応接室に戻った楓たちが目にしたのは、ダークスーツの男性だった。
 背が高い、上に、かなり筋肉質なのが立ち姿でも分かる。身長は大家とほぼ同じか少し低いかだが、重量は大家の同僚達とほぼ同じぐらいの比率だろうか?(穂高は相変わらず長距離ランナー体型で、まったく体重が増える気配がない。)
 アスリートだな、と断定したあと、楓が「失礼」と声を掛けると、彼が振り向いた。
 短髪の黒髪、雪のように色白で、静謐な男だった。特に目が印象的だ。全部の音を吸い込む、真っ暗な夜のような。
 ホンモノだな、と、そう思った。プロフェッショナル、というのは揶揄でも何でもない、在り方なのだと、実際に穂高達を見ていると楓も学習した。その気配がこの男性にもある。いずれ何らかの競技を……
「ん? バスケットボール?」
 覚えず声になっていて、隣の加納ばかりか、来訪者の男性まで目を見張るのが分かった。
「あ、いえ、申し訳ない。何か、スポーツをやっていらっしゃるようなので、この街は……バスケの街だと伺ったので、そうかな、と」
 言い訳めいた楓の言葉に、彼は苦笑したようだった。
「正解です。こちらこそ、こんなときにお伺いして申し訳ありません。ただ、古谷と連絡が取れないので気になって」
 それはそうだろう。全員が頷くのに、あっ、と気付いたように管理部のスタッフがそれぞれを紹介する。が、当然、楓を紹介しようとして止まった。
「改めまして、先程は失礼しました。私、K大の理学部物理学科で助教をしております、山科と言います。今回はこちらで講義を行う予定なのですが、実は古谷とはT大の同期で」
「えっ」
 彼が驚く一方で、楓もようやく名刺の存在を思い出した。慌てて、めったに使わない名刺入れを出し、めったに行わない名刺交換をした。相手はしげしげと楓の名刺を見るが、わりとよくある話だ。同業者以外に、否、同業者であっても、肩書きをそのまま信じられたことは余りない。
 一方、交換した男性の名刺には、
「工業高校の先生、ということは」
「はい、そこで物理を、よりはバスケットボールのコーチをしています、深町と云います。私も古谷とは同窓で」
 同窓生、という加納の呟きが聞こえる。つまり、ある意味、楓と同じ立場であるようだ。しかし、高校の部活の顧問というよりは、もっと……と、楓が内心首を傾げていると、深町の訝しげな様子が見て取れる。楓はすこし考えて、あっと気付く。
「いきなりで恐縮ですが、アレです、違います。昔の彼氏とかではないです」
「……いきなりですね。話が早くて助かりますが」
 今度は明確に笑いながら云う深町に、そうそう、と楓は付け足す。
「初対面の時、古谷には”顔のいい男は嫌いなんだ”とは云われましたね」
 ……
「言ったんですか」
「言われたんですか」
 深町と加納の突っ込みが重なった。ちなみに実話である。
「古谷がT大でも古谷だったことが分かってよかったです。彼女とは一年のときのクラスメイトで、”ふかまち”と”ふるや”なので……席次番号順に並ぶと、あいつ、小さいから、私は当時から180近かったので、後ろだと何も見えないでしょう。席、代わろうか? と声を掛けたんですが」
「それは、ゼッタイ嫌だ、と言いそうですね」
「言われましたね。余計な事は言わなくていいよ深町、と」
 そこで一同、吹き出した。その風景はありありと想像出来た。楓は自然に右手を出していた。深町もすっと手を握り交わす。
「改めまして、どうぞよろしく」
「こちらこそ。こんな時ですが、バスケの街にようこそ」
 深町の手のひらはさすがに分厚い。なるほど、これくらいの手の大きさと指の長さなら、バスケットボールも掴めるのだろう、と楓も腹の内で納得する。
