2010年7月7日
「天童」
声をかけられて、胡乱げにその少年は振り向いた。声をかけたにもかかわらず、牛島若利は何かを話し出すわけでも無く、ただ堂々とそこに立っていた。
「……何?」
仕方なく天童覚が聞き返すと、やっと牛島がウム、と頷く。その様子は、つい数ヶ月前に中学校を卒業した少年とは思えない威厳ある頷きであった。
「ナイスブロック」
「……で?」
「で? とは?」
「え? それだけの声かけのために今の長い長い間があったの?」
「長かっただろうか?」
「は?」
なんだこいつ。天童がそう思ってしまったのも無理は無いだろう。しかし、本当に牛島はそれが言いたかっただけらしい。新1年だけを集められてランダムでチームを作らされた。牛島は天童と同じでも何でも無いただの隣のコートのチームだ。なのに、なんだってそんな些細な一言を言うためだけに貴重なコートチェンジの合間を縫って天童の元に来たのだろうか?
「天童‼ 今度コッチのコートだぞ‼」
同じチームの瀬見から声がかかる。中学からの持ち上がり組の中でも比較的話しかけやすかった瀬見と同じチームになれたことは天童にとってかなりの幸運だった。
「はいはーい!」
次のゲームが、始まる。
2011年7月7日
「誕生日? もうとっくに過ぎたけど?」
「はぁ!?」
訊かれないことは特に答えない。それは別に天童にとっては悪でも善でも無いはずだった。しかし、どうやら瀬見にとっては違うらしい。
「だって、水くさいだろ? チームメイトだろ?」
「チームメイトって誕生日お祝いしてくれるもんなの?」
「するよ!」
七夕飾りを作りながら、何気なくされた願い事の話題。そこからいつの間にか誕生日に貰った物自慢になり、「そういえば天童の誕生日っていつだっけ?」からの、冒頭であった。プリプリと明らかに怒りをあらわにした瀬見が持っていた笹の葉をぶんぶん振り回し、そしてビシィッと天童を指し示す。
「ンで、いつなんだよ? 誕生日‼」
「5月20日」
「めっちゃ過ぎてんじゃん‼」
「だネェ?」
まぁ、いいんジャね? どうせ部活でへばってたいつもの変わらぬ日だったわけだし。
天童がそう言っていそいそと七夕飾りを完成させるのを見ているのかいないのか? すっかり誕生日の話題にご立腹らしい瀬見の手元はすっかり止まってしまい、一向に七夕飾りが出来上がらない。
「では、天童だけが誰よりも先にお兄さんになったのだな」
「そーゆーことだよ! なんかムカつく‼」
「え? ソーなの?」
と言うより、牛島の「お兄さん」という表現がどこか幼くて天童は内心ケタケタと笑っていた。1年前よりはいくらか距離が縮まったとは思われるが、未だに天童にとって牛島は未知の存在だった。何より、会話が少ない。
「瀬見は11月だろう? 大平も10月だ。添川と山形は知らないが、皆まだ誕生日が来ていない」
「牛島くんは?」
「俺は8月だ」
「マジか」
意外ー‼ と任務終了ー‼ を叫んだ天童は、そのまままだ一向に七夕飾り作りが終らないらしいバレー部員達をぐるりと眺め見る。後輩達の世話を焼いている大平・添川は体育館の遠くにいるし、山形は体育館ロッカーにスマホが無いことを理由に校内にスマホ探索に行ってしまっている。
仙台七夕祭りはこの街にとって大きなイベントだ。それに向けて地元の幼稚園から大学までが様々な手伝いノルマを課せられている。その一つが、この、七夕飾りだ。
今年になってレギュラーになった面々はその分担は少ない方だが、意外と凝り性な瀬見と、どう見ても明らかに細かい作業が苦手な不器用番長らしい牛島とあまりにもやる気が無かった天童がこうやって部活の時間にもかかわらず体育館の隅で七夕飾りなど作らなくてはならないことになっていたのだった。
「来年はちゃんと祝わせろよ?」
「イーよ、別に。盛大なコトしなくて」
「三年分祝うからな‼ 覚悟しとけ‼」
「英太くん意外とメンドー!」
面倒と言いつつ、天童は瀬見と牛島の七夕飾り作りを手伝ってやる。それは彼いわく「おにいちゃんだから」だそうだった。一人っ子として生まれ、友人達とも誕生日や年齢の話などしたことが無かった天童にとって、それは、なんだか胸の内側がむずがゆくなる会話だった。
2012年7月7日
「今年も曇りだねぇ?」
「曇りだと何か良くないのか?」
部活の帰り道に呟いた天童の言葉に、牛島は不思議そうにそう訊ねた。
「え? 若利くん、もしかして七夕伝説知らない?」
「?」
「お。知らない顔だ。仙台人なのに」
オモシレー、と言いつつも、天童は薄々解っていた。牛島の強さの秘訣はその、まっすぐさだ。まっすぐにバレー馬鹿。つまり、バレーに関係ないことに全く興味が無い。それは仙台七夕祭りにしたって、恋愛にしたって、流行のドラマや有名人にしたって全て同列に興味が無いのだ。
「織り姫星と彦星ってカップルが7月7日だけ会えるケド、曇りだったり雨だったり天気が悪いと会えないンだヨ?」
「毎年やる七夕祭りとは晴れるように祈願する祭りなのか?」
「え。違った気がする。なんか、会えると願いを叶えてくれるんだった気がする」
