「獣」「不確かな」「ふたつめの」
「やっぱ悪い奴ってどこにでもいるもんなんだよね」
ふと、隣を歩く奏斗がそうこぼした。
その言葉に含まれた真意はわからない。悪人が世界中に|蔓延っていると言いたいのか、はたまた都会にも田舎にも山にも海にもいると言いたいのか、それはセラフの察せられる範疇ではない。
颯爽と歩を進める足は止めず、真正面を見据えたまま|流眄で隣を窺う。同じ速度で走っているから表情までは見えない。視界の端にちらちらと映り込む、あえかな月光を浴びて普段より|目映ゆく輝く金色の髪先だけが彼の所在を示す。
「だってさ、普通こんな山奥に拠点置かないでしょ。遠いし足場悪いし暗いし、いいことなんにもなくない?」
なんと相槌を打つのが正解か答えを出しかねていると、彼のほうから言葉の端が繋がれた。
「でも、だからこそ逆に人が寄りつかないから悪事を働くにはもってこい、ってことじゃないの?」
「あー、まあ、そう言われてみればそっか」
「実際俺らもあそこまで行くのにだいぶ苦労したしね」
「それはほんとそう」
山奥に建てられた、とうの昔に廃屋と化している木材加工場に出入りしている輩の姿を頻繁に見かけるようになった、という旨の依頼がランドリーに舞い込んだのはおよそ二週間前。|件の施設は二十年、下手をしたら三十年近く前に閉鎖されたもので、当時使用していた機械はいまだ残されているけれど人の往来はめっきりなくなっていたという。
その情報のみならばまだ、偶然発見した廃屋に|屯する恐れ知らずの若者達の|仕|業だろうという推測を結論として、それなりの調査をしたのちに依頼主に報告して終了、で締めくくることができたかもしれない。
風向きが変わったのは、|件の加工場から|夜|毎機械音が聴こえてくる、という近隣住民の間に流れる噂をアキラが入手したあたりからだった。
もと場内で使われていた機械の音か、また別のなにかの音かまでは、遠方から届く微かな駆動音のみでは判断するには情報として不足しすぎている。その点を踏まえて、より正確な実情を把握すべく実行されたのが、今回のセラフと奏斗による臨場——もとい、突撃作戦である。
「奏斗が痺れきらして飛び込んだせいで、凪ちゃんめちゃくちゃ怒ってたじゃん」
「仕方ないじゃん。だって小一時間かけて森の入口からあそこまで歩いて、証拠まで掴めたのになんもしないで帰るとかさぁ。無駄骨にも程があるでしょ」
「証拠掴めてんだから、その時点で無駄骨ではないけどね」
「でも、あそこまで行ったらちゃちゃっと突撃して懲らしめてやったほうがいいじゃん。もう一回来る手間も省けるし」
「出た、奏斗お得意の『でもだって』。まあ、手間が省けたってとこは俺も納得してるけど」
「ほらみろ」
ふふん、と得意げな奏斗の笑声が左の|耳朶に触れる。
実際のところ、アキラから伝えられていた内容はあくまで実情調査で、突撃しろとまでは言われていない。全ては我らがリーダーの独断で、かつてない程無計画で無謀な強行だ。
常に周りが見えているうえに、気にかけることも怠らない。どんな状況でもテンションは一定に保ち、必要に応じて的確に言葉をかける。人の上に立つ一マフィアの首領たる素質は充分に備えていると、それに関してはセラフも納得しているし、助けられてもいる。
それはそれとして。時折、作戦完遂の確実性をいっさい度外視した|博|打とも無謀ともとれる行動を突発的に起こす件に関しては、呆れに肩を|竦めざるを得ない。おそらく奏斗自身は頭のなかでシュミレートして成功率を弾き出したうえで実行しているのだろうけれど、飛ばされた指示に従う身としてはだいぶ大変ではある。主に後方支援を務める年長者ふたりが。
