手土産代わりの紙袋を持ってその部屋を訪れた斎宮宗は、その数分後己の迂闊さを後悔することになる。
まず、前もって相手の予定を把握しておくべきだった。たまたま打ち合わせが早く終わり、次の仕事までたっぷり数時間あったからといえど急に行動をすべきではなかった。
さらにいうなら、直前であっても在室しているかスマホで尋ねておくべきだった。そうすれば、今のこの状況は防げたに違いない。
「あら、この中身、もしかして先輩のお手製?」
隣に座った鳴上嵐がぐいっと体を乗り出し、テーブルの上に置いた紙袋の中身を覗き込んでいる。膝と膝がぶつかりそうな距離だ。近い。だがむげに突っぱねるわけにもいかない。なにせ相手は嵐である。宗にとっては恩人に近い相手だ。ついでにいうと宗は誰かに弱みを握られたり相手に優位を取らせている状況がひどく苦手だ。こちらが常に場を支配しているのでなければ落ち着かない。そういう意味でも、彼のことは嫌いではないが、だがどうにもやりにくい。
「へえ、『お師さん』さん、なにもってきたの?」
ひょい、と後ろからお盆をもったまま覗き込んでくるのはこの部屋の主のひとりである朔間凛月だ。彼は兄に似てつかみどころのないところがある。彼は宗のこわばりを気づいていないのか気づいていながらあえて無視しているのか、ソファを回り込み三人分のお茶を手際よく並べてくれた。
「あらありがと、お茶菓子もあるの? 凛月ちゃんのお菓子、みためはちょっと派手だけど、おいしいのよね。先輩も遠慮せずにどうぞ」
勝手知ったる我が家とでもいうように嵐がお盆の上からなにやらグロテスクな風体のカップケーキを三人に配ってくれる。断ろうにも断れず、宗は黙って両手を組んだまま、じっと自分の膝を見ていた。
ともかく、これは、どうしたものか。
「それで、みかりんだっけ? 今日はサークルだよ、敬人塾だっけ。試験もちかいから勉強会するんだってさ」
「あらぁ、真面目ね。藍良ちゃんもそういえば勉強が大変って嘆いてたわぁ」
学生って大変、と頬に手を当てしなをつくってみせる嵐と、宗を挟んで反対側に腰かけた凛月が「そうだねえ」とのんびり頷いた。
なんだこれは。
宗は、さっさと立ち去りたかった。そもそも部屋のドアをあけたのが凛月だった時点で、さらにいえば「みかりん? いないけど」と答えられた時点で、そう、じゃあ、と踵を返しかけたのだ。
その腕をしっかりつかんだのは、凛月の背後からでてきた嵐だ。しかもなかなか、それなりに力強い。
「みかちゃんはいないけど、アタシたちはいるわよ? ちょっとお茶でも飲んでいったら?」
それにはおよばない、としっかり言ったのだ。言ったはずだ。だが、彼らの耳はその言葉を素通りさせ、結果として今の状況である。ソファに男三人仲良く並んでどうしろというのだ。宗はいよいよ困り果てた。
(だいたい――)
ちら、と嵐を見る。嵐は「いただきます」と嬉しそうに言いながらカップケーキにひるみもせずかぶりついていた。長年モデル業界で活躍しているだけあって、見目も振る舞いも悪くはない。同室の瀬名泉とはまた違った美しさのある人間だと思う。だが、どうにも嵐の押しの強さは自分とは相性が悪い。さらに、宗は嵐に負い目がある。
と、紫色の瞳がちらりとこちらを見て、おどけたように瞬いた。
「どうしたのかしら、アタシの美しさに見とれちゃった?」
「あ、ナッちゃんわるいんだ~みかりんに言いつけちゃおっかな」
ふざけたように言う凛月の方を、つい振り向いてしまった。
「別に僕が誰を見ようと僕の勝手ではないかね、どうしてそこで影片が出てくるのだ」
いくぶん早口になったかもしれないがそれなりに落ち着いた声音で聞き返したつもりだ。だが凛月は、眠たそうな顔でにんまり笑う。
「あれ、『お師さん』さんは言いつけられると困るんだ」
「な、だからそういうどうでもいい妄言を吹き込まれると厄介なのだよ、あれは愚かだからすぐになんでも信じて慌てふためいてしまう」
「そうわかってるなら先輩ももっとはっきりしたらいのに」
急に肩に手がのせられて、びくっと背中が跳ねた。宗はそもそも他人に触られるのが苦手なのだ。睨みつけるように振り向いても、当の嵐はまったく怯えた風もない。
「先輩ったらさっさとパリにいっちゃうんだから。みかちゃんが一体どんな思いでがんばってるかわかってるのかしら?」
