地下に通じる階段、そして鉄製の重い扉。『1059館』という丸ゴシックのプレート。引きずるように扉を開けると、右手のカウンターで朱鷺色混じりの髪の老紳士が「シャーマンキング」の最終巻を読み終えたところであった。
「やぁ、待ってたよ。望んでいるのは……いつもの感じかな?」
「いや。悪党番の人間ではない。一度こちらで調べてみるが、何かあったら都度お前たちを尋ねる」
「そっか。なら私ももう一周して待っていようかな」
老紳士――トキワが再び漫画に視線を戻したところで、その客は目当ての本棚のために歩みを進めはじめた。ハンドルがついた本棚たちのラベルを確認して進んでを繰り返し、突き当たっては別の棚のラベルを見ることを繰り返していた。やがて個人情報のエリアの中でも誰も入らないようなところまで突き進み、ひとつの棚で立ち止まった。
「……海野、千草」
この館の情報ファイルのラベルはファイリングした者による手描きのものが貼られている。丁寧な字で書かれたそのラベルは、火傷が顔面に張り付いた職員を想起させられた。淡々と記された物事たちからは、カラーギャング『コバルトメイト』と遭遇した彼の孤独と裏切りの連続した物語が汲み取ることが出来る。しかし実際に汲み取れるのは汲み取れる素質のある人間だけだ。
「……はぁ」
客は何でもないため息をこぼす。その客には共感性が欠けている側面があったし、事実は額面通りに読めば事実でしかない。客が求めているのは物語ではなく、情報なのだ。だからその客のため息は、対峙せねばならぬ男の正体と、それをふまえた上での対策の面倒さをシミュレーションした上でのものであった。
一通りの情報に目を通し、同時に暗記した客はファイルを戻して立ち去る。反射で監視カメラを睨む。きっと監視室に貼りつくことの多いトキワは、いつものように自分の情報を片手に紅茶を飲んでいるのだろうと思考しながら。
「トキワさん、またそれ読んでるんですか?」
「うん。彼らの物語は……何度読んでも面白いからね」
トキワはいつの間にか漫画ではなく一冊のファイルを読んでいた。そこには、トキワのものではない字で『佐藤冠・佐藤焔』と記されている。悪党番職員への調査を主に担当している彼は、あえて佐藤兄弟の調査については他に委託していた。
「そんなに面倒なんですか。彼らの調査は」
「面倒だし、だからこそ面白い。……彼らについては、読者でいたいんだよ」
そう。我々は悪党番にいる――あるいはいた、双子の話をしなければいけない。
彼らの出生というのは実に恵まれたものであった。
大学病院内で知り合った、院内で最も優秀であった麻酔科医と外科医。彼らが同僚から恋人、恋人から夫婦という仲になったことから全ては始まった。その過程で破れた誰かの恋だとか、父方に残っていたかもしれない忌まわしき血縁だとかそういう話をしては長くなるから、ここではあえて差し控える。問題はその夫婦にはなく、あくまで息子らにあったのだから。
夫婦はそこそこに若いうちに結婚し、やがてその妻は妊娠をした。二卵性の双子であると。夫婦は自らの天運を喜び、子供がどうか腹の中ですくすくと育つことを願った。いくら医療が発達した現代であるとはいえ、動物が子供を産むということはいつだって難しいことだから。だからその夫婦らは最初のうちは気付かなかったのだ。その二卵性のうちのひとつは一卵性で、つまり三つ子であったということに。
「バニシングツイン」という現象がある。
双生児の子供のうち片方が子宮に吸収されるという現象。原因究明にあたっては不明な点が多く、まだまだ調査の必要がある。しかし間違いないこととして、三つ子を妊娠しているとかなりの確率でバニシングツインが発生するということだ。
二卵性の一つが一卵性で、そしてそうでなかった方が吸収されたことに気付いたのは早期であった。そもそもその現象が妊娠七週目ごろに起きやすいなか十一週目という時期に発覚したので事例の中では遅い方だったのだが、いずれにせよということだ。その夫婦の悲しみは計り知れないながらも、発覚したもう一人の存在を祝福し、消えたもう一人にも名前を与えて悼むということで終わらせることにした。それで夫婦はその子供の物語を終わらせようとした。
ところでご存じだろうか。バニシングツインには「奇形性双生児」という珍しい現象を伴うことがあることを。端的に言えば胎児の一部が残された退治の身体に宿る現象だ。事例の一つには体のほとんどが腹部に埋まっていた、ということがあるほどだ。
要するにその子供にも残ったのだ。消えた胎児が。
