ある日差しが心地よい日の昼過ぎ。この地——ハルルに住む少女エステルは、自室の窓を全開にし、町の風景を眺めていた。街の象徴であり守り神でもあるかの大樹が、今日も美しく花を咲かせている。花の香りの混じった風を受けて、エステルはほう、と息をついた。
「さて、始めますか」
芳香を浴びて十二分にリラックスしてから、エステルは机に向かった。いつも通り絵本の制作をする――かと思いきや、彼女が取り出したのは原稿ではなく日記帳。絵本の締め切りは昨日で、彼女はもう既に原稿を提出している。今日は久々のお休みなのだ。
エステルは一日の出来事を毎日日記帳に書き込んでいた。少し古びた日記帳は、彼女が旅の頃から世話になっていた代物。中には備忘録の如く単語や文章が綺麗な字で書かれていて、彼女の几帳面さを端的に表していた。旅の事が事細かに書いてあるそれを時たま読み返すと、そんな事もあったかと自分も楽しくなってしまう程だ。
今日もページをぱらぱらとめくりながら、途中何となく気になった所をさらりと読み返して、ひとしきり思い出し笑いをしつつ捲る手を進める。その動きがぴたりと止んだのは、先程までの綺麗で小さなそれでなく、少し雑で大きな字が現れた時だった。もう何回も見ている事で別に特段驚きもしないが、エステルはいつもここで手を止めてしまう。
そこは旅の一時的な期間——彼女がアレクセイの元にいた間、ユーリが書いていた部分だった。内容も事細かに書いていた彼女と違い、一言から数行程度しかないが、仲間の——特にリタの事が書いてある。親友の事が一番気になる筈だ、と考えてやったのだろうと笑顔で言ってきたのはジュディスだったか。
エステルは彼のガサツで、それでいて優しい所がインクを通して滲み出たようなこの部分が好きだった。だから最初から読み直す時、いつもここで時間を喰ってしまう。絵本を書いている間は見るのを避けていたから、その嬉しさに浸っていたい気持ちは一入だ。ただ休日とはいえエステルにもやる事があるので、後ろ髪を引かれつつもページを捲るのを再開する。途中インクを零したようなページがあったが、恐らくユーリが汚したのだろうそれも見慣れていたのでスルーした。
「えっと、まずは今日の朝の事から・・・」
途中で漸く空白のページを発見し、エステルはペンを取った。今日の出来事——ユーリが作ってくれたご飯が美味しかった事、ハルルの風が心地よかった事、日記の中のユーリに触れて幸福な気持ちになった事——そんな取るに足りない事をスラスラ書き記していく。筆の速い彼女はあっという間に今日の事を書き終えて、満足そうに身体を伸ばした。
次の瞬間、開け放したままにしていた窓から、さあっと風が入り込んできた。花弁を乗せたそれは思いの外強く、エステルは思わず髪を抑えた。パラパラと日記帳が勝手に捲れていく。エステルがその事に気付いたのは、ひとしきり風が吹いてそれが止んだ後だった。ページが千切れていやしまいかと心配になって覗き込んだエステルは、直後に大きく溜息をついた。
エステルがこんな反応をしたのは、ページが破れたからでも、逆に無事だったからでもなかった。いや結論から言えば日記帳は全然無事なのだが、エステルが溜息をついた原因はそれではなかった。風によって開かれた日記帳の一番最後のページ、そこに書いてある物を見たからだ。
字や体裁が綺麗な他のページと打って変わって、そのページはインクで書いたり消したりした跡が非常に目立っていた。さっきあったインク汚れと違い、自分でやったものだ。そうわかっているから余計にげんなりしてしまう。何でこんなぐちゃぐちゃになっているか、自分だけが知っている。だからずっと、出来るだけ見ないようにしてきたと言うのに。
「ううう、恥ずかしい・・・。ん?」
ふと、エステルは下の方に消し忘れの文字があることに気付いた。途端、気落ちした顔が一層青ざめ、慌ててペンを取り出しインクを付けた。——もうじき彼が帰ってきてしまう。これを見られたら終わり――。
「エステル~、夕食の食材買っt」
「はうぁあああああああっ!?」
いきなり聞こえて来た声にエステルは変な悲鳴を上げ、日記帳をバアン、と勢い良く閉じた。その光景をばっちりしっかり見ていた黒衣の青年が、ぱちぱちと目を瞬かせる。大事な日記帳じゃないのかよ、という至極真っ当な突っ込みは一旦しない事にした。それよりも面白く、弄りがいがあるものが目の前に転がっているのだから。
「なんだなんだ、大騒ぎして。帰ってきちゃダメだったのか?」
「ゆ、ユーリ・・・!い、いえけけ決してそんな事ははは」
「動揺しすぎだ、何言ってるのかわかんねえぞ」
