「ハルがかわいいのよ……」
 お茶とお茶菓子を出して座椅子に腰を下ろした私は、手を額に当てて項垂れるようにしてそう零した。
「…………そうなんだ」
 なんか相槌にしては妙な間があった気がするけど、そんなことを気にすることなく私は続けた。
「昨日も学校で教室に向かってたらたまたますれ違ったんだけど、その時の笑顔がすごくかわいいの。驚きながらも嬉しさでいつもより表情が大袈裟で、それから学校なのを思い出して堪えて小さく手を振ってたんだけど、ちょっと寂しいながらもやっぱり嬉しいみたいな控えめな表情がすごくかわいくて」
「へー」
「でもやっぱり我慢できなくて沙弥香先輩って呼んでくるのよ。私もちょっと応じて軽く話すつもりだったのよ? でも気が付いたらギリギリまで話してたわ。不思議ね」
「うんうん」
「講義が終わってハルの家に行ったら途中でばったり会って、そしたら腕に抱き付いてきたのよ。えへへーなんて笑って、今日は寒いからって。おかげで寒気が吹っ飛んだわ」
「おぉー」
「きっとハルの前世は犬ね。尻尾が見えるもの。私、猫派なんだけど犬もいいかなって最近思い始めたわ」
「そうなんだ」
「燈子、ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるって」
 おざなりな応答に顔を上げると、燈子はさっき受け渡したブチ猫の前足を持ってうりうりしていた。
 ブチからどうして裏切ったんだみたいな視線を感じるけど、気のせいだろう。人間風情にお猫様の気持ちなんか分からないのだ。
 いや、それよりも。
「聞いてないでしょ」
「聞いてるってば」
「なら猫を下ろしなさい」
「沙弥香が渡してくれたんじゃん」
 それはまぁ、そうなのだけど。
 私の無言の抗議に、燈子はようやく猫から手を離す。ブチは即座に燈子から距離を取り、威嚇の嘶きを上げてから警戒したあと、廊下に飛び出していった。
 ブチを惜しむように見送ってから、燈子は大きな溜め息を吐く。
「それにしても、沙弥香から惚気を聞くことになるなんて思いもしなかった」
 そう言って淹れた緑茶に口を付けた。
 ……それはそうだ。私だってこうなるだなんて、思いもしなかった。
「そうね。小糸さんに聞いてもらおうかとも思ったけど」
「……最近侑と仲いいよね?」
 私がそういうとなにやらぶすっとむくれた燈子が牽制してくるけども、流石にお門違いというものだろう。
「あなたが忙しいからじゃない?」
「それはそうなんだけどさぁ」
 もっとも、今日は珍しく燈子の方がフリーの日だった。小糸さんはバイトだそうで。だからこそ、こうして家に招いたのだけど。まさかこうして再び、この部屋に彼女を入れることになるとは、少し前まで考えたこともなかった。
 まぁそう言いつつ、私も責めてなどいない。
 やりたいことをやれる環境と能力があり、なにより意欲があるのだ。それを応援するのも当然だろう。
 人生、一度切りなのだから。後悔のないように取捨選択し、進めばいい。強欲な燈子はできるだけ多くのことをやっていくつもりのようだし。
 ただ。
「分かってるとは思うけど、きちんと気を配ってあげなさいよ」
 だからこそあとで後悔しそうなことには釘を刺しておく。
 私を振ってあの子を選んだのだ。ここで二人が別れるなんてことになったら、私はなんのために振られたのか。
「分かってるよ。……気を付ける」
 まぁ二人はまだ一年も付き合ってない私と違って、もう四年付き合ってるのだ。そこら辺は私に言われずとも分かってるはずだろう。
 聞くところによれば付き合う時間が長くとも、むしろ長いからこそおざなりになることもあるそうだけれど。
 結局は当人同士によるものだ。
 ……それにしても。そういう話を振れるようになったというのも、少し前までは考えられないことだ。
