ハスを見るなら7月7日の7時がよい。
というのを聞いたのは、確か祖父からだったように思う。
山科楓は朧気な記憶を頼りに、愛機の手入れをしている。久々に7月7日が日曜日にあたったので、撮影に行こうと思い立ったのだが、なぜ七夕でなければならないか……思い定めるのに至った記憶を掘り起こしていたところだ。
父方の祖父は英国人である。
学生時代に比較文化学を専攻していたとかで日本に留学経験があった。その時期に祖母と出会ったようだが、色々あって(祖母談)日本人を配偶者とし、大学に職を得てしばらくこちらに在住していた。父親の大学進学を機に、祖母と共にイギリスに戻っていったという。計算すると20年程度は日本に住んでいたわけだ。その後も、折々に祖母と共に来日しては、しばらく滞在していたので、楓にとっては『イギリスのおじいちゃん』ではある。
とはいえ、母語は英語であったし、気安く話すといっても、なんというか……子ども心には気難しいオトナという印象が残っている。長じてからは英語で会話することもあったのだが、職業柄か、英語と日本語のちゃんぽんになって、ほとんど講義やディスカッション化することも多かった。これには楓の資質も貢献している。
祖父はくすんだ銀髪にブルーグレイの瞳が印象的な美丈夫で、楓は子どもの頃から祖父によく似ていると評されたものだ(とはいえ、気質が似たのは姉の方だと思う)。父は祖母に似て、基本曲線で出来た純日本人だった上に、中身も祖母譲りのおおらかさで、まあ……割れ鍋に綴じ蓋であった。結果、家族で過ごすと、祖母:父:姉が3:3:3の分量で言葉を発し、残りの1を祖父・母・楓で分担していた気がする。
そんな寡黙な祖父と孫の男児がどうコミュニケーションを取っていたかというと、主にチェスをしていた。これに関しては、父も姉もこのゲームに向いておらず(むしろ母が将棋を指せたのだが、それを知ったのはずいぶん後になってからだ)偶然、”向いている”楓に白羽の矢が立った、というのが近い。
いずれにせよ、お互いに拙い日本語で会話するより、盤を挟んで向かい合うのが楽しかったのは事実だった。
覚えてみると、チェスというのは非情なゲームで、為人、その日の気分や調子が顕れるものだった。ふだんは温厚な人物が随分と先鋭な陣を敷いたり、一見、大雑把な人物であっても、緻密に駒を詰めたりもする。
そういうことも、祖父に教わったように思う。
そうして、対局に飽きると連れ立って散歩に出掛けたりしていたのだが、その日は少し足を伸ばして上野に向かった。ハヤシライスが食べたい、と楓がワガママを言った記憶がある。
上野動物園は父母姉と来たことがあるが、それ以外では子どもにとって興味深い場所ではあまりない。当時は子ども図書館もなかったし、今でこそ博物館と美術館に足を向けるが、当時は大きな公園があるという認識しかなかった。ただ、とにかく広い池に枯れた枝が林立する光景に、妙な迫力があった。
祖父に尋ねると、ああ、といま気付いたように頷いて、
「これはハスだ」
と教えてくれた。が、そもそも〝ハス〟と云われても楓の脳裏に浮かぶ画がない。それは何、と更に問えばもう少し考えて、レンコンだ、という答えが返ってきた。
レンコンは子どもに人気のある野菜でもなく(地味な根菜だ)、おそらく気のない風情で「ふうん」と応えただろう楓に、祖父はもう少し考えて、
「7月7日7時にまた来よう」
と告げたのだった。
あの頃はまだ、7月7日といえば梅雨の最中で、それほど暑い日もなかったと思う。なお、日本の梅雨に関しては、祖父には大不評であった。まあそうだろう。
しかし偶然、あの年の七夕はよく晴れ渡って、暑くはあったが不快指数は低かった。この分であれば織姫と彦星の逢瀬は無事に敢行されそうだったが、楓にとっては恋人達のイベントはイギリスより遠い国の話でしかなかった。
楓としては、約束の日だと意気揚々と、というわけでもなく、云われてみれば……という程度であったのだ。一方、むしろ祖父が非常にそわそわと落ち着きなく、今か今かと待っていた気がする。お気に入りのカメラ(当時は当然銀塩のフィルムカメラである)の手入れをし、天気予報を欠かさずチェックしていた。
そう、それはもうウキウキと、という風情の祖父を見たのは初めてだったので、楓としてはそちらのほうが興味深くてしかたがない。普段は寡黙で、ともすれば不機嫌にさえ見える祖父が、鼻歌でも歌いそうな感じなのだ!