結合しながら生まれ、そして生後0時間以内の決死の手術の末に夫婦は双子を授かった。その双子は幼い頃からその遺伝子に相応しい――いや、最早夫婦を超えるほどの――天才性を有していた。夫婦は懊悩の果てにその双子を一般社会の中で育てることを選んだ。あくまで人々の中でその天才性を活かす子供になってほしいという願いを込めて。さながら二人で一つの生命であるかのような動きをする彼らに凡人としての不安を抱えながら。
子供は無事義務教育を終えた。受験はトップクラスの都立高校を選んだ。何の問題もなく合格し、彼らはわずかにではあるものの個性を得た。だからその夫婦は、情操教育のつもりで話してもいいと思ったのだ。消えた胎児の話を。母が時折眺めるエコー写真の説明を。夕食の後の団欒の時間に、説明しようと思ったのだ。
その前に、なぜかその双子は知っていたのだが。
双子は責め立てる。いない者扱いされたもう一人のように。実の子供に恐れを抱いた親たちを。どうして知っていたのだという質問に、双子はこう答えたのだ。
「『彼』が教えてくれた」
胎児は脳に埋まっていたのだ。同じ脳として。一つの身体であった二人に。
双子は「『彼』をないがしろにした」彼らを「浄化」しようと試みた。手元にあった鋭いもので心臓を迷いなく穿つ。血液の供給がなくなり意識が遠のく夫婦の身体を家ごと焼く。かくして夫婦は、双子を卸しきることが叶わぬまま命を落とした。彼らにどうしようもない一つの罪を刻んで。
「面白いだろう?まさに現代の異常出生譚じゃないか!」
「でもこいつは正確な情報じゃないはずだぜ。主観塗れの予想塗れだ」
「そこなんだよねぇ」
トキワと廻は監視室でそんな会話を連ねる。彼らの紅茶はいつのまにか渋くなっているが、そんなことを気にすることなくトキワは言葉を続けた。
「これらのなかに確定要素と呼べるものは『ほとんどない』。これは我々の捜査能力が劣っているということではなく、隅から隅まで彼らは神秘に満ちているということにすぎない。これはまさに現代の最も神話的物語といえないかい?」
「まぁ、相当に確率の低い人生だとは思うな」
「つれないなぁ。いつも賭け事の時にはあんなに声を弾ませているくせに」
「そりゃ賭け事なんだからな。それこそなんだ?その双子が天国行きか地獄行きかを賭けるのは楽しそうだけど」
「地獄行きだよ、彼らは。いや、もう地獄に居るのかもしれないよね。現代日本という地獄の中に……」
「ジラフ、今日は何の本?」
ニワシドリバワーバード、おはよう。今日はえーと……回路設計の本だ」
「むずかしそう」
「それならおまえのやってる刺繍の方がよっほどだ。何縫ってたんだ?」
「えっと、皆の名前……」
「すげぇな!アルファベット縫えるのか!」
Z00という施設は親にとっては間違いのない地獄だが、子供にとっては善意で舗装された地獄である。施設に伴う噂に違いはなく、施設の子供たちは少なくとも大人になるまでは施設を素晴らしいところだと思って育つ。事実そこらで養育されている子供よりはずっと恵まれた環境で、一日を厳しく管理されるものの寝るところや飯、教育というところはきっちり施してもらえる。スラム街もあるその国にしては珍しい組織であった。その組織が義勇兵をはじめ戦争に役立つための子供を育てることを目的としたところであるという点を除けば。
ジラフと呼ばれた子供の一日のほとんどは、その工学的ギフテッドを育成すべく機械の本を読ませてはその内容を実践できるようにと繰り返したものだった。構成員は与えた課題が正解なのかどうかを確認して上層部に報告し、再び課題と採点のための答えを与える。組織に入れられる子供は奇しくも天才がよく集うところであったが、その子供たちの育成を考える上層部もまた天才であった。
バワーバードと呼ばれた子供は子供を育てるための能力に優れていたもので、日がな一日裁縫だの掃除だの応急処置だのを養母から教わって過ごしていた。教育は最低限しか与えられなかったから、あまり考える能もない。ただ彼女はよく片腕のくせに無理をして自分に高い高いをしてくれる兄のようなキリンを好きであることはよく自覚していた。
引き金を引けない、あるいは引かせても大して役に立たない子供はこうして一日のほとんどあるいは全部を建物の中で育てさせ、戦力増強のための工場で働かせるための能力を育てさせられた。ジラフもバワーバードも、自由に外に出たことは無い。
「今日も抜け出してみようかな」
「だめだよジラフ。また刺青入れられちゃう」
「足首にも手首にも入った。もう入れるところなんてねぇよ」
「首」
「んなの痛くないって。ほら、刺繍しなきゃだろ」
「……うん」
ジラフは建物の外から出ることを望んでいた。建物の外で得ることの出来る、新たなものを望んで。戦場以外の、安らかな場所がこの世にあることを望んで。
――それが、今はなんだ?
