男はバイクを走らせている。
夜半過ぎ、うすく伸びた雲のむこうに、節操なく星々がまたたいている。あかく毒々しいトカゲだけが見守る道を、男は進んでいた。
男には約束があった。明日の朝、六分街で。
男の所属する走り屋チームは引く手あまたの引っ張りだこ。根無し草の暮らしを楽しんでいたはずの面々は、八の字を描く働き蜂のように、同じ道をぐるぐるまわっていた。なので、ちょいと調整すれば、夜通しバイクを走らせるなんざしなくとも、なんなら上等なベッドで睡眠をむさぼってから出発することだってできる。
しかし、男は夜間行をえらんだ。早く会いたかったからだ、といえば満点だろう。月に照らされたかった、でもよい。あいつはそういう、きざな回答をよろこぶ節がある。あんまり無邪気に慕われると拒めないということを、さとられてしまったのが失敗だった。
いいや、おまえはわかっている。だれかが真実をつきたてる。希死念慮の波が宵闇のすきまから、おまえの手をひいたのだ。
風がナイフのようにつめたい。ごおごおと耳元で怪物がうなる、砂埃が舞う。赤いマフラーは、わずかに男のぬくもりを守った。
ただただ、まっすぐな道が荒野を切り裂いてある。轍の左右には、ホロウが浮かんでいた。風景がゆがみ、うしろへ流れ行く景色のなかで、男はその虚無を目の端でとらえる。水面にういたガソリンの、あやしげな油膜のゆらめきのよう。ハンドルをかるくひねれば突っ込める。そうしたら、そのさきには、地面があるかも知れぬし、ないやも知れぬ。もしかしたら、あの空に浮かぶ月に放り出されてしまうかも。
天上の世界、その甘き辺獄に、男は同胞の落ち窪んだ目をみとめる。死は白いヴェールのむこうから、ばらいろのひかりを零して、たおやかな手をのばしていた。立ち上がらなくていい、安息を迎えなさい、とだれかがささやく。
男は口端を吊り上げる。数えるのもばかばかしいくらいの防衛戦、最終ラウンドだ。
さあ、一発殴られる。男はエンジンをぐんとふかす。風がまた強くなる。ボディブロー、アッパー。ジャブ、ストレート、ゴングは鳴らない。虚無が男の頭を叩きのめし、ハンドルはわずかにふらついた。
そして血を吐いてダウン、地面を舐める。砂ぼこり、カウントが始まる、ワン、ツー……。
なあ、見ているか?
歯を食いしばりながら、カウントもなかばに男は立ちあがる。
いいや、おまえは火の湖にも身を投げ出せない。死を望むなんて口ばかり、誇りも守れぬ卑怯者、大うそつき。なぜ立ち上がる必要がある? なにを証明できるって言うんだ? おまえさえいなければ。
ハ、と男は笑う。
アクセルをぐんと回す。ガソリンと空気をエンジンに送り込め。火をつけろ、火、火を!
点火、爆発、男はぐんと立ち上がる。
そうだ、お客さんの前だ、カッコつけさせろよ。赤いマフラーをぐいと巻きなおし、ハンドルをしっかり握って、前へ、前へ、前へ、荒野を抜けて、六分街へ。
意地と信念で立ち続け、気づいたころには、拍手があった。雨がパラ、パラ、パラと地面をうつ、かそけき音。
見たか? 俺の観客。
男は愛しき影をさがす。こんな夜、こんな夜だ、あんたの輪郭をたしかめたいと思ったことが、ないと言えばうそになる。どうしようもない、と男は笑う。
なあ、あんたもか?
問いかける。血を吐くような防衛戦、あんたも覚えがあるっていうのか?
男はまだ、その戦いを知らない。
まあ、ひとまず、いまのところ、俺はあんたに会いに行く。いつかのあんたの戦いに、拍手を贈る機会をのがさぬように。
男はバイクを走らせている。六分街をめざして。風のように早く、荒野からすればゆっくりと。砂の上に箒星の尾を残すように、寒い雨の夜に暖かい白煙を残して。
新エリー都、ヤヌス区、六分街まであと一時間。
虚無が巣食う月が朝焼けに溶けていく。巻き上げた砂埃と、雨のカーテン、靄の向こうに、たよりない光が指している。
〆