セッション感想
一番最初に注釈しておくと筆者はジャズ素人です。ドラムを叩いたこともありません。
先日レンタルビデオ屋さんで以前から気になっていた映画『セッション』のレンタルが開始されているのを知ったので借りてみた。SNSで有名な某映画好きの漫画家さんの映画紹介四コマを見てから滅茶苦茶気になっていたのだ。
ちなみに事前にこの映画の評価を閲覧していたのですが、結構『胸糞悪い。』『講師がクズ。』のような意見が多かったのでかなり身構えた。一応あらすじを詳しめに記載していきます。ネタバレもあるので要注意。
①名門音楽大学に所属する主人公アンドリューはドラムのプロ奏者になることを夢見る若い青年。ある日、彼は大学の中でも最上位と言われるバンドの指導者を務める講師フレッチャー(スキンヘッドの親父)が自身のバンドのドラム奏者を探していることを知り、オーディション(のようなもの)を志願し受けるが少し叩いただけでフレッチャーは帰ってしまう。※アンドリューはこの時初等クラスのバンドに入っていたが、バンドの主奏者はコノリーという彼女持ちのイケメンである。
②後日、アンドリューは初等クラスバンドでいつものようにニーマンの脇でバンドの仲間たちの練習風景を傍観していたが、そこにフレッチャーがやってくる。フレッチャーはバンドメンバー一人一人に演奏を求めるが誰一人として彼のお眼鏡にかなうものはなく、アンドリューの番がやってくる。そこで演奏したところ、アンドリューはフレッチャーに引き抜かれ、彼の率いるバンドに入るこおになる。
③上級クラスでの練習はまるで軍隊の演習か?とでも尋ねたくなるような様子であった。練習時間になると訪れるバンドメンバーたちはにスタジオにフレッチャーが足を踏み入れた瞬間ピタリと静まり返り背筋を正す。アンドリューは最初こそ上級クラスに引き抜かれてウキウキしていたものの、演奏の練習中に音が外れている生徒をひどい言葉で罵倒し、挙句の果てにスタジオから追い出してしまったフレッチャーの熱血指導(笑)に軽くドン引き。その後の休憩時間笑顔で自身に話しかけ、世間話を振ってくれたフレッチャーにアンドリューは心を開きかけるが、その後の練習でドラムを叩くと、フレッチャーは彼に椅子を投げつけ、アンドリューに店舗を数えさせるとビンタをして早いか遅いか尋ねるなどの暴力を振い、キツイ言葉で罵倒する。なんなら親族郎党貶める。あまりのことに涙を流すアンドリューに対して、他のバンドメンバーもいる前で「悔しいなら悔しいと言ってみろ。」と言うような言葉を投げかけ大きな声で「悔しいです。」と叫ばせるなどの度を超した指導(と言う名の虐待)を施すなどする。
④このような出来事の後、アンドリューは悔しさのあまり以前よりも更に自主練習に没入するようになる。そんな折、とあるコンクールでアンドリューはバンドのドラム主奏者であるタナーの楽譜を預かることになるが、自身の過失でそれを失くしてしまう。タナーは疾患があり楽譜を目で追うことでしかドラムの演奏ができない。そのためフレッチャーにこのことを訴えるが彼は全く取り合おうとはしない。そこでアンドリューはコンクールの演奏曲『ウィップラッシュ』を自分は暗記しているとフレッチャーに伝え、タナーの代わりに主奏者を務めることになる。このコンクールでアンドリューの音大は優勝を果たしたが、その後アンドリューは他のバンドメンバーから孤立することとなる。(故意に楽譜を紛失したと思われている。)しかし、この後の練習からバンドの主奏者はアンドリューにするというフレッチャーの言葉にアンドリューは喜ぶ。
⑤前述の出来事からアンドリューはさらにドラムに傾倒していくようになり、周囲に対して何処か傲慢な態度をとるようになっていく。親族の食事会でいとこのことを馬鹿にするような言動をするなど。しかし、ある日の練習中、フレッチャーは新しいドラム奏者の一人としてアンドリューと同じ初等クラスに所属していたドラム奏者のコノリーを連れてくる。自身の立場が危ういと感じたアンドリューは恋人に別れを告げ指の付け根から血が出ても更に練習に励むようになる。
