夢を見る。燃える屋敷の中、気絶しそうな程の痛みに意識を奪われないよう必死に耐えて、届かないあの子に向けて手を伸ばす夢。泣いているあの子が、助けを求めるように手を伸ばしている。それでも互いの手が届く事はなく、その姿は憎い奴等の背と共に遠ざかっていく。そこで夢は終わる。無事だった、されど傷だらけになった左腕とどこかの天井だけが、視界に映る。あの子の姿も、奴らの姿も、もう何処にも無い。
夢から覚める度に現実を突きつけられる。屋敷が燃えた事。主人が死んだ事。味方が誰もいない事。あの子の為の右腕がもうない事。——あの子を、永遠に失わなければならない事。何度も何度も絶望に心を削られて、それでもあの子との約束の為に、彼は立ち上がらなければならなかった。
優しく美しく、この世の何よりも尊いお嬢様。あの子を人を不幸にするための道具にしたくない。あの子をこれ以上、人の悪意や個性のせいで苦しめたくない。だから楽にしてやらなければいけないんだ。そう言い聞かせる度に、内の欲望が吼えた。そんな事望んでない癖に。殺したくなんてない癖に。あの子の傍で、あの子の笑顔と幸せになった姿が見たいと、烏滸がましくも願っている癖に。
――そんな事わかっている。殺したくなんてない。ただでさえ個性のせいでずっと苦しい思いをしてきたのに、その最期が無能の執事に仕留められる事だなんて、納得できる訳がない。——でも、もうどうしようもないのだと諦めるしかなかった。彼にはもう、何も残っていやしないのだから。
それは彼の贖罪だった。命を懸けてあの子を守ると誓っておきながら、ずっと傍にいると約束しておきながら、何一つ果たせなかった不甲斐ない彼の。せめてあの子の不憫な一生を、可能な限り楽に、そしてこの手で終わらせてやる事だけが、己が出来る償いなのだ――。そう信じて、何も無くなった人生を走り抜けて来た。己の心身が削れていく事には、見ない振りをしながら。
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「ジュリオ!」
すぐ傍から聞こえて来た、女性にしては少し低めのソプラノ。半分ほどぼうっとした意識のまま、ジュリオは首を動かして視線をその方に向けた。その先には、首の辺りまでを布地が覆う清楚なドレスに身を包んだ、愛おしい少女の姿が。
「おじょ・・・」
「アンナよ」
「・・・アンナ」
少し掠れた声で名を呼んでやると、アンナは満足そうに笑った。ここに来てから、ジュリオとアンナはこのやり取りを何度か繰り返している。如何せんジュリオの方が薬と消耗のせいでぼうっとしていて、手癖を意識的に直せるだけの理性がちゃんと働いていないのが理由だ。だからなのか、今の所呼び名以外はどうこう言うつもりも無いらしい。
「どうしました?随分、機嫌が良さそうですが」
「さっきね、A組の女の子達とお話してきたの!個性とかも見せて貰ってね、クリエティなんてすごいのよ!このドレス一瞬で作っちゃって」
言いながら、アンナがベッドの横でくるりと回って見せた。ふわりと浮かんだ裾にはリボンのような意匠があしらわれていて、彼女によく似合っていた。あの男は大分趣味の悪い物を着せてくれたものだと思っていたから、八百万のセンスにジュリオは脱帽する。他の生徒の提案かも知れないが。
「よく、お似合いですよ」
「そう?嬉しい!ねえねえジュリオ、貴方はどんな服が好みなの?」
思いがけない問いに、ジュリオは少し目を見開いて黙り込んだ。しかしすぐに気持ちを切り替え、執事でいた頃の笑みを浮かべる。返すべき答えは決まっていた。屋敷にいた時からの定型文。
「私のではなく、アンナの好みの服をお召しになるべきですよ」
そう返すと、アンナは決まって頬を膨れさせた。屋敷にいる時と同じだ。きっとそんな事を聞きたいんじゃないのよ、と言いたいのだろう。個性の事で遠慮されてたせいか直接言われた事は一度も無いが、何となく予想は出来た。それでも今日の所は勘弁するつもりのようで、アンナはその事について特に言及しなかった。
「アンナさーん」
「あっ、はーい!それじゃあジュリオ、私検査に行って来るけど、退屈だからってどこかに行かないでよ!」
部屋の外から看護師らしい女性に呼ばれ、アンナはジュリオにそう釘を刺してから部屋を出て行った。彼女が居なくなった部屋に重々しい溜息の音が響く。彼女の対応に疲れたから出たものではない。寧ろ彼女が居なくなった事で、呼吸に色濃い鬱々とした暗い色が滲んでいた。
「やっぱ、手放さねーとな・・・」
ぽつりと呟いた言葉が白い天井へと吸い込まれていく。だが脳裏に染み付いたそれは強迫観念にも近い物となって、ジュリオの内の声を苛んでいた。心が軋む音がする。本当はこんな選択などしたくない。——でも。
「やっと自由になったんだ。俺が足枷になる訳にはいかねえんだよ・・・」
再び意識が朧になっていく。少し前に食べた粥の糖分が脳に回ってきたようだ。ゆったりと瞼が落ちて来たのを感じたジュリオは、念押しするようにその言葉を自分に言い聞かせて、意識を落としていった。
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夢を見る。無能になった己が、力に全てを振り回されてきた彼女を撃ち殺す夢。出来るだけ苦しまないように、と眉間を狙った一撃で脳漿を散らした彼女の、冷たい身体を搔き抱いている。虚ろな瞳は相も変わらず美しく、しかしそれはもうどこにも向けられる事も無く、何処とも知れない何処かへ向けられている。
終わった。感じられたのはそれだけだった。絶望ですり減った心では悲しみすらも感じない。——否、正確には少しだけ違かった。彼は悲しいなんて思ってもいなかった。彼自身も、もうすぐ終わるから。
変形した自分の腕、その中に仕込まれた銃口を、己の側頭部に当てる。最初から決めていた事だ。生きる意味を彼女と、彼女の父親に与えて貰った。彼の存在意義は、その二人が居なくなった事で完全に失われた。生きる意欲なんてものも尽きていた。後はこの引き金を引いて、二人の元へ行くだけ――。
――行ける訳ないか。無様にも旦那様を死なせ、お嬢様を殺した自分が――。
銃の引き金が引かれる。発砲音が空を裂いた。脳漿は――散らなかった。
風呂入れって言われたので一旦落ちます!では失敬!