転がった首、噎せ返る血の匂い、あちこちからの悲鳴。
何が戦場以外は天国だ。こんなの、地獄と何が違うというのだろうか。目の前に広がる惨たらしい光景には、あの金髪の憎たらしく笑う男の悪意が見え隠れしている。まるで戦争を起こす連中のような、そんな悪意。歯が欠けるのではないかと思うほど現実を強く噛み締める。ギリギリという音がしても関係なかった。
無力だ。自分は。生き延びたからといって、何を得たでもない。ロミーを失って、終わり。このままいけば奴の思いどおりである。だからこそ勝たなくてはいけない、とジラフは決意を新たにする。生き延びることこそが、あのカジノオーナーへの報復となるのだから。
「……」
「そんなに警戒するなよ」
「そう言われてもな」
「名刺とか持ってるけど、いる?」
「余計な荷物は持ちたくない」
「そう。それと、悪いんだけど」
「なんだ」
「今の君に用はないんだ」
「……ボクのことを知ってるなんて、驚きだよ」
「ちょっと伝手を借りてね。いい友人がいるんだ」
「それで?ボクに何をしてほしいわけ?」
「悪党番を壊してみたいと思わない?」
「急だね。悪いけど断りたいかも」
「あぁ、別に兄弟喧嘩は勝手にやってくれればいいんだけど……潰してほしいところがあるんだ」
「……」
「コバルトメイトって奴知ってる?そいつを潰しておきたくてさ。あそこ、暇つぶしに音秤狩りするだろ?逆に狩ってやらないか?」
「……メリットがないなあ」
「そうだな……ストロベリーコフを百グラム。彼のことをコントロールするためのもの、欲しいだろ?」
「それは……どうしよう。魅力的だな。しばらく東京に留まっていたいし――いいよ、乗ってあげる」
「そう。それじゃあよろしく。名前はなんて呼べばいい?」
「名前はないんだ。好きに呼んで。あなたは?」
「ナイルって呼んで。よろしくね、『柘榴石』くん。その赤い目は……たしかに俺の耳に入る程噂されるわけだ」
檸檬何からの着信があったのは彼がバイトに来ない午前九時のことだった。彼は授業がない日はいつも八時半に来てコンビニで買った朝食――といってもゼリー飲料ばかりなのだが――をダラダラ食べて準備をしているのだが。白川夜舟は連絡しようかと思った矢先にその着信を受けた携帯を手に取った。
「もしもし。檸檬?どうした」
返事は来ない。遠くで車が通る音と、本人の少し引っかかったような呼吸音が聞こえる。なんだかんだですぐ返事をしてくれる檸檬がそのように無言であることがなんだか奇妙に感じられて、夜舟は思わず立ち上がった。
「檸檬?お前今どこにいる」
『……四谷、くすのき通りからこっちの、近道……』
「大丈夫か、怪我してるのか!」
『いきなり、刺され……』
ガシャン、と強く叩きつけられる音が聞こえて、車の音がさらに遠くなる。通話は未だ切れないが、呼吸音も同時に遠くなってしまう。夜舟はロッカーからジャケットをひっつかんでスタッフルームを飛び出した。
「檸檬!檸檬!絶対意識落とすな!今そっち行くから!」
『…………』
電話の向こうは相変わらず沈黙である。走り出している間に、夜舟は私用の携帯で別の番号からある人物を呼び出す。コール音が四回ほど鳴ったのち、聞こえてきたのは不機嫌そうな唸り声だった。
『もしもし……貴様、覚悟はして』
「急患だ、四谷くすのき通り近く、行けるか!」
『! ……状況は』
「刺されたと言ってた」
『30分ほどかかる』
「急ぎめで頼む」
『わかっている。具体的な場所がわかればまた連絡しろ』
電話が切れる。夜舟が電話の相手――佐々木和也を好んでいたのは、ひとえに会話が最小限で済むからだ。くすのき通り特有の電灯が無効に見えた時、確かに檸檬何の姿はそこにあった。
しかし、それはいつもの姿ではない。
ブロック塀にへばりつくように横たわり、細く息を零している。腹部と頭部からの血。近くに携帯が落ちていて、ヒビが入っていた。あの携帯は彼の力が弱くなったところで手を離れたのだろう。その光景を見て湧いた怒りは思わずブロック塀を殴りそうにさせられたが、夜舟は丹田あたりを抑えて深く呼吸をする。ようやく千々になっていた興奮がひとところにまとまって落ち着きを取り戻したところで、彼は佐々木和也を探した。ひとつかふたつの通りを覗けば、眠たそうにしながらも駆け寄る彼とかちあった。
「患者は」
「そこだ。急いでくれ。結構な量の失血だ」
「救急車を呼んでおけ。こいつは一般人だろう」
「わかってる」
案内した先で処置は彼に任せて、夜舟は消防に通報をかける。夜舟はオペレーターを相手に説明しながらも、檸檬が未曾有の大怪我をした要因について思考していた。
ブロック塀が崩れた様子はなかったし、転ぶような障害物などはなかった。事故では無い。事故だとしてもそれが腹部の刺傷であるはず無い。対人トラブルはどうか。檸檬なら有り得るが、それにしては明らかに狙い済ました位置への傷だった。素人が衝動でやったなら付近に犯人がいてもおかしくないし、そもそも傷の位置は浅くなるはずだ。
そんな風に夜舟はあまりない犯罪への知識で思考を繰り返していたが、「終わったぞ」という彼からの声でふっと意識を戻された。
「どうだった」
「命に別状はない。ただ縫合と静養は必須だな」
「やるなよ。救急隊員に任せないと」
「わかっている。治そうとしても貴様は止めるだろう」
「……やらせたいけどな」
「救急車でやるような処置は終わった。あとは人間に任せるだけだろう」
「十分で着くって。だからもうすぐ来るかも」
「なら離れよう」
「ありがとう、いきなり悪い」
