないだろ、とぶつぶつ文句を言いながら、高杉は握らされた千円札一枚を大事に握りしめ、通り過ぎたコンビニへと向かった。
高杉が店に戻ると、他に客の姿はなかった。
男はエプロンを着け食器を洗っている。大量に溜まっていたのか、なかなかの量で骨が折れそうだ。
「……お、おかえり。ちゃんと買って来れた?」
「──…ン、」
「ありがとさん。助かるわ」
ずいっと差し出すと、男は濡れた手をエプロンで拭いて、嬉しそうに受け取ったと思ったらそのままカウンターに置いた。片手にはガラスのコップを持っていたので、もれなくいちご牛乳を飲みながらジャンプを読むのだろう。
……いや、喫茶店の店主がコーヒーじゃなくいちご牛乳って。
「なしだろ」
「うん? あ、何か飲む?」
「……コーヒー。ミルクも砂糖もいらない」
「無理しちゃって。カフェオレにしとく?」
「コーヒー! ブラック‼」
「はいはい。ちょっと待っててー」
そういえば、喫茶店の看板にモーニング始めましたと小さく書いてあった。コーヒーの他にトーストなどが付くお得なセットらしい。
朝食を食べていなかった高杉の腹がくぅぅと小さく鳴く。男に気付かれまいと、高杉はカウンター席に勢いよく座り、店内を見回す。
和風な見た目のくせに、レトロで喫茶店ぽい雰囲気の店内はコーヒーの匂いで充満しており、コンビニやらジャンクフード店で屯≪たむろ≫することの多い高杉にとっては物珍しかった。
「へい、お待ちどうさまー」
「……オイ」
「お子ちゃまには、モーニングじゃなくお子様セットだろ」
怒り気味の高杉を無視して、男は飄々と答える。
高杉の前に置かれたのは、コーヒーでもトーストでもなかった。量は少なめだが、ほわほわ柔らかそうな半熟の卵がかぶさったオムライスに、サラダとスープと牛乳。デザートとおもちゃが付いてないとはいえ、どこからどう見ても完璧なお子様セットだ。
高杉が男をひと睨みすれば、何を思ったのか男はメモ用紙とつまようじで工作を始め、小さな旗を作ってしまった。──違う、そうじゃない。
「大事なもん忘れてたわ。ごめんね」
「違う‼」
「いや、合ってるっしょ。腹ペコさん?」
「──…っ! 聞こえてたのかよ‼」
「まぁまぁ、美味しいから食べてみてよ」
オムライスに旗を立てて、男はご満悦だ。
気になっただけで、高杉に入店する気はない。
そんな高杉の機微を見透かしたように、