歴史書の記載でも、御伽噺でもなく、本当に……ある、その剣は。
「居てもおかしくない、否、居るだろうな。只、これまでは”その気のない”剣は見つからなかった。それが、縁が復されて剣がその気になった、とすれば」
「それに気付く者もいるでしょう。なにせ……神器ですので」
 誰もが探している、宝剣。
 気付いた者が誰であるにせよ、其の『誰か』は剣を捕まえたいはずだ。方法は其程多くない。縁を辿る以外にないなら、
「ときに、日向、おまえ、青海波は舞えるか?」
「は」
 せいがいは、と瑞垣も口の中で復唱する。日常でも目にする古典柄だが、此処で言うなら恐らく舞楽の方だろう。源氏物語の『紅葉賀』に光君と頭中将が舞う場面がある。秋の夕暮れに舞う二人の美しさに、紫式部の筆致が冴えわたる印象的な一話だが……
 日向は秀麗な眉をすこし顰めた。
「……形であれば、ひととおり」
 低く応えた家令に、事もなげに主人は命じた。
「なら教えろ。あとは楽の奏者がいるな。七宮に聞くか」
 新しい茶碗を手にすると、ニヤリと嗤った。
 七宮、とは、思わず瑞垣も目を見張る。小張元少将は親王の御学友と聞いたが……それが、先帝の末子、通称七宮だったのか。
 七宮様は先帝の遅くに出来た皇子で、今上とほぼ同年代。つまり少将と同窓、成る程と瑞垣も合点がいった。母が側室でもない女官であったため、表舞台にはほぼ出てこないが、彼には幾らか逸話があるのだが……
「何をなさるおつもりですか」
 日向の冷たいとさえ云える声が差し込まれ、瑞垣ははっと顔を上げる。日向は殆ど表情がない、否、僅かに……困惑、している……?
 あ、っと気付く。此れは瑞垣に聞かせる為の問いなのだ。
 其れに応えて、少将は笑う。
 彼は、ただ、美しかった。
「誘き出せば良かろう。剣も、それを追う何者かも」
 一度で事が済む、と、事もなげに。
 それに日向は今度こそ渋面を作る。予想通りの回答だったのだろう。
「お人が悪い」
「まだるっこしいのは性に合わん。第一、喧嘩を売ってきたのは彼方ではないか。遠慮する必要が何処にある」
「……図られたのは確かでしょうが。余り大事になるのは如何なものかと」
「大事にしてやればよいのだ、こんな茶番は」
 旦那様、と、吐き捨てるように言う主を家令が窘めるが、徹頭徹尾、様式美のような問答だった。慣れているのか、最初から、それこそ瑞垣をこの屋敷に受け入れたときから決まっていたのやも知れぬ。
 駒のように扱われるのに腹立たしさも感じるが、相手がこの二人ではどうにもならない。
 ふう、と細く息を吐き出した日向は、改めて瑞垣に向き直った。
「此れもまた縁でしょう。どうかお付き合い下さい」
 声も口調も丁重ではあったが、湖面のような瞳は強く、断ることなど出来る訳もなかった。瑞垣はなけなしの気力で、何とか肩をすくめて見せた。日向は口の端で少し笑む。
「琵琶弾きの縁ですが……もし、人であれば、左右の瞳の色が違うはずです。人の場合、そうはっきりと異なる程ではないかもしれませんが、件の琵琶弾きの娘は”過去を見る目”と”未来を見る目”を持っていたとのことですので、恐らく然うだったのでしょう」
 動物、卑近な例であれば、白猫で左右の目の色が違う猫がいる。自然界でも有り得る現象なのだという。
 ……瞳の、色が、
 すっと、背筋が冷たくなるのが分かった。瑞垣は拳を握り締める。
「そういった人物が身近にいるのであれば、其処が端緒になりましょう」
 日向の言葉に、幽かに視界が狭くなったように感じた。否、此れは事実、部屋が暗くなったのだ、と胸の内で否定する。
 既に日は落ちている。夜が来る。
 少将は気付いたように、手近な洋燈を手繰り寄せ、灯りを点した。橙色の光に三人の影が揺れる。押し黙る瑞垣を眺めながら、少将は「そうそう」と口を開く。
「七宮もな、左目が僅かに青いぞ」
 然う云って、やはり彼は美しく笑った。
 左右の瞳の色が、違うと。
 厳島神社の巫女姫、平家物語、壇ノ浦に沈んだ宝剣、琵琶弾きの娘と平資盛……
 御伽草子のような単語と絵巻物のような光景が過る。瑞垣は小張邸から続く眩暈のするような坂を下る。瀬戸内の海と、風と、竜宮城の如き絢爛豪華な社殿、浮かぶ小舟、波の音も、渦潮に白く青く沈む二位尼君と安徳帝の影が、
「どうした」
 其の声に我に返る。
 いつの間に帰り着いたか、居室の扉を開けたところに彼が居た。息を呑む。何故、此処に、彼が?
