どこからか飛来した紙飛行機の群れを掴んだのは、ツタで外側を編まれ中に木の実と綿を詰め込んだフクロウであった。そのフクロウはぎぃぎぃとからくりのような音をたてて下降し、ビル街のなかにひとつ異質なものとして君臨するツリーハウスの枝にしがみついた。木の股に建つ――あるいは木がしがみつくように守る――ログハウスの大きな窓がガタンと開き、フクロウは滑り込むようにその家に潜る。高い天井から夏特有の鋭い太陽の光が一瞬差し込んだが、風もなく窓が閉まったことでこの家の照明は再び柔らかな光となった。
ログハウスの中では黒いストレッチウェアが覆う豊満な体を伸ばしている魔女が一人。フクロウが戻ってきたことを感じ取って窓を開けて閉めたのも彼女であるし、そも使い魔としてこの木製の鳥を編んだのも彼女だ。フクロウの嘴が何かを掴んでいることを視界の端で捉えながらも、修行のひとつである導引術の日々やっている分を終えてからやっと紙飛行機を嘴から離してやった。誰が作ったかもわからぬ紙飛行機。子供のにしてはやけに丈夫だし、そもそもフクロウが飛んでいたのは上空千メートルもの高さであったのだから、よほどの金持ちか人ならざる者の仕業であると考えるほかなかった。
「海か」
どうやらそれは広告のようだった。金を取らない海水浴場。ホテルまで付随しているというなんともエンタメ精神に富んだ自己破産。当然真っ当なものであるわけがない。しかしこれを放置しておくことで人間が死ぬということはどうしてだか許しがたい。自ら以外の人外を考慮から外した場合、生態系のピラミッドのどこに魔女たる自分が位置するかと言われたら一番上にならなくてはいけない。だがそうもいかないのがこの混沌世界。外来種によって意図せず自らの魔力源が減ることが起きた場合、自らのなかで課している干渉非干渉の線引きを破らなくてはいけないのだ。
彼女はその折り紙もどきを半分に折りなおして、キッチンの天板を持ち上げる。灰をきちんと敷き詰めた立派な炉は、魔術を行うためには欠かせないものだ。フクロウが運んできたススキの穂に向ける視線を強いものにして起こした小さな火と白樺の葉、家を囲むクスノキから拝借した枝を数本くべて火を大きなものにした。
「チェリソレ チェリソレ クエスト マレ エン ディザストロ?」
折りたたんだ紙を端から火にかざす。火はもちろん紙に移る。しかしそれは人の知る炎ではなく、魔女の力で熾された炎。彼女が指に挟んでいるところまで火が行き届き、やがて火は突然消えた後炭となった手紙がボロボロと一斉に崩れ落ちた。本来の物理法則とは明らかに反したその燃え方は凶兆を示していた。息を一つ吐き、自らの腕にすすんで止まったフクロウを開けた窓から放つ。
「もう一枚ビラを持っておいで。行くために必要らしいからね」
鳥とするには奇妙な音を立てて飛び立つフクロウを見送り、魔女はクローゼットを開けた。吊るされている夥しい量の服の中から、ボタニカルな柄が施されたカシュクールデザインのサマードレスを取り出した。服にふさわしい鞄を選び、サンダルを見繕う。あとは当日の気分で髪型とメイクを作ればいい。魔女の装いを考える時間は普段から短かった。どんな自分も美しいのだから。
これからを案じる。海への僅かな郷愁。あの水平線を描くのが楽しいんだと言ったのはどこの誰か。
「まあ、どうでもいいか」
最後に笑うのは自分なのだから何を遠慮することもないのだ。人を超えた者特有の軽々しさで、魔女ラガツォイは鞄に入れるものを考えはじめた。
新進気鋭のアパレルブランド・ニオは絶賛バタついていた。
最初は早朝に出勤する副社長の拾ったビラ。その次は広報がSNSで見つけた映像広告。無料の海水浴場に加えて自由に出店できるモールがあるときた。壊れた世界の壊れた基準で据わった肝を持っているブランド代表は乗り込んでやろうと意気揚々と用意をはじめたものだから、社員も揃って慌てだしたというわけだ。