敢えて何にも気付いてませんよという態度で聞いてみれば、エステルは日記帳を抑えたまま面白い暗い震えて、全然誤魔化す気のない態度で返答してくる。足元にいるラピードはエステルを怪しむような目で見て、それから己の息子たちの方へと行ってしまった。どうやって弄ろうかウッキウキで考えている主から、その婚約者を助けてくれるつもりは無いらしい。
「え、えと、何でもないですよ、何でも・・・」
「ん?日記帳?なんだ、オレの書いてたとこでも見てたのか?」
エステルは懸命に取り繕うも、ユーリを誤魔化し切る事などできた試しがない。一方のユーリはエステルが懸命に隠そうとしているのが日記帳だと気付くと、少しだけ声色を低く変えてエステルに詰め寄った。その事にエステルが軽く困惑した隙をついて、日記帳を手の下から引き抜く。
「か、返してください~!」
「おっと、そうまでして隠したい事でもあんのか?浮気とかか?」
「違います~!」
ぴょんぴょんと跳ねながら必死で取り返そうとしてくるエステルの腕を、ユーリは日記帳を高く掲げて躱す。インク汚れのページを一度開いて、それを一通り確認してから、ユーリは小さく息をついた。取り返すのに必死なエステルがそれに気付く間もなく、ユーリは他のページを捲り始める。
エステルが隠したい物の答えにはすぐ行きついた。もう一つのインク汚れのページは一番最後。開いたままの状態で表紙を天井に向ければ、間にある紙は重力によって全て下へ垂れ下がる格好になってしまう。その為、そのページはユーリがエステルを躱そうとする内に自然と開いていた。その事に気付いたエステルがあ、と呟いたのをユーリが見逃す筈も無く、ここかとそのページを見上げる。その内容にユーリは一瞬ぽかんとして、それから、小さく笑った。
「はは、冗談。こんなこと日記帳に書く奴が浮気なんてしてたらたまったもんじゃねえからな」
ユーリはいつも通りの意地悪な笑みを浮かべ、そのページの端っこにある文字——先程エステルが消し損ねたそれを指差した。旅の間か、それともその後かに、何度も何度も書いては消してきた――「大好き」の三文字。とうとうばれてしまった、とエステルは顔を紅潮させて口をぱくぱくし、やがて諦めた様子で白状した。
「正直に言うのが恥ずかしくて・・・お世話になった日記帳なら勇気を貰えるかもって・・・それで」
「へえ・・・」
納得したような、それでいて興味の無さそうな返事にエステルは委縮した。勿論後者の要素は微塵も抱いていないユーリにとってその態度は自制の為のものだったのだが、怯えた小動物のような彼女の様子に耐え切れず半ば衝動的に壁の方に押し、両腕の檻に閉じ込めた。エステルが状況を把握するより早く、ユーリはその唇を奪う。
「?!」
この時のエステルの動揺が凄まじかったのは想像に難くないだろう。体感にして十数秒程唇を重ねた後、ユーリが唇を離すと、エステルはずるずるとその場に座り込んだ。涙目で、殊更顔を赤くしたエステルは睨むようにユーリを見上げる。
「・・・ったく。久々の休みだから加減してやろうと必死だってのに」
ユーリは目線を合わせるようにしゃがんだ。エステルは相変わらず睨んでいたが、ふと、ユーリから余裕の気が消えた事に気付いた。代わりに紫苑に滲む野生の色。大人の理性を掻き消す獣の衝動。——狼の瞳。
「あんま可愛い事してると寝かせねえぞ」
ユーリの言葉の意味が解らないほど、エステルは子供ではなかった。じ、と紫がかった黒真珠に見下ろされる。そこにいる自分を渇望する獣の姿が嬉しくて、でもやはり少し怖くて、目を逸らした。本当はじっと見返してやりたいけれども、そうするにはエステルはまだまだ初心で。
「お、お手柔らかにお願いします・・・」
何とか絞り出せたのはその一言だった。それを聞いたユーリはふっと嬉しそうに笑い、一先ず夕飯食うか、と言いながら日記帳と食材を片し始めた。その端正な横顔には、先程までのと同じ余裕の笑みが浮かんでいた。
とりま一個目終了でっす!
一旦シブに上げてきますので失礼します!
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TOV妄想
初公開日: 2024年06月09日
最終更新日: 2024年06月09日
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コメント
〇今日あげる予定の奴
・テイルズオブ学園
ジャンル一緒なのでこの二つ手直ししていきます。
ごめんなさいやろうって思い付いたのさっきなんで一個目途中からです(
アンジュリDom/Subバース③
結局全然出来てないアフター第二弾!開始がだいぶ遅くなったので、日付変わる手前までは出来たらいいな。
ゆっくりゆきねこ
アンジュリDom/Subバース②
女攻めオンリーアフター第一弾!本日は予告通りアンジュリDom/Subユニバースを書きます!
ゆっくりゆきねこ