 彼はタイを外しながら云う。
「嗚呼、突然で悪かったな。彼方での仕事が早く片付いたんじゃ。知らせる隙が無かった、否、面倒でな。なんじゃ、其の貌は。散らかし放題なのは覚悟の上じゃぞ?」
 それとも何か、女でも隠しているのか、と冗談口で軽く笑う彼の顔を……その目を、つい凝視してしまう。硬直した瑞垣を、さすがに彼も訝った。
「……どうした?」
 二度目の問いに、とうとう「ああ」と声が出た。
 右の目の色が、違っている。
 瑞垣は足を踏み出す。
 一歩、二歩と……彼に近付く。そっと左手を伸ばして、脱いだ背広を手にした彼の頬に沿えて、その目を覗き込む。
 普段は其れとは気付かない。然し、光を当てると確かに右の瞳だけが、微かに赤みを帯びているのが分かる。此れか、と、瑞垣は眉根に力を入れる。
 確かに……たしかにあった、琵琶弾きの娘との『縁』が。
 瑞垣はもう一方の手で、彼の右頬に触れる。彼は困惑した顔で、其れでも為すがままに立っていた。瑞垣はゆっくりと息を吸う。喉がカラカラに乾いていた。
 そうして、
「此れは、お前の物語や」
 然う云って、瑞垣はそっと彼を抱き締める。
 彼の故郷は瀬戸内だった。
 詳しい話を……聞いた覚えはない。否、学生時代にほろほろと彼が語るのに任せ、耳にはしていたはずだが、真逆、
「壇ノ浦に沈んだ宝剣との縁、か」
 ひととおりの話を聞き終えた彼は、茶碗を両の手で包み、小さく呟いた。
 近頃、此の上海でまことしやかに囁かれていた、壇ノ浦に沈んだ宝剣の噂。それに纏わる小張元少将の昔語り。厳島神社での不可思議な女との出会い。平資盛と琵琶弾きの娘の縁。
 得体の知れない御伽噺は夜に融けずに揺蕩う。
 瑞垣の様子に、ただ事ではないとは察せられたろうが、さすがに予想だにしない話であろう。彼は何とも言い難い様で、眉尻を下げて小首を傾げた。
「平家物語、平資盛公と、厳島神社の巫女姫、とは……」
 そう続けてから、茶を口にする。瑞垣は大きく息を吐いてから、煙草を取り出す。少しひしゃげた煙草に火を点けても、彼は何も言わなかった。平素は窓際で吸えと煩いのだが。
 ゆらゆらと滞留する煙が、瑞垣と彼を隔たっている。
 煙草が半分灰になる頃、彼はぽつりと、囁くように。
「今は……もう、実家は呉に近い土地に移ったがな。元は安芸国、厳島の対岸の辺りの出だとは……聞いたことがある。昔、ばあさまが言うとった」
 !
 驚きに煙を肺に吸い込み、咳き込んだ。それでは、本当に?
 瑞垣は咥えていた煙草を慌てて消し、彼を真正面から見据えると、彼はすこし笑ったようだった。其の瞳は、やはり左右の色が異なっている。瑞垣は奥歯を噛みしめた。
「その、平家の為に祈っていたという厳島の巫女姫に……所縁があるかどうかは分からんが、そのばあさまが俺に持たせてくれたものがあるんじゃ」
 と、彼はよううよう腰を上げ、「まあ待て」と云うと、居間から屋根裏に続く梯子を上がっていく。屋根裏には、居候たる瑞垣が寝泊まりする部屋と物置がある。平素、彼はめったに其処には立ち入らないのだが。
 トントンと、彼は軽快に梯子を下りてくる。が、その姿を見たなり、瑞垣はぎょっとした。背中に、何かを背負っている。楕円形の袋……否、何か、一抱えはあるかという大きさの……?