「素人がやるより何倍もマシだ。……貴様も気をつけろ」
「何を」
「最近悪党番でも襲撃が増えた。我々組織の裏切り者による犯行の可能性が否定できない」
「……!」
「失礼する」
そう言って蜃気楼が消えるかのように佐々木和也は離れていった。彼の目つきは未だ眠たげで、今度菓子折でも渡しておくかなどと端っこの方で考えながら、夜舟は檸檬の薄く開いている目を覗き込む。心なしか顔の紅気が幾分か戻っているように思えた。
「檸檬、檸檬。大丈夫か」
「……あ、せん、せ」
「今救急隊員来るから。しっかり療養しろよ」
「やべ、あけ、さぎょう、サボっちゃって……」
「そんなのいい!今はお前の体が大事だ」
「わかり、ました」
「今千問に連絡するからな」
「……はい」
千問に繋ぐ。バイトと講師がそれぞれ居ないということで電話はすぐに繋がり、香月が出た。
「白川です」
『夜舟くん。出勤してたのに居なくなってたからびっくりしたよ。どうしたの?』
「檸檬から怪我してると連絡あって、今急いでそっちに行ってました」
『え、大丈夫?』
「ちょっと出血酷かったんで救急車呼びました。すみません俺のタイムカード切ってもらえますか。付き添うので欠勤します」
『わかった、そっちに集中してて。塾内での連絡はこっちでやっておくから。檸檬くんは大丈夫?』
「今様子見ました、ちょっと頭と腹から血出てましたけど意識はあります」
『わかった。気をつけてね』
「ありがとうございます」
通話が切れる。そのタイミングで近づいてきていた救急車のサイレンがいよいよけたたましく耳に入り、隊員が細道にやってくる。
「大丈夫ですか」
「簡単に処置はしました」
「ご家族の方ですか」
「仕事先の人間です」
「わかりました。状況説明のためご同乗願います」
「はい」
担架に運ばれた檸檬の体はやはり本人の生活も相まってか一回り小さく見え、それが夜舟の不安を加速させる。佐々木の治療が的確であることを知っているから幾分か和らいでいるものの、彼からの言葉が思考を掻き乱していた。
悪党番の裏切り者からの襲撃?だとしたら何のために?彼であった理由は?わからない。わからないが、それでも思考は続けないといけない。そうやって考えていると、救急隊員から声が掛けられた。
「現状かなり安定しています。処置が的確だったおかげです、ありがとうございます」
「あ、いえ……」
「落ち着いてください。彼は大丈夫です」
その言葉に、夜舟は思っているより自分がペースを乱されていたことを思い知る。彼とて世間からはみ出てはいるがただの人なのだ。息を大きくひとつ吐き、「すみません」とこぼれた言葉は彼自身が想像するものよりずっと弱々しかった。
「刺傷と殴打以外にありましたか」
「少し額を切っていますね、でも浅いので押さえたり軽く縫ってしまえば落ち着くと思います」
「ありがとうございます」
「場合次第では警察を呼ぶことになると思います。事件性の高い傷なので」
「……わかりました。お願いします」
少し不安もあるが、頼れるところは頼った方がいい。救急車はやがて近くの大病院に到着した。
何かが始まる予感。夜舟は心臓が忙しなく跳ねる体でそれを感じ取り、拳を握る力をより一層強くした。
檸檬何は一週間の入院で済んだ。
ひとえに処置のおかげです、と医師に褒められた夜舟は心の中だけで佐々木和也に感謝した。処置の後ベッドの上で目を覚ました檸檬といえば少し元気が無かったものの、いつも通りのへらへらした様子はそのままでかった。
「大丈夫か」
「平気っすよ。つーか聞いてくださいよセンセー。俺ちゃん栄養失調だってめちゃくちゃ怒られたんですよ。ほんとは一日で退院できたのにそれで一週間伸ばされて」
「そりゃお前の体は主義主張せいへきがなければ拒食症レベルだからな」
「ひでぇの、マジで。あーもーミアにダサいって思われる……」
檸檬にはミアと呼ぶ恋人が――ブロンズ像のそれとして――いる。人間より金属、ひいては彼女を愛している中々な性癖の持ち主であるが、その愛情表現は人間と何ら変わらなかった。人間の性格を愛するようにミアの物言わぬ事を愛するし、人間の肉体を愛するようにミアの金属光沢や瞳の宝石を愛する。その歪ながらも真っ直ぐなところは生徒として見ても放っておけないところであった。
「一応親御さんに連絡しといたから。後で来るって」
「うげ……やだぁ」
「文句言うな。俺は入院費まで面倒見れないからな」
代わりに別のところの面倒を見ないといけないんだ、とまでは言えない。夜舟は訪れた警察官にそれとなく自習で教えることの応用をして情報を聞き出すことに注力させられた。
「で、結果はどうでした?」
「事件性を『考えられない』んだって」
「日本の警察らしいですね」
「全くだ」
ここは都内某所の飲み屋。別の校舎で檸檬の噂を聞いていた逸見が帰りに飲まないかなどという誘いにかこつけて情報の収穫を聞いてきたのだ。本当は外で話したくない案件である以上、佐々木和也と契約を交わしたあの飲み屋でグラスをぶつけることになった。マッチ一本の件以降どこか距離の縮まった彼らの会話は片方が敬語であるにもかかわらずフランクである。
「彼も彼でいないと寂しくなりますね。ほら、彼賑やかだから生徒が色々話してくれるし……」
「まぁそうだな。というか、んー……これ一応聞いていいか?」
「どうぞ?」
「お前なんか噛んでないよな」
「まさか。もし疑うなら探り入れますけど」
「どこにだよ。いや、言ってみただけだ。俺が嫌なのは塾講師関係の内ゲバだった場合ってこと。もし外部講師の連中に関係するあれだったら俺たちを巻き込むなで済むだろ」