「あの、こちらも失礼ですが、違います、よね?」
「違います。ああ、うちの代のエースもそこそこ二枚目でしたが、当時、同じことを古谷に言われてましたね」
「……言ったんだ」
「古谷さん……」
 一同がその同窓生のために祈ってから、楓はまず一番の懸念点について口にした。
「深町さんは、古谷と最近、なんというか、リアルでの接触はありましたか?」
「それが、私も実はこの街に戻ったばかりで。昨年は現役引退後、いろいろと後始末があったもので、正式に母校のコーチとして戻って来たのはこの三月です」
 やはり最近まで選手だったか、と楓は脳内にメモする。気配の鋭さはその名残か。そして、深町の黒い瞳がそこで少し陰る。
「それで、久しぶりに会うかという話を、ああ、メールでですが、やり取りしていたところでした。今日の事故で、気になってメールしてもレスがなくて。電話もずっと不通で」
 その辺りの状況はこちらと同じらしい。それはご心配でしたでしょう、と実験場のスタッフが声を掛ける脇で、楓はまず深町の持つ情報を統合することを提案した。
「早速で恐縮ですが、深町先生が最後に古谷からの連絡を受け取ったのはいつですか? メールですかね」
「ええ、メールを昨夜受け取っています」
 明瞭な発声で答えると、深町はスマホの画面を示す。それには日程調整のシンプルな文面が見て取れる。楓はそれを一瞥し、少し考えてから深町に問うた。
「この三月から、ということは、それ以前……彼女に最後に逢ったのはいつになりますか?」
 そうですね、と深町は眉根を寄せる。バスケにはそれほど詳しくないが、国内のプロリーグが発足したことくらいは楓も知っている。同学年ということを考えると、深町選手の競技生活はかなり長いはずだ。しかも、すぐに母校のコーチとして招聘されたということは、相応の実績があるのだろう。
 プロ選手のスケジュールはハードだ。古谷も国内・海外を転々としていたことを考えると、近況の把握については余り期待は出来ない。
「それが、卒業後はお互い関東でしたが、かえって近いと逢わないものですね。アメリカに居たときに一度だけ……ああ、私の後輩があちらで選手を。それでついでのように逢ったのが最後です」
「は、アメリカで、選手? バスケの?」
 アメリカでバスケットボールといえばNBAだ。それは……すごいことなのではないだろうか? と、楓が気付いたときには、既に脇に居るスタッフ達がそわそわしている。なるほど、おそらく個人が特定できる程度の知名度であるようだ。
 しかし今、そこにかかずらっている場合ではない。
「となると、4、5年は前ですかね。古谷、マメに近況報告するタイプではないですよね」
「ええ、年賀状は唾棄すべき習慣だ、と言っていたのを聞いたことはあります」
 だろうなあ、と、楓は思わず溜息を吐いた。
 そうなると、楓と深町はほとんど同時期に古谷と連絡を取っていたことになるが、つまり、それ以前の情報が似たり寄ったりなのだ。
「結局、情報量があまり増えないな」
 楓は深町から聴取したメール受信日時をホワイトボードに書き込んで、腕を組んだ。当然のように、
「それで、古谷の近況というか、何か話を聞いたりは、」
「残念ながら何も。彼女のことなので、たとえ結婚したり出産したとしても、事後報告だった気がしますね」
 ええっ、と加納などは驚いているが、楓は諸手を挙げて賛成だ。とりあえず、深町が古谷の為人をよく知っている元同級生だ、ということしか分からなかった。
 深いため息とともに、楓は改めて呟いた。
 古谷、おまえ、何処に居る……?
