あくる日の朝。セラは狭い床に敷いた毛布から体を起こした。調子が良くなってきたのを理由にベッドを返そうとする青年を納得させる為に、ほんの数日前に調達して来た物だ。最近はこれに寝転んで夜を明かすようにしている。ベッドには負けるが、机よりは寝心地も快適だ。
それはさておき、セラは軽く背伸びをしつつ時間を確認する為外を見た。既に日は出ているようだが、まだ暗い。変な時間に起きたものだと思いつつ、立ち上がって隣のベッドを覗き込んだ。
「今日はダメそうね・・・」
そこに横たわる青年の寝顔を見て、セラが小声で呟く。この間程ではないが青年は具合を崩している様子で、顔ごと紅潮した眉間に皺が寄っている。赤い頬に手をあてると、やはり熱い。
セラは一旦部屋から出て、桶一杯に水を入れて戻ってきた。研究机の上に桶を置き、毛布を片してそこに机の相棒である椅子を持ってきてベッド傍につける。
「”氷礫”」
セラが小声で初級の氷魔法を唱えると、桶の中に霰くらいの大きさの氷が降り注いだ。ここヘイトリッドは温暖湿潤気候。夏がもうじき迫る今は蒸し暑くなりつつあり、氷は輸入か魔法でしか手に入らない。冬ならば買って来て済ませたものを、とセラは内心舌打ちしながら、吸水性のある布をその中に浸した。
布はあっという間にキンキンの水を吸い取って冷たくなる。セラはすぐに取り出して強めに水気を絞り、冷えた布で青年の顔を拭いた。先述の通り夏が近い為、熱のある青年は酷い汗をかいてもいた。別の病気になられても困るので、露出している部分——手足と顔——はしっかりと拭いてやる。
ある程度拭き終わると、汗を吸って温くなった布を再度氷水に浸して絞り、それを青年の頭の上に置いた。先程まで寝苦しそうに歪んでいた青年の顔も、大分マシになったのか和らいでいる。その事に安堵しつつ、セラは氷水に入れていて冷えた自分の手を青年の頬に再度当てた。
一見殆ど快復したように見える青年は、実の所日によってかなり体調にブレがあった。調子がいい時は先述の通り四半日動き回るし、ご飯だってセラと同じ物を食べる。だが一度こうなってしまうとベッドから真面に動けないし、ご飯も流動食以外は吐き戻したり食べられなかったりするのだ。
どうもこれは精神面の不調で起きている事のようだった。具合の良い日の前夜はすっきり眠れている様子なのに、悪くなる日の前は一晩中魘されている事も珍しくない。ずっと何か良くない夢を見ているようで、一人で泣いている姿をセラはここ数日で何度も見掛けていた。泣けば泣く程比例して具合も悪くなる。
酷い時は朝平気そうだったのに、昼間うとうとした結果夕方になって具合を崩し昼飯を吐き出す、なんて事もあった。突然の事にセラは勿論驚いたし、彼の方も上手く受け止めきれなかったようで、吐いた事に泣いて謝り続けるというどちらも悪くないカオスが展開されていた。本当に油断ならない。
同衾を提案した時には恥ずかしがり断固拒否した彼に、同室で寝る事だけは許容させた理由はこれだった。お陰様で半引き籠り生活でも全然退屈しない。人が具合悪くしている所を見て楽しむ趣味の無いセラはちっとも嬉しくない。面倒を見るのは苦でもないが、早く治して欲しい。
(まあ、そんな事言ったら余計に治らなくなりそうだから、言わないけど)
ひんやりと冷えた手が心地いいのか、青年が眠ったまま頬ずりする。さっき拭いたばかりなのにもう汗が溢れてきていて、頬に添えた手にその一粒が垂れ落ちようとしていた。氷枕にしてやった方がいいかと思い立ち、セラは頬から手を放して席を立つ。
「かあさま・・・」
それを止めたのは、青年の細い喉から発せられた、余りにも弱々しい声だった。何かを請うようなそれに、セラは思わず立ち止まる。そして小さく溜息をつき、元のように椅子に座った。布を一度額から外し、早くも温くなったそれをまた水に浸して、頬を拭う。少し冷たく感じたのか、眠りから覚めつつあった青年がゆるりと眼を開けた。
「ん・・・。セラ、さん・・・?」
「!ごめんなさい、起こしてしまって」
「いえ・・・。怖い夢、見てたので。起こしてくれてよかったです」
その言葉は100%嘘ではないのだろうが、青年の気遣いから出てきたものだ。そうすぐにわかる程には、セラも青年の事が分かってきた。分かってきたので、ここは素直にお礼を言っておく。
「気分はどう?」
「ん・・・さっきよりは、マシ・・・って感じです・・・」
肝心の具合はあまりよくないらしい。朝からこれでは夜が心配だ。今のうちにしっかり寝させておくべきかも知れないと考え、セラは部屋から出るべく席を立つ。が、今度はそれを青年の手が止めた。立ち去ろうとする彼女の袖を、細くしかし男性らしい指が掴んでいた。
「どうかした?」
「えっ?あ・・・いや」
どうやら青年にとっても、それは無意識の行動だったようだ。頬を染めながら手を放し、そろそろと布団の中に引っ込める。ただ行動の理由自体には心当たりがあるようで、もごもごと口の中で言葉を転がし始めた。セラは再度椅子に座り、その続きを大人しく待つ。
「あの、目・・・冴えちゃって。それに、まだ眠るの、怖くて・・・。だから、あの、その・・・」
言っている内に、まるでセラに甘えているようで段々恥ずかしくなったらしい。赤く染まった顔を隠すように、布団の中へ頭の天辺まで潜り込んでいく。セラはくすりと微笑んでから、口を開いた。
「いいわ。少しお話しましょう。あなたが眠くなるまで」
セラが青年の意図を汲んでそう提案すると、青年はそろりと布団から顔を出した。表情が露骨に安堵を含んでいて、本当に分かりやすい。言わないが。セラの言葉に了承の意を示すその行為の後、青年はおずおずとセラに尋ねた。
「・・・どうして、貴方はボクに優しくして下さるんですか?」
今日は一旦ここまで!
明日はやるかもしれないし、やらないかもしれない(