⑥とある日フレッチャーは落ち込んだ様子(?)で、ある人物のCDロムを流しつつ感傷に耽るかのようにその人物について語りだした。その人物の名前はショーン。彼の教え子だったようだ。成績はギリギリの生徒だったがとても努力家で、その点を買ったフレッチャーは自分のバンドに誘った。学校卒業後は有名なバンドのトランペットの走者に選ばれたが、今朝車の事故で亡くなったのだと泣きながら語る。が、その後はまた人が変わったようにアンドリュー、タナー、コノリーをこれでもかと言うほど罵倒しながら三人交互にドラムを叩かせる。何時間も、日付が変わるまで。ドラムには三人が手から流した血液が滴り、彼らの額には汗が浮かび意識は朦朧としている。そして最終的にフレッチャーはアンドリューを奏者に選んだ。
⑦この練習の翌日は奇しくもコンクールであったが、運悪くアンドリューの乗った会場に向かうバスのタイヤがパンクして立ち往生。慌てた彼はレンタカーを借りて急いで会場まで向かうが、レンタカーショップ付近に自身のスティックを忘れてしまったことに到着してから気が付いた。スティックが無ければ、代わりにコノリーがドラム主奏者になってしまう。あれだけ悔しい思いもして練習したのに、だ。それだけは避けたかったアンドリューは急いでスティックを取りに戻るが、再び会場に戻る道中、自身の不注意で車と衝突事故を起こしてしまう。頭から流血し血まみれでフラフラになりながらも彼は会場に向かいドラムを叩くが、怪我のせいで上手く指が動かず、スティックを落とし演奏を止めてしまう。こんな状態では演奏ができないと判断したフレッチャーに交代を命じられるが、アンドリューは決して退こうとはせず、むしろフレッチャーに食って掛かる勢いで掴みかかり周囲のバンドメンバーに取り押さえられる事態にまで発展する。
⑧結果は退学処分。学校に行かなくなったアンドリューは廃人のような生活を送っていた。そんな彼に弁護士を名乗る人間が訪ねてくる。以前フレッチャーが事故で亡くなったと話していたショーンの両親の弁護士だと名乗る彼女は、ショーンはうつ病で自殺したのだと語った。そして依頼人の望みは息子と同じような目に遭う人間を減らすことだともアンドリューに伝える。当初アンドリューはフレッチャーを庇うような素振りも見せたが、自分の父親の『愛する息子がひどい目に遭ったのに黙っていられるわけがない。」と言うような言葉を受け、自身の身に起こったことを話す。そしてその後、彼は所有しているCDやドラム機材、音楽に関わる全てを自分から遠ざけ日常へと戻っていった。
⑨ある日ニーマンは街中を歩いているととある建物のジャズライブにフレッチャーがゲストで参加しているところを発見し、ピアノを弾く彼の演奏をしばらくの間観察していた。ライブが終わり退店しようとするとフレッチャーがアンドリューに声をかけて来て、二人は語り合うこととなった。フレッチャー曰く、アンドリューの退学後、フレッチャーはバンドメンバーの誰かの密告により虐待ともとられかねない指導体制を問題視され大学を辞めたらしい。しかし、彼は自身の指導方針を間違っているとは考えておらず、自分には理解者が居ないと話していた。自分の今までしていたことは全て自身の期待以上に生徒を育て上げるためだというのだ。
➉二人はこの会話の後別れることとなるが、別れ際、フレッチャーはアンドリューを引き留め、自分は今プロの集まるバンドで指揮を務めていること、そして今度行われるコンクールでアンドリューが学内のバンド在籍時に練習していた『ウィップラッシュ』や『キャラバン』の演奏に慣れたドラム奏者が必要なため、力を貸してほしいという。アンドリューは学内の他のドラム奏者はどうしたのかと尋ねるが、フレッチャーはどちらもバンドを辞めてしまったと語る。そして、この二人と競わせたのは(彼は作中で何度も嫉妬を煽る様な言動をしている。)アンドリューを刺激して更に技術を向上させるためだった。というようなことを言う。結局これにほだされたアンドリューは承諾を決意。ちなみにこの後復縁目的で恋人をコンクールに誘うも振られている。
