――大人なんて嫌いだ。紅茶と茶菓子の臭いが充満する城のテラスで、少女は内心独り言ちた。冷めた気持ちで、それらを持ち込んだ男達の話をぼんやりと聞き流す。
「しのぶ様。こちら、うちの倅です。風の魔術が得意でして・・・」
「こちらは息子です。雷の術が使えますよ」
「倅は弓も出来るんですよ」
「息子は馬を」
眼前で始まった下らないにも程がある自慢合戦を眺め、少女は小さく深い溜息をついた。物憂げなその表情に彼等の息子達は見惚れ、火花を散らし合っている。物語なら、自分を巡って二人の男性が争う、というときめく場面なのだろう。だが少女には彼等の睨み合いもどうでもいい事でしかなかった。
魔法が使える?弓や馬が上手?だから何だと言うのだ。それを極めるのは、「この国の姫君」を手に入れたいからに過ぎない癖に。その自慢の息子達は、権力を笠に着て威張るだけの無能ではないか。血筋がいいという理由だけで何でも手に入れられると勘違いしている、木偶の坊に過ぎないではないか。
少女は権力を嫌っている訳ではない。それが時に人を守れる事を知っているからだ。しかし――否だからこそ、権力を私欲の為に使おうとする者が嫌いだった。己を「姫」として――権力を得る為の道具としてしか見ない彼らの目が、嫌いだった。
(あんなのとケッコンするなんて、ごめんだわ)
気分が悪くなったと嘘をつき、テラスを退出した少女が真っ先に向かうは、殆ど毎日のように通っている書庫。そこで、何度も読み返している一番大好きな物語のページを捲る。見開きで描かれていた、物語の姫君に手を差し伸べる青年。その姿に、少女は幾度憧憬の眼差しを向けた事か。
見かけはそんなに強そうじゃないけれど、——実際ちょっぴり弱っちいけれども、誰にも言えない悩みを抱えて苦しんでいた姫君を、その底抜けの優しさで救い出した王子様。きっと、ああいう人達には――権力者の風上にも置けない、自分の事しか頭にないような者にはできない。
(いいなあ)
添い遂げるなら、優れた能力なんて無くてもいいから、彼のように「自分」を真っ直ぐ見つめてくれる、心の綺麗な優しい人がいい。無理と分かって、諦めて、それでも捨てきれない夢。幼くして己の出生に一種の諦念を覚えつつ、少女は本を閉じた。
[chapter:子猫の王子様]
――失敗した。この事態に陥って、しのぶの脳裏に浮かんだ最初の台詞がそれだった。ガタガタと激しく揺れるボロい馬車の中、振動で身体をぶつける度、そのストレスと紛れ込んだ恐怖とを紛らわそうと、何度もその言葉を内心で呟いていた。
しのぶは、ここ蝶の国の二番目のプリンセスである。齢9になったばかりの勝気でお転婆な女の子だが、父譲りの聡明さと母譲りの美貌で国の人々から愛され、大切にされる存在。——その彼女は今、柔肌に荒い縄を巻きつけられ、動物を運んだらしい異臭のする馬車に放り込まれ、物凄く雑に拉致されていた。
蝶の国は治安がとても良い。戦争のせの字も数百年聞かないくらいだ。だがよからぬ事を企む輩はごまんといる。お姫様のお散歩だろうが警戒を厳重にして損をする事はない。今回もそうだった。それなのにこうなってしまったのは兵士達の怠慢とも言えるし、彼女がはしゃぎ過ぎたとも言えた。
少なくとも彼女自身はそう捉えている。最近巷で流行り出した氷菓子に夢中になって、一人で駆け出してしまったのだ。たかだか齢9の少女に置き去りにされる兵士も問題だが、彼女は足がかなり速かった。鎖帷子とはいえ装備を着込む彼等が直ぐに追いつけなかったのは想像に難くない。そうして彼等が離れた数瞬の間に、彼女は攫われてしまったのだった。
自分がこれからどうなるのか。幼さに見合わず聡明なしのぶは、それを漠然とではあるが理解していた。恐らく、王家を脅す材料として使われるのだろう。依頼主はどこかの貴族か、それとも――。
ガタン、と馬車が一際激しく揺れた。その拍子にしのぶの軽い身体は跳ね、床に思いきり尻をぶつける。痛むそこを自由な左手で摩っている内に、しのぶは馬車が止まっている事に気付いた。どうやら目的地に着いたらしい。しのぶは摩るのを止め、外の様子を窺おうと馬車の壁に耳を当てた。
