夏のパリって暑くて、とぼやく天童は、初夏から秋にかけては比較的ポーランド、つまり、牛島若利のいるワルシャワに遊びに来ることが多い。その週末も、天童は二時間のフライトを経てわざわざ恋人である牛島の住む街にやって来ていた。
天童はワルシャワに来ると必ず家庭料理屋に入りたがる。そうして、たんまりポーランドらしい食事を取って、たんまりと酒を飲む。休みの時でさえ、そうやって食を精一杯楽しむ天童は、休みでさえトレーニングする牛島と一体何が違うのだろう? いつも天童は牛島に「若利くんはバレーばっかり」というくせに、天童だって同じようなものなのだ。
今日だってたんまりと飲んだ地ビールに「ホワイトチョコが合いそう」とか言っていたのを牛島は聞き逃していなかった。
外で夕飯をすませたあと、ほろ酔い気分で街を歩く。
質実剛健な気質のポーランド人はあまり遅い時間まで街を練り歩かない。というよりも、首都であるワルシャワであっても日本の東京やフランスのパリのように不夜城が多くあるような華やかな街とは言いがたかった。
「若利くん、ボイドタイムって知ってる?」
天童の発言はいつも俺に新しい気づきをくれる。ふらふらと先を歩く彼がくうるりと回りながらそう言ったのを俺は素直に聞き返した。
「なんだそれは?」
「新月の夜に願い事すると願い事が叶うらしいんだけど、その新月の夜の時間の中でも悪魔が邪魔して願い事を叶えてくれない時間帯があるんだって」
なぜそんな話をしたのかと問えば、天童がすっと天を指さす。
「チョード、今日、新月だから」
確かに、天童が指し示す指先を眺めてもいつも空にある丸い、もしくはほっそりとした月は見当たらない。町並みがきらめくパリとは違い、ワルシャワの夜は静かで星がよく見えるが、月がない今夜は特に星の輝きがよく見えるようであった。
「天童は何か願い事をするのか?」
「ウン。今年の若利くんも絶好調でありますヨーに! ッテ」
「それは、願われなくても」
「言うと思った」
ケタケタと笑う天童の隣に並び、千鳥足の彼の腕を捕まえる。保守的で同性愛には否定的なこの国だって、こんなに暗ければ誰も文句も言わないだろうし、何より、天童は支えてやらなければ転んでしまいそうな千鳥足だ。無意味に手を繋いでいるとは思われないだろう。
「きょー、ネ?」
やっと家に辿り着き、重々しい玄関ドアをくぐり抜けたら、そこから先はもう二人だけの時間だ。サッと天童が抱きついてきたかと思えば、耳元でこそこそと呟く。酒の回った吐息は覚えているよりも熱く感じた。
「恋人に会いに行くって言ったら、ボイドタイムまで起きてちゃダメだよって言われたンだ」
悪魔に恋人を取られちゃうかもしれないヨって言われた。
おかしそうに囁く天童は、ボイドタイムがどれだけ厄介な時間なのかを説明し始める。占い好きの同僚に言い含められたらしかった。ろれつの回りきらないその説明を聞きながら、首に絡められた腕をそっとなぞる。そうして、そのまま牛島も愛しい恋人を抱きしめ返す。久々の再会だ。酒の匂いと食事の匂いの奥に、確かに天童らしい彼の香りが香った。
その、ボイドタイムとは何時なんだ? と低く聞けば、23:30くらいから翌朝3:30くらいまでだと言う。
「そンなに起きてるカナ?」
「……起きていることが多いな」
「ソーなの?」
「天童はいつもすぐ寝てしまうからな」
「エッチした後って事?」
「有り体に言えばそうだ」
あけすけな言葉を選びがちな天童に時々戸惑うこともある。だが、きっと天童はそうやって俺がささやかな羞恥を示すのを面白がっているのだろう。ふふ、と嬉しそうに笑う。そうして、益々きつく首に抱きついてきた。どうやら、このままでは彼はそこから動く気が無いらしい。
それを察した牛島はサッとその足を抱えていた。すぐに天童は、キャッキャと子供のようにはしゃぐ。それはいつものことなのだが、その長い足をばたつかされたのは少し困った。
「お姫様抱っこだァ~」
「時を無駄にしたくない」
素直に言えば、一瞬、ばたついていた天童の足がピタリとおとなしくなった。そのすきにサッサと歩を進める。
「若利くんの、えっち」
「否定はしない」
天童の指摘はいつだって的確だ。的確すぎてこちらが恥じ入るのをきっと彼は楽しんでいる。引き寄せられて頬に口付けされたのも、こちらが抵抗できないのもキスを返せないのも計算尽くな天童は、よっぽど悪魔よりも悪魔らしいかもしれなかった。
「俺がこんな感情を抱くのは、いつだって天童一人だ」
だから、俺は、精一杯の睦言を恋人の耳に吹き込んで。
そのまま牛島と天童は小さな寝室に入っていった。
真っ暗な星空には、何時になっても月も悪魔も現れはしなかった。
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