「っ、・・・・」
不意に漏れた小さな声に目を向けると、口元を押さえて歪む、早川さんの顔。
どうしたのかとそのまま視線で問うと、不愉快そうな顔のまま、あ、と口を開いた。
「何です」
「口内炎」
「ああ、うわ痛そう」
指先を唇に引っ掛けてそれを見せてきたけれど、眉をひそめて肩を引くことで辞退する。
すごく思い出しやすい痛みだから、余計に見たくない。
なんとなく、自分にまでできそうな感覚がして。
「睡眠不足とかですかね。あ、みかん食べます?」
「ぶっ飛ばすぞ」
別に手元にみかんがあるわけではないけど、それを食べた想像でもしたのか、更に彼の眉間が寄った。
でも、口内炎というものは、確かにできると厄介だけど、実のところ、俺はそんなに苦手なものでもなかった。
俺自身も、不摂生だったり噛んでしまった後にできたりと、結構付き合いのあるものだし、そのむず痒いような痛みは困り者なのもわかっているけれど。
「口内炎って、なんか気持ちよくないですか?」
「・・・お前そんなにМだったか?」
「いや、変な意味じゃなくて」
なんというか、自分でもわからないんだ、あの感覚は。
確かに鬱陶しい。自己主張は激しいし、痛みを伴うし。
けれど、その痛みがなんだか気持ちよく感じる時がある。
治りが悪くなるから、そっとしておくに限るとわかっているのに、ついつい軽く歯を立てて、小さな痛みに顔をしかめる。
そんなことを無意識に繰り返してしまうくらいには。
「なんか噛んじゃったりしません?」
「あー、それはなんとなくわかる」
「で、そのちりっとした痛みが癖になったり」
「しないな」
「あれ?しません?」
確かに語弊はあるけれど、舌先を当てて、その痛みに耐えた後、ふっと体が弛緩する感じは、例えるなら安心に近いような気がする。
「こう、痛い痛いって噛んで、舌でいじって、口の中でじんじんしてるのが気持ち良いんですよね」
「・・・変態くさいな」
呆れたような視線を向けながら、彼の指先がまた少しだけ口の中に入り込む。
無意識に患部を触っているのか、片目が細められた。
「ほら、早川さんだって気にしてるじゃないですか」
「話題にしてるから気になるんだよ」
「別にいいじゃないですか。そんな激痛ってわけでもないんだし」
さっきは自分で見ないようにしたものを、今度は見せろと指先を唇に押し当てる。
素直に開いた口。そろりと舌先が指すのは、小さな白い斑点。
なんだ、小さいじゃないですか、と笑うと、唸り声が返ってきた。
「でもこのくらいが一番気になるんですよね」
「うぅ・・・」
顎を押さえる俺の手に抗議の声が上がり、手首を掴まれる。
それには従うつもりだった。けれど、なぜだろう。
するりと人差し指を差し込み、その白い傷を引っ搔いてしまった。
「ん!」
「痛いですか?でも少し気持ち良くないですか?」
瞬間的に閉じられた目。指先から逃げるように奥へと引っ込んだ舌。
手首を掴む手に力を込めて引き剥がそうとしてくるけれど、なんとなくそのまま手をとどめてしまった。
首を振って逃げようとする彼の顎を片手で押さえ込み、もう片手の指が口内へと侵入する。
逃げ惑う舌先を追い詰めると、びくりと肩が跳ねた。
「うーん、このくらいかな」
「っう・・・!」
そろりと指の腹で撫で上げ、引き戻しながら爪で軽く引っ掻くと、さらにぎゅっと瞼が閉じられた。
その表情に、自分にはないはずの口内炎が痛んだ気がして、少しだけ目を細めた。
「ほら、だんだん気持ち良くなってきたでしょう?」
何度も指で引っ掻き撫で上げると、押し返す腕が軽く震えた。
あぁ、そういえば、と思い出したのは傷口の話。
塞がりそうな傷口というのは、皮膚が薄いからその分敏感になるんだとか。まぁ、この口内炎に関しては、治りかけどころか出来立てのようだけど。
与えることで、疑似的に自分が感じ取る僅かな痛み。
間違いなく今の自分にはない感覚のはずなのに感じるそれは、彼が今体感しているのと同じものだろうと確信する。
そんな痛みを覚えながら、あるはずもない自分の口内炎に、つい歯を立ててしまう。
震える手はいつの間にか縋るように俺の服を握っていて、やり過ごせない感覚に涙を浮かべているように見える。
ぞわり、背中を駆け上がるのは、痛みと、そして快感。
閉じることを許されない口端から、俺の手に唾液が伝うのにさえ興奮をおぼえる。
この異常なほどの恍惚感は何だ。
「・・・すごく気持ち良さそうな顔してますね」
呟いた声は自分が思うよりもはるかに熱を帯びていて、苦笑する。
最後に一撫でして口内から指を抜き取っても、彼は逃げることもせずに、うっすらと開いた目を向けてくる。
瞳の奥に見えるのは、確かな劣情。
「・・・やばいな」
・・・くせになりそうだ。
たったこれだけの痛みが、眩暈を起こしそうなほどに気持ち良いなんて。
これじゃまるで危ない奴だな、と考えながらも止められずに、これはやばいな、と頭の中で繰り返す。
でも、それもここまで。
夢中で舌を絡め、少し強めに吸った舌先に跳ね上がった体。
そこでぷつりと理性の糸が切れてしまった。
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