西木満智子という人物について説明が必要かもしれない。彼女は、元々和装モデルとして活躍している女性であった。年は25歳。しかし、少し童顔であることから10代後半の雰囲気を醸し出していた。インスタグラムでは「またお酒買うときに年齢確認を入念にされました」という話題がよく上がっていて、ネット上のちょっとしたネタ扱いをされていた。
趣味は楽器演奏。音楽一家に生まれた彼女は小さい頃からピアノやバイオリン、果ては琴や三味線、尺八、笙などの和楽器まで様々な楽器を嗜んでいた。特に、彼女のバイオリンなどは大層ひいきにしているファンも多く、年に1度定期演奏会を和装でやるのが彼女のライフワークになりつつある。
そんな彼女が今回、通称「ゲ謎」の龍賀沙代役に抜擢されたのである。
真っ黒で艶やかな黒髪、和装の似合う長いすらりとした首筋、お嬢様然とした立ち居振る舞い。確かに、それらは台本に書いてある『沙代』そのもので。
「でも、わたくし、お芝居は全くしたことがなくて……」
それはそうなのである。彼女はあくまでモデルだ。美しいが、まだどこでも演技のオファーは受けていなかった。しかも、この「ゲ謎」での役は端役でも何でも無く、かなりのメインキャストだ。セリフも多く、ラストの狂骨を使役するところなどはベテランの女優でも難しい場面であろう。だから、監督の古賀が満智子にオファーをしたとき、満智子自身も、それから、彼女の両親も辞退をほのめかしていたそうである。
「そこをなんとか! 是非満智子さんにこそ出演して欲しいんです!」
出来上がった台本を差し出して古賀が土下座をしたとかしなかったとか。台本を読んだ満智子が、益々『沙代』の2面性を演じきれないと2度ほど断りの連絡を入れたとか入れなかったとか。それもそうだろう。おしとやかな外面とは裏腹に『龍賀』の家に対して並々ならぬ怨念を抱いて狂骨を使役するまでになってしまう。そんな悲劇のヒロインなのだ。完全な悪役ではないにしろ、悪いイメージもつきかねない。
そうなればきっと、西木満智子という現実の人物のイメージにも強い影響を与えかねない。悪役をやった役者の悪いイメージが付いてしまって他の味方役キャラクターへのオファーが減る、地方公演への影響が出るなどという事はまれでは無い。
おかげで、この、西木満智子オファー問題。古賀監督のあまりにも奇をてらいすぎているように見えるオファーに関して、噂は絶えなかった。
そんな紆余曲折がありながらも、満智子は『沙代』役を引き受けたのである。実は、満智子が水木のファンだったから共演したがったというまことしやかな噂もあったが、それも出所の解らない噂だった。
その日の撮影はその『沙代』の見せ場。全てを『水木』に知られた『沙代』が狂骨を使役して全てを終らせようとする場面の撮影であった。満智子のことを心配したのだろう。その日は満智子の両親、雅楽奏者の西木詠太と世界的ピアニストの西木弘子までもが撮影現場に見学に来ていた。
「仕方がありません。全て、終らせましょう」
瞬きもせずに空を見つめる『沙代』を演じきる満智子。その鬼気迫る様子は、まさか初めての芝居とは思えぬ迫力があった。するりとほどけて広がる長い黒髪がライトアップで紫に輝く。実際の映画での映像にはCGで狂骨が追加されるのだが、それが無くても『沙代』の怨念がゆらりと揺らぐ陰から垣間見られそうな、撮影所全体の温度が下がるような錯覚さえあった。
「死ね」
アップで撮られた満智子のその表情。それがNG無しの一発撮りだったことは後の映画インタビューで散々話題にされることになるとはきっと、この時の彼女は夢にも思っていなかっただろう。美しい顔の作りであるが故の満智子の恐ろしさ。そうして、その後の『水木』の首を絞める場面のあまりにも切なげな表情。目薬などの小道具を使わずして流される自然な涙。『長田』に刺されて絶命する際のあまりにも悲劇的な絶叫。
「かぁぁぁっとぉぉっぉ!」
古賀の声が高く上がる。その瞬間、ふっと元の穏やかな表情に戻る満智子。
「ありがとうございます」
花が綻ぶように微笑む満智子を見ながら、水木総は、古賀監督の人の演技力を見破る目のすごさを改めて感じていたのだった。
わっと出演者から拍手が上がる。ベテラン女優であり、今回龍賀乙米役の齋賀羊は満智子に駆け寄り、その身体を思いっきり両腕でぎゅっと抱きしめていた。
「満智子さん、すごいわ! これが初演技なんて思えない!」
感動したのか、齋賀がぽろぽろと涙を零している。齋賀は演技派女優であるにもかかわらず、なかなかヒット作品に出ることが敵わず最近まで燻っていた女優の一人である。それがハリウッド映画の任侠もの作品に出てからと言うものあちこちで引っ張りだこになり、今回のこの「ゲ謎」の撮影も忙しい合間を縫って出演してくれている女優の一人だった。
すごいすごいと賞賛しながら満智子をきつく抱きしめる齋賀に戸惑いながらも、彼女はありがとうございますと殊勝に微笑む。
「齋賀さんの演技があってこそ私も全力で演じ切れた気がします」
『沙代』の母である『乙米』の最後も壮絶である。後からCGで足す事になっているため、襲ってくる狂骨は撮影所にはいない。ただ、無数の狂骨達に圧倒されてパニックになる演技をやりきった齋賀も流石のものであった。
これは素晴らしい映画になるぞ。そう、誰もが思い、互いの表情を見返していた。
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