そんなこんなで無事に幕引きを終えた突撃作戦からの帰還途中。外灯も案内板もない草木が鬱蒼と茂る|昏い山中をひた走る現在に至る。
既に十分以上走り続け、少しばかり乱れてきた息を整えようとひとつ長い吐息をこぼし、セラフは睫毛の先を斜め上に持ち上げる。初夏の夜空にしては珍しく、灰色と濃藍を等分に混ぜたような暗色の雲に覆われ、星も月も姿を見せてはくれない。そのせいでもともと光源の少ない山道はいっそう深く夜闇に沈み、気を抜けば帰り道を見失って迷子になってしまいそうだ。
というか。
「……ねぇ、奏斗」
「ん?」
「俺らってさ、もしかして迷子だったりしない?」
「なんだよセラ、今さら気づいたの?」
いくら走っても変化のない風景と先の見えない暗がりに嫌な予感はしつつも、どうか否定してくれという願望は少なからずあって。けれど、そんなセラフの心境を知る|由もない奏斗にいともあっさりと、しかも本人はもっと前から気づいていたと言わんばかりの口調で返されてしまい、セラフは思わず足を止めてしまった。
え、と反射的に洩れてしまったというふうな奏斗の声が、三歩ぶん離れたところから微かに届いた。唐突にセラフが足を止めるとは予想していなかったのだろう。くしゃりと青草を踏み締める音を立てて立ち止まって振り返り、こちらに戻ってくる。
「ちょっと、なんで急に止まんの?」
「……奏斗さぁ、俺よりも早く気づいてるならもっと早く言ってよ。てか凪ちゃんと雲雀に連絡してないの?」
「もちろんしたよ? でも、なんでかアキラには繋がんないし、ひばはそもそも気づいてないっぽくて」
「それ絶対凪ちゃん怒ってるからだって。雲雀にも出るなって言ってるやつ」
「なにセラ、もしかして迷子になってるのは僕のせいだって言いたいの?」
「もしかしなくてもお前のせいだよ」
あーあ、とセラフは両腕を頭上に掲げて伸びをして、だらりと脱力させる。腹を立てるのも馬鹿らしくなってきてしまった。
「で、どうするの? このまま歩き続けてもいいけど、何時間かかるかわからないよ」
「それでもアキラ達に連絡がつかないんじゃ、自力で帰るしかないじゃん?」
「まあ、それはそうなんだけど」
誰のせいだと思ってんだろうなこいつ、と言いさしてやめた。口論とも呼べない、多少攻撃力の高い言葉だけの戯れにすぎないけれど、本人も重々自覚しているであろう部分に敢えて爪を立てて痛みを広げたところで意味はない。
一縷の望みを懸けて、セラフはピスポケットからスマホを取り出した。手首を傾けたはずみで点灯した画面に表示された、電波を示すアンテナが|描かれている場所には予想通り『圏外』の二文字。
スマホで連絡が取れないならば、残る手段は耳に嵌めた無線機のみ。されど奏斗の言ったことが真実ならば、アキラはこちらとの連絡を完全に絶っていることになる。後方からの補助を主とする彼が通信を拒絶している時点で、職務放棄となるであろうことはさておいて。
物は試しと、左耳に装着した無線機に触れてアキラへの通信を試みる。|時雨に似た|雑音が鼓膜に触れるなか、予想外に早く応答を|報せるぷつり、という音が鳴った。
『——はい』
「え、凪ちゃん?」
『なんで繋いできたセラ夫が驚いてるんだ』
「いや、奏斗が連絡しても繋がんないって言ってたから。こんなにあっさり繋がると思ってなくてさぁ」
『ああ、それは自業自得だ。あいつが悪い。……で、迷子になったからかけてきたってとこでしょう、あなた』
「さすが凪ちゃん、よくわかったねぇ」
