少女は守られるだけでいるのが好きじゃなかった。どうしようもない自分の立場と無力を実感させられるから。
「剣は野蛮なものですから、貴女様には似合いませんよ」
「毒を使うなんて危ないですよ。そんなものは薬師に任せておけば良いのです」
心配の仮面を張り付けた大人達に、興味を持った物は悉く奪い取られていく。例え立場が上でも少女はまだ子供。大人の抑圧には従わざるを得なかった。その度に沸き上がる憤怒を笑顔の裏に押し込めて、少女は心の中だけで叫んだ。
――似合わないとはなんだ。薬師に任せておけばいいとはなんだ。自分や他の誰かを守る為の力を、努力を、どうして否定されなければならない。そんな侮辱も甚だしい、悪意の言葉で。
見え透いている。無力な姫君であれば都合がいい、という彼等の魂胆が。お生憎と少女の父は賢王。その血を色濃く継ぎ、父王を尊敬して研鑽に励む彼女が無能な訳もない。全く滑稽な話である。
だがそれ故に、少女に課せられた抑制は強かった。高位の物を使えるのは誉だとされる魔法の練習すら、理解ある者の前でしかできない。折角王族が代々持つ治癒術だって、使う機会に恵まれた試しがない程だ。
――お姫様なんて碌な物じゃない。本当はもっと自由に学びたい事を学んで、したい事をしたいのに、それが出来ない。国の代表として、ニコニコ愛想笑いを浮かべる人形になる事しか――。
「ありがと」
ほの暗い諦めと失望の中に、一筋の光が差した。少し元気のない、しかし無理にしている訳でもない少年の柔らかな笑顔が、荒んだ心を潤していくようだった。
「すごいね」
余りも単純な、だからこそ裏表のない賞賛の言葉。そいつらでは決して導き出せない、否定の気持ちが一切ない言葉。ずっと欲しかった言葉をやっと与えられた少女は、思わず零れそうになった涙を堪えて、目一杯の笑顔を浮かべた。
[chapter:熱を出した王子様]
人攫いの元からの脱走に成功したしのぶとその手引きをした義勇は、その後城を目指して二人手を繋ぎながら、ゆっくりと山道を下っていた。元来お喋りなしのぶが知らない人と二人っきりだし・・・なんて理由で黙っている筈も無く、二人は道中様々な話をした。
最初は義勇の自己紹介。名字が義勇である事と、年がしのぶより三つ上の12である事。3か月前家に一人でいた時に攫われた事や、家族が姉一人だけだという事。それから、元々蝶の国から程近い集落に住んでいて、しのぶの姿を遠巻きに見た事がある事を、義勇はしのぶに話した。
「お姉ちゃん、心配だね・・・。蝶の国から近いなら、帰り道で会えるかな?」
「うーん・・・それは難しいんじゃないかな。あいつらだって馬鹿じゃないから、たかだか3か月前に誘拐事件を起こした現場に、そうそうすぐは近付かないと思う」
「そっかあ・・・」
義勇は暫く姉に会えない。それどころか無事の確認すらすぐには出来ない。その事にしのぶは自分の事のように落ち込んだ。その優しさを嬉しく思い、義勇が礼を言って微笑みかける。その破壊力たるや、落ち込んでいた気分がぶっ飛び恥ずかしさで見られなくなる程だ。しのぶも美人——現段階では可愛い――の部類だが、それとほぼ同等に美しかった。
閑話休題。他にも他愛のない話をしながら、二人は幼い子供の足にしては順調に山道を下っていた。だが日が傾き始めた頃、ハイキングにも近いその楽しい時間が緩やかに終わりを告げる。
その事にしのぶが気付いたのは、空がオレンジに染まるより少し早い頃だった。義勇の様子に違和感を感じたのだ。口数の極端な現象と不自然なほど流れ出す汗、より幼く体力のないしのぶがそうでないのに、異様に荒れている呼吸。具合が悪いのは明白だった。
「義勇くん」
言いながら繋いだままの手を引く。止まれ、という合図だ。弱い幼女の力にそれより上背のある少年の身体がぐらつき、しかし踏ん張って倒れる事はせずに立ち止まった。ゆらりと下方に向けられた視線は焦点が合っていない。白くて綺麗な肌も真っ赤に染まっていた。
「具合悪いでしょ」
無言のまま義勇がゆるゆると首を振る。勿論嘘だという事は直ぐに分かったので、しのぶは辺りを軽く見まわしてから問答無用で義勇の手を引っ張った。またカクンと上半身をぐらつかせてから、義勇は大人しく付いて来る。
しのぶが彼を連れてきたのは、崖下に見つけた小さな洞穴だった。雨風が凌げる上、もしも奴らが追って来ても隠れられるように、という判断からだ。とはいえ病人を休めさせる場所ではない事くらい重々理解していたが、贅沢が言える状況ではない。
「座って」
しのぶの言葉に義勇は大人しく従う。腰を落ち着けた途端症状の自覚が強まったらしく、壁に凭れさせるのすら上手く出来ずにずるずると座り込んだ。
「は、う・・・」
「だ、だいじょうぶ?少し、おやすみしよ?」
しのぶの提案に、義勇は再び頭を振った。心なしか先程よりも否定――今回の場合は拒否か――の意思が強く見えた。休んでいる暇など無いと言いたいのかと考え、しのぶが説得の為に口を開きかける。それよりも先に義勇が言葉を発した。
