目が覚めると部屋の隅につもったほこりがうっすらと朝の日差しに照らし出されていた。何度か瞬きをし、意を決して起き上がる。思ったよりずっと頭が重たく、ずきっと痛んで思わず顔をしかめた。
「……チッ!」
舌打ちをひとつ。なじんだベッドにわずかに違和感があるようで、宗は片手でこめかみを押さえながら目を細めた。ぎ、ときしむ音がする。一人暮らし用の部屋のために買いそろえた家具は実家で使っていたものよりははるかに安物ではあるが、それでもベッドはそれなりにしっかりしたマットレスを選んだのだ。なんだこの軋みは、とシーツに乗せた手のひらがすべり、なにかにぶつかった。
ぎょっとして振り向く。枕の柔らかさではない。ベッドの端に置いた本が崩れたのか、と思ったけれどそれにしては、弾力がある。
俯いたその先に、見慣れない人間がいた。
「――――っ、はあ!?」
宗は自分でも自覚はあるが喜怒哀楽が激しい。おまけに声も大きい。それにしても、そうでないとしても、こんな事態に陥ればだれでも驚くのではないだろうか。
一人用の寝台に――広さだけで言えばセミダブルほどだが、ともかく――、自分以外の人間が横たわっている姿など、今まで見たことがなかった。ごくまれに泊っていく幼馴染だってわきまえてソファで眠るし、旧友たちはたまに我が物顔でベッドを専有しようとすることもあるが宗はそれを許さない。唯一、年下のかわいい末っ子のような小僧にはまあベッドを譲ったこともあるが、そのとき宗はソファで寝た。
つまり、誰かとひとつの寝台を共有することなど、いままでなかったのだ。
心臓がどきどきしている。どうにか口から飛び出る事態は防げたようだが、それにしても。
ぐ、と唾を吞み込み、宗はその顔を覗き込んだ。いったい誰だ、僕の神聖な寝台に勝手に潜り込んだのは。叩き起こして、あるいは蹴り落としてやろう、そう気持ちを強く持って枕に顔を埋めるように丸まったその人間を、見下ろす。
カーテンは中途半端に空いていて、朝の光が枕元に差し込んでいた。黒い髪の毛がだらしなくほつれて顔のほとんどを隠してしまっている。細い、骨ばった肩。おなかを守るよう手足を丸め、こちらに背をむけて寝そべった姿は野生の動物のようだがそれにしてもあまりに頼りない。女性の骨格ではない。そのことくらいはわかる。
「……こら、起きろ」
低く呟く。その男はまるで死んだように動かない。黒い髪先はそれにしてもずいぶんとざんばらに、伸ばしっぱなしのようだった。しばらく美容院に行っていないのだろうか。着ているTシャツもずいぶんよれよれで、みすぼらしい。
意味が分からなかった。誰だ、これは。
「いい加減にしないと蹴り落とすよ」
宗はそろそろ実力行使に出るべきかと思った。記憶にない、というか、そもそも昨日の記憶を思い出そうとすると頭の奥が痛む。だんだん胸の辺りもむかむかしていることに気づいている。昨日は、いつもより飲みすぎた。それは覚えている。講評で散々にけなされた。その教授とはそもそも相性が悪かった。だが、宗は彼の授業はきらいではなかった。彼は宗のことを好きではないようだが、少なくとも公平な人間だとは思っていた。
思い出すだけでもいらだちが戻ってきて、舌打ちしてしまう。どうにも最近うまくいかない。作品を仕上げる手を抜いているわけではない。いつも通り、情熱にまかせて、あるいは工夫を凝らして、取り組んでいるはずなのに。
『君の作品には――』
そう面前で酷評された場面が蘇り、思わず拳を強く握りしめた。
その日はもう、修正するとか、反省点をあげるとか、そういうことはできそうにない気分だった。仕方ないので渉に声をかけ、零もふくめ三人で店で飲んだはずだ。その後。そのあと?