「間違いはないけどさ」
唐揚げが運ばれる。たまらず逸見が白米を頼み、夜舟がそれにならう。片付けられるレモンハイのグラス。佐々木和也が事実以外に口走ることを夜舟は半分だって信じちゃいない。
「どうするんです?この後は」
「普通に上層部に軽く報告して終わりだと思う。流石に今回は俺が気を急いていたのもあるしな」
「まぁでも真っ先にあんたに連絡してきたってことは相応に慕ってたってことだろ。いい教え子持ったじゃないですか」
「そうやって言うのは簡単だけどさぁ……」
逸見があえてそう茶化すのは夜舟の気分を少しでも晴らすつもりだったのか、あるいは純粋にいじってやろうというつもりだったのか。どっちでもいいかと夜舟は酒気でわからなかったことにした。頭がわずかに重くなる感覚。どことない不安が重さに加わってくる。会計は割り勘になった。
「美味しかったですね」
「だろ。結構気に入ってるんだ、あの店」
「また行きましょ」
「気に入ったようで何よりだわ」
「……で、気付いてます?」
「え?」
「一人。十メートルくらい後方に」
「……!」
「あ。逃げた。飲みすぎですよ」
「いや、俺そこまでわからねぇよ」
「それもそうですね。でも割と真面目に油断しない方がいいですよ。報告書、ちょっと盛ってもいいと思うくらいには」
「……ありがとう」
「一応送ります。何かあったら俺も嫌なんでね」
「何かと悪いな」
佐々木和也は缶に入っている菓子をひとつ摘まんでこれからを思索していた。
コーヒーチョコレートの豊かな香り、紅茶の静謐な味が彼の思考に刺激を与えて活動を促す。机の上のノートには「ネイモウ 刺し傷・殴打」という一行の下に細かな状況説明が記されていた。一番最後に、「昨今の襲撃の可能性」という言葉を添えて。
悪党番の職員が謎の襲撃にあっている。そのような噂を半月ほど前から患者から目に耳にしていた。心当たりといえば音秤が思い当たったが、あくまで襲撃の用意周到性などから鑑みた予測でしかなかった。
「ルドラ!ルド!!」
バタバタと駆け込む音、壊れるかと思うほどにドアが引かれる音、曖昧な発音で登録名を呼ぶ声。サイレントであった。突然の騒音に思考を遮られたものの、サイレントが治療室に駆け込むことの重大さから何かを感じ取りマスクを降ろした。椅子の向きを変えた先にいたサイレントはどこも怪我をしていなかった。
「なんだ」
「コールッ、コールガールが!ち、ち、ち、血がいっぱい!」
「ええい落ち着け!案内しろ!」
立ち上がった勢いのままにサイレントの後をついていく。歯ぎしりの音が、ずっと後をついていっても聞こえていた。
エレベーターホールのすぐそばで、コールガールはゆっくりと息をしていた。抉れる手前程度に肉を削がれている左肩からどくどくと血を流して。床を赤黒く染めていく。ルドラは小さく舌打ちをして内線にコールを入れた。
『もしもし』
「二人寄越せ」
『わかった。担架も持たせとくわ』
ドクトルとの連絡は手短で済むし、伝えたいことも先回りして感じてくれる。それがルドラからしたら好ましくて、多少はストレスが緩和された気がした。
改めて患者を診る。鋭利な――勢いのあるものが横切ったような感覚。通り魔っぽくも見えるがすぐに違うと踏んだ。腕の位置をみるに骨も外れている。腱板にも傷が及んでいることを察せられた。
「輸血をする。血液型はこっちで勝手に調べる」
「はやく、助けろっての……!」
「助かる。だから大人しく治療されろ。腕はどこを動かすと痛い」
「何しても痛い!」
「その中でもだ。……一度手を離せ。止血を行う」
コールガールが恐る恐る離した手にはべったりと赤黒い血があり、横でサイレントの堪忍袋の緒が切れる音が聞こえた――ような気がした。
「なぁ、コールガール、助かるのか!」
「あたまいたいから、しずかにして……」
「助かると言っている。もうすぐ担架が来るから大人しくしろ」
ギリ、と再び歯ぎしりの音。止血のあいだ断続的に聞こえてきたその音はルドラのペースを乱すか乱さないかの気持ちの悪いリズムで、ルドラも思わず処置をする顔が強張った。
担架に乗せられてコールガールが運ばれる。彼女にしては随分と大人しくて、最早悪態をつく元気さえなかったようだった。一度ドクトルたちに処置を任せることにしてサイレントから話を聞くために応接室に話を通す。応接室といっても悪党番に職員登録をするために使われる部屋であるから、革張りのソファーとローテーブル以外には何もない。サイレントは体を揺すり奥歯に力を籠めることでなんとか怒りを爆発させないように神経をやっているようだった。ルドラは患者用のノートを取り出し、「コールガール 腱板断裂及び三角筋の損傷」と記してからサイレントを見据えた。ついでに携帯でメモアプリを起動させる。
「状況を聞くぞ。怪我をする前後、彼女コールガールと何をしていた」
質問は口答だけでなく文面でも映して見せてやる。そうでもしないとサイレントが自分の話している言葉を冷静に聞けていると思えやしなかった。サイレントはルドラの口元を注視してもなお質問に答えず、携帯の画面を見てようやく口を開いた。
「コンビニに行ってくるって……今日発売のアイスを買うのに。あのセブンイブン。歩いて五分くらいだから、いいかとおもって、いってらしゃい、って」
「その後」
「そしたら、ラインで、『けがした』『99』って」
「画面を見ても」
「やだ」
「わかった。原文ママとして続ける。それで」
「エレーター乗ろうとしたら、コールが、血、出してて」