その頃、姉の受験で忙しそうな父母は避け、それとなく祖母に尋ねてみたのだが、彼女にも心当たりはなさそうで、はかばかしい回答は得られなかった。いま思えば、祖母なりに何か感じていたのではないかと思う。よくわからないわね、と微笑みながら、それでも当日朝、彼女はおにぎりを結んで持たせてくれた。
そうして、祖父と楓は早朝の東京を、不忍池まで歩いて向かった。
楓の自宅から不忍池までは緩やかな坂を下っていくことになる。
東京は何時でも何処でも人が多い印象だが、それは商業エリアのはなしであって、一歩入れば下町、妙に雑多な風景が広がっていたりする。上野も公園周辺は観光名所でもあるが、谷中や根津、白山といったあたりは静かなものだ。T大の脇を擦り抜け、坂道を下っていくと、ともすれば歩調が早まる祖父に置いていかれそうになり、楓はところどころ早足になり、すっかり汗をかいていた。さすがに途中で気付いた祖父が、謝りながら手を繋いでくれた。
その大学は楓の母校となるのだが、まあそれは別の話だ。
坂を下りきると池が現れる。
そのときに、楓は「あれっ?」と思った。冬の日に見た茶色がひとかけらも見えない。というよりも、水面が見えるべき場所に池がなかった。否、池が見渡すかぎり、緑色に覆われている。
7時少し前に池に到着した。
早朝だったが、不忍池には楓達のように散策を楽しむ人の他、ジョガー、物好きな観光客、朝練に向かう学生、ひょっとしたら朝帰りの酔客など、思いの外、人出があった。しかし、その中に祖父のようにカメラを手にした人影もちらほらと。
いったい何を、という疑問はすぐに解けた。池の様子がはっきりと見える場所に立てば、その一面の緑の中に、ちらほらと薄紅の灯りが見える。
「あれがハスの花だ」
と、祖父が節くれ立った指で示す。
大きく広がるハスは茎が長く、すり鉢状の葉は中心が窪んでいる。葉によっては透明な朝露の粒を貯めている。その間に、同じく細長い茎の上に、艶やかな多弁の花が咲いていた。縦に筋が入った薄紅色の花弁の中、明るい黄色の花托が見える。
朝の光を受け、輝くばかりの美しさで。
「ハスの花は早朝に開き、午後には閉じてしまう。ハスを見るなら朝に限る」
祖父はそう云って、楓を池の中の方に促した。
不忍池のハスは発育も良く、楓の目線では密林のように生い茂っている。その中に散らばる、大きな花とまだ閉じた蕾。緑色から褐色に近い蕾は堅く鋭利な形をしているが、剥けるように膨らむと色が変わる。ほとんど花弁と同じくらいの色になっている蕾は、今にも開きそうな。
「ハスの花が咲くときは、PONと音がするという」
祖父はカメラを構えたままそう云って、シャッターを切る。
えっ、と、思わず祖父に聞き返すと、彼は笑ったようだった。
「正岡子規も句に詠んだが、その音を聞いた者はいないそうだ」
ほとんど夜の中で、堅い花びらが開く瞬間、
誰も聞いたことがない その、おと、は
そのとき、さあっと風が薙ぐ。
楓の視界いっぱいに広がる池で、ハスの葉は一斉になびいて、翡翠色の光を弾く。桃色の花はゆらゆらと揺れて、その中心の黄金色がきらきら光る。
大きく広がった葉の上で、露がころころと転がって、するりと滑って、飛んだ。
祖父がシャッターを切る音が続いた。
「きれい……」
楓は知らずに呟く。
楓と祖父はゆっくりと池を一周した。
池のそこここで、皆が無限に広がるハスを愛でている。散歩に通り掛かる犬も、寝ぼけ眼の猫も、そぞろ歩く鳩も、気の早い蝉も。
人が多く行き交う朝の公園は、それでも静かだった。まるでハスの花開く音を聞くために、皆が沈黙しているかのように。
しかし、ハスの花が開く音は、楓の耳には届かなかった。
途中で祖母の持たせてくれたおにぎりを食べ、池を二周して帰路についた。
楓の脳裏には、朝日を弾く翡翠の波と、合間に覗く薄紅の宝石が揺れている。祖父の足取りも行きよりはゆっくりだった。登り坂になったからかもしれないけれど。
豊かにあふれるイメージに、