「本来は、家の総領娘が引き継ぐらしいんじゃが……ばあさんが、どうしても俺に持って行けと言うたんじゃ。恐らく俺が生まれて、目の色に気付いた時にそう決めとったんじゃろう。両親も反対はせんでな。姉貴達はふつうの、目だったからな」
 彼はそう云って微笑んだ。
 背負っていた袋を降ろす。元は錦、とは云えないまでも相応な袋ではあったのだろうが、大分年を経ているようで、すっかり色褪せている。そして、中から現れたのはまさしく。
「……び、わ?」
 あの独特の下ぶくれの楕円形、甲虫のような形状、弦は四本。古ぼけた……大層、古い品であるようだ。なんとまあ、こんなにも明瞭な。余りに直截な”縁”の形に、瑞垣は呆然とする。
 然し、彼は意外なことと口にする。
「ただ、これは使えないんじゃ」
「つかえない?」
 鸚鵡返しに尋ねた瑞垣に、彼は軽く肯った。
「鳴らない」
 は? ともう一度、問い返した瑞垣を押し止め、彼はやおら琵琶を抱え、撥を右手に構えた。その姿は意外にも様になっている。そうして、ゆっくりと撥で弦を弾き、丞とした音が、
 かすっ
 と、単に糸が木っ端を叩くような音だった。響きも余韻もない、只の……音だ。楽器が奏でるものではない。琵琶を真面目に聞いたことは余りないが、瑞垣とて、それが本来の音ではないことは分かる。
「えっ?」
「鳴らないんじゃ」
 と、そう云って彼はもう一度、撥で弦を弾く。だが結果は同じだった。何か、おかしいのだ。瑞垣は強く眉根を寄せて顔を向けるが、彼は緩く首を振る。
「弦を替えても、柱を調整しても、撥を変えても……誰が弾いても同じじゃ、音がせん」
「だれがひいても?」
 そう、と彼は深く頷いた。
「確かに俺は琵琶弾きではないが、それでも普通なら音くらいはする。それに、姉貴達はもちろん、母さんも伯母さんも、あのばあさんでも、弾けなかったんじゃ」
 恐らく、他の誰でも同じだろう、と彼は言う。褐色の甲虫の如き姿は、何処にでもある、古いだけの……これが件の琵琶弾きの娘が使っていた琵琶とは言い切れぬ。だが。
 これはいよいよ、と、瑞垣は生唾を飲み込んだ。
 誰が弾いても鳴らない琵琶。
 誰が探しても見つからない剣。
 小張少将が出会った、時とともに姿を失う女。
 此れは符牒だ。
 縁が失われたときに沈黙し、縁が復す際にその本来の姿を現す。恐らく、この琵琶が弾けるように成ったときこそ、縁が復すのだ。
 あるべき姿に、閉じる。
 埒外に”縁”が早く解けたところで、瑞垣としてものこのこと小張邸に赴くわけにもいかない。こちらもあの二人と、件の噂の出処と渡り合う準備が必要だった。
 まず平家物語と源平盛衰記等、当たれる資料を当たる。厳島神社や神器についても出来る限りは。あとは勿論……
「小張家の来歴、ですか」
 さあて、と爺むさい仕草で塩塚は顎に手をやった。
 いつもの上海記者倶楽部の午後である。瑞垣は例の如く倶楽部の隅の長椅子で、塩塚と野々村を相手に情報の整理と検討を開始する。肝心な所は暈かしつつ、神器の在処を知っていた平資盛が落ち延び、厳島神社に流れ着いた昔語りについて二人に開示していた。
 野々村は平氏の家系図をしげしげと眺めている。
「確かに、資盛については生き延びた説もありますね」
「鎌倉方に捕縛された記録もないしな」
 父、重盛が死んでからは棟梁の筋ではなくなったとは云え、平氏の中枢であることに変わりはない。資盛は幾つかの合戦では大将を任されており、追跡されて然るべき人物だが、記録は無い。壇ノ浦に身を投げた後のことは有耶無耶になっていた。そこで、小張邸で耳にした、資盛の末という言葉……
 瑞垣は真正面から塩塚を見据えると、カステラを差し出した。これはどうも、とへらへらと受け取った塩塚はもったいぶって応える。
「織田家の傍流というのは、聞いたことがありますねえ」
「……あの、織田家で間違いないか?」