「わかった。詳細は後で本人に聞く。……難しい怪我ではないが、不安そうにしていた。お前がしっかりして彼女を支えろ」
返事が返ってこない。失言したか、と思って顔をあげれば、サイレントは俯いて何も言ってこなかった。思うところが、あったのだろう。あるいは、未だ溢れる激情を制御しているのだろうか。人間に執着する人間は大変そうだ、とどの口でもない男はただそう考え、『コールガールの様子を見に行く』と言って席を立った。サイレントは立ち上がって黙ってついてきた。
「遅い。もう三十分早めろ」
手術室から出てきた埋葬虫とNo MarcEの頭をノートではたき落とし、鋭く言葉を投げつける。その間にサイレントはコールガールに縋るように抱き着き、何やら言葉になり切らない言葉を零していたが、おおよそルドラは無視した。ドクトルが治療室の端でギターを触りながら処置をした二人の不機嫌を察する。
ルドラこいつが早すぎるんだ、処置時間としては十分に出来てたぜ」
「……一分一秒が後遺症に繋がる怪我だった。それくらいの見極めはしておけ」
何やら抗議の声が聞こえた気もしたが、ルドラにとってはそんな言葉よりこの後のコールガールの言葉の方が明らかに重要だった。局部麻酔であったから、彼女はもうすでに目は据わっている。サイレントの肩を軽く叩いてどけるように指示をしてから、引っ張ってきた椅子に座ってコールガールと向き直った。
「話は聞かせてもらうぞ」
「わかってる……つーか、聞いてもらわないとやってられないっての」
「聞き分けの良い患者は助かる」
その時だった。全員の職員端末が震え、やがて全てから同じ音が流れ出す。
『某、悪党番中央事務所所属4010、登録名【81】にてございますで候
本件「害寒ガイカン」、総員対象依頼のご案内を申す』
「悪党番職員の皆様、卒璽そつじお電話失礼致しまする。
中央事務所所属4010の登録名【 81 】で候。
此度の依頼においては報告・連絡・相談窓口としてお努めしんす。
依頼遂行中に由々しき事態が発生した・不明点があった場合には、支給社用スマホから某の番号【 4010-81 】にご連絡くだされ。拙者としてもそちらに参りたいところではあるが……某も隠居の身、こちらで構えておりまする。といっても依頼の説明をせねば何が何やらといった様子であろうに、是より説明いたす」
口調が独特な伝令役の言葉を訳するならば、つまりこういう内容であった。
依頼人は『ある学習塾の講師』である「440シショウ」。ここ最近、連日のように塾に通っている生徒や講師が謎の襲撃にあっている。それも被害者がたまたま学習塾の関係者であったというだけの話ならよかったのだが、その学習塾への登校・通勤あるいはその帰りに被害を受けることが多いらしく、その塾としてもだんまりを決め込むだけでは済まなくなったとのことである。そこで必要になったのが現代裏社会の何でも屋こと悪党番。連中にはその襲撃からの防衛戦――可能であれば犯人の特定まで行ってほしいということであった。その学習塾でも独自に調べはしているのだが、如何せん表の世界だけでは限界がある。悪党番を利用することで濁の部分を補おうという算段であるようだ。悪党番職員を外部講師とすることで往来を自由なものとしたり生徒講師の周りを警備という形でうろつかせることによってその校舎全体を囮とする作戦をとることにしたご様子。対価としては金銭と「素敵なもの」を用意するとのことで、話は先についているようであった。
「それで、医神サマの推理ではその連中は誰かおわかりなのでしょうか?」
「まぁ――順当に考えれば、音秤だろうな」
「やはり!ワタクシもそんなところだろうと思っていました!」
みどりの目が、仮面の下でルドラを捉える。コールガールの包帯の交換を手伝わせた手は、チェーンソーを取り扱う上で必要な肉付きがしっかりとある、強い女の手だ。
「ですが、誰がそんなことをするのでしょうか?どうして音秤が学習塾――千問を襲撃するのでしょうか。意味のないことをするものですね」
「それも含めて突き止めろということなのだろうな」
「もし矛先が我々に向いたら……その時は大変ですね」
「仕事が増えるが、やることは変わらない」
「流石でございます」
わお、と褒めそやすハチの言葉など知らぬふりをして、ルドラは窓から覗く景色より再び思案する。ぼんやりと景色を観測して、そして、その視線は一点で止まった。ルドラは窓を開き、一歩だけ引き下がる。ハチは不思議そうな顔をして覗き込もうとしたが、ルドラの手が阻んだ。
「下がっていろ。そして私の推測を聞け」
「はい」
「音秤の狙いは回りまわって我々だ。思うに――音秤同士で結託しているという線は考えにくい。そもそも団体行動自体が珍しいからだ。しかし標的は千問、ひいては悪党番。ゆえに、」
そのタイミングで聞こえてきたのは物凄い風切り音。重いものが、法外なスピードでこちらに向かってくる感覚。ルドラは体を傾けたかと思うと。
「機会さえあれば連中はいつでもこちらを狙ってくる、ということだ」
その飛来物――手斧を無理やり掴みとり、そのエネルギーをどうにか引き留めた。しばらく踏ん張り、やがて最初の位置から数歩離れたところでルドラは挙動を止める。エネルギーを受け止めるためにぎち、と噛みしめる音がハチの耳にも聞こえた。ルドラの両手の中に収まっていた斧というのは、本当にホームセンターだとかで売っている草刈りだの薪割りだののための斧で、その安っぽいぴかぴかした色合いの斧が一滴も血を滴らせずそこにあるのがおかしくて、ハチはついくふくふと笑ってしまった。