「な、なんのことだね、僕は僕の学びのために留学をしているだけだ。無論、ユニットメンバーの影片にはいろいろと苦労を掛ける面もあるかもしれないが可能な限り連絡はとるようにしているし、困っていることがないかプロデューサーを通して確認している」
「うん、まあ、あんなに毎日電話してるとは同じ部屋になるまで知らなかったけど~」
「そうねえ、糸電話をお部屋の前においてあるあの合図、かわいいけど、しょっちゅう見るから『またぁ?』って思っちゃうわよね」
「なんだねそれは」
意味が分からなくて話を遮るが、なぜか取り合ってもらえない。ふたりは宗を挟んだままぽんぽん会話を続ける。
「だいたい先輩ったら、昔っからみかちゃんのこと面倒くさい彼氏みたいな束縛ばっかりしてるくせに、いざ卒業してパリに行ったらずいぶんたのしそうじゃない?」
「生き生きしてるよね~サークル活動の時もパリの話よくしてるけど」
「それで電話も毎日して? 普段の行動確認して? この間のコンテストのときも大変だったって聞いたわよ、また喧嘩したんでしょあなたたち」
はあ、と嵐が大きなため息をつく。宗はいよいよ居場所がなくなった心地だ。なんなんだ、この状況は。せっかくいれてもらった紅茶が冷めてしまわないよう、あるいは何か逃げ道を探すよう、少しだけ体を乗り出しテーブルからカップをつまみあげる。
二人の会話はとまらない。
「みかりんが使ってるボディケア用品って、あれぜんぶ『お師さん』さんが選んでるんでしょ? フランスからわざわざ送って来るって聞いたけど」
「みかちゃんだって好みのものがあるんじゃないのかしら。いくらなんでも、従順すぎるわ。お姉ちゃん心配……」
「でもこの間、『ようわからんよ~』っていいながらばっしゃばっしゃ使ってたやつ、あれ、一本数万円するやつなんでしょ。ネットで調べちゃった」
「うーん愛が重いわねえ……」
「愛なのかな、それってほんとうに」
どうにも視線がじりじりと焦げ付くように刺さって来る。宗は、つとめて平静を装って紅茶を味わっている。おそらくきちんと段階を踏んで淹れられたおいしいお茶なのだろうが、正直まったく味がしない。背筋を伸ばし、目をふせ、むせないようにするだけで精いっぱいである。
(いったいなんだというのだよ)
この二人と宗は特別親しいわけではない。むしろ、親しいのは宗のパートナーである影片みかだ。嵐はみかの一番の友人であるし、つらいこともあっただろう学生生活の中で嵐がいてくれたからこそ切り抜けられた時期があったのも想像に難くない。素直に、感謝している。言い換えると頭があがらない。
一方の凛月は、さほど仲が良いとは思っていなかったのだがふたを開けてみればずいぶん気が合うらしい。電話の内容でもよく彼の名前が出てくるし、たまに通話しながら寝てしまうみかのあとをひきとり、そっと毛布をかけてくれたり通話をおわらせてくれたりとこちらもまた世話になっている。
つまり、みかに関して彼らには義理があるのだ。宗としてもそれをむげにするつもりはない。ないのだが。
「結局のところ、先輩ってみかちゃんをどうしたいわけ?」
嵐の言葉はまるで物理のように、宗の頭を揺さぶった。カップをつまんだ指に力が入る。横目で嵐を睨むと、相手も負けじと口をとがらせてきた。
「みかりんはさ~かわいいよね~、素直についてくるしなんでもいうこと聞くし、『お師さん』さんの望んだとおりに踊ってくれるし」
反対側から、じわりと隙間風のように凛月の言葉がしのびよってくる。こちらも決して怒ってはいない。むしろ淡々と、言い聞かせるようにあるいはそそのかす様に、言葉を重ねる。
喉の奥を、紅茶だったはずの液体が塊のように滑り落ちていった。
「自分の思い通りの年下の子を、『お師さん』さんはどうするの? きれいに着替えさせて飾っておくの? たまに棚から出して撫でてあげて?」
「……人形みたいに言うのはやめてくれないか」
どの口が、と嵐がぼそりと呟いたのが聞こえた。今度こそはっきりと睨みつけてやれば、相手はふんっとそっぽを向く。
「アタシ、先輩のこと昔よりは好きだけど、でも別に全部忘れたわけじゃないですからね」
つーん、とそっぽを向かれてしまえば、宗はそれ以上追いかけることもしない。わかってもらう必要はない。あの時期に、後悔がないかといえばうそになる。だがそれもひっくるめてのいまだ。そしておそらく嵐もそれをわかっているだろうから、話はそこで行き止まりだ。
「まあ昔じゃなくてこれからの話だよ、いまは。それで、みかりんのこと、どうするわけ?」