「なら、今年も皆の願いは叶わないな」
「そー。そーゆーことし! だからガッカリしたわけ」
「天童はどんな願い事をしたんだ?」
「願い事? しないヨ?」
「そうか」
天童は知っている。牛島も願い事をしないことを。願い事などせずに、努力をすれば多くのことが事足りる。事足りないことは、身の丈に合わないことか、その人間の人生に必要が無いから叶わないことなのだといつだったか牛島はきっぱりと断言していた。
それを聴いてから、天童も牛島同様、本気の「願い事」はしなくなった。いつもあるのは、努力と未来の自分への期待のみである。
2013年7月7日
『まだ起きているだろうか?』
そのメッセージが入ったのは、天童がちょうど昼休みを取っていた時であった。
『若利くん、コッチの時間の方が遅いからまだコッチ、お昼なんだけど?』
『そうか。かんちがいしていた』
日本とフランスの時差が7時間。そういう話をしたのが確か、天童が日本を発つときだった。それから初めてのメッセージなので、まぁ、仕方がないのかもしれない。
『どーしたの?』
『だいがくで、たなばたをした』
スマホの操作が遅い牛島は、まだあまり漢字変換が得意で無いようだった。ただでさえ掴みにくい牛島の感情や思考回路を平仮名ばかりの文面はますます煙に巻いているようだった。
『たなばたはこいびとのいべんとだからこういうひにはこいびとにれんらくすべきだといわれた』
長い時間をかけて打ち込まれた言葉に、天童はヒョッと息を飲む。それから、あはは、と声を立てて笑ってしまう。相変わらず、牛島は生真面目だ。
『若利くん、こういう時はかっこいい大人の男は全部素直に書かないで「会いたくなった」とか「好きだよ」って書くんだよ』
『すきだ』
『よくできました』
高3の最後の冬。まぁ、いろいろあって、彼らは付き合うことになった。渡仏を控えていることも了承した上でのお付き合いの始まりだったから、さすがにどちらもまだ『会いたい』は言えないらしい。
『国際電話になるけど、どうしても寂しいときは電話して。俺もする』
伝えていなかったこちらでの電話番号を改めて送る。すると、すぐにそこに電話がかかってきた。
「すまない。間違えて押してしまった」
「イーよ。元気?」
「あぁ」
「暑い?」
「東京は嫌になる暑さだ」
「へー?」
「フランスは暑いのか?」
「ちょっとネ。ケド、寒いよりいいって周りは言ってるヨ。冬、相当寒いらしい」
「困るな」
「かぁちゃんに家にあるコート全部送って貰った」
「そうか」
「今日は、恋人のイベントなの?」
「そういえば天童にもそう教わったとふと思い出した」
「そっか」
天童が、ふっと、時計を見上げる。時間にはルーズなお国柄だが、さすがに学生の身でそのルーズさにあぐらをかき続けられるほど天童のフランス語は饒舌では無い。そろそろ昼休みが終りそうだった。
「午後の授業始っちゃうから、切るケド、この時間はケッコー電話できていいタイミングかも」
「そうか。覚えておく」
「大学頑張って」
「天童も」
「モチ」
ぷつりと切れた電話を見ながら、東京の今日の天気はどうなのか訊けば良かった、と天童は思った。願い事はしない主義だが、空の上の恋人達を差し置いて地上の恋人達がいちゃついてしまったな、とほくそ笑んだから。
2014年7月7日
ヘトヘトになって見上げた空は、夕闇に赤く染まる時間であった。
ピカッと光る、名も知らない星がある。
『栄光』という課題が出された。その言葉に見合う人間を、天童は一人しか知らない。だから、彼に関する手紙やら、写真やら、思い出の品を引っ張り出していたのだ。
奇しくも、今日は、7月7日。日本では七夕というやつの日だ。思い返すと、牛島とのいくつかの思い出が確かにこの日付と結びついている。
互いに全く興味が無かったはずなのに、意識し始めた年。友人になった年。その時は違ったが、後々、恋人になった年。それから、去年。恋人になったものの遠く離れた年。
パッチワークのように関連性が無いはずのそれぞれが意味を持った一枚の絵になるようだった。
夕日の空をひらりと飛んでいく影がある。
鳥だ。カラスだろうか? それとも?
ピカリと閃く。
そうだ。栄光に繋がる日々の重なりを表現しよう。ミルフィールのような時の重なりを。地道でつまらなく見える努力の重なりが見えないところで組み立てられ、高くそびえる目標に手が届く様を。
湧き出るイメージを零さないように、ノートに書き写す。ありったけの知識と思いを詰め込んで。もうこれ以上の傑作にはならないと思えるものこそを常に作り出していかなければ。
「できた」
納得のいくものが書き留められたとき。
夕闇はいつの間にか夜に飲み込まれていた。快晴の夜空を見上げながら、天童はスマホを操作する。
『若利くん、今年の織り姫と彦星は会えてましたか? 俺は相変わらずゼッコーチョーだよ!』
きっともう真夜中で牛島からの返事は明日になるだろう。恋人からの返事を待ちながら星を眺めるのも悪くない。願い事はしないけれど。