しのぶは馬車の壁に耳を付けて何とかそれを聞こうとしたが、防音が為されているせいか聞き取れなかった。
かと思えば、誰かの足音がこちらに近づいてくるのが聞こえてきて、しのぶは慌てて壁から耳を離す。
直後、馬車の扉が開け放たれた。
そこからこちらを覗き込んできた一人の男が気味の悪い笑みを浮かべているので、しのぶは本能的な恐怖を感じ身体を震わせる。
しかもその男はしのぶに向かって手を伸ばしてきたので、しのぶは震える身体を抱きしめて縮こまった。
けれども、最終的に男の手がしのぶに触れる事は無かった。
その事に気付いたしのぶが恐る恐る目を開けると、視界に映ったのは手を途中で止めたまま後ろを向くその男と、男の視線の先に立つ少年の姿だった。
少年はしのぶより年上のようだが、身なりは(ボサボサの長い黒髪も相まって)非常に貧相で、薄汚れたボロボロの服を纏っていた。
身体は死にそうという程ではないが痩せていて、そこら中に痕になっているものと治りきっていないものの両方の傷が散見される。
また、その首には首輪とそれに繋がれた鎖がついていた。
平和で国民を大切にしているこの国に、そんな”明らかにまともな生活をしていない人間”がいた事に、しのぶは驚愕する。
それと同じ位しのぶの気を引いたのは、彼の頭と尻に着いている物である。
頭上にピンと立った黒いそれと、少しも揺れる事の無い同色の長いそれは、どう見ても猫の耳と尾だった。
それはまさしく、人口の3割程を占めるとされている獣人の姿であった。
強弱に差はあれど誰でも魔法が使えるこの世界で、魔法が使えない唯一の人種。
一口に獣人と言っても様々な姿があるが、彼は猫の獣人らしい。
男は少年の姿を見た途端しのぶへの興味を失ったのか、伸ばしかけていた手を引っ込めて身体ごと少年の方を向いた。
その時一瞬見えた顔がしのぶを見ていた時より気持ち悪かったので、しのぶの背筋が凍る。
刹那、少年の耳がぴくりと動いて、長い前髪の下にある瞳がしのぶの方を見た。
蒼くて澄んでて、綺麗な瞳だなとしのぶは思った。
男は少年の視線が動いたのに気付いていない。
少年が口をぱくぱくと動かして、「大丈夫」としのぶに伝えていた事にも。
馬車の扉が閉まって、再び狭くて暗い空間の中に閉じ込められる。
しのぶは少年を心配し、再び壁に耳をつけて外の様子を窺おうとしたが、防音の施された馬車の中は外の世界と完全に隔離されていて、終ぞ何も知る事は出来なかった。
その内に、しのぶは子供としての本能に逆らえず眠りについた。
ふわりと風の吹く気配がして、しのぶは再び目を開けた。
どうやら明朝であるらしい、辺りは薄らと明るくなっている。
どのくらい寝ていたのだろう。
「起きて。逃げるよ」
変声期を迎えたばかりの少年の、それでもまだ幼い声が聞こえてきて、しのぶの意識は完全に覚醒する。
それでようやっと、馬車の扉が開け放たれていて、あの少年がそこからこちらを見ている事に気付いた。
また傷を増やしていた少年の首には首輪がついたままだったが、鎖は途中までしか付いていない。
しのぶがそれについて聞くよりも先に、少年はしのぶの腕の縄を引き千切って外してやった。
獣人は怪力らしいと聞いていたが、どうやら本当だったようだ。
「クサリ、どうしたの?」
「バレないように削ってたんだ。もうちょっとで壊せそうだったから急いで外したけど、間に合って良かった」
「見はりは?」
「皆ねてる。”ああ”なったら昼まで起きないから、大丈夫」
しのぶは恐る恐る、馬車の外を覗き込んだ。
少年の言う通り、人攫い達は皆ぐっすりと寝こけていて、簡単には起きそうにない。
「ね、大丈夫でしょ」
「うん」
「じゃあ、行こう。君のお家まで送るよ」
少年はそう言って、しのぶに手を差し出した。
とても優しく、柔らかい微笑みを浮かべて。
その時しのぶは直感した。
ああ、この人だ。
いつしか絵本で読んだ、私の運命の王子様。
可愛らしい猫耳と尻尾、華奢な身体にお世辞にも身綺麗とは言えない風貌と、物語の中の王子様像とは随分離れているけれど、絶対間違いない。
だって、傷だらけで痩せて弱っている筈の彼が、こんなにも力強くて頼もしい。
「・・・うん」
頬にぽおっと熱が灯るのを感じながら、しのぶは彼の手に自分のそれを置いた。