⑪コンクール当日意気揚々と出かけた。フレッチャーが言うにはこのコンクールにはプロのスカウトも足を運んでおり、彼らの目に留まるチャンスである。「スカウトは一度目にした顔は忘れない。」とも語る。演奏直前フレッチャーはアンドリューに近づき「密告はお前だな。」と言い残す。そして彼が曲名を口にしたことでアンドリューは自分が嵌められたことに気付いた。このコンクールで演奏する曲の名前は『アップスウィンギン』、新曲なのでアンドリューは練習どころか楽譜すら持っていないのだ。問答無用で演奏が始まるが楽譜を持っていないアンドリューは合わせることすらもできず、周囲の事情を知らないバンドメンバーには「なにをやっているんだ。」と叱責され終始アウェーのまま演奏が終わってしまう。
⑫演奏終了後アンドリューは居てもたってもいられず退場する。通路では息子をいたわるために足を運んだであろう父親が待っていて、何も言わずに彼を抱きしめてくれた。父親は彼に向かって「帰ろう」と言うがアンドリューは何を思ったのか会場に戻り、勝手に『キャラバン』のドラムを演奏しだす。バンドメンバーは思ってもみない彼の挙動に動揺するが、アンドリューの剣幕に圧され勝手に曲を演奏しだす。これにはさすがのフレッチャーも驚くが、彼に向かってアンドリューは「クソッタレ」と悪態を投げかけた。コンクール中ということもあり止める手立ての無いフレッチャーは演奏に合わせて指揮を始めるがその最中、怒り心頭と言った様子で「お前の目玉をくりぬいてやる。」と口にする。しかし、この時のアンドリューの演奏はフレッチャーの理想そのものであり、二人はそれまでのお互いに対する悪感情を忘れさったかのように視線を合わせ演奏に没頭する。
大体こんな感じで映画が終わる。
感想。
所感としてはフレッチャーが本当に意地悪通り越して性格最低の講師で、他の人の感想に多くあった不快感をかなり感じた。鑑賞前はなんとなくスパルタだけど生徒思いの講師との熱い師弟関係を描いた作品なのかなと勝手に思っていたので余計にびっくりしたのもある。
作中のシーンで得られる視覚的情報を捕捉すると、アンドリューは見るからに陰キャで女にモテなさそう、それどころか友達が一人もいない。(これは本人がそう言ってる。)なんとなく、自分にはドラムしかないって思ってそうな暗~い感じの青年である。鑑賞しているとなんとなく分かると思うんだが、アンドリューは初等から一緒のコノリー(彼女持ちのイケメン。)になんとなく羨望のような嫉妬のような感情を初めから抱いていたように私は思う。序盤のシーンではコノリーが彼女と教室の入り口でめっちゃキスしてたのガン見してたし、上位クラスのバンドに移籍してからはタナーにはそこまで敵対心を持っていなかったように思うけどコノリーのことはバチバチに意識しているような気がする。ちなみにコノリーは初等クラスのドラム主奏者(アンドリューの就きたいポジション)であり、ガタイも良く根暗なアンドリューにも割とフランクに絡む良いヤツ。根暗から見るといけ好かないとも言える。
で、鑑賞している最中狂ったように演奏しているアンドリューを見ていると、なんでそこまでやる必要があるの?って思ったんだけれど、それに関してもこのアンドリューの持つ劣等感のようなものが関係しているのかなと感じた。
作中でアンドリューが父親と親族の食事会に参加している場面がある。そこで同年代くらいであろういとこたち(スポーツマンのようだ)の自慢話を聞くのだけれど、何とはなしに周囲のいとこたちの親やアンドリューの父親の口ぶりを聞く限りだとアンドリューのお宅では音楽よりもスポーツの方が上位に分類されるものらしい。彼ら親族はいとこたちが試合でタッチダウンを決めた話に対しては手放しで褒める素振りを見せるがアンドリューがドラム奏者に選ばれたことを話しても反応が薄い上に「それが将来どんな役に立つのか?」というような台詞を吐く。つまりアンドリューの家庭の中ではいとこ=お外で遊ぶ快活な子供、アンドリュー=家で一人で何してるのか、考えていることが分からない子供のような認識が成り立っているのではないのだろうかと私は思った。あらすじには記載しなかったが、序盤にアンドリューと父親が二人で映画を見るシーンがある。父親はアンドリューにドラム以外の道もあると諭すが、アンドリューはそれ以外の選択肢なんて考えられないというようなことを話している。つまり、ドラムでプロになり生計を立て、なんなら音楽史に名を遺すことが彼にとって自己を肯定できる手段なのかなと考えてみた。それは同時に彼の心の根底に他者から承認されたいという欲求があるということと同義とも言える。
