見慣れた毛布はだいぶくたびれて端が毛羽立っている。何度か捨てようとしたのだが、いざそれを掴むと思いのほか柔らかい手触りが寸前までの決意を鈍らせていくのだ。なにより、彼が反対する。
『お師さんが使わへんなら、おれがもらうから』
 そんなふうに端をぎゅっとにぎりしめて懇願されて、だが彼に与えるにはさすがに古すぎて申し訳がない。それならいっそ新しいものを、と思うのに結局ずるずるとその毛布は部屋の隅に畳まれおかれていた。普段の寝具は別のものをつかっているので、ひざ掛け代わり、あるいは仮眠をとるときに引っ張り出す程度。それでも見慣れた毛布が視界の隅にあることに、内心斎宮宗もほっとしている。
 さて、いま目の前にあるのはその毛布である。だが、いつもと違って部屋の隅ではない。ソファの真ん中にある。しかも、ぺたりと畳まれているわけではなく、こんもりと膨らんでいた。
 つまり、中身がある状態だ。
「……影片」
 宗は、つとめて静かにその名前を呼ぶ。毛布の塊は返事をしない。ため息を吞み込み、両腕を腰に当て、ソファの前で仁王立ちしながら宗はもう一度その名前を呼んだ。
「影片、ねえ、そんなふうにつっぷしていると苦しいだろう」
 やはり返事はない。こちらがこんなふうに呼びかけているというのに無視をするなんて、まったくいい度胸である。みかでなければ宗はすぐさま踵をかえしこの場を立ち去ったであろう。だが、なにせ相手は影片みかである。宗は辛抱強く、もう一度名前を呼んだ。
「影片、せめて顔をだしなさい。窒息してしまうよ」
「ほうっといて」
 むすっとした声が毛布の奥から聞こえてくる。宗は、ふ、と笑いだしそうになった。なんだか既視感のある光景である。無論、その頃は立ち位置は逆だった。自分が毛布の中で縮こまり嫌な世界に目を背け、あるいはなにか考え込んでいるまわりで、外側で、けれどすぐ近くで、この子がやさしく語り掛けてきた時期があった。なにもかもに嫌われ疎まれている気がして自分を守る唯一の手段として毛布にくるまっていた時。彼は、無理に引きはがそうとはしなかった。無遠慮に中に踏み入ってくることもなかった。ただ、隣にいてくれた。そばにいるよと教えてくれた。
(……僕にとって、それがどれほど)
 ソファは二人で悠々腰かけられるほどの広さだが手も足も長いくせにみかは上手に小さく丸くなっているので隙間はある。宗は手すりと毛布の塊の隙間にすとんと腰を下ろし、そうっと右手で毛布越しに彼に触れた。これは、背中だろう。
「なにがお気に召さなかった? 次の舞台で新しい役者を使うことかね?」
 新しい試みとして、歌と演劇を融合させてみようと思ったのだ。あくまで曲の一部として、舞台を構成するアイテムとして、第三者を舞台に立たせようと提案してみた。黒子としての背景ではなく、舞台の中心で踊ってもらうための華奢な手足と小さな頭のバレリーナ。実はすでに目星もつけてあり、それは大学での知り合いだったので内々に話を通しておいた。彼女は快く了承してくれた。
 だから嬉々としてそのアイディアをみかに披露したのだ。あとはみかが頷くだけ。そう思っていたのに、彼は思いのほか機嫌を損ねてしまった。話し合いは停滞し、いったん休憩をいれようとお茶の支度をしにキッチンへむかい、部屋に戻ってきたらこの有様である。
 毛布の塊をぽんぽん撫でてみる。厭う様子はないが、かたくなな背中だった。
「彼女ではふさわしくないかね? 僕のアイディアが君の好みではない?」
 そう、話し合いは停滞していた。みかははっきりと拒否を示したわけではないがなにやらもごもご言っていた。嫌なら嫌だとはっきり言えばいいのに、あるいは別の案をぶつければいいのに、その曖昧な態度も宗は面白くない。だが、お茶を入れている間にその気分は、少なくとも宗の方は落ち着いた。
「ねえ、お茶が冷めてしまうよ。とりあえず顔だけでも出して」
「……先に飲んでてええよ」
「つれないことを言ってくれるね。君と飲むためにわざわざファーストフラッシュをだしてきたというのに」
 毛布はくたびれて手触りが良い。その柔らかさと、薄くなってしまった布越しに触れる体を丹念になでた。なにもかもさらけ出せと言いたいわけではないが、宗はただ、みかのことが気になる。
 思いやりというより、ただのわがままだ。
「ねえ、影片。顔を見せて。何を考えているのだね? 僕におしえて」
「……かっこわるいから、やや」
 予想外の返事で、宗は瞬いた。それから、少しだけ悩んで毛布の端をちらりとめくりあげてみる。
 すぐさま内側から毛布を引っ張られた。
「君の情けない姿なんて飽きるほど見ていると思っていたけれど?」
「うう……それでもいやや」
「あ、そう」
 元来宗は気の長い方ではない。かたくなな眉のような毛布の塊をなだめるのもまあ時間が許せば構わないと思ったのだが、みかはどうやら宗の思った方向とはちがうふうに機嫌を損ねているようだ。いや、怒っているわけではないのか?
