グッド・ラック
 僕は歩いていくのだった。ずんずんと歩く。足を前に進める度に、じりじりと太陽が照りつける。あつい、暑い。汗が髪の生え際にじわりと滲む。ああ、ワイン。白のキリッとしたワインが欲しい。いや、スパークリングがいい。細かな泡が喉を洗う刺激が欲しい。刺激で僕は磔になっている。そう、ピンで止められた虫だ、もがくように手足を交互に出す。
 にじみ出す汗が玉となり、額をするりと落ちていく。暑い。石畳は砂漠にくらべりゃ歩きやすいが、足にビリビリ衝撃が走る。あの角を曲がり、ワンブロック進み、また進み、道なりに進んで曲がる。暑い。額に落ちる汗を拭う。まわりを見る。いない。人っ子ひとりいない。びゅうとふく風はただの熱波だ、海から吹き付けて潮くさい。屋台に氷はあれども魚はなく、人はなくても蜃気楼がゆれる。
 まだ着かない。だれもいない。本当に母が? こんな街に? 天国にしちゃ暑すぎる、地獄にしては陽気すぎる。僕は上着を投げ落とす。へばりつくベストをむしりとる。太陽にふさわしくない、こんな服は顰め面すぎる。熱波がまたびゅうと吹く、シャツの背を風が跳ね上げる、獣のように背が膨らむ。靴をつっかえ脱ぎ捨てて、裸足の指で大地をつかむ。
 もうひとつ角を曲がる、姉がいた。僕に気づいて声を上げる、カカワーシャ! 遅かったね、一緒に行こう。ましろきワンピースがゆれる、ゆれる。路地を跳ねる、僕も思わず一緒に跳ねる。迷宮の街を姉と行く。ふたり、道を駆けていく。鼓動が跳ねる、僕は恋い焦がれている。まだ見ぬ父よ、母よ、慕わしき姉よ、愛しの家路を僕は駆ける。路地を抜ける、猥雑な街を捨てる。丘を走る、ひらひらと、ワンピースの端が踊る。
 小高い丘に、一軒家がたたずむ。姉は言う、笑って言う。僕の一歩先を走って言う。ねえ、賭けをしましょう。賭けって? 僕は言い返す。あの扉の向こうに、姉は指を指す。わたしたちの家に、本当にお母さんがいるかどうか。あなたが勝てば、家に帰れる。あなたが負ければ、ここを去る。
 僕は見る、見知らぬ家を。呆然と見る、愛しの我が家を。つるばらが咲き乱れる一軒家、幸福が詰まった僕の家。僕は笑いたい。笑い飛ばしたい。ハ、ハ! 乾いた声、喉が乾く。刺激が欲しい。喉を洗うスリル。錯覚だ、因果が狂っている。スリルがあるから生きている。生きているからスリルがある。僕は生きている。
 だから、僕は賭ける。震える手を隠してベットする。刺激で僕は磔になっている。薄っぺらいコインに運命が凝縮する、ギラリと輝く。僕の運命はいつも正解で最良、宇宙の調和も僕に天秤を傾ける。僕は賭け、勝利する。
 グッド・ラック、カカワーシャ。
 姉が言う。信託のように告げる。ねえ、どちらに賭ける? お母さんは、いると思う? 
* * * 
 カカワーシャ。良い名だ。
 名は祈りだ。わたしたちは、お前にひとりの姉と、ほんの少しの財産しか残せなかった。いまは名前しか残っていない。地母神に愛されし子よ。その意味を遥かに超えて、その名は、お前の母がお前の健やかなる未来をいっしんに祈った結晶だ。お前にとっては厭わしい名かもしれないが、込められた愛だけはおまえを裏切らない。
 わたしはお前をひと目みることは叶わなかった。しかし、お前が母の羊水に漂っている間に、母の暖かい身体越しに手を合わせたことがある。その小さき手を、わたしは永遠に愛するだろうと悟った。そのときわたしは既に死を目前にしていたが、それでもお前の運命に涙を禁じ得なかった。この砂ばかりの土地に生まれ、大地にへばりつくようにしてお前は生きる。その点、お前は真に幸運であった。お前はこの砂ばかりの地を去り、新たなる家を己で築きつつある。その家はお前のものなのだから、お前の幸運に守られるだろう。
 そもそも、幸運とはなんだろうか?
 それは運命と呼ばれるものの、良い効果を表す側面だと言い換えることもできる。我々の氏族も古来から運命について考察を重ね、その果てしない地層は、同時にままならぬものに惑わされた歴史でもある。神話の世界ですら、運命の女神はそれを支配できない。神々ですら運命に翻弄されているのだ。憐れな人間のひとり、幸運に恵まれたからといって、なんだというのだろうか?
 そう、わたしは、お前に不均衡に与えられた幸運に感謝する。お前にとって不幸が訪れないことこそが不幸なのだとしても、子の幸運を祈らないことがあろうか。わたしの死を糧に生きよ。わたしたちの命を掛け金にしろ。より多くの富を得よ。
 グッド・ラック、カカワーシャ。
 お前に運命の慈悲があらんことを願う。
* * *
 あなたはずっと、なにかを握りしめている。
 それはただの欠片だ。削りすぎて価値もなくなった宝石だったものの欠片。セッティングも研磨もできない、ただの石の欠片。あなたはすべてを賭けるから、その手の中には、価値のないものしか残らない。
 わたしは賭けに挑むあなたを見る。不敵に笑うあなたを見る。いとけない笑顔の影をそこに見る。あなた以外に知るものはないはずの、後ろに隠した震える手を知っている。なんでって? そりゃあ、あなたのお姉ちゃんだから。あなたをなんでも知っている。駆けてきた道を知っている。
 あなたは賭け、得たものをすべてまた賭け金にした。オール・オア・ナッシング。あなたの人生にはそれしかない。あなたが得たものはすべて次の賭けの元手であり、すべてを振り捨てる限り幸運は微笑む。あなたの回りには、あなたの賭けを見る目がつねにある。次の賭けの相手になろうと、もしくは賭けにひとくち乗ろうと、うまくつかってやろうと、その推移を見守っている。あなたが勝つたび、その輪は広がる。
 だから、あなたは賭けるべきだ。あなたが生きるほうに、自分でベットしつづけなさい、カカワーシャ。あなたが賭け続けるかぎり、あなたは勝つ。あなたは生きる。
 さあ、いってらっしゃい。
 あなたは勝つ。すべての賭けに勝利する。あなたは愛されている。世界にはどうだか知らないが、少なくとも、わたしたちに。わたしたちのもたらす幸運が、あなたに微笑んでいる。
 グッド・ラック! カカワーシャ!
〆
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[習作]アベンチュリンの話
初公開日: 2024年04月16日
最終更新日: 2024年04月16日
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