「あんた、目が覚めたかい?」
聞き覚えのない男性の声がする。周囲を気にするような小さなささやき声は何かに怯えているかのように僅かに震えていた。冷えた床の上で、水木はもぞもぞと身体を動かして声のした方に視線をやる。と言っても、きっちりと目隠しをされているのだ。何も見えやしなかった。ざりざりと擦れる左半身が地味に不快だ。身じろぎしても水木の両手足を拘束した何かは外れてくれそうもなかった。
「誰だか知らねぇし俺は目隠しされてるから見えねぇけど、そこに、誰か転がされてるんだろ?」
水木がうんともすんとも返事しなかったのが不満だったのか、それとも、不安だったのか、男は先程よりも少しだけ声を張ってそう問いかけてくる。
「あぁ、ここに居る」
声の主がどんな者か検討もつかなかったが、水木と同じように目隠しをされているのならばともに捕まった者なのかもしれない。そう、多分、水木は何者かに捕まったのだ。
そもそも、なぜこんなことになったのか? 水木は記憶にある限りの最近の自身の行動を振り返る。
数ヶ月前から街で起こる不審死について調べていた。それから、家に夢に出てくる着流しの男が現れた。その男いわく、水木が狙われているのだと言っていた。それも、血液製剤Mを服用しているだろうと疑われて攫われそうになっているのだと。Mを服用している可能性がある人間がなぜ攫われるのかは水木にはわからない。ただ、そう着流しの男に忠告されてから、水木はMと不審死の関係について疑い始めていた。
例えば、Mを増産するために何者かが密かに人を殺めるほどの量の血液を集めているという可能性。もしくは、Mを服用している人間を探し当てるために手当たり次第に血液を抜くなどの何かしらの方法をしている人物がいる可能性などである。
蛇の道は蛇、と言っていた記者の言葉を思い起こす。記者のわりにたいした情報を持っていない男だと見下していたが、どうやら勘だけは良かったらしい。それとも、こちらに情報を漏らさなかっただけでMと不審死の繋がりを示すような何かを掴んでいたのかもしれない。
とりあえず。それならば丁度良い。自分がMを服用しているかもしれないと蛇たちに思われているのならば、良い機会なのでそれを利用して攫われてみよう。と、無防備に夜の街を散策していたのが水木の最後の記憶だ。
ざり、ざり、と何かが這って近付いてくるような音がした。共に攫われた男が近付いてきているのかもしれない。なので、その音が水木の横を行きすぎてしまう前に水木は「ここはどこなんだ?」と質問していた。
近付いてきた男は、さぁ? としか返さない。それよりも、と言った彼は、水木に「あんたもMを飲んでるのかい?」と訊ねてきていた。は、でなく、も、という助詞に水木は引っかかるものがあった。
「攫われる可能性があるから注意しろ、とは言われていた」
「は? 忠告されてたのにわざわざ攫われてきたのか? あんた、馬鹿なのか?」
「失礼な。俺はわざと攫われたんだ」
「へぇ?」
「最近流行の不審死について調べてる。それと、Mの高額転売、それからMを飲んでる人間の人身売買に何か関係があると思ったんだ」
「なるほど、違いねぇ」
そうか、俺ら、これから身売りされるのか。
はん、と鼻で笑う男の言葉からその男自身の自己評価の低さがうかがわれた。今までだったら、そんな自己評価の低い男に興味など持たなかっただろう。しかし、今、唯一話せる相手はこの男のみだ。水木は少しでも今の自分の状況を把握したかった。だから、水木は男に尋ねた。
「あんたはMを飲んだのか?」
「俺は飲んだよ。出世できるって聞いて飲んだ」
「出世?」
「上司に勧められた」
「なるほど」
「けど、馬鹿だった」
はは、と自嘲気味に笑う男の次の言葉を水木は静かに待った。しかし、男はピタリと話すのを止めてしまう。ピュウピュウと吹く隙間風がただ二人の頬を撫でていくばかりだった。
痺れを切らしたのは水木の方だ。Mを飲むと、と切り出していた。
「噂通り、飲まず食わずで働き続けられるのか?」
「そうさ。働きづめで確かに出世した。家族は喜んだよ。でも、食欲もわかねぇんだ」
それに、と続ける声のトーンが一段と低くなったことに水木は何か不穏さを感じずには居られなかった。
「夜になると、化けモンになっちまう・・・・・・」
「化け物・・・・・・?」
男の言うそれがどういう意味か水木にははかりかねた。表情も見ずに話をすると言うことがこれほど不便なことかとその時初めて水木は実感していた。
「そうさ。まんじゅうみてぇにひっつぶれた頭だけの化けモンさ。四畳半の部屋なんかいっぱいになっちまうくらいデケぇ頭でさ、そのくせ、人らしい声だって出せねぇんだ」
「人が、夜な夜な化け物に?」
にわかには信じがたいことだ。もしかしてこの男が水木を謀っているのかとも考えたが、しかし、そんなことをする理由が思いつかない。それに加え、男がまた、はん、と鼻で笑った事が益々男の言葉に真実味を持たせていた。
「信じらんねぇってことは、あんた、Mを飲んでねぇんだな」
「あぁ。どうやら俺はそうらしい」
「幸せなやつだ」
かみ殺すように言われた言葉で水木は男が嘘など言っていないだろう事に思い至った。男は本当にMを飲んでしまったことを後悔しているらしい。男の言うことが本当だったとして、そんな物を製造していた龍賀製薬はその副作用についてまだ理解していて高額で販売していたのだろうか? また、今現在さらなる高額で転売している者達もそれを知っていて転売し、人に飲ませようとしているのだろうか? そう考えると、胃の腑の中からこみ上げてくる物があるような気がした。
「化けモンになるだけならどうにかなる。けど、化けモンになったら最後。人の血を吸わずには居られねぇんだ」
だから、男の続けられた言葉を一瞬、水木は聞き逃しそうになった。鸚鵡返しに「人の血?」と呟けば、また、男が自嘲気味に、ふふふ、と笑うのを風の音に交じって聞いた。
「最近流行の、不審死。あれは俺の所為だよ」
ハッキリと言い切る男の声の端に、水木は後悔と懺悔と、それから、多大なる卑下の雰囲気を感じ取っていた。
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