「別にわたしがいなくても回るようにはしてるでしょ」
「確かにそうなんだけどサァ。モウちょっとこう、手心ッツーカ……」
つる座訛りが抜けない代表補佐の山田は鳰の無茶ぶりの最も苛烈なところに立たされており、人事の烏天狗と頭を抱えている光景は社員にとってはお馴染みでありながらも憐みの目を持つことは免れなかった。
「サマーシーズンの広告流してもあっちに乗っ取られるっていうなら乗っかった方がいいじゃん」
「オレなら絶対行かないとは言っとく。ツーカ死んでくれるなよシャチョウ。オマエが死んだら元も子もないんだよ」
「大丈夫だから。アルナは心配しすぎなんだって。毎回なんとかなってきたでしょ」
アルナ、とプライベートで使う名前で呼ばれた山田はゾンビを噛み潰したような顔になる。大槻鳰という女、彼女がデザイナーとなるきっかけとなった妖精を皮切りに宇宙人である山田や透明人間のカメラマンであるヒロミ、更に元から彼女の家に住み着いていたというキキーモラのオリガまで、妙に人外が惹かれる人間的素質あるいは体質を持ち合わせているのだから困りものである。人外きっかけで巻き込まれたこともその場に居合わせた人外が解決してしまう。精霊系の連中によればニンフがもたらすレベルの強力な祝福があるらしいのだが、そんなの知ったことではない。ひとまず問題視すべきは、これから乗り込む海水浴場で待ち受けるであろうそこそこの数の困難である。鳰が言う通り山田は代表のいないブランドを回すために駆けずり回ること必須である。かといって自身が件の妖精のような祝福をもたらせるかと言われたらそうではない。鳰だけではなく数人ほど社員を共につけたはいいが、不安は残る。
「鳰さん、ドア来ましたよ」
「お、来たね。じゃあ行ってくる」
「マジで気をつけろヨ。マカーブルいたらすぐ頼れよ。アト日光浴はしとけ。酸素が」
「だから心配性すぎるんだって。それでも宇宙人?」
「宇宙人に対して偏見が過ぎるダロ」
軽口を叩きながら自社ビルの正面入り口に立つ。既に青色の扉が鎮座しており、鳰についていく予定のヒロミをはじめとした面々がせっせとポップアップショップに出すためのマネキンや鏡、服を運んでいる。彼らは人間も含めて何かしらの自衛手段は持ち合わせている面々だ。……代表を除いて。
「なんかあったら連絡するしさ。大丈夫、ばしばし宣伝してくるから」
「オウ当たり前だ。帰ってきてから一か月でSNSのフォロワー減ってたらオマエのお盆休暇なくすカラな」
「ちょっと!」
鳰もそんな会話を経て自身の持ち物と酸素ボンベの調子を確認して入り口に急ぐ。山田の他にもオリガだったり手の空いている社員が見送りに来ていた。
「じゃあ、行ってきまーす!」
「イッテラッシャイ。気をつけろよ」
全員が出発し、閉まったドアが下から光の粒となって消失する。魔術とかそのあたりへの素養を持ち合わせていない山田はそれがどんな理屈をもって動いているかわからない。様々なことを思案している山田の横で、皆に手を振っていたオリガが山田の服の裾を掴む。彼女は同種族の中では比較的マシな方だがそれでもこの世界の基準で考えると十分なほどの恥ずかしがり屋だ。声を出すことも苦手なことは山田も随分長い付き合いで知っているから、「どうしました?」と腰を落として耳を貸す。オリガはおずおずと口を近づけ、そして囁いた。
あのドア、結界がございました。しばらく帰ってこれないやもしれません。
山田は無い血管が切れそうになる感覚を覚え、一度大きく窒素を補給する。そして。
「ッパリろくなこと起きねぇと思った……鳰チャンだもんな……そうだよな……」
まったく、これだからあの女は手を焼くのだ。これからの負担を考えたくなくて、山田はポケットの煙草を取り出して喫煙室に直行した。