「なんだ」
「流石でございます。81サマにご報告しておきますか?」
「頼む。『奴』には――だんまりより意趣返しの方がよっぽど効く」
そう言ってルドラは軽やかに斧を振りかぶり、さっきと真逆の軌道になるように投げ飛ばした。ガシャンと遠くの廃墟ビルから音がして、それきりだった。
「生徒を守る必要がある。曰く、外部講師として既に勤務している者が優先して行けとのことだ。行くぞ」
「ええ、行きましょう。サイレントサマのいない分――働かないと行けませんものね」
白川夜舟はその日の業務連絡にささくれのような疑問を抱いていた。
(高田馬場校……いつも行く校舎じゃないのにな)
バイクを飛ばしながら白川夜舟は考える。その連絡の意味を。わざわざ本社から言われることの意味を。
本社――千問の塾講師たちを管轄する上層部だ。講師らが知らないうちにその思想や行動でラベリングをし、校舎ごとの配属や授業の配置に役立てられている。夜舟は高田馬場校が主に白側の先生によって構築されていた記憶をなんとなく思い返していた。もちろんそれは気が合わない、という方向性なのだが。
「なんか嫌な予感がするな……」
はたしてそれを知ってか知らずか。ついぼんやりとしてしまい、後ろからクラクションを鳴らされた。
「外部講師が多いな」
「ね。下手したら校舎こっちの講師より多い気がします」
「……悪党番アイツらか」
「何?」
「あーいや、気にしないで。独り言」
夜舟は自らの直感があたったことに対して少し表情が歪み、眉間に皺が寄った。逸見は悪党番を知らない。きっと、おそらく。これも勘でしかないし、多分知っていたとてあまり意味をなさない。想像より判断材料が少ないことに、夜舟は少しずつであるが苛立ってくる。わざわざ考えることをしなければそれまでな話なのだが、そうやってすんなり言うことを聞くほど彼もぜんではない。生徒も突然の教室変更ということでやってくる生徒は少なく、その分講師も歓迎しながら授業を行っていた。――もちろん、普段の授業以外も。
「夜舟……貴様もか」
「佐々木。あぁ、こいつは俺が誘った外部講師だ」
「どうも」
「……どうも」
佐々木は頭を下げ、要件の相手である夜舟にすぐに話を向ける。
「今日のここは何時に閉まる。知らされていなくてな」
「閉めまでいるのか?それなら18時半だけど」
「……了解した」
壁にかかった時計を一瞥してから、佐々木はどこかに去っていく。逸見は佐々木が夜舟に何か小さな紙片を渡したのを見逃さなかった。佐々木が姿を見えなくしてすぐに距離を詰め、夜舟の手首を掴む。
「それで、何を貰ったんです?」
「び、っくりした……はぁ、俺も今から見るところだよ。だからそう警戒するな。あいつは見てくれより悪いやつじゃない」
そう言って夜舟は折りたたまれた紙片を丁寧に開いていく。それはよく見ると大学ノートの一ページを千切ったものであり、ボールペンで乱雑に描かれていたものだった。
07GO07GZ07G+07K/07Gh07G007G707
G007Gr07K4PTrTsZ/TsqPTsZvTsqPT
sYXTsb/TsanTsbY9OtOxmdOxo9Oxm9
Oxl9OystOxl9OxltOxv9Oyuw==
「うわ、なんだよこれ……」
「……」
暗号だと一発でわかる文言に夜舟は反射で顔を顰めたが、その横で逸見は何かを指折り考えている様子であった。キーボードか何かかと夜舟が携帯を開いたタイミングで、逸見が顔を挙げる。
「窓際警戒せよ、犯人複数、どこにでも出てくる、ですか。あの人、訳ありです?」
まるでそれが最初から復号されていたかのように文面を解いた逸見に、夜舟はぎょっとした顔で彼を見る。その表情は逸見が見たことのないものだったから、彼は思わず吹き出して年相応らしき笑い声をあげた。
「いや、大丈夫です。これあんまり流通していない暗号なんで。たまたま知ってたってことにしてください」
「おう、いや、それはそういうことにするけど……お前凄いんだな」
「それほどでもないですよ」
それは謙遜の言葉にもなりうるそれだが、夜舟が聞いた逸見のその言葉の真意は、おそらく本当にそれほどと思っていない発言なんだろうなと感じさせられた。
「あの人、夜舟さんのこと買ってるみたいですね。まさかいきなりあんなもの送りつけるなんて」
「……あいつ、人の出来とかわからない人間だから。変なことしてたり言っててもあんま怒んないでやってくれ。一応善意でやってるみたいだから」
「善意でやってる人間がここにいるっていうのも変ですけどね」
「やっぱりお前も思うか」
「まぁ……顔ぶれを見るにって感じですよね。いつも高田馬場校にいるっていう人もいませんし。顔なじみしかいなさすぎるんですよ。これで檸檬がいたら面白そうですけど」
「よくねぇよ。誰が躾けてやったと思ってるんだ……」
そんな風に雑談混じりで互いの授業の用意を始めていく。生徒が来るかどうかはまだ連絡が及んでいないためわからないが、いずれにせよその場合は次の授業の用意をすることになる。あるいは補填として別の生徒の授業を担うこともあるかもしれない。端末からそれぞれ今日の生徒を確認し、付箋だらけの教科書を反芻する。そして生徒が来れば歓迎の言葉を投げかけ、その日までの様子だのなんだのとついでに安否も確認する。
千問の一日とは、そうやって始まる。たとえその日が、何やら不穏な気配のする日でも。
一日目は結局ルドラとハチの空き教室に飛び込んできた斧の襲来以外特に何もなく終わった。