「どうもこうも、あれは人間だ」
「そうじゃなくて~」
「ああもうまどろっこしいわね!」
がん、とテーブルを殴る勢いで両手をつき、嵐が立ち上がる。すらりと高い美丈夫に見下ろされる格好で、宗は反射的に眉を寄せる。
嵐は片手を腰にあて、もう片手で宗に指を突き付けた。
「だ・か・ら! みかちゃんのことどう思ってるのかはっきりしてんだから、さっさとどうにかなれっていってんのよこっちは!」
それなりに響く美声はしっかり耳に届いたものの、意味がすぐには理解できなかった。
宗は、間抜けにも瞬きをしてすこしだけ惚けてしまう。それからすぐに我に返り、きゅっと口を引き結んだ。
「……は? いや、まて、僕が影片のことを? なに?」
「はー!? ちょっと待ってよ、まさか無自覚っていうんじゃないわよね!?」
「ナッちゃんおちついておちついて、お茶でものんだら?」
「ちょっと凛月ちゃん落ち着いていられるわけないでしょ? ほんとうに? ほんっとうに? あんな、今時のオトコノコはやらないような独占欲丸出しの束縛しておいて、自分のそばから離れないようにしておいて、ほんとうに何も考えてなかったの? なに? なんなの? 五歳児なの?」
弾丸のように繰り出される言葉の数々に圧倒され目を白黒させている宗の肩に、そっと手が載せられた。凛月が顔を寄せ耳元で囁いてくる。びくっと肩を震わせ逃げようとしても、なぜか動けない。
「『お師さん』さんはさ~みかりんのことぴかぴかに磨き上げて、自分の作った服も着せて、踊らせて見せびらかしたいんだよね。それは同じユニットの仲間を自慢したい気持ちかもしれない、うんうん。あるいは弟子を自慢したい師匠なのかもしれない」
まるですべて理解したような言い草は若干気に障るが、だが嵐の言い分よりは――少なくとも五歳児呼ばわりよりは――ましだった。だから宗は軽く顎を引く。けれど凛月の言葉はそこで止まらない。
「でも毎日電話で声を聴きたいのはどうかな? ヘリポートで久しぶりに会ってハグしちゃうのはどうかなあ。あと、みかりんのこと喋ってるときの『お師さん』さんの顔、すっごい甘ったるいよねえ。あ、これは俺だけの意見じゃなくてナッちゃんとか、あとま~くんとかにも聴取ずみです」
だんだん矛先が怪しくなってきた。言い返すために息を吸っても、すぐさま頭上から援護射撃のように「そうよ!」と声が飛んでくる。
「言わせてもらいますけどね、先輩のみかちゃんに対する態度は度を越してます、さっさと責任とってほしいのよこっちは」
「な、なぜ君たちにそんなことを言われなければならないのだね!?」
適切な反論ではなくとっさに出てきたのは感情的な返事だった。宗は混乱していた。みかに対する態度について、遠くで揶揄されているのは耳にした覚えはあったがそんなもの気にしていなかったのだ。あるいはからかうような口ぶりで言われることもあったが、それにはつれない態度で答えてしまいにしていた。
だから、こんなふうに、正面切って問い詰められるなんて思ってもいなかった。しかも、このふたりに。
同じユニット同士の連帯感だろうか、頭上と隣から、きれいにそろった返事が響く。
「「友達だから」」
ぐうの音も出ない。
宗はしばし硬直して、とうとう白旗代わりにため息をついた。
「ただいまぁ」
かちゃん、と鍵をあけ部屋の中に入る。凛月はオフのはずだが、さて部屋の中にいるだろうか。
みかは返事を期待せずそう声をかけた。そして、自分のベッドに腰かけた人影をみつけて、思わず肩が跳ねた。
「んあっお師さん!? なに、なんで?」
ぎょっとして、それから慌てて駆け寄る。凛月は不在らしい。キッチンをちらりとみると籠に伏せられたティーカップは三つ。だれか来客があったのだろうか――あ、そうか、この人か。もうひとりは誰だろう。
などと考えながらあっという間にベッドの前だ。宗はなぜか項垂れるように静かに座っている。カバンを肩から降ろしながら、ともかく顔を見たくて、みかはその場に跪いた。
「お師さん、なにかご用事? んあ、おれ、お約束忘れてしもた? ほんならごめんなぁ、今日サークルで勉強会してたんよ」
俯いた顔を覗き込むようその膝にそっと手を乗せる。ぴくりと足がふるえ、のろのろとその人が顔を上げた。なんだか、思いつめたような深刻な表情だ。みかはきゅっと胸が締め付けられる。なにがあったのだろう、なにか心配なことでもあっただろうか?
