「俺の時間をやるから好きに使え。それを、どう使おうが断ることはしねぇから安心しろ」
バレンタインデーのお返しとして、ホワイトデーに左京がいづみに伝えた言葉。
真剣な左京の言葉に、いづみは目をぱちくりさせた。そして色々思考を巡らせ――一つ思いつく。
ポンと手を叩き、にっこりと笑顔で要望を伝える。
「じゃあ、次の左京さんのお休み、倉庫の片付け手伝って下さい」
「……は? 倉庫の片付け?」
予想の斜め上の答えに、左京はぽかんとする。だが、そんな左京の反応にいづみは微笑んだまま大きく頷いた。
「はい! よろしくお願いします!」
なんだか楽しそうないづみに、左京は何も言えなかった。
◇
そして、約束の休日。
左京はいづみとの約束通り、倉庫で物品の整理をしていた。
「左京さん。片付けしながら昔のテープ探して下さいね」
「昔のテープ? 初代組のやつか? 松川が探してたんじゃないのか?」
「結局最初期のものは見つかってないそうなんですよ。どうしても見たいので」
「……分かった」
断ることはしないと言った手前、左京は大人しくいづみの言うことを聞く。
埃っぽく、日差しもなかなか入らない倉庫。ごちゃごちゃ多種多様なものが置いてあり、物を左から右に動かすだけで一苦労だ。
(まったく……分かっちゃいたが、あいつにとって俺は単なる労働力か)
ため息をこぼしそうになるのを堪えつつ、諦めて片付けを始める左京。
本当は、どこか高いカレー屋に遠出したいだとか、大量のスパイスを買い込みに行きたいとか、そういう要望を予想していた。
だから、どこへだって連れて行ってやるつもりだったし、日頃の労いも込めて昼食だってそれなりのものを奢るつもりでいた。それが、2人して薄暗く雑多な倉庫で片付けだとは――飲み込んだはずのため息が、再び戻ってきそうになる。
「ふんふふーん♪」
一方。反対方向で片づけているいづみは、なんだか楽しそうに鼻歌を唄いながらせっせと片付けている。そんな様子に、思わず口元を緩めてしまう左京。
「………まあ、いいか」
想い人が楽しそうならそれだけで幸せになる自分に、我ながら現金だと左京は苦笑する。
諦めて、片付けに集中する。元来、綺麗好きな左京は片付けが嫌いじゃない。埃を払いながら倉庫内の様々な物を種類や大きさ別に分類して片付けていく。そんな単純作業の繰り返しの中で、左京はぼんやりと自分といづみについて考え始める。
(……俺は結局、こいつとどうなりたいんだろうな……)
先日のファン感謝イベントでの劇の役作りでも少し考えたが、今一つよく分からなかった。
いづみのことは好きだ。それは揺るぎない厳然たる真実として自分の中にある。
けれど、では恋人や夫婦になる為に行動を起こす気になるかと言われれば――その意欲が、イマイチ薄かった。
歳を食って消極的になっている部分は確かにあると思う。そういう意味では、真澄の若いが故の熱意や行動力は凄いと、素直に尊敬している。
勿論それに負けないだけの気持ちに自信があるとはいえ、その気持ちを形に出来てないのもまた事実だった。
それに、想い人のいづみが鈍感すぎるのも良くないと思うと、左京は自分に言い訳する。
あのド直球の真澄ですら華麗に躱されるのだ。捻くれ拗らせてしまった自分の気持ちなど、早々伝わるものではないと、半ば諦めの境地だ。
そして何より――左京は、今の自分といづみの関係に、満足していた。
毎朝「おはよう」と言い合い、劇団の現状や将来について語り合い、互いの芝居論について熱く議論を交わし、時には一緒に出掛けて楽しいひと時を過ごしたり、いづみが大変な時は支えてやり、自分がしんどい時にはそっと寄り添って貰え……毎晩「おやすみ、また明日」と微笑み合える。
付き合ってはいないが、これ以上ないほどの充実した関係性だと思う。
その現状を壊すのは――左京にとって、相当の覚悟が必要で、自分にはまだその覚悟が持てないでいた。また、先日もエチュードの形を取って真澄と告白した際、いづみにフラれたこともその覚悟が持てない要因の一つだ。
いづみもまた、現状が幸せだと心から思っているのだと、勝手に共感する。
だから無理強いできない、する必要も意味も見いだせない、だから――……
「……結局、なんもできねえんだよなぁ」
「? 左京さん、何か言いましたか?」
思わず口から飛び出た本音は、しかし幸いいづみには届かなかった。「なんでもねえ」と誤魔化して作業を続ける。
「しかし、こんなこと別に休みの日にやらなくてもいいだろ? 基本は松川の仕事なんだし、あいつに任せて……」
「支配人に任せてたら、いつまで経っても終わりませんって」
「……それはまあ、そうだが」
きっぱりと断言したいづみに、いづみの伊助への厚い信頼を感じた……正反対の意味で、だが。
「それに、どうしても左京さんと一緒に探したかったんです。昔のテープ」
「? そんなに見たい公演があったのか?」
「それは、見つけてからの、お楽しみです♪」
