もう一歩も動きたくなかった。
口からは荒い息ばかりが零れ、全身に汗が次々と噴き出してくる。
話には聞いてはいたけど、こんなにキツイなんて。
入部してから早々にベンチ入りを果たしたからって、油断してたわけじゃない。
女子は体ができるのが男子より早いといっても、まだまだ成長期だ。中学に入学したての一年と卒業間近の三年じゃ出来が全然違うってのは分かり切ったこと。そもそも中学にもなると、練習の負荷のかけ方も重くなるのは自然だし。
だといっても、普段の練習にだってなんとか食らい付けてたんだ。合宿だって乗り越えられる――そんな考えはもう吹っ飛んでいた。
朝っぱらからのハードな基礎トレにランニング。その後はレギュラーのバッティングという名のノックを受け続け、午後になってようやく私たちがまともに練習できるようになる頃には、すっかり足がガクガクだった。
もはや途中から練習の記憶が曖昧だ。気が付けば私は部屋で倒れ込んでいた。
窓の外を見やるともうすっかり日が暮れている。
ぼんやりと眺めていると、窓の外から先輩たちの陽気な笑い声。嘘だろ、なんであんなにやって元気あるんだ。
「お、死んでんな菜月」
ドアを開けた同室の先輩が、私を見てからからと笑った。
「マジで死にそうっす」
「いいザマじゃん、ルーキー。ま、慣れよ慣れ」
慣れるもんなのか、これ。
私もあと二年すれば同じように笑えるのだろうか。全然想像が付かない。
そもそもまだ合宿初日なんだけど。これ、生きて帰れるんだろうか。
「それよか菜月、洗わんでいいの?」
「へ?」
「もう洗濯機だいぶ並んでたぞ」
「――ヤッベ!」
筋肉痛で悲鳴を上げる体に鞭を打って飛び起き、慌ててユニフォームを抱えひいこら這っていくと、すでに洗濯機前には長蛇の列が並んでいた。
「……おあぁぁあ」
重い息が零れる。
これから夕飯、お風呂で、入浴後に洗濯しようにも、それはそれで下着等でまた並んでるのがオチだ。いくら運動部だからといって、砂まみれになったユニフォームと下着を一緒に洗う馬鹿はいない。そのあとはもう早めの就寝だ、洗濯機を回そうものなら先輩たちからクレームという名のリンチがあることだろう。リンチは半分冗談だけど。
となれば大人しく並ぶ他ない。そう諦めて溜め息を吐くと、声をかけられた。
「あ、菜月じゃん」
「おー、侑。生きてたかー」
ちょうど前に並んでたのは侑だったようだ。彼女も疲労の色が顔に濃く出ている。
「生きてるよー。全身バッキバキだけど」
「それな」
「他の一年はまだ死んでるのかな」
言われてみると、確かに侑より前はみんな先輩だ。それよりも早く並んで済ませてるとは考えにくいし。私だってこんなんなんだから。
「みたいだな」
「ほんとキツかったもんね。初日てこんなキツイなんて先が思いやられるなぁ」
だー、と侑はしんどそうに空を仰ぐ。
その様子を見て、不意に私は不安に駆られた。
「悪いな」
「え、なにが?」
「ほら、部活私が誘ったからさ。ここまでって思ってなかっただろ?」
無理やり誘ってしんどい思いをさせてるんじゃないだろうか。ソフトが嫌いになったんじゃないだろうか。
きっと薄々どこかで感じていた思いが、疲れに乗じて弱気として出てきてしまう。
「もしどうしても無理そうなら……」
「――無理じゃないよ」
その声に顔を上げると、侑はいつもの優しい――けれどもどこか困ったような笑顔を浮かべていた。
「ほんとか?」
「うん。そりゃあここまでしんどいとは思わなかったけど、大丈夫だよ」
きっと本当に大丈夫なのだろう。まだ付き合いは短いけれど、それは分かる。だけど。
じゃあ、侑が浮かべているその色はなんだ?
困ったようにも見える、その、煮え切らない感情は。
「……そっか。なら、いいんだ」
その答えを聞くのがどこか怖くて、私は手を引き頷いた。
……知りたい。知りたくない。
いつか聞くことがあるのだろうか?
「あ、菜月も一緒に洗う?」
「お、そりゃ助かる」
順番が回ってきた侑の声かけに、私は思考を振り切るようにして勢いよくユニフォームを洗濯機の中にぶち込んだ。
洗剤等を入れてるところだった侑の文句を聞きながら、私は洗濯機の蓋を閉め、スイッチを入れた。