女の子の声
※ところどころ事実とは違う部分を入れています。
昔務めていた職場にYさんという人が居た。年齢は私の一回りか二回り年上で、背丈は小さくはっきりと物を喋る女性だった。当時の私は所謂介護事業所に務めていたのだけれど、明るく人当たりも良いYさんは利用者にもよく好かれていて、私も彼女のことを職場の先輩として尊敬していたのだ。
ある夜のこと、遅番勤務で職場に残っていた私は事務所で一通りの仕事を終えた夜勤のYさんといつも通り世間話をしていた。それというのも、私たちが勤めていた部署は比較的症状の軽い利用者が多数で夕方になると利用者は夕飯を食べた後で、寝る前の口腔ケア、着替えやトイレを済ませるとさっさと居室に戻って就寝してしまうことが多い。(勿論、当時は、という捕捉が入る。)
そのため、残った職員も自ずと仕事を終えるのが早くなり、特に遅番は仕事が終わる定時の三十分前には時間を持て余すのが通常だったのだ。
話が逸れてしまったがこの日も例の如く時間を持て余した私は、夜勤がYさんだったことを大変うれしく思いながら何とはなしに、何か怖い話をしてほしいと駄目もとでリクエストした。話を振ったことに特に理由は無い。丁度夏の時期だったのもあるし、私が元々怖い話が好きなのは職場でも割と知られているのか、Yさんは「え~?」なんて言いながらも少し笑って話してくれた話がある。
「こういうこと言ったら、変な人だと思われるだろうし、ウソついてるとか人の気引きたいだけとか思われるのも厭だからあんまり人に教えないんだけどね。」
そう言いながらYさんは私に軽く口止めすると、自分は実は霊感がある方なんだと教えてくれた。いつから見えるようになったかは覚えていないそうだ。それに見える時と見えない時もある。もしかしたら街中を歩いている最中、すれ違った人が例えば幽霊だったとしても気付かないし、そもそも気にもしていなくきゃわからないとも思うのだそう。学生時代から今に至るまで多少怖い思いはしたものの、見えるからと言って何か特別な体験をしたわけでもないので、期待されるほどすごい話も持っていない。そんな風に前置きをしたうえでYさんは一呼吸置いてから話始めた。
もう何年も前の話だそうだ。当時、Yさんは結婚していたらしい。今は色々あって夫とは別れているが、このお話はその元夫と暮らしていた家出の出来事なのだとか。
その頃Yさんは夫と二人で暮らすのに一軒家を借りていた。何か特別ないわくがあるわけでもなく、見た目も小綺麗な二階建ての家。しかし、その家に越してきてからというもの彼女自身何度か怪奇現象に見舞われたことがあったらしい。
例えば、寝室に布団を二枚敷いて夫と隣り合って眠っていると、深夜ふと目を覚ましたら知らない老婆が自分の腹の上に乗っていたとか、夫と二人暮らしの家のはずなのに一階で二人でいると上階から子供が走り回るような小さな足音がパタパタ、パタパタ、とひっきりなしに聞こえてくるとか。そんなことがちらほらと。
勿論一緒に暮らしているのだから、夫も家自体に常人の前には見えない何者かが存在していることは認めていたし、Yさん自体も理解はしていたけれど、だからと言って直ぐに引っ越そうという気にはならなかった。
Yさんいわく、「若い頃からそういう体験をしていたから慣れ切っていたのだろう。」とのこと。
夫にしても、別に実害があるわけじゃなし、そういうこともあるのだろうと大して気にもしていなかったので、一度も住処を変えるなんて話題は二人の間に出てはこなかった。
そんな毎日を続けていたある日のこと。その日は休日でYさんと夫はリビングで二人でテレビを見ていたらしい。時刻は丁度夕方だっただろうか。リビングの窓から差し込む茜色の光が横顔に当たって眩しかったことを良く覚えているそうだ。
Yさんの自宅のリビングは丁度横長になっていて部屋の中央に置いてあるローテーブルを挟んで向こう側に大型テレビ、手前側には三人掛けのソファがある。テレビに向かって右がキッチン、左に大きな横開きの窓があり夫はソファの右側、つまりキッチン側に座っており、Yさんはソファの座面中央を背もたれにして床に座っていた。
夕方のドラマを見ているYさんの視界の左端には丁度夫の右ひざが見えている。テレビの内容についてぽつりぽつりと会話をしているうちに、Yさんは少し眠たくなってうとうとと船をこぎ始めた。しかし、時間的にはそろそろ夕飯の支度を始める頃なのでまだ寝るわけにもいかないと思い、気をしっかり持とうと背筋を伸ばすと、ふとソファに座っている夫のことが少しだけ気になった。いつの間にかテレビに集中していて聞いてなかったけれど、先ほどから夫が全く喋らない。
きっと彼も居眠りをしているのだろう。
Yさんは然程違和感を感じず、ドラマの続きをしばらくの間眺めていたのだけれど、すぐに何かテレビの音ではない物音がすぐ近くから聞こえてくるのに気が付いた。耳を澄ませてよく聞いてみる。
男の人の声。
すごく小さな囁き声でボソボソと何か話している。
うまく聴き取れない。
右側から聞こえてくる。
自分よりも少し上だ。
そう思った瞬間だ。Yさんはそこで漸く気が付いたのだ。
この声は夫の声だ。
「――ん、――ちゃん、……Yちゃん…!」
小さくか細い声なのに、どこか必死な様子で自分のことを呼んでいる。もっと大きな声で呼べばいいのにと半ば不審に思