 その後、新しい情報は得られないまま、夜を迎えた。
 深町とは連絡先を交換し、新たな展開があれば共有することを約束して別れた。事故の方は人的被害無しとして、現場検証は明日も続くようだ。実験場の管理部に確認すれば、古谷の実家とは連絡が取れたという。あいつにも家族が居たんだな、と当たり前のことを今更実感しつつ、楓は自分も大家や身内に今回の件を報告した。
 彼からは「無事でよかったです」とシンプルなレスがあり、元同級生が行方不明になっている事案については「大ごとでないといいけど」という心配と、「ちょっと待っとって」という謎なメッセージが入った。何を?とは思ったが、とにかく色々ありすぎた1日で、楓も気を抜いたときには寝入っていたのだった。
 翌日、本来の公開講座の日である。
 楓としては昨日の今日で気が引けたが、せっかく来訪頂いたのだから、と気を遣われ、可能な限りの聴講生を集めての開催となった。それこそ、古谷が組んだシステムを利用し、各地のJ▲XAに配信され、アーカイブも保存された。実験場の担当者曰く、
「加納君の紹介なので心配はしていませんでしたが、素晴らしかったです。山科先生、講義お上手ですね」
「……K大より、どこかの予備校講師なんかされたらひと財産できそうな」
 という余計な賛辞も頂いたが、それも慣れっこである。
 結局、時間の許す限りの補講や質疑応答で、あっという間に時は過ぎる。ほとんど昼下がりになって、ようやく一区切りついたところで、スマホが着信を告げた。
 見れば大家からである。まだシーズン開幕前とはいえ、LINEでもSMSでもなく、通話は珍しい。慌ててタップすると、「かえで、ごめんな。いま平気?」と彼の声が聞こえてくる。
「ああ、ちょうど休憩だ。何かあったのか?」
 と聞き返すと「ちょっと代わる」と通話が遠くなる。え、代わるって誰と?と思って居ると、
「先生、ご無沙汰です」
「……やなぎさわ?」
「はい、正解です」
 朗らかな声につい「どうも」というマヌケな返答をした。彼の昔の相棒で今の親友は某球団左のエースだが、当然、今は彼と同じオープン戦中のはずだが。
「今日、たまたまうちとなんですよ。それで、事故の件を聞いて」
「ああ」
 リーグが違ってもオープン戦であれば対戦はある。なるほどと頷いていると、柳澤圭一郎は「で、ですね」と続けた。
「その深町先生、大物です」
「おおもの?」
「元日本代表キャプテンですよ」
「マジか」
 なんと!
「なんか聞いたことあるな、って。そしたら深町選手、藤堂キャプテンが知ってました」
 藤堂キャプテン、とは彼らが高校二年のときの野球部主将で、付属大学に進学、今はそのままコーチをやっているはずだ。切れ味のよすぎる舌鋒と頭脳の強打者だが、そんな伝手があったか。
「深町選手は○○大だったんですけど、うちの大学のバスケ部主将と仲良くて。高校の頃からユースの代表で一緒だったらしいです。藤堂キャプテンも大学野球の日本代表だったんで、スポーツ新聞の企画とか大学共同のイベントで紹介されたって言ってました」
 こんな時は学閥も役に立つ。スポーツで名を馳せる名門校だ、横の繋がりもあるのだろう。
「ああ、こっちにある工業高校がバスケの名門校で、そこのOBだとは聞いたが」
「ですです。当時はほんとすごくて、インターハイ四連覇とかしてるらしいっす。あと他の全国大会もあわせて、三年間公式戦負けなしだったって」
「はい?!」
 松坂大輔かよ、と思いながら、もう少し詳しい話が分かれば教えてくれ、と柳澤に頼む。後ろで、部のLINEグループに入れたらええ?という彼の声も聞こえる。運動部コミュニティで探してくれるようだ。
 また分かったことがあれば連絡します、と殊勝なことを言った柳澤だが、ふと思いだしたように付け足した。
「あ、藤堂キャプテンいわく、深町選手、宇宙人だって」
「ええっ?! なんだそりゃ」
 と、楓が言い終わる前に通話が切れた。
 宇宙人……?
 と首を捻りながら通話を終えた楓は、やはり事故現場が気になった。立ち入りはまだ禁止なのか、見学は可能なのかと確認していると、管理部のスタッフから声が掛かった。
「山科先生、いま、大丈夫ですか? 実は、古谷さんのお身内の方が」
 !!
