決心を鈍らせる優柔不断さを抱えたまま廊下を歩いていると、反対側から佐伯先輩と並んで歩いていた七海先輩が、わたしを見てぱぁっと顔を輝かせた。
それがわたしの決心の後押しとなった。いや、それ以外考えられなくなった、と言う方が正しいのかもしれない。
とかく、頭が真っ白になったような感じだった。
「おはよう、侑」
「おはようございます」
二人に短く挨拶してすれ違う間際、初めてわたしは自分の胸元に咲く黄色いリボンをくるりと弄った。
「――え?」
戸惑いの声が後ろから聞こえる。わたしはそれに振り返ることなく、進み続ける。
「どうかした?」
「え、ううん。なんでも」
七海先輩が誤魔化す様子を耳にしながら立ち去ったわたしは、角を曲がったところで立ち止まり、はぁ――と重苦しい息を吐き出した。
苦しいほどに胸を打つ心臓に、十秒くらい胸を押さえていた。再び歩き出したものの、妙な緊張にわたしの手足はまるで血の気が引いたかのように痺れていた。
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次の休み時間に入った途端、わたしは急いで、だけど怪しまれないようできるだけゆっくりと教室をあとにした。
昇降口から生徒会室に向かう途中にある、雑木林の間を通る舗装された道を外れていくと、そこにはすでに七海先輩が佇んでいた。
「先輩」
「うわっ、と……侑?」
気付いた七海先輩がわたしを呼ぶよりも先に、わたしは駆け寄ってその体に抱き付いた。
戸惑いからか固まっていた先輩の体は、すぐに緊張がほどけるようにして柔らかさを取り戻す。
そうして、ぽんと頭に手が乗せられた。
「初めてだね、侑からなんて」
そのまま撫でる先輩の感触を、少しでも感じられるように力を込める。
二人だけの秘密。すぐに会いたい、キスしたい、そういう合図。
実際のところ、これまでこのサインが交わされたのも数えるほどだ。校内はリスクがあるし、そうでなくとも下校してからの方が安心してできるから。
それだって、七海先輩がどうしてもとやるくらいで、わたしからはしてこなかったものだから、そう言うのも当然だろう。
「なにかあった?」
七海先輩の問いに、わたしは唸るように答える。
「……なにもないですよ」
「ほんと?」
「なにもなかったです。昨日、先輩がいなかっただけ」
わたしがそう零すと、先輩は「え?」と声を上げた。
「そりゃだって、もう引退したし……ていうか侑、私がそんなこと言ったら笑ってたじゃん」
当たり前のように返す先輩に、わたしはなにも言わずにぎゅっと抱き締める。
……ほんと、先輩の言う通りだ。
だって前は大丈夫だと思ってた。先輩が生徒会を引退し、受験や市民劇団の活動でこれまでよりも会うことが難しくなっても、その寂しさは耐えられるものだって。
寂しがる先輩に面映ゆさを覚えつつも、わたしは先輩と違うって、からかった。
だけど昨日、先輩がいなくなって初めての生徒会活動があった時――ぶわっと寂しさが込み上がった。
そうしたらもうだめだった。すぐに先輩と会いたくて会いたくて……とにかく、だめだった。
涙が零れるほどじゃない。だけど目の奥はとても熱くて……咽喉が、胸が締め付けられたみたいに苦しかった。
「……そんなに寂しかった?」
先輩の優しい声かけに、わたしは声もなく頷く。
「そっか」
「先輩」
「うん」
もう時間は五分もない。急かすようなわたしの呼びかけに、先輩はそっと手を添えた。
わたしたちはそのまま、唇を重ねる。
触れ合ったのは、三十秒ほど。たったそれだけの時間だったけれど、寂しさは薄れてくれた。
以前先輩が「充電」と称したのも、あながち間違いじゃないかもしれない。そんなことを考える程度には、気持ちが落ち着いた。
「……すみません先輩。忙しいのに」
「いいのいいの。私も、嬉しかったし」
その目はわたしと同じように物足りなさを覚えているのが分かる。
わたしと先輩が一緒にいられる時間は、昨年度みたいに多くはない。放課後の時間も違うし、まともに一緒でいられるのは休みの日くらいだろう。それだって市民劇団の活動で決して多いわけじゃない。
それでも。
「それじゃあ、先輩」
「うん。またね、侑」
変に勘繰られないよう、先輩が先に校舎へと戻るのを見送る。
時間差で校舎に戻るために待っていたわたしは、ふと指で自分の唇をなぞる。
先輩から移された熱は、まだそこに残っていた。