「それで話は戻るのだけど」
「なんだっけ」
「私だって惚気たくなる時くらいはあるわよ」
「いやそれはそうなんだろうけどさぁ」
 だってハルはかわいいのだし。
 でもハルに直接言うことなんてできない。
 だって私は先輩だから。もう少し、あと一年くらいはこう、保っていたいのだ。先輩としての威厳とかそんな感じのを。
 だけど溜め込み続けるには限界だった。じゃあ誰かに、となった時、真っ先に浮かんだのは小糸さんと都さんだった。
 が、小糸さんはハルと連絡を取り合ってるから躊躇われた。じゃあ都さんに、と考えるも、こんなまくし立てるような惚気を赤裸々にぶつけるには少々気が引ける。
 そういうわけで白羽の矢が立ったのが燈子だった。
「だけどさ、ほら、そういうのを私が聞くことになるとは思わなくって」
 燈子は私をちらりと窺い、ちょっと躊躇いがちに言葉を濁した。
 それは当然だろう。燈子は私を振ったのだから。
 実際、私もほんの少し前までは話そうだなんて思いもしなかった。
 けれど。
「だって、友達でしょう?」
 ……そう。私たちはきっと、一番の友達。
 互いの想い人を知っている。深いところまで知っている。
 そんな友達はかけがえのないものだ。
 確かに私たちは平行線のまま進むことを選んだ。
 もう二度と、真に交わることはないのだろう。あの時ほどに近付くことも。
 だから角度の変わった彼女との距離はもう開いていくばかりなのだと、あの時思った。
 だけどそれは違うんじゃないか。
 平行線というのは彼女の隣に居続けるための方法であって――ずっとその関係が続くための選択であって――燈子が変わり、私も変わった今、平行線で在り続ける必要はない。
 私たちはようやく、互いに憂慮のない関係になったのだ。
 だから改めて、友達になりたかった。
 諦めじゃない、あの時は恋人としての関係を望んだように、今の私は、燈子と友達として在りたかった。
 惚気は真実であり、また同時に口実。だって自分のことだから分かる。私は自分から声かけなんかするタイプじゃなく受け身がちで、だからこそ一度接点を持った人であっても疎遠になりがちだと。
 なんでもいい。ただ気軽に会えるようになれたらと。
 そんな私の言葉に燈子は、少し驚いたように目を丸くして……そして柔らかい微笑みを浮かべた。
「……そうだね」
 燈子も同じ気持ちを抱いたのかもしれない。
 いずれこうして遊ぶことさえなくなるとしても。今の私には惜しいことだから。
 ふ、と空気が緩み、互いの頬も弛緩する。
 こうして初めて私は、燈子と対等に並べた気がした。
「なら私も惚気ていい?」
「それはまだ駄目」
「えぇー」
 だってまだ私のハルへの気持ちは吐き出し切れてないもの。せめてあと最低でも二時間は付き合ってもらわないと。
 燈子はぶーぶーと抗議するも、私の頑なさにとうとう折れたようだ。溜め息を一つ吐き、すっかりぬるくなったお茶と羊羹に口を付ける。
「そういや今更なんだけどさ、和菓子って意外と甘いよね」
 私もそれに倣うようにしてお茶に舌鼓を打っていると、ふと燈子がそんな声を上げた。
「なによ今更」
「そうなんだけどさ。西洋菓子に比べたらどうしても甘さ控えめなイメージがあるっていうか。京都で作ったのとか生八つ橋とかもそんな風に思ったなぁって」
 くるくると黒文字で宙をかき混ぜる燈子に、そんなものかなと思いながら私も小分けにした羊羹を一つ口にする。
 こし餡のずっしりとした、しかしあとを引かない甘さが口内に広がっていく。
 流石贔屓の老舗だ。相変わらず美味しい。
 今度は燈子の家に遊びにいくのもいいかもしれないな、なんて思いながら、私はお茶に口を付けた。
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