「『オレの情報網を甘く見てもらっちゃ困るね。ちゃんと裏も取った。……それで、アンタの方のネタは?』」
「『俺の仕事場の傍の洋菓子店で、マカロンの新作が発売されるそうだ』」
千景が仕事から帰って談話室に入った瞬間、聞こえてきたのはこんな会話だった。いつもとは違う二人の雰囲気に、エチュードをしているのだとすぐ気づく。しかし、次の瞬間には素の一成に戻って声を上げる。
「――マジで!?え、めっちゃ気になる情報じゃん!おみみ、詳しく!」
(なるほど……臣の役作りの一環か)
今度の秋組第11回公演で、臣は暗躍する警官役だったはずだ。その際、情報交換をする場面があるのだろう、そのままスイーツの情報交換を始めた二人を微笑ましく眺めながら、千景は上着を脱ぎつつゆっくりと近づく。
「あ、千景さん。お帰りなさい」
「ちかちょん、おつピコ~! 今日は早かったねん」
「今日は取引先から直帰だったんだ。今のは、臣の役作りかい?」
千景の問いに、臣はいつもの笑みを浮かべる。
「あはは、聞かれてましたか。そうなんです、一成に付き合って貰って、情報交換の場面の練習させてもらってるんです」
「そそ! オレも面白いからつい情報屋のエチュードになっちゃうんだ」
「二人とも、よく雰囲気が出てたよ」と感想を伝えると、二人は嬉しそうに笑って、それから臣が千景に向き合った。
「そうだ。千景さんからもちょっとお話聞きたいと思うんですけど、いいですか?」
誰よりも高い背を器用に屈めながら、臣は微かな上目遣いで千景に尋ねる。その遠慮がちな態度に世話焼き心をくすぐられた千景は、笑顔で頷いた。
「うん、いいよ。じゃあ、着替えたらバルコニーにでも行こうか。うちの部屋は帰ってきたらうるさいのがいるからね」
千景の言葉に臣はくすりと笑って、「じゃあ、コーヒー淹れていきますね」と言った。千景は「楽しみにしてる、臣のコーヒーは美味しいから」と言って踵を返し103号室へと向かった。
手早く着替えを済ますと、今日取引先で貰ったお茶菓子を持ってバルコニーに向かった。臣はまだいない。バルコニーからは上弦の月が綺麗に見えた。
「……すみません、おまたせしてしまいましたね」
「ううん、今来たところだよ。コーヒーありがとう、臣。これも良かったら」
「! 高級なお菓子じゃないですか。俺なんかが頂いていいんですか?」
やはり遠慮がちな臣に、千景はくすりと笑って臣に菓子を握らせると、臣の耳元に唇を寄せて囁いた。
「『――ほんの心づけだ。その代わり、お前のとっておきの情報を対価に』」
先程の情報屋のエチュードを意識した千景に、臣は一瞬驚いてそれからすぐに今度の公演の役・デューイの顔になってニヤリと笑った。
「『アンタには敵わないな。いいだろう、アンタだから言える情報を教えてやるよ』」
その低音の声の凄味、口元に浮かぶ傲慢さ、目の奥の燃えるような野心――普段の臣からは考えられないほどの鮮やかな変身ぶりに、千景は自分で振っておいて目を見張る。
「すごいな……もうデューイの役が体に馴染んでるじゃないか」
千景が素に戻ってそう言うと、臣もすぐ元の穏やかな笑みに戻って照れたように頭をかいた。
「いやあ、まあ……一番付き合いの長い役ですからね。割と切り替えはしやすいです」
「ふうん」
臣の言葉に、千景は目を細めて臣を観察する。
(伏見臣。葉星大商学部卒。現在撮影事務所アシスタント兼MANKAIカンパニー秋組所属。暴走族・ヴォルフの元総長――性格は穏やかで人当たりが良く、世話焼き。一方で仲間が危険に晒されたら昔の顔を覗かせる場合もある)
「……もしかしたら、そっちが臣の本性なのかもね」
「? 今何か言いましたか?」
ぼそりと千景がつぶやいた言葉が聞き取れず、臣は尋ね返す。千景は「ううん、なんでもない」と笑って、話題を切り替えた。
「それで? 俺から聞きたい話って何かな? 新作スイーツの情報なら、一成や十座ほど役に立てないだろうけど」
「いえいえ、そういう情報じゃなくて……千景さんには、イタリアンマフィアやその時代の警官の話とか聞きたいな、と思って」
一瞬組織のことがバレたかと、ドキッと鼓動が速くなる。しかし、臣はいつもの笑顔でニコニコと理由を告げた。
「千景さん、色々なことに詳しいから、そういうのも知ってるかと思いまして」
どうやら、ただの杞憂だったらしい。しかし、それでも千景にそういうことを聞くあたり、臣の嗅覚は無意識にでも鋭い。
千景はただの商社マンの顔をして、臣の質問に困ったように笑った。
「俺は単なるサラリーマンだから本物のイタリアンマフィアのことは知らないけれど、イタリアには出張で何度も行ったことがあるから、現地の話は少しできるかな。あと、あの当時の映画も幾つか観たことがあるしね」
そう言って、千景は臣が入れてくれたスパイス入りのコーヒーを飲みながら、イタリアの話や映画の話を虚実織り交ぜながら話した。臣はニコニコと、時には驚いたように表情豊かに千景の話に聞き入りながら、時々鋭く千景を観察していた。その視線に気付きながら、千景は最後まで話を続けた。
「――っと。今俺が話せるのはこれくらいだけど、また何か関係ありそうなことが分かったら、臣に教えるよ。何かの役に立ったかな?」
「ありがとうございます! すごく勉強になりましたし、単純に千景さんの話が面白くて惹き込まれました。すごいですね、千景さんの話術は」
「まあ、仕事の半分は喋ることだしね。でも、臣が真剣に見つめてくるから、ちょっと緊張したよ」
千景がそう言うと、臣は「あれ? そうでした?」ときょとんとし、笑いながら困ったように頬をかいた。
「いや、千景さんの話術があんまりすごいもんだから、これも何かの参考にならないかな、と思いまして……怖い顔してたならすいません」
「いやいや、大丈夫だよ」
首を横に振った千景に、臣は「ならよかった」と笑って立ち上がった。
「……今度、お礼に千景さんの好物作りますね。この前言ってたマーラータンの再現とかどうですか?」
「いいね、楽しみにしてるよ」
そう言うと、ぺこりと頭を下げて去っていく臣の背を見つめながら、千景は思った。
(臣は――怖い男だな。優しくて、穏やかで、気配りができて、気遣いが濃やかで、料理上手で、相手の好みをきちんと把握していて、こまめに世話を焼いてくれる。ちょっと大雑把なところもあるけど、普段が誠実だからあまり欠点とみなされない。こんな男に懐に入られたら……大抵の人間は、拒めず陥落していくだろう)
彼の性根は恐らく善だろうが……もしも彼が組織にいたのなら、人心掌握の工作員として各地に派遣されていたかもな、と想像して、少しゾッとした。
「……『悪魔は天使の姿を借りて現れる』、か」
シェイクスピアのことわざを呟き、そんな彼が舞台の上でどんな役を演じるのか、今からとても楽しみになった。【終】
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【千景から見た臣】悪魔は天使の姿を借りて現れる
初公開日: 2024年08月20日
最終更新日: 2024年08月20日
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続ピカレスク臣の稽古会話より着想を得た話。