ちっちっちと指を振るいづみに呆れたため息をつきながら、左京は片付けを再開する。
先程より少し片付いたお陰で、2人の距離が近付いていく。
「……左京さんは、昔の、初代組がいた時のこと、結構覚えてるんですよね?」
いづみに話を振られ、左京は一瞬口を噤む。浮かんだのは、今でも色鮮やかな子供の時の記憶。
「――ああ。あの時間は、俺にとって宝物だからな」
稽古場での団員たちの真剣なやり取り。休憩時間の他愛もない会話に、誰も彼もが幼い左京を構ってくれた。真剣に芝居を見つめる左京に、稽古の仕方をアドバイスしてくれたり、一緒にエチュードに付き合ってくれた。たとえ劇団に顔を出さなくなってからも……その時間が、左京の夢を支え続けた。
左京の答えに、今度はいづみが口を噤んで、押し出すように「いいなあ」と呟く。
「……私は、本当に覚えてないんですよ。それに、時間だって左京さんに比べたらすごく短い。たまにお父さんが家に帰ってきた時、ちょっとお話聞けるくらいで、稽古だって殆ど見たことない……」
その言葉の中に軽い嫉妬や悲しげな感情を読み取り、左京はどう答えていいか分からなくなる。
「……そう、だな」
立花幸夫は、左京にとって恩人であり第二の父のような存在だが、本当の父であるはずのいづみにとっては、そうして過ごす時間は一般的な親子と比べて非常に少なかったのだろう。
まるでいづみから幸夫を取ってしまっていたような気になり、左京は何も言えなくなる。
だが、次に発したいづみの声は、とても明るかった。
「……だから、左京さんと一緒に見つけたいんです」
「――!」
にっこりと笑ったいづみの顔はあまりに可愛く輝いていて、一瞬見惚れてしまう左京。
と、不安定な場所に置いたのか、いづみの手前の荷物がぐらっと揺れていづみの上に落ちてくる。
「危ねぇ!」
左京は咄嗟にいづみを庇って床に押し倒し、背中で荷物を受け止めた。
「左京さん?!」
仰向けで床に倒れ驚くいづみ。自分を心配そうに見上げる瞳に、左京はふっと笑って安心させる。
「大丈夫だ。中身は軽かったみてえだから。それよりお前こそ大丈夫か? 咄嗟に押し倒しちまって、頭売ったりしてないか?」
「わ、私は全然……っていうか、」
そこまで言って、いづみも左京も自分たちの体勢にハッと我に返って恥ずかしくなる。
「わ、悪ぃ」
「いえ、私こそ、庇って貰って……」
顔を赤くしながら姿勢を正す左京といづみ。別に疚しいことは何もないはずなのだが、何故か互いの顔が見れない。と……
「……あ」
「え?」
左京が視線を外した先に、少し蓋の空いた段ボールがあり、中からビデオテープらしきものを覗かせていた。
近付いて確認するとそれは確かに公演テープをまとめた段ボールで、ラベルには『秋組』や『冬組』の文字が並んでいた。そして、その奥に――……
「……あった!」
『合同稽古風景~いづみちゃん来訪時~』と書かれたビデオテープがあった。
「これこれ、これ探してたんです!」
「これを?」
きょとんとする左京に、いづみは眩い笑顔で言った。
「これ、一緒に観ましょう! 私の部屋で」
◇
いづみはいつもちょっとだけ悔しかった。
父・幸夫との思い出は少ない。殆どMANKAIカンパニーに入り浸りだった幸夫はろくに家にも帰ってこず、寮に行ったのも幼い時にほんの少しだけ。
翻って、子供時代の殆どをMANKAI寮で過ごしていたという左京に、嫉妬にも似た気持ちがなかったとは言えなかった。
でも、悔しいという気持ちは、それとはまた少し違う。その悔しさはどちらかというと――幸夫に向けられたものだ。
(だって、左京さんが今役者やってるのって、お父さんの影響が強いよね? 左京さんがこんな素敵な役者さんになっている理由の一つにお父さんがいるのって、なんか、悔しい……)
一番大きな理由に自分がいることに気付いていないいづみは、実の父親に妙な対抗心を抱いていた。
けれど、その対抗心の源がいづみには分からない。分からないから対策を立てようがない。だから――観たかった。左京の原体験を、左京と一緒に。
「……なんだってこんなこっぱずかしい物を……」
断りはしないがぶつぶつ文句を言う左京に、いづみは機嫌良く答える。
「だって、私ばっかり覚えてないの悔しいんですもん。それに、左京さんの思い違いしてる可能性だってあるし」
「それを今更訂正してなんか意味あんのか?」
「ありますよ! ちゃんと史実に基づいた発言じゃないと私が困ります……!」
いづみの主張に、一拍置いて左京はくすりと笑った。
「まあ、なんだって一緒だと思うけどな。どんな過去を見返そうが……」
――俺がお前を好きになる事実に、変わりはないから――
「? 今、何か言いました?」
唇の動きだけで告げられたそれを、今日もいづみは気付かない。
左京は「なんでもねえ」と笑って、ビデオデッキに手を伸ばした。
「さてさて、どんな洟垂れ娘が映ってるだろうな?」
「鼻垂れてません!」【終】