「ただいま」
薄暗い部屋に帰り着いて、返事がないのを知りながら、必ず声を掛ける。
驚かせてしまったら申し訳ないという配慮と、いつかそのうち出迎えてくれるようにならないだろうかという淡い期待。
そんな日は来ないと、ちゃんと理解しているけれど。
暗い廊下を歩いて、リビングを素通り。
隙間から灯りが漏れているドアを、2回ノック。
かたりと小さな音が聞こえて、自分の口元が緩んだのがわかった。
「ただいま、デンジ君」
ゆっくりドアを開けながら、二度目の言葉。確実に今の声は聞こえただろうに、変わらず返事はない。
虚ろな目を向けられ、笑みを返すと、デンジ君が微かに肩を揺らした。
「相変わらず出迎えてはくれないんだ」
「・・・俺は、ここから出られないから」
「そっか。でも家の中なら自由に動いていいんだよ?」
ゆっくり近寄ると同時に挙げられた手。
それを掬うように捕まえて握り込むと、デンジ君が安心した様子で小さく息を吐いた。
こんな生活を続けて、もうどれくらい経ったのだろう。
すっかり彼は変わってしまった。
「おかえり、吉田、俺、ちゃんと待ってたぜ」
「そうだね、ちゃんと待っていてくれたね」
「だろ?俺、いい子にできてるだろ?」
「うん、デンジ君はいい子だよ」
そっと手を開放すると、すぐに腕が巻きついてきた。
寄せられた体は頼りなく、細い。
彼がもう、ひとりではいられない証拠。
俺がいないと生きてはいけないほどに堕ちてしまった証拠。
「よかった、吉田が帰ってきてくれた」
「当り前だろ、俺は君から離れないし、離さない」
「離れんなよ、捨てたりすんなよ・・・・俺、もう、あんな・・・」
「大丈夫、わかってるから。俺はいなくなったりしない」
縋る腕にきつく抱きしめられ、ゆっくりと背を撫でた。
どんどん精神が幼くなっていくデンジ君は、もう俺のことしか考えられない。
こうなってしまったのは、誰のせいだろう。俺か、あの人か、それとも彼自身のせいなのか。
柔らかな髪を梳きながら、答えの出ない問いを、ただぼんやりと考えていた。
終