また、音楽に限らず芸術全般に言えることだが、その道を目指す学生というものは大抵の場合実家が太く、そして幼い頃からコンクールなどで表彰されたり賞をもらった経験の多い人間が大半だと思う。これは日本に住んでる私の基準での考えなので外国はどうかはちょっと分からない。しかし実際、アンドリューの家庭は父子家庭だが父親は教師、自宅にはドラムセットが置いてある。貧乏な家には楽器など無い。父親はある程度は息子の夢に理解があり余計な口は挟まず応援してくれる。
そんな風にして生きてた人間が一番最初に壁にぶち当たるのが、この専門の大学という場所なのではないだろうか。一般の公立高校に美大や音楽大を進学先として選ぶ学生はそれほどいない。狭い地区でライバルの少ないコンクールで賞を取り、自分にはそれなりの実力や才能があると思い受験に臨み、やっとの思いで入学した学校には自分と同じレベルかそれ以上の同級生がごろごろいるなんていうこと別に珍しくもない。しかしこの時初めて自分の存在や才能が決して特別なものではないと気づく人も多いのではないのだろうか。私はアンドリューもこういうタイプの人間だと勝手に思っている。
だから、自分のドラムが否定されると悔しい、自分よりもなんでも持ってる奴が自分を押しのけて主奏者に選ばれるのが悔しい。それ故に、明らかに度を越している上に非常識なフレッチャーの言葉を真に受けてしまうのではないのだろうか。
そしてフレッチャーに関して少し触れると、私はコイツは本当にイカレていると思っている。そもそもこの人物一体何がしたかったのであろうか。自分のやっていることをコイツは理解してないわけではないだろう。そう思うのは自身の過激な指導に追い詰められた生徒が自殺した出来事を彼は自分の生徒に『事故で死んだ。』と嘘を吐いていることからも明らかだと思う。自分のやっていることが決して間違っていないのならば、きっとなんてことない顔で自殺したのだと事実を伝えるだろうし、それに関して「こんなことで死ぬなんて軟弱だ。」とか「これからだっていうのにどうして自殺なんかしたんだ。」と言うに違いないと思うのは私の思い過ごしだろうか。私には期待以上に生徒を育てあげたかったというのは建前で結局自分の憂さ晴らしのために逆らえない生徒を苛めている大人げない大人にしか思えなかった。また、彼は自分の高い理想を理解してくれる人間が居ない。『上出来(グッドジョブ)なんてクソ喰らえだ。」みたいなことを仰っておられるが、そこまで高い理想を持ちながら、何故彼は音楽院の一講師に収まっているのか疑問である。高い理想を持つならば、またそれに見合う技術があるならばきっと彼は今頃更に高い舞台で奏者、指揮者、もしくは指導者をやれていたのではないか?それが無い時点で彼の実力と言うのはお察ししてしまう感じがある。つまるところ、彼は自分が若い頃達成し得なかった目標を、自身の生徒を行き過ぎた指導で鍛え上げることでリベンジしたかったのではないかと私は思った。これが多くの視聴者に『若い才能に嫉妬する男」と言わしめた根拠であろう。