 反射で振り返って、手にしたコーヒーがこぼれるところだった。
 実家に連絡を取ったということは、当然、関係者の訪問は予想できる、というかあってしかるべきだろう。今のところ、事故とは無関係とされているが、とにかく本人が行方不明なのだ。最後の消息を知っている職員や、個人的な連絡を受けた楓に声が掛かるのは当然とも云えた。
「はい、大丈夫です。応接室に伺えば?」
「ありがとうございます、そうしていただけると助かります」
 担当者に頭を下げられ、楓も軽く頷くと、まず深町に一報を入れた。今は春休み直前で、三年生は既に卒業式を終えており、深町も教師としての業務は始まっておらず、外部コーチのような立ち位置だという。授業がなければこちらに来られるかも知れない。
「身内、というと、ご両親ですかね?」
 まず思いつくところを口にすると、それが、と担当者は言葉を濁した。
「古谷さんのご両親は、既に亡くなっているそうです」
「えっ」
「それで、今日はお姉さんとその旦那さんが」
 楓もさすがに絶句する。両親を共に失っていて、姉……姉が居るのか、とそこで始めて、自分が古谷のバックグラウンドを殆ど知らないことに気付く。なんせ、秋田出身だということさえ、昨日初めて知ったのだ。
 かつて、時間を共有したはずの旧友の姿が、どんどんと霞んでいく。
 不安定な心を持て余しながら廊下を歩いていると、ポケットのスマホが着信を知らせてくる。見れば深町からだ。そちらに向かう、とあるので、運良く抜けられるようだ。
「あの、古谷の母校からここまで、どれくらい時間がかかるかわかりますか?」
「ああ、N工業高校ですよね。あちらは市街地の中ですが、車で20分はかからないと思いますよ」
 なるほど、と頷いたところで、応接室に到着する。中から、予想外に大きな声が聞こえてくる。管理責任とか、リスクマネジメントという単語が聞こえるようだが……
 担当者のノックと声かけに、ドアノブがかちりと動く。昨日、古谷の不在を知らせてくれた男性がドアを開けてくれたのだが、覗いた顔が妙にくたびれている。いや、昨日の事故からのことを考えれば、疲れて当然ではあるのだが。
「お話の途中で失礼しますが、古谷さんと直前に連絡を取っておられた、K大の山科先生がお見えになりました」
 妙に慎重な紹介だな、と思いながら、楓は「失礼します」と断って入出する。そこには果たして、
 まず、顔のいい男だ、と思った。
「ああ……」
 と、厳しい表情の男がこちらを見ていた。同世代だろうが、非常に、なんというか、圧の強さを感じる。仕立ての良いスーツで、隙のない身のこなしで立ち上がったが、無遠慮にこちらを見ている。
 楓はそれには気付かない風を装い、ポケットから名刺入れを取り出した。今日はさすがに準備済だ。なるべく余裕を見せつつ名刺を渡すと、それを一瞥しただけで、その男は挨拶も抜きに訊いてきた。
「あなたが真と最後に連絡を取ったと聞きましたが」
 まこと、ね。
 つい反射で声に出すところだった。さすがにそれは控えて、楓はゆったりと微笑んで見せた。なんせ、先方は名乗りもしていないのだ。
「失礼ですが、あなたは?」
「……私はこの、古谷忍の配偶者で、古谷といいます」
 婿養子?
 それにしても、妻を顎先で指し示すとは礼儀がなっていない。応接室のソファで、彼に隠れるように身を縮める小柄な女性が居るが、それが古谷の実姉、忍なのだろう。楓は努めて不快を表に出さず、丁寧に外堀を埋めることにした。
「真さんとは、T大の同窓でして、こちらで偶然、仕事があったものですから連絡を。真さん、普段からご家族と連絡を取っておられたのでしょうか? ご実家は県内だそうですが」
 男の後ろに居る忍に問い掛けたつもりだったが、当然のように男が答えた。
「県内ではありますが……忍とは連絡を取っていたようですが、うちに顔を出すことはありませんでした」
 両親は既に他界、姉とその配偶者が実家に居るということだろうか。まあ、身内とマメに連絡を取り合うようなタイプではないだろうが、姉妹は他のきょうだいより関係性が濃いものだ。楓は再度忍のほうを伺うが、彼女は小さな顔を伏せたまま、長めの髪に隠れて表情も窺えない。
 なんとか忍とやり取りをと首を伸ばしたが、妙に強い声で横槍が入る。
「山科さんでしたか、あなたは真とどんな関係だったんですか」
 カチンときた。何だこの男は。
 改めて見ると、まあ整った顔面といい立派な体躯といい、見栄えのする男だが、殆ど敵意を持ってこちらを見ている。だいたい、義理の兄が何をもってプライバシィに口を挟むのか。
 この場合、出来る限り相手の勢いを削ぎ、こちらの優位性を示すのが上策、ではまったくないが、売られた喧嘩を買うのは得意である。楓はせいぜい優雅に見えるように笑ってやった。
「さて、関係と云われましても。同窓生です。昨日の朝、真さんからメールの送信がありましたが、挨拶程度のもので、それ以降は何も」
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北の街_202402241202
初公開日: 2024年02月24日
最終更新日: 2024年02月24日
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一次創作で続けている『物理屋の恋』シリーズ
北のバスケの街で、爆発事故と共に行方不明になった同窓生を追う物理屋さんのお話