440の依頼内容によると、襲撃が丸一日どの校舎にもなければ終わりという期間設定であった。随分思い切った頼み方だなと悪党共は感じた。対価はどうなるのだろうかと考える。きっと外部講師としてもっと自由に出入りできるようになりますとかそんなあたりなのだろうと彼らは予想したし、読者に先に知らせると彼らの予想はほぼ的中している。外部講師としての優待と、合併予定の校舎を事務所として譲渡するというところであった。これは440が実のところ本社の人間であるからこそできることであったし、元々その辺りの処遇を彼が担当していたからこそ持ちかけることのできた話である。
そんなわけで外部講師が二人、空き教室から職員室を通って裏口に戻ろうとした時、佐々木に近寄る姿がひとつあった。安っぽい金髪が、二人の悪党の目に映る。
「佐々木先生」
「……服洋おまえか。今日は校舎で授業か」
「はい。昨日電話があって、先生の都合で」
「本来ならお前たち生徒に合わせるものだが……これから帰りか?」
「はい。先生もこの後帰りですか」
「そんなところだ。気をつけるように」
「わかりました」
生徒――服洋が帰宅していく。その先には迹見の姿があり、おそらく帰りを誘われたのだろうと推察する。事実千問では複数人での登下校を推奨していて、佐々木も夜舟を通じて把握していた。ハチは佐々木がまるで普通の講師のように会話しているのがなんだか楽しく映り、つい口角が上がる。軽い手刀が彼女を諌める。
「あいた」
「何を笑っている」
「板についていますね」
「そう見えるか」
「ええ」
「……そうか」
この時ハチから見たルドラの顔は非常階段に通じる扉から差し込んだ光でよくわからなかった。
ともあれ彼らは非常階段を降りながら冬のビル風を浴びる。浴びながらも周囲への警戒は怠らず、近隣の建物から先程のような斧の猛攻が来ないかなどと体の緊張は終わらない。
「来ると思いますか?」
「我々にはもう来ないだろう。問題は――」
「ええ、生徒たちですね。講師はどうしましょうね?」
「連中は勝手に身を守るだろう。他にもいるし」
「急に投げやりですね」
「悪いか」
「いいえ」
鉄板に足を置く音が聞こえる。二人の悪党は何か嫌な予感を感じ取っていたし、ハチもルドラもそれぞれ違う感性からその正体を感じ取って武器を構えた。
「挟み撃ちか」
「後ろはお任せください。ルドラサマは生徒たちを」
「わかった。前はどうにかしておく」
そう言うと、ルドラは踊り場に向かって足を突き出したまま飛び降りる。そうすれば丁度頭を出した音秤の頭が革靴の先にぶつかった。倒れた音秤の頭を踏んづけてしばらく行動できないように脳を揺すり、そうしてから勢いよく階段を駆け下りる。メスで患部すれすれを切断し、五体をぶつけて内臓に傷をつける。その動きは流れるようなものであり、一つのスポーツをこなしているかのようだった。二階。立ちふさがった音秤の何人かには見覚えのある顔もあり、反射的に舌打ちをした。
「どこで集めたというんだ……!」
手すりを支点に蹴りを叩きこむ。やがて面倒になったルドラは手すりに足を引っかけ、そのまま隣の雑居ビルのパイプ目掛けてジャンプした。手袋もしていない手でパイプを掴み、足をかけて何度かにわけて地面に飛び降りる。そうすれば目の前には近道をしようとした服洋と迹見、その両側に音秤がまたも挟み撃ちをしていた。
「せ、先生!?」
「黙っていろ。私が何か言うまで大人しく縮こまれ。いいな」
「はっ、はい!」
「は!?何しようとして、」
「黙っていろと言った!」
服洋と迹見は従順にその言葉に従い、道の端で体を出来る限り小さくしようと努める。その聞き分けの良い所は服洋の弱点でもあるがここばかりは利点となった。迹見もルドラの迫力と現場の緊迫に思わず縮こまった。
そこから先は一瞬で、彼の医療技術を発展させた喧嘩術は一瞬にして相手をねじ伏せた。頭同士をぶつけ、足を絡めさせ、腕をねじり、胴をあらぬ方向に向ける。最後にすべての音秤を失神させたうえでなるべくの治療を終えれば、手の埃と血をさっと払った。赤い点描が路地裏に染みこむ。生徒らは茫然としたまま、その様子を見届けるばかりであった。
「怪我はないようだな」
「なんですか、今の」
「……詳しくは聞くな。明日が惜しければ、未来を憂うならば、ここから先は踏み入るな。黙って踵を返し帰るように」
そう言ってルドラ――いや、佐々木和也は背を向ける。路地裏の闇に溶ける男を追いかけようとした迹見を、服洋は必死に留める。
「ま、待ちなさいよ!」
「だ、だめ、」
「なんで!離して!あいつ、何してんのよ、いきなりあんな……!」
「ダメだ。あの人の言う通り……俺たちは踏み込んじゃだめなんだ」
「冗談じゃないわよ!」
「そうじゃないときっと俺たち、もっと大変なことに巻き込まれる。そんな、気がするんだ」
「……」
諦めきれないように握り締められる拳。それがどうにか落ち着くように、祈るように。服洋は迹見を落ち着けるべく背中を撫でる。どうにか明日が来ることを。そればかりを願う以外なかった。
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創作企画でストーリーを作ろうその2
初公開日: 2024年11月27日
最終更新日: 2025年05月14日
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A1000sei
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