まあいつもどおりどうにか家に帰ってきたのだろう。酒癖が悪いつもりはないが、昨日は少々度がすぎたかもしれない。ただそれだけだ。それだけ――
(それで、結局これは誰だ)
また振出しに戻ってしまった。そして相変わらずこちらの葛藤に構うことなく身じろぎ一つしない男が、だんだん憎らしくなってくる。
「こら、起きろ! 寝穢いにもほどが、」
揺り起こそうとつかんだ肩は、予想よりずっと細かった。骨と皮ばかりじゃないか、と慌ててつかんだ手を緩める。さすがに目がさめたのか、男が「んぅ、」と小さくうめく。黒髪がばさりと揺れ、隠れていた顔が上向きになった。
白い鼻先がまず見えた。そしてまっ白い額。彫刻みたいに整ったライン。零のような彫りの深い、男性的な顔立ちではない。渉のように目を惹く顔立ちでもない。だが、どこか。
ほっそりとした頬と顎先。血の気がひいたような顔が朝日に照らされ陰影を得る。長いまつげはけぶるように黒々と揺れ、うっすらと眉間にしわが寄った。
眩しさに揺り起こされるように、その男が目を開く。
宗は、息を呑んだ。
「……んあ、」
喉に引っかかったようなかすれた、艶のある声がその乾いた唇からこぼれた。宗はまだ、声を出せない。水彩のような淡い黄色ではなく、くっきりと濃いひまわりの花びらの内側のような琥珀ににた黄色の右目。左目はそれに反し、星々を詰め込んだ冬の夜空を透かしたような瑠璃色。目を開くと先ほどまでの地味な印象が一気に変わった。いや、整っている顔立ちに、ひとつ、動きが、生命の揺れが生まれ、輝きだしたような。
「……うつくしい」
そうつぶやいたことに、その声が耳に届いて遅れて自覚した。宗は慌てて手のひらで口元を覆う。一方の男は、もったいないことにその目をぎゅっととじ、んんー、と寝転がったまま背伸びをするように手を伸ばした。予想より腕が長い。縮こまっているときはコンパクトに見えたが思ったより背が高いかもしれない。
「君は誰だね」
先ほどのことばを取り消すように慌てて、少し声を険しくしてそう尋ねる。ぎゅっと睨みつけるようにしても、相手はまだ寝ぼけたように目をこすり、んん、んあー、とあくびをして、ようやくこちらを見上げる。目があう。やはり見間違えではなく美しい色違いの瞳と、人形じみた整った顔立ち。そしてやはり見覚えがない。こんな人物、一度見たら忘れないだろう。
「んあ、えっとぉ……?」
「どうして人のベッドに寝ているのか説明してもらおうか」
腕組みをしながら重ねて詰問すると、相手はのんびりとベッドから起き上がり、両膝を折ってぺたんと座り込んだ。関節がずいぶんやわらかい。バレエでもやっているのだろうか。
彼はそのままの恰好で頬を指先でかく。小首をかしげ、まだどこかぼんやりした顔つきのまま窓の方を見て、部屋の中を見渡して、最後にこちらを見て、反対側に首を傾げた。
「お寝坊してしもたみたいやね、ごめんなぁ」
「いや、だから」
「ほんまは寝とるあいだに出ていくつもりやったんやけど」
「だからどういうことなのだよ」
「えー? でも家に上がってええっていったのおにいさんやで?」
「……はああ?」
宗の訝し気な声に、相手はにっこり笑った。さながら天使のような微笑みだというのに、そして宗の美意識から言えば、まったく、文句のつけようのないくらい好みの顔立ちだというのに、どうにも落ち着かない。
「んふ、おにいさん、情熱的やったから」
「ちょっとまて、なに、なんのことだね?」
相手の謎めいた言葉にぎょっとする。たしかに記憶があいまいではあるが、その言い方だとまるで宗が自らこの素性のしれない美少年を連れ込んだようではないか。だが問い詰めるのも空恐ろしい気がした。進むことも戻ることもままならないまましばし黙り込んでしまった宗を見ているのに飽きたのか、相手はひょいとベッドから足を下ろす。すらりと長い、痩せぎすの足が覗いた。
「ま、ええわぁ。もう出ていくな。おれの服どこやろ」
ひとまずここまで!
ありがとうございました。