「あいつら、来ちゃうよ。僕のことは置いて、先に行って・・・」
義勇の考えはしのぶとは異なっていた。最後まで一緒に城へ行くつもりだったしのぶと違い、義勇は自分の異変を察知した時点で自分を勘定に入れるのを止めたのだろう。当然、そんなものをしのぶが認める筈が無い。運命の王子様云々ではなく、一国の王女として民を見捨てたくはないのだ。
「ダメ!義勇くんもお姉ちゃんのとこ帰るの!」
しのぶは義勇の言葉をバッサリと切り捨て、回復魔法を唱えた。手のひらから発された光が義勇を照らすと、当たった部分の傷が僅かに癒えた。何回もは使えないので義勇に悪いと思いつつも温存していたが、その分たっぷりと魔力を込め、義勇に活力を与えるよう尽くした。
しのぶが魔力を使い果たす頃には、義勇の目に見える傷は殆ど癒えていた。だが不調までは癒し切る事が出来なかったようで、義勇は尚も高熱に喘いでいる。洞穴の壁に凭れたまま、動く事も出来ないようだ。
「お水と食べられるものもってくるから、ここ動かないでね!」
体力の回復には食事と水分が不可欠だ。その事を重々理解しているしのぶはそう言うやいなや、義勇をその場に置いて洞穴を飛び出していった。最早動く気力どころか返答の余力すらない義勇は、それをただ視線だけで見送った。
一方、しのぶは一人先程までの道を引き返し、川の傍まで戻ってきていた。比較的上流なだけもあり、あたる可能性はあっても綺麗に見える水を、しのぶは両手でひと掬いする。そしてすぐさま、義勇のいる洞穴へと引き返した。水は指の隙間を簡単に通り抜けていく。時間との闘いである。
汲んだ水が四分の一の量を下回る前に、しのぶは義勇の元へ戻って来た。義勇は変わらずそこに座っていたが、自覚が強まった分悪化の一途を辿っているようで、目を瞑り荒い呼吸を繰り返していた。少々申し訳なく思いつつもしのぶが唇に指先を突っ込むと、案外直ぐ意図を理解した義勇は大人しく口を薄く開け、手のひらから零れる水を受け入れた。
こくん、と小さく喉が動いたのを確認してから、しのぶは再度洞穴を飛び出す。川へ行っては水を汲んで戻り、義勇に飲ませてまた汲みに行く、という流れを4、5回程繰り返してから、しのぶはもう一度川へと向かい水を一口飲んで、別の場所へと向かった。
水が済んだから今度は食料、と知らない山の中をずんずんと進んで探す事1時間と少し。しのぶ達が下っていたのとは違う山道の傍に発見できたのはアサマブドウであった。まだ誰も手を付けていないらしいそれはありがたい事に豊作で、しのぶは身に着けていたドレスを袋の代わりにして出来る限り摘み取った。
義勇の元へ帰還する頃には、既に日が沈み始めていた。辺りを見回すも奴らや野生動物の気配はなく、しのぶは安堵しつつ洞穴に入る。しのぶが不在の間義勇は寝ていたようだが、しのぶが戻った音に反応して薄く目を開いた。
「おはよ、義勇くん。果物とってきたよ。食べられる?」
義勇はゆっくりとしのぶの方に視線を向け、緩やかに頷いた。
ちょっとごめんなさい、今日はこの辺で!
次回は多分明後日!気が向いたら明日!
明後日は絶対やります!
ちょっともう眠いんで!寝坊したくないんで!
では失礼致しますm(__)m
しのぶの懸命の看病も空しく、病状は悪化する一方だった。
出会った時はピンと立っていた耳も、今は元気なくぺたりと垂れ下がっている。
それでも義勇が小さく口を開けたので、しのぶはその中にアサマブドウを放り込んでやった。
義勇はゆっくりとした動きでそれを噛み砕き、こくんと飲み込む。
すると少し気力が戻ったのか、耳が少し持ち上がった。
「・・・美味しい」
「そう?良かった。でも、無理しておへんじしなくていいよ」
「・・・ありがとう」
しのぶの人生では初めての侘しい食事を終え、しのぶは眠気に目を擦りつつも、義勇を寝かしつけようとした。
人攫いが来るかもしれないので、見張りをしようとしたのだ。
しかし、それを義勇が制止した。
「やつらは、夜目がきかない・・・。洞くつの中までは、見ない、から・・・いっしょに、ねよう」
くいくい、と義勇がしのぶを手招きする。
しのぶは一瞬迷ったが、義勇が言うのであれば間違いないと思い、大人しく義勇に寄り添って、華奢な身体を抱きしめた。
義勇は痩せている筈だが、それでも腕が届いていないので、改めて男の子なんだなあと思ってとくんと胸が高鳴る。
それに加えて、冷えるだろうからと思った義勇が碌に力の入らない腕で肩を抱きしめて来たので、しのぶは更にときめいた。
こういう事がナチュラルに出来る彼は、正しく王子様だと感動すら覚えた。
「寒く、ない・・・?」
「大丈夫。今の義勇くん、あったかいから」
「良かっ、た・・・」
元より限界が近かったのだろう、しのぶの返事に安堵した事によって、漸く義勇は眠りにつく。
その少し苦し気な寝顔を見て、しのぶは明日こそ家に帰り着くんだと固く決心した。