「自殺の方法ってなにがメジャーなの?」
ピノコニーについてある程度の情報収集がすんで、互いの報告が一段落ついたとき。アティニークジャクのようにやかましい男、アベンチュリンが問うた。それを受けたレイシオは、石膏像の中でかすかに眉をしかめ、「なぜそんなことを聞く」と質問を返す。
ホテル・レバリーのとある一室。レイシオが宿泊予定の客室であるはずだが、アベンチュリンは我が物顔でどかっとソファに座り、足を投げ出すようにして脱力をする。背もたれに頭を預けてだらけている様子だけなら、レイシオを信頼している……あるいは、舐め腐っているようにも見えた。
「もう一度聞く。なぜ今、自殺方法を聞くんだ」
「夢の中でできないことって、なんだと思う?」
彼から離れた場所から問えば、新たな質問が返ってきた。今度は分かりやすく、半ば聞かせることを目的として大きくため息をついて見せる。アベンチュリンは、クク、と喉で笑うだけだった。
「僕はね、死ぬことじゃないかと思っている」
ファミリーが管理するピノコニーは安心安全。恐ろしいことも危ないこともない、優しく華やかで楽しい夢を提供する。もしも不備が起こった場合は、ドリームプールが精神を守ってくれる。安全装置が起動して、現実の体を起こすのだ。
──じゃあ、その不文律が崩れたら?
「ファミリーも交渉の席につくしかなくなるんじゃないかな」
「……それで? 君の問いと、なんの関係がある」
「手っ取り早く試してみようと思ってね」
多いものから試したい。
ソファの後ろに腕を回して、代わりに持ち上がった頭がじっと石膏像を見つめた。シアンとマゼンダがぱっきりと分かれた特徴的な瞳は、レイシオの反応を探っているようにも、面白がっているようにも見える。
なんたる愚昧、なんという浅慮だろうか! 頭痛がするようだ。こちらが死にたくなってくる。
「君はボランティア精神が旺盛なようだ。ピノコニーのシステム不備のデバックを己の命で行おうだなんて。まったく思いつきもしなかったよ」
「あははっ、ありがとう。今回だけ、文字通り出血大サービスさ!」
アベンチュリンの右手が、ジャケットからコイントークンを取り出した。それを指のあいだで転がしはじめる。照明を受けてキラキラ輝くトークンをなんとなしに眺めながら、レイシオは考える。彼の言う意味を、その意図を。……ある程度今回の仕事の趣旨を踏まえて、もう一度考える。
レイシオが黙って思考に耽るあいだ、アベンチュリンは静かに様子をうかがう。石膏像の仮面のせいで表情が読めない、タイミングも心情も図りにくいったらない。それでも、彼の呼吸のリズムを観察して、言葉を差し込むタイミングをはかり……──今だ。
「だからね、教授。頼みたいことがあるんだ」
「……聞くだけ聞こう」
「僕が万一起きてきた場合、データを取ってほしい。完璧な美しい夢を崩すヒントが手に入るかもしれない。そっちだってなかなかできない研究テーマには興味があるだろう、お医者様?」
石膏像の真っ白い石の眼と、シアンとマゼンダの眼がぶつかり合う。
トークンがキンっ、と弾かれ、くるくると回りながら落ち、アベンチュリンの手の中に戻る。
……石膏像が額をおさえながら、深い溜め息をついた。
「イカれたギャンブラーめ……」
初対面のときといい、今といい。どうして彼はそうも命を賭けるのか。理解できないし、したくもない。レイシオが医者であることを分かったうえで、命をチップにするのだと平気で言い出す。愚痴蒙昧で頭が痛い。治療すべき患者を、何故放り出すことができようか。
「それで? 自殺の方法ってなにがメジャーなの?」
「はあ……。……報告に上がってくるもので多いものだと────……」
──結局。
ギャンブラーの左手は、最後までソファの裏に隠されたまま。医者の眼前にさらされることはなかった。
ドリームボーダー。朝の始まりと夜の終わりを告げるときのまま姿を留めた空を見つめながら、アベンチュリンは大きく、なるべく長く深呼吸をした。
眼前に広がるビルの群れ。ぽつぽつと明かりがついた窓だとか、時折落ちるカーテンや中途半端に開かれたガラスを見つけるたびに、ここで暮らしている人がいるのだと実感する。夢の中だというのに不思議な話だ。
――いや、夢の中だからこそ、か。
現実のままならない体、状況。その息苦しさから脱却できるのが夢だというのなら、なるほど、そこに留まりたいと願う気持ちはよく理解できる。アベンチュリンがそれを選べるかどうかは別として、選びとった人がいたとてなんら不思議はない。
「でも。――夢の中じゃ死ねない」
どこよりも高い展望台から眼下を見る。――地面が見えない。空気の層が薄く青く重なっているのがかろうじて分かった。
ここから、飛び降りる。
飛び降りて、地面に体を叩きつけて、それで死ぬ。
もう一度深呼吸をする。心臓がバクバクと鳴って痛い。足も手も震えている。
高所からの転落自殺は、失敗する見込みだ。そもそも夢境に訪れる際、来訪者は空から落ちてくることが多い。……そう、落ちてくることが多いのだ。アベンチュリンも勢いよく地面と接触して舗装された道路を砕いたし、全身無傷だったのを確認している。
つまり、今から行なうことは、ほとんど意味をなさない。――たった一点を除いて。
「……はは、」
これが、“自分から死ぬ”という感覚なのか。
死ぬわけにはいかないと言い聞かせて、逃げ続けて、隠れて隠し続けてきた自分が、ままごとと理解しているはいえ、ついにそれを己の意志で投げ捨てる。
これは、死ぬ練習だ。そう、練習に過ぎない。
柵を乗り越える。二歩分もないコンクリートの隙間に降り立って、深呼吸。下から煽るように吹く風が被っていたハットを吹き飛ばした。あ、と思う間もなく、ハットは遠くに飛んでいき、ひらひらと翻弄されもみくちゃにされながら落ちて、――見えなくなった。
――僕も、ああなるのか。
ドグンと心臓が嫌な音を立てた。
自分の意志が介在する余地なく、グシャグシャになりながら落ちていく自分を想像する。
死ぬわけないって分かっているんだから、やっぱりやめないか? ――臆病な自分が言う。
この恐怖に慣れるのが目的なんだ。最後まで遂行するべきだ。――理性的な自分が言う。
ハットが見えなくなった。風の音がうるさい。足から力が抜けていきそうだ。
一歩踏み出せば、演算された重力によって落ちる。分かっている。
あとは踏み出すだけだ。――分かっている。
落ちたって死にやしない。――分かっている。
どうした。他者は殺せるのに、自分は殺せないのか? ――できるさ。己を殺すくらい。
ならあとは、踏み出すだけだ。早く殺してしまえよ。――うるさいっ、ぜんぶちゃんと分かっている!
――システムエラー。――
――精神の不安定を感知しました。――
――ドリームプールの運行を強制終了します。――
バチンっ。
は、は、は……と浅い呼吸を繰り返しながら、アベンチュリンは目覚めた。弾かれるように、というのは、こういうことを言うのだろう。
忙しなく瞳が動く。ドリームプールの中にいる体、現実のホテル・レバリーの客室であることを認めて、ようやく緊張が抜けていった。
「