私が見落としただけかもしれないがフレッチャーの生徒虐待について、密告したのは誰か詳しいことは描写されていない。もしかしたら辞めていった他のドラム奏者かもしれないのに、アンドリューだと決めつける辺りもなんか思い込み激しいなと思った。そしてその腹いせとしてとんでもない嫌がらせをしてくるのも言語道断である。「スカウトは一度見た顔を忘れない。」というセリフは、一度粗末な演奏をした奏者はその後スカウトから声はかからないという意味であろう。つまりフレッチャーは自分が密告された腹いせにアンドリューのその後のプロへの道も潰そうとしたのだろう。此処まで来ると本当にもうなんて奴だコイツはという感想しか生まれてこない。普通そこまでする?と思う。だからイカレてると思うのだ。大体にしてアンドリューへの腹いせはまだ納得できるとして、ドラムがちっとも合わない粗末な演奏を聞かされる羽目になった観客はどうなるのか。音楽は人に聞かせるために奏でるものだ。コンサートやコンクールなんかは尚更観客あってのものだろう。そこら辺をないがしろにして自分の腹いせを優先させる辺りに、フレッチャーの独りよがりな性格と傲慢さが滲み出ているように感じる。一般人の素人は、たとえその場の演奏がどれだけ優秀だろうが、劣悪だろうがちっともわかりゃしないだろう。みたいな考えが透けて見える感じがするのは私だけだろうか。要は客をナメてるだろと思うワケ。
そして面白いことにこの一般人の音楽への無理解(と思い込んでいる)を小馬鹿にしている姿勢はまさしく、練習に没頭し親族や恋人に対して上から目線のセリフを吐くアンドリューの姿勢と同じものだろう。そう考えると結構面白いよねこの映画…となりました。
ここからは本当の本当に想像なんだけれど、認められない悔しい気持ちだけで我を忘れていたアンドリューは終盤、自分が子供の頃にドラムを叩いていた映像を見て涙を零すシーンがある。序盤では自己の承認欲求を満たすために練習していたけれど、最初は彼だってただ楽しいからドラムを叩いていたのだ。それを思い出し初心に帰ったからこそラストシーンの演奏があるのではないかなと思った。
また、作中では有名なジャズのドラム奏者であるチャーリー・パーカー(愛称:バード)の話が出てくる。フレッチャーは終盤アンドリューと語らう場面で、このチャーリー・パーカーの逸話(へまをしてバンドメンバーにシンバルを投げられたことが悔しくて死ぬほど練習したらしい)を引き合いに出し、「もしも彼がシンバルを投げつけられていなかったならバードは誕生しなかっただろう。」と語る。そして、アンドリューが「次のチャーリーになる人間を潰しているのはあなたではないか。」と言うような質問に置いて彼は「もしもこの程度で潰れてしまうのなら、ソイツは次のチャーリーではない。」というような台詞で答えている。うろ覚えだけど。つまり、音楽で大成する人間はどんな理不尽な扱いも乗り越えていけるだけの何かがあるのだとフレッチャーは割と大真面目に信じているようである。
特別そのようなことを示唆する台詞や描写は無いが、最後の最後、フレッチャーに嵌められ一度は退場したアンドリューが再び舞台に戻る寸前、父親の腕に抱かれている最中、私はきっとアンドリューはこの時の彼の話を思い出したのではないかと思っている。本当に後世に名を遺すほどの才能を持ち、血のにじむ努力ような努力を重ねた人間ならばこんな理不尽はきっと乗り越えられるのだろう。そうした人間こそが本物になれるのだ。ということ。
視聴していた時は、アッ、エ~~?戻るの??なんで???ってなったんだけど多分そういうこと。そういうことにしておきましょう。ちなみにラストの演奏シーンはめちゃくちゃ格好良いのでそれだけでも見る価値あると思います。映画のタイトルである『セッション』というのは実は邦題で、本当の題名は『Whiplash(むち打ち)』らしいですが、ラストの二人の掛け合いを見ているとセッションも結構しっくりくるタイトルだなと思いました。
それはそうとしてちっとも理解できないフレッチャーの価値観の中で一つだけ理解できることが私にもあったんだけど、それは良質な芸術は狂気の中でこそ生まれるモンだってとこですね。一つのことに没頭すればするほど人間って生活がおろそかになるし小汚くなってくよね……。そんな風にして出来上がった演奏、或いは作品に込められた狂気こそ人間を引き付ける魅力があるのかなって個人的には思います。
今回の感想はこんな感じ。長々とお付き合いいただきありがとうございました♡