少年のかさついて、少しごつごつした手が、壊れ物を扱うように優しく、しのぶの手を握る。
「ねえ、あなた、お名前は?」
「義勇。君は、胡蝶しのぶ様、だよね。お姫様の」
「しのぶ」
「え?」
「しのぶって呼んでくれないと、やだ」
普段あまり我儘をいう事がないしのぶだが、この我儘だけはどうしても聞いて欲しかった。
運命の王子様に、「様」付けなんてされたくないー対等に接して欲しい。
あの大人達と、一緒になって欲しくない。
「わかった。しのぶ」
「うん!」
義勇は躊躇うでも戸惑うでもなく、直ぐにしのぶの名前を読んだ。
しのぶはその嬉しさから、彼の手を少し強く、きゅっと握り返した。
二人ぼっちで、朝焼けの中を歩く。
これは、獣人奴隷とお姫様の、身分と種族の垣根を超えた恋のお話。
[newpage]
守られるだけなのは好きじゃないー自分の立場と無力を実感させられるから。
「剣は野蛮なものですから、しのぶ様には似合いませんよ」
「毒を使うなんて危ないですよ。そんなものは薬師に任せておけば良いのです」
周りにそう言われて、興味を持った物を取り上げられる度に、少女は内心で叫んだ。
似合わないとはなんだ。
薬師に任せておけばいいとはなんだ。
自分や他の誰かを守る為の努力を、どうして否定されなければならない!
(なによ、私には何にもできないみたいに言って!私だって、魔法の練習とかしてるんだから!)
折角王族が代々持つ治癒術だって、使う機会に恵まれた試しがない。
「お姫様」は所詮、国を飾る為の何にも出来ない人形に過ぎないんだ。
「そんな事ないよ」
少女の隣を歩く少年が、そう言って笑った。
「君がそう望むなら、何だってできるよ」
その笑顔に、少女の心はどうしようもない程に惹かれていた。
[chapter:熱を出した王子様]
人攫いの元からの脱走に成功したしのぶは、その手引きをした義勇と色々な話をした。
名前は冨岡義勇だという事。
3つ年上の12才だという事。
3か月前に人攫いに攫われた事。
姉がいる事、等。
「私もお姉ちゃんいるよ!」
「知ってる。胡蝶カナエ様、でしょ。妹のカナヲ様もいるよね」
「うん!義勇くんのお姉ちゃん、なんてお名前?」
「僕の姉さんはね、蔦子っていうんだよ」
「いい名前!ねえねえ、他の家族は?」
「いないよ。みんな病気で死んじゃった」
「あっ・・・ご、ごめんなさい・・・」
「気にしないで」
それからも暫く歩みを進めて、二人はどうにか山の中腹辺りまで辿り着いた。
が、その頃になると義勇の様子に変化が現れた。
元よりあまり喋る方ではなかったようだが、先程よりも口数がぐっと減り、依然として話し続けるしのぶへの反応も鈍くなっている。
握った手も熱いし、足元が覚束ない。
様子がおかしいのは明らかだ。
「大丈夫?具合悪いの?」
「・・・」
義勇は言葉では応答せず、ゆるゆると首を振る。
その行為は本人が示したかったであろう否定の意味ではなく、肯定を示していた。
しのぶは繋いだ手をそのままに歩みを続けつつ、辺りに休める所が無いか探す。
幸いにも洞窟を見つけられたので、しのぶはさっきとは逆に義勇の手を引いてそこに連れて行き、彼を休ませようとした。
しかし、義勇はそれを首を振って拒否する。
「あいつら、来ちゃうよ。僕のことは置いて、先に行って・・・」
「ダメ!義勇くんもお姉ちゃんのとこ帰るの!」
熱に浮かされつつも自分の身を案じる義勇の言葉を、しのぶはきっぱりと断った。
そして全身の傷の様子を見て、習得している数少ない魔法の一つである回復魔法を唱える。
それはテイルズで言うならファーストエイド、ドラクエで言うならホイミくらいの効力しかない微力な物であったが、元より軽傷が多かっただけの義勇の傷はあっという間に癒えていった。
けれども、既についていた傷跡や病気までは治せず、義勇は尚も高熱に喘ぐ。
「お水と食べられるものもってくるから、ここ動かないでね!」
言うやいなや、しのぶは義勇を洞窟に置いて、先程までいた場所に戻ってきた。
しのぶは本で得た知識に従い、川沿いを下って町を目指していたのだ。
