赤ん坊をしわがれた手が抱え上げる。
「べろべろばー」
奇妙な顔を見せるのは顔のでかい老婆だ。その髪はすっかり白髪になっており、しかし、その長い髪をひとまとめにもしないのでどこか妖怪めいた薄気味悪さを醸し出している。
にもかかわらず、抱き上げられた赤ん坊、鬼太郎はキャッキャと明るい声を上げていた。
「砂かけババァ・・・・・・その顔はわしでも恐ろしいぞ・・・・・・」
正座する砂かけババァの足下に目玉に手足が生えた生き物が居る。その生き物はどこから声を発しているのか、やや甲高い声で砂かけババァにそう声をかけていた。
「何を言うとる。鬼太郎は喜んでるではないか」
「それは砂かけババァの顔を見て笑っとるのではのうて、高い高いに喜んでおるんじゃろ?」
「そうかのぉ?」
そうなのか? 鬼太郎? と砂かけババァが片目のみ見える鬼太郎に問いかけようと、そうじゃろ? 鬼太郎?と目玉が問いかけようと、鬼太郎はキャッキャと楽しそうな声を上げていた。
「それはそうと、水木は毎日なぜこんなに遅いのじゃ?」
目玉が窓の外に視線を、いや、身体全体を向ける。高く上がった月が建物の隙間からよく見えていた。
「人間の男というものは身を粉にして働かなければならんらしいぞ?」
「なら、人間の子供は誰が育てるんじゃ?」
「母親が育てるんじゃよ」
「鬼太郎は良い子だから良いが、一人で子供を育てるのは難儀な物では無いのか?」
「難儀なことばかり選ぶのが人間という奴らよ」
「難儀よのぉ・・・・・・」
砂かけババァにも、目玉にも人間という生き物はとても奇妙に見えた。そして、そんな奇妙な生き物に大切な息子の世話をさせている目玉の行為も砂かけババァには奇妙に思えた。とはいえ、その人間、水木はほとんど家におらず、こうやって鬼太郎の世話の多くを砂かけババァが手伝っている状態ではあるのだが。
「親父殿。もういっそ、鬼太郎をお化け界に連れて行ってあちらで育てぬか? こうやってわざわざ出てくるのは骨が折れる」
「堪忍してくれ、砂かけババァ。わしは鬼太郎を人間の世界で育ててやりたいんじゃ。岩子のように・・・・・・」
「親父殿・・・・・・」
岩子とは目玉の元妻であり、鬼太郎の母親である幽霊族の女だった。彼女は人間をこよなく愛し、人間と共に都会で暮らすことを慈しんでいた。目玉とは岩子には、最後の短い幸福な時間があった。それは、互いに朽ち果てた姿になりつつも水木の家の隣に移り住んできた僅か数日。その僅かな間に彼らは「鬼太郎が生まれたら人間界で育てよう」と何度も話をしていたのだ。それほど、岩子は人間界を愛していた。そして、そんな岩子を目玉は愛していた。生憎と、岩子は鬼太郎の生まれる姿を見る前に亡くなってしまったが、目玉に霊力を集中させて生き残った目玉は、どうにか鬼太郎の生まれる瞬間を、水木がそのおぞましい光景を見てもなお、鬼太郎を強く抱きしめた様を、余すことなく見ていたのだ。その時、目玉は確信した。水木にであれば大切な息子を託せる、と。
「それに、急に鬼太郎が居なくなったら水木が悲しむじゃろ?」
「そうかのぉ?」
そんなにあの男、鬼太郎に思い入れがあるのか?
砂かけババァが鬼太郎の顔をもう一度覗き込む。さらさらの前髪をボコボコに変形したその手で撫でると、すぅっと鬼太郎は眠りについた。そのまま細心の注意を払いながら、砂かけババァは鬼太郎を小さな子供用の布団に横たわらせ、首までしっかりと布団を掛けた。健やかな寝息と同じリズムで布団が小さく上下する。その健やかな寝顔を目玉がじっと覗き込んでいた。
「さて、あの男が帰ってくる前にわしはおいとまするぞ?」
「いつもすまんな、砂かけババァ」
「気にするな。子供は可愛い」
その言葉は嘘でもないのだろう。砂かけババァはその大きな口の端をゆるりと持ち上げ、微笑みのような柔らかな表情をしていた。よっこいしょ、と声を上げながら立ち上がり、いつも持ち歩いている砂壺を抱えて消えていく。
目玉はしばらく鬼太郎の頭のすぐ横に正座して彼を見つめていた。普通の人間の子供よりもずっと丈夫に出来ている幽霊族の生き残り。それが鬼太郎だ。
「またお前を抱きしめたいのぉ」
小さな目玉の身体では両手をいっぱいに広げても鬼太郎の頬にすがりつくのが精一杯だ。呼吸に合わせて緩やかに膨らむ頬にすがりつきながら、目玉はピリピリと感じる何かを甘受していた。温かな湯にでも浸かっているかのようなその心地よさに目玉がうっとりしていると、みるみるうちに目玉の姿が大きくなり、人のような形になり、そうして、とうとう鬼太郎そっくりの白髪の着流しの男へと変容していた。
「鬼太郎、お前・・・・・・」
男はぱちくりとその大きな瞳を瞬かせる。片目しか出ていないその瞳はまっすぐに鬼太郎を見下ろしていた。小さな鬼太郎の掌に手を伸ばすと、指をきゅっと捕まれ、また、そこからピリピリと心地よい刺激が伝わってきていた。
「鬼太郎・・・・・・」
男は、眠る息子を起こさぬように気をつけながら、彼にそっと覆い被さる。そして、そのままゆっくりと子供の体温を吸い込み、満足する。そのままごろんと鬼太郎の横に寝転がると、その腹を軽くトントンと叩き、静かに鼻歌を歌い始めた。
「水木、遅いのぉ・・・・・・」
そうしていると、いつの間にか男はうとりうとりと船をこぎ始めていた。