「ええ、あの、織田家で間違いないです」
 そう云って、塩塚はニヤリと笑った。
 織田信長、今なお本邦の戦国史に燦然と名を残す武将である。天下統一を眼前に、非業の死を遂げた時代の寵児……そして異端児でもある。
「秀吉も、家康も、織田家を根絶やしにはしませんでしたからねえ」
 明智光秀が信長を 本能寺の変後、迅速に動いた豊臣秀吉が天下を取ったのは幼年学校の子どもでも知っている歴史だが、平たく云えば秀吉によるお家乗っ取りである。信長の嫡男、信忠は本能寺直後に自害し、次男・信雄、三男・信孝は秀吉の手のひらで踊らされ、結局は早々に歴史の表舞台から姿を消した。秀吉は信長の死後、織田家を主家として扱うことはなかったのだ。
 とはいえ、秀吉もその後を継いだ家康も、一族を殲滅するような事も無かった。信長の弟、長益などは有楽斎として名を残している。
「いちおう、手加減したっちゅうことか」
「……単に、怖かったのかもしれませんがね、信長が」
 そっと呟いた塩塚の言葉に、瑞垣も野々村も押し黙った。
 死してなお、か。
 自ら魔王を名乗った男、の、幻影。
 あ、でも、と塩塚が打って変わって明るい声を出す。
「足利義昭も生かしたままでしたし、案外優しいひとたちだったのかも知れませんよ?」
「あれは義昭がぼんくらだったからやろ」
「……容赦ないですね」 
 瑞垣が断言すると、野々村が苦笑する。
「その織田家の祖が平氏、平資盛だという話でしたかねえ」
 信長は、源頼朝が”鎌倉幕府を興して以降、それまで武家の棟梁たる地位であった征夷大将軍には就かなかった。将軍である足利義昭を京から追放した後も。謀反を起こした松永久秀を討った後には右大臣に登り、”右府様”と呼ばれていた。武士が右大臣となったのは、彼の平清盛以来はじめてのことだったが、その際に源氏ではなく平氏を名乗っている。
「確か、織田家の祖先は資盛公の末子とか……源氏も、平家を根絶やしにしなかったと」
「あれはどちらかっつうと、その余裕がなかったんやろ。板東武者の内ゲバに承久の乱、それどころやない」
「まあ、そうでしょうね」
 鎌倉幕府は死屍累々、板東武者の骸の上に成り立った。無数の死者を踏みつけて、頼朝は武士として初めて国の頂に登ったが、その源氏はあっさりと三代で絶えてしまう。平家の怨念と言われる所以である。
「何れにせよ、壇ノ浦に沈んだ宝剣の在処を知る者が生き延び、その在処を言い伝えてきたとして……実在を確かめたくは、なるわな」
「なるでしょうねえ、それは」
 見るものを屠る、呪われた宝剣だったとしても。
 しかし、何度挑んでも剣は見つからず、いよいよ物語の中だけの存在となった。隠された平家の御曹司と巫女の悲恋が明らかになったとして、それ以上に。
「それでも、見たいもんか?」
「……見たいでしょう、それは」
「まあ……そうだろうな」
 出来るものならば。
 そうして今、隠された物語から宝剣が甦るとして。
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わだつみ2_202311251011
初公開日: 2023年11月25日
最終更新日: 2023年11月26日
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コメント
『わだつみの詩』途中から
壇ノ浦に沈んだ宝剣はなぜ上海に、の下り、いきなり途中なのでネタバレ?注意
散華_20240831
文学フリマ札幌用 たぶん子どもの頃の物理屋さんが不忍池にハスを見に行く話
都築晶
沢深ワンドロワンライ_残り香
ちょっと出来心で旅先ですが沢深ワンドロワンライ参加しようかと
都築晶
桜の森
満開の桜の森には鬼が棲む
都築晶
ゆう喜現パロネタメモ
壁打ちしてたら割とまとまってきたゆうぎり喜一の現パロいちゃいちゃ世界線のメモ
篠畑