水を汲める物がないので、しのぶは両の手を器状にして水を汲み、義勇の元へ引き返した。
義勇はしのぶの言いつけ通りそこに座っていたが、目を瞑って荒い呼吸を繰り返しているのを見るに、動こうと思っても動けなかったの方が正しいだろう。
しのぶが義勇に口を開けるように言うと、意識はあるらしく義勇は目を閉じたまま口を小さく開けた。
しのぶはそこに両の中指を浅く差し込んで、手のひらの中の水を流し込む。
こくん、と小さく喉が動いたのを確認して、しのぶは再度水を汲んできては同じように飲ませた。
まるで、親から施しを受ける雛鳥のようだ、としのぶは思う。
3度目に水を飲ませた時、義勇がようやく目を開け、申し訳なさそうに、且つ少し怯えた様な目でしのぶを見た。
それで何かを察したしのぶは、言葉をかけつつその頭を撫でてやった。
「メーワクとかザンネンとか、思わないよ。今こうなってるのは、わたしを守ってくれたからでしょ?」
水で冷えた手が火照った身体に心地良いらしく、義勇は尻尾をゆるく揺らして目を細める。
胡蝶しのぶは、王族にしては珍しく守られるだけでいるのは嫌な人間だ。
この猫耳王子に対してはその優しさ・力強さから惚れこんだ訳だが、何事に対しても対等でありたいしのぶは、寧ろ彼が弱っている時に助けられるのが嬉しいのである(弱っているのが喜ばしい訳ではない)。
それに彼は、己が弱っているという状況にあってもしのぶを優先しようとした。
こんな所で死んだら、王族の恩恵など受けられないというのに。
これのどこに、しのぶが幻滅する要因があると言えるのか。
義勇の水分補給は十分だと考えたしのぶは、もう一度川に戻って自分も水を飲んだ。
そして、あまり遠くへ行かないように気を付けつつ、周囲に食べられる木の実でも無いかと探す。
正直自分も空腹が限界値を超えそうだったが、酷く痩せていた義勇を思えば、不自由のない暮らしをしていた己の空腹など気にもならなかった。
そうして探す事1時間強、ようやっと発見できたのは少し来た道を戻った場所に生えていたブルーベリーに似た果実ークロマメノキの実・アサマブドウーであった。
火をつける技術さえあれば執念で魚でも捕ったものを、としのぶは悔しく思う。
といっても、病人の義勇に魚を食わせるのは難しいだろうかと思い直し、取り合えず持てるだけの果実を手に義勇の元へ引き返した。
その頃には既に日が暮れかけていて、辺りは暗くなろうとしていた。
「義勇くん、果物とってきたよ。食べられる?」
義勇はやはり、首の動きだけで応答した。
しのぶの懸命の看病も空しく、病状は悪化する一方だった。
出会った時はピンと立っていた耳も、今は元気なくぺたりと垂れ下がっている。
それでも義勇が小さく口を開けたので、しのぶはその中にアサマブドウを放り込んでやった。
義勇はゆっくりとした動きでそれを噛み砕き、こくんと飲み込む。
すると少し気力が戻ったのか、耳が少し持ち上がった。
「・・・美味しい」
「そう?良かった。でも、無理しておへんじしなくていいよ」
「・・・ありがとう」
しのぶの人生では初めての侘しい食事を終え、しのぶは眠気に目を擦りつつも、義勇を寝かしつけようとした。
人攫いが来るかもしれないので、見張りをしようとしたのだ。
しかし、それを義勇が制止した。
「やつらは、夜目がきかない・・・。洞くつの中までは、見ない、から・・・いっしょに、ねよう」
くいくい、と義勇がしのぶを手招きする。
しのぶは一瞬迷ったが、義勇が言うのであれば間違いないと思い、大人しく義勇に寄り添って、華奢な身体を抱きしめた。
義勇は痩せている筈だが、それでも腕が届いていないので、改めて男の子なんだなあと思ってとくんと胸が高鳴る。
それに加えて、冷えるだろうからと思った義勇が碌に力の入らない腕で肩を抱きしめて来たので、しのぶは更にときめいた。
こういう事がナチュラルに出来る彼は、正しく王子様だと感動すら覚えた。
「寒く、ない・・・?」
「大丈夫。今の義勇くん、あったかいから」
「良かっ、た・・・」
元より限界が近かったのだろう、しのぶの返事に安堵した事によって、漸く義勇は眠りにつく。
その少し苦し気な寝顔を見て、しのぶは明日こそ家に帰り着くんだと固く決心した。