 いまみかがどんな顔をしているのか、気になった。気になってしまった。さっきからずっと気になっている。
 なので、宗は、手に力をいれて思い切り毛布を引っ張った。とっさに抵抗されるが、宗の方が圧倒的に力が強い。内側から引っ張られた状態のまま、ぐるんとその体を仰向けにひっくり返してやった。
「んあああっ」
 ばさりと毛布が翻り、黒髪が乱れて揺れる。その下の白い顔が驚いたように宗をみて、すぐに顔を隠すように両腕があげられた。
 面白くない。む、とした宗がそのまま体を少し倒し、みかを覗き込むように体勢を変える。みかはソファの上で縮こまって腕で顔を隠すほかないようだった。ひどく無防備な姿勢で、部屋着がわりのカットソーは裾がめくりあがり薄い腹が覗いている。
「なにがいや? 顔を見せなさい」
「や、いや、無理やもん」
「喧しい」
「んああっ」
 その腕をぐっとつかんでひとまとめにして彼の頭の上に固定する。みかの悲鳴を聞きながしその顔を覗き込めば、なんだか泣きそうに情けない瞳があって、おや、と毒気を抜かれる。怒っている、あるいは不満そうにしていると思っていたのだけれど。
「それで、なにがいやなのだね」
 もぞもぞと膝を曲げ身体をよじって逃げようとでもするかのようにみかは落ち着きがない。宗は、そのままにじりより、足で足を威嚇し抑え込んだ。見下ろせば、みかは瞬きをする。長いまつげが揺れるのがくっきりと見えた。
「……ずるいって、言うてしもたやん」
「ん?」
 みかの言葉を、すぐに理解できなかった。ずるい、ずるい? 言っていただろうか?
 先ほどの会話のなかでそんな言葉はあっただろうか。こちらがアイディアを提案したとき? 考えてみるけれど、すぐに思い至らない。
「言っていたかね?」
「うう……あう……」
「影片?」
 きゅ、と抑え込んだ腕を握る手にすこしだけ力をこめる。痛くはないだろうが、それにしても骨ごとつかんでしまえそうな細さだ。みかは眉をさげ、唇を震わせた。
「お師さんが選んできた人、写真で見てもごっつ美人さんやった。お人形さんみたいにかわいいし細くて小さくて……お師さんってやっぱりお人形さんのほうが好きなんかなあ? ちっちゃくてかわいいこのほうがええの?」
「はあ? 人形は好きだし美しいものもかわいらしいものも好ましい。彼女に関して言えば造形と踊りのセンスは素晴らしい、僕らの舞台に十分な美しさを見せてくれるだろうと思ったのだよ」
「うう……せやから、ずっこいって……」
 みかの口はいつも以上に重たい。たどたどしくも、なにか言いたいようだがさっぱり主旨がわからない。小さな顔を見下ろしながら、さりげなく片手でみかの服の裾を下ろしてやった。
「なにがだね? 僕が彼女と知り合いなことが?」
「ちゃうよぉ! せやから……ああもう、お師さんのばか!」
「馬鹿とはなんだね、失礼だね」
 さすがにむっとして言い返すが、みかは目尻をきゅっとあげ、なんだか子供みたいに喚き始めた。
「だから! あんなかわいい人ばっか連れてきて、お師さんああいう子の方がすきなんやろなあとか、なっくんとかなずな兄ィとかの時もそう思ったけど、お師さんって好きな子近くにおいてかわいがりたいやん、かわいがって優しくするやん、そういうの、見て、ずるいって思ってしまうのほんまいやなのに、おれ、でも、そう思ってしまうんよ、お師さんの舞台が完成するのは嬉しいし、たしかにあの人を交えた演出はぜったい映えるって思うんやけど、でも、でも……なんや、ずるい! でもお師さんの芸術もたくさん見たい! おれ、もう、どないしたらええのかわからんもん!」
 んあああ、とそこまでわあわあ言い切ると、みかは思い出したようにまた体をよじり始めた。宗はしばらく黙って聞いていた。あっけに取られていた、の方が正しい。ただ、手を振りほどこうと身じろぎするので慌てて力をいれなおし、それから膝をすすめて彼の体を軽く跨いで動きを封じ込めた。みかが睨みつけてくるけれど、そんなの、なにも怖くはない。
「つまり――僕の提案は受け入れられているのかね?」
「当たり前やん、お師さんの演出する舞台、ぜったいかっこええもん! おれも見たい!」
「でも、君は面白くないと」