「お師さん? どないしたのん? なにかあったかいものいれよっか?」
「いや……」
「待っててな、つかれたときはあったかいもんおなかにいれたらええんよ、なるちゃんがそう言って」
立ちあがってキッチンに向かおうと動いたところで、足を踏み出した方向と逆に力が加わる。後ろから腕をひかれた、と気付いたときにはぐらりとバランスがくずれ、そのまま床に転がるかと思って目をつぶった。
「……んあ、」
ぼすん、と重力ではない力に引っ張られて、気づけばベッドの上だ。
腰から下はベッドから落ちた状態で、仰向けで、天井だけではなくその前に、宗の顔が、身体が、乗り出すように覆い被さっている。瞬いても、景色はかわらない。
「お師さん?」
「……影片」
「うん? うん、影片やで」
「……僕は、――いや、僕の、ちがう、そうではなくて」
宗はなにかもごもごと口の中で呟いている。それから前髪を片手でかきあげ、そのままぐしゃぐしゃと指先でかき乱した。そんな仕草をするのは珍しいので、みかは驚いて手を伸ばし、彼の腕に触れる。驚いたように、彼の手が止まった。
みかは宗の顔をじっと見つめた。
「うん、お師さんの影片やで」
「……影片、あのね、そうじゃなくて、」
「ちがうのん?」
そのすみれ色の瞳を見つめ、そう尋ねる。昨年までは、みかは彼の人形だった。いまは同じく人間として、ユニットのメンバーとして、並び立てるよう努力している。けれど人形だろうと人間だろうと、みかはみかだ。つまり、同じことなのだ。
「おれ、前も今も、お師さんのおれやけど。んあ、ちゃんと人間になるけど、でも、人間でも、別にお師さんのもののままでええやん?」
ベッドカバーに後頭部がこすれてさりさりとした感触がある。宗がかっと目を見開きこちらを凝視していたが、そのまま、急に、倒れ込んできた。ぼすん、とベッドがゆれる。みかは恐る恐る両手を伸ばし、その背中を抱いてみた。
「えっと、疲れとるんやろ? ちょっと寝る? おれのベッド使ってええよ?」
「……うん、そうする、そうさせてもらうのだよ」
「よしよし、ええこええこ」
手のひらをすべらせその後頭部を撫でてみると、宗の体が一瞬強張って、そのまま緩んだ。人間の、ひとりの男の重みを受け止めながら、みかは息を吐いた。宗が何を悩んでいるのか、何を言い淀んでいるのか、よくわからないけれど、そういうときもあるのだ。みかだって、自分の気持ちを持て余してどうしていいかわからないことがある。人間だから仕方がない。
指先で短い髪先を撫でて、梳く。さらさらと指どおりがよく、ほのかに香るローズはたぶんみかに贈られたヘアオイルと同じ匂いだ。そのことに、胸の奥がかすかに甘く、疼いた。
(おもたい)
それは、なんだか幸せな重みだなあと思う。でも重たいとか言ったらたぶん傷つくし怒るから、みかはそれは言わない。人間なので、そのくらいの気遣いはできるのだ。
おしまい!
ありがとうございました。