『一応ふたりの現在地はこっちで把握しているのでね』
「あーなるほどね、無線機の信号か」
街中であれば周囲の監視カメラをハッキングして状況把握をするところ、前提としてカメラなどという文明の利器が設置されているはずもない山中では、遠方で控えている彼はセラフ達の現状を目視できない。大方、無線機の|輝点の動きが|方々を彷徨っていたり、突然停止したところを見ておおよその状況を推察していたのだろう。
アキラの声が届いていない奏斗がセラフの顔を覗き込むように身を屈めて、ぱくぱくと口を開閉させる。なに喋ってんの、だとか、なんで繋がってんの、だとか、多分そういった内容のことを訊かれている。
とはいえ、先ほどアキラが吐き捨てるような口調で奏斗への悪態をついたあたり、相当ご立腹に違いない。ランドリーに帰還した直後の説教は免れられないだろう。ひとまずここはアキラの意を汲んで、眼前を飛び回る羽虫を払うような仕草で奏斗を遠ざけた。
「なんだろ、この匂い。花?」
「かもね。ちょっと甘い系の匂いがする」
〉逃亡中、セラフがふと足を止めた。
「うわ、ちょっとセラ、なんで急に止まんの」
「……奏斗」
〉あれ、と指を差して示した先、顔に麻袋を被せられた人体が転がっていた。
「セラはさぁ、いつから死人に優しくしようと思ったの?」
「だって意味ないだろ、見知らぬ人間の埋葬なんて。礼を言ってくれるわけでもない、なにか良いことが起きるわけでもない。結局はただの自己満足でしょ」
「そうだよ。これは俺の、ただの自己満足」
「奏斗は知らない人間には優しくないけど、親しい人には優しくしてる。要するにファミリーの一員かそれ以外か、っていう分別をしてるだけ。ちゃんと筋は通ってるし、俺だってそれは理解してるつもりだよ」
「——セラってさぁ、」
〉
「いや、違うか。セラとアキラが所属してた機関で人が死んだ時って、どういう弔いかたしてたの?」
「死体を回収して、体液とか毛髪とかはみ出た内臓とか諸々全部綺麗さっぱり掃除して痕跡を消してから、全身丸ごと焼く」
「こんがり香ばしく?」
「ううん。体の形がいっさい残らないように灰になるまで焼く。あとは灰を山か海に撒いたらお終い」
「うっわグロすぎ」
〉
「そこまでする普通? 別に火葬して埋めてあげたらいいだけじゃん、なんでわざわざ形が残らなくなるまで焼いちゃうわけ?」
「残るからダメなんだよ」
〉
「遺伝子情報が少しでも残ってしまったら、そこから機関に辿り着かれる可能性が生まれる。民間人を殺して回る暗殺者がいたり、とある会社に正社員を装って潜入した挙句に内部崩壊させる|諜報員が大勢いる組織の存在が明るみになったらどうなるか、奏斗ならわかるでしょ」
〉
「だから、灰にする。骨壷も墓石も供花も用意する必要がないように。——その人が生きていた証拠を、抹消する」
〉
「……俺だって、」
〉
「なんで残してあげないの、って思ってたよ。……子供の頃の話だけどね」
〉
〉なにも残らなかったら。なにも|遺せなかったら。
〉その人が生きていたという証は、どこに在るのだろう。
「……あ、」
「なに?」
〉
「いや、なんでもない。あの花の名前思い出しただけだから」
「え、教えてよ。普通に気になる」
「んー」
〉セラフが渋る。
「やだ、教えない」
「おい! なんでだよ!」
〉別にいいじゃん、と奏斗が唇を尖らせる。
「そんな怒んないでよ。俺だって嫌がらせしたいわけじゃないんだから」
「ならせめて理由くらいは教えてくれたってよくない?」
「はいはい、わかったよ」
〉
「死んだ人に捧げる花には、あまりにも相応しくないから」
|梔子