「面白くないっちゅうか……ううん、えっと、一緒に舞台に立って完成させるのは嫌やないんやけど……その、お師さんがその人のこと褒めとるのじっと聞いてたらなんやむっとしてしもて……うう……おれ、ほんまあほや……」
 顔を隠すこともできず逃げ出すこともできないまま、みかは顔をしかめた。泣き出しそうな一歩手前にも見えて、宗はさすがにあわてて顔を寄せる。そのまま鼻先をぶつけるくらい近づけば、みかがはっとしたように目を見開いた。
「あのね、一応言っておくけれど、僕は舞台に必要な装置として彼女をスカウトしているのだよ」
「わかっとるよ」
「だから、それ以上の感情はないよ。きれいな花を見てきれいだねというのと同じなのだよ」
「……でもお師さんのほめ方、ごっつ大げさやん」
「美には最大の賛辞を贈るべきだ。なにごとも一瞬で移ろうのだから」
 みかの長い黒髪がソファの上で中途半端にこすれてゆれる。毛布を半分だけ下敷きにしたような不格好な体勢のまま、彼は宗を見上げている。かすかに砂糖のにおいがする。たぶん、宗がお茶を入れている間に飴玉でも舐めていたのだろう。
「……おれ、悪い子や」
「なぜ」
 静かに問い返せば、しばしの間のあと、あきらめたような声で返答があった。
「前は、お師さんにとっていちばんやなくてもそばにいられたらええって、一緒に踊れたらええって思ってたのに」
 ひどく悲し気に呟くのを聞いていられなくて、宗はそのままもう少しだけ顔を傾けた。唇を重ねるとやはりあまったるい味がする。みかは、わずかに抵抗するように首を振った。そんなあわい逃亡など簡単に捕まえられるけれど。
 しばらくついばむような口づけと舌先をくすぐる程度のあいさつみたいなキスを繰り返し、ゆっくりと顔を離した。みかの熱っぽい視線が宗にだけ注がれていることを確認し、ひどく満足した気分で宗は笑う。
「つまり、なんだね。やきもちでも焼いていたのかね?」
「や……」
 みかは口をぱくぱくさせ、頬を赤らめた。その表情の変化がおかしくて、愛しくて、宗はもう少しだけ言葉を紡いでしまう。
「昔は小僧に文句を言う程度で僕にはあまりしつこくしなかったのに。ふふん、君も一人前に嫉妬を表に出すようになったとはね」
「んあ、んあああ……! お師さんのいじわる!」
「繰り返すけれど、彼女はあくまで舞台装置で、僕個人の感情はそこにはないよ」
「うせやぁ、お師さん気に入ったひとしかそばに近づけへんやん」
 あきらめ悪くまだ文句を言ってくる子を見下ろして、宗は笑みを隠し切れない。もう逃げ出さないだろうと戒めた手を離し、代わりにその頬を撫でた。火照って暖かく感じるような気がして、余計に楽しくなってしまう。
 僕が誰かに気を取られていると思い込んで、彼はふてくされてふさぎ込んで駄々をこねている。
 その事実を反芻するだけで、なんだか胸がいっぱいになるのだ。
「その理屈で行くと、僕の一番近くにいる人間は、僕が一番気に入っているということになるけれど?」
「んえ?」
 しばしの間みかは黙り込んだ。宗の言葉の意味を咀嚼し、理解して、目をさらに見開いて。慌ててなにかを撤回しようとでもいうように震えた唇を、宗はもう一度、唇でふさいだ。飴玉の味はすこしずつ薄れ、角度をかえ、何度も繰り返しながら手のひらでみかの髪の毛を何度も撫でる。地肌をくすぐるように指を差し込む。かすかに震えた身体をやわやわとなだめ、少しずつ体重をかけていく。
 解放すると、ふは、とみかがまぬけな吐息をこぼす。水面からようやく顔を出したような、くるしげな相手の頭を優しくなでた。
「君のわがままを聞くのも悪くないものだね」
「……いじわるばっか言うおひとや」
「ほら、お茶が冷めてしまった。さっさと飲んでまた先ほどの話し合いの続きだ。君だって舞台を完成させることに異論はないのだろう」
「ないけどぉ……もう、こんなの、言いたくなかったんやけど!」
「僕は聞けてよかった」
 重ねてそう言ってやれば、みかはいよいよ口をとがらせ「お師さんの、ばか!」とかわいらしく詰ってきた。
おしまい!
ありがとうございました~!
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