白鳥沢学園は緑豊かな場所に建てられた学校である。坂の下に住宅街、坂の上に青々とした緩やかな斜面の山々。
つまり、そこには多くの野生動物やら野良猫やらが顔を出すのである。
最近、学園内で話題になっているのは「きなこ」という名の野良猫であった。確かに、きなこ餅のような黄色がかった茶色の背中に、真っ白な腹なのである。といっても、野良猫なのでその腹は薄汚れてはいたが。
その、野良猫:きなこなのだが、相当警戒心が強いらしい。そのため、学園内できなこに触れた者はもちろん、見かけた者も少ないのだという。なのになぜこんなに話題になっているかといえば、まことしやかに「きなこに触れたら幸運が訪れる」などというおまじないめいた迷信が学園内に広まっていたからなのである。
初めにきなこを目撃した女生徒は、その週末のテストで良い点を取り、きなこににぼしをやることに成功した男子生徒の兄が翌日に懸賞で家族旅行を当てたのだという。昼寝をしているきなこを見つけた用務員さんは、宝くじが当たり、気まぐれに足下に近付いてきたきなこの頭を撫でた教師は縁談が成立したという。
「というわけで」
県大会が近付いたその日、天童覚は牛島若利にその話を聞かせ、きなこ探し兼外周ロードをしないかというお誘いをしていた。
「天童はなぜ俺だけを誘うのだ?」
「そりゃぁ、うちの大エース様に良いことが起こると言えばうちのチームの勝利に決まってるからデショ?」
天童はスラスラと思ってもいないことを言ってのけるのが得意だった。
そもそも、天童にとってそんな迷信はただの言い訳である。白鳥沢学園バレー部が勝ち進むことはわかりきっている事である。しかし、その練習の合間を縫ってわざわざ牛島を呼び出し、こうやって猫探しロードに誘ったのは、ただ単に天童が牛島に心を寄せているからなのである。
「うちが勝つのは当然だけど、験担ぎに猫探ししてみヨーと思ってサ?」
付き合ってヨ? と軽く誘った天童の様子に牛島は何か不満そうな低い声を出していた。
「勝利に当然はない。ただ、験担ぎというものも悪くないと思う」
「やった」
「だが、闇雲に猫を探しても見つからないぞ?」
「カンタン、カンタン。」
想像してみてください、とやけに大仰な手振りで天童が話し始める。
「自分が猫になったとして、この夕暮れ時、どこでどんなことをしていたいですか?」
猫の真似なのか、もうすっかりなりきっているのか? 天童が手を猫のように丸め、にゃーにゃーと鳴いてみせる。牛島もぎこちないながらにそれを真似てみるが、そんなことをしても猫の気持ちなどわかるよしがなかった。
「野良猫なら、もちろん、餌を探してます」
じゃん、と天童が取り出したのは、最近テレビCMでよくやっている猫用のおやつであった。どうやらそれは猫ならばこぞって食べに来るような魅力的なおやつらしいと牛島でさえも知っているメーカーのものであった。その可愛らしい音の商品名は可愛らしい音楽と共に印象に残っている。
「あらかじめ、猫が好きそうな路地裏にいくつか置いてあるので、それを見に行こう‼」
「なるほど」
「三カ所しか置いてないから、全部外れだったら普通にロードして帰ろう」
「問題ない。良い案だ」
「デショ?」
まずはこっち、と天童が走り出す。そのスピードは部活後と思えないほどに軽やかであった。いつもよりも少しハイペースな天童の後を牛島は粛々と追ったのであった。
三カ所目は、薄暗く細い路地裏だった。そもそも、部活後に走り始めた二人が三カ所目の路地裏に着く頃には周囲はすっかり暗くなっていた。
その暗がりの中で、ぴちゃぴちゃと何かを舐める音がする。
そう、そこに、まさにきなこが居たのである。白い腹に、黄色がかった茶色の背。痩せ細った身体に小さな頭が乗っていて、鋭い眼光はまさに野良猫のそれであった。
「あれが、きなこだろうか?」
こっそりと呟かれた声に天童が「多分ね」と短く答える。あまり近くに行くと逃げられてしまうだろうと、二人は物陰からその小さな猫を窺い見ていた。
「想像していたより小さい」
「若利くんはどんなデカい猫を想像してたの?」
野良猫ってこんなモンだヨ? 天童がぷふっと笑ったのが良くなかったのかもしれない。ぱっときなこの耳が立つ。そして、明らかに二人をその金に光る瞳が捉えていた。そして、フーッと低い声を上げて、きなこが前身の毛を逆立ててこちらを威嚇してくる。
「触るのは無理そうダネ?」
何か悪いことをしたわけでもないのに、天童が両手を挙げて降参ポーズをしていた。確かに、そうしたくなるようなきなこの威圧感ではあった。
「まぁ、見られただけでも幸運なんだろう?」
「宝くじ当たるくらいの幸運があるはず」
「そうか。なら、もう放っておいてやろう。気の毒だ。猫には猫の生活や生き方があるのだろうから」
「ソだね」
フーフーと威嚇し続けるきなこから目を離さず、そろりそろりと二人は後ずさる。下手に背中でも向けたら飛びかかられそうな緊張感が妙にきなこにはあった。そろり、そろりと数メートル後ずさった頃だろうか? やっと、きなこの小さな身体が元のサイズ通りになり、フーという声も収まり始める。
そうして、きなこの威嚇が収まったのを二人は見届ける。と、くるりと向きを変え、最初からそう決めていたかのように一斉に寮へと向かって走り始めたのであった。
「幸運を、試合ではないところに使いたいと思ってしまうのは良くないことだろうか?」
しばらく走ったところで、牛島が口火を切る。
「イーんでない? どうせ俺ら、勝つし」
ケタケタと笑う天童の声は、牛島と異なり、少しだけ息が上がり始めていた。平坦な声で、牛島が「そうか」と返す。やはり、全くぶれない声音だった。
「天童、好きだ」
「うん。俺も若利くんだーいすき!」
「それは、恋人としてという意味で間違えないだろうか?」
「え?」
「俺は、天童のことを恋愛対象として、好きだ」
ぶれずに言われた言葉に、天童の速度が一気に減速する。それに気付いた牛島も合わせて減速すると、呆然とした天童はついに、その場に立ち止まってしまっていた。
「恋愛対象って、恋愛対象?」
「恋愛対象だ」
「俺、男だよ?」
「知っている。男子バレー部員だ」
「俺、こんなナリだヨ?」
「そうだな。もう少し筋肉が付いても良いかもしれないな」
「マジで言ってる?」
「マジだ」
街灯がつき始めた道ばたで、突然言われた言葉に、天童は大いに戸惑っていた。薄暗い道ばたでも、その顔が赤くなっていくのがよくわかる。
「きなこの幸運が効くのならば、俺たちは両思いだと勘違いしても良いだろうか?」
まっすぐに見つめてくる牛島の瞳を見返しながら。天童の脳裏に様々な言葉が行き来する。しかし、最後に出てきたのは先程見た、茶色い野良猫。さっきはあんなにも威嚇してこちらを警戒していたのに、天童の想像の中では「にゃぁお」と甘い声を出して天童や牛島の足下をくるくると回っていた。
「そ、そうだヨ! 俺、若利くんのこと、恋愛対象として、だいすきだよ!」
大きな声で宣言してしまってから天童は後悔した。
いや、正しくは歓喜した。
だって、牛島があまりにも嬉しそうにニッコリと笑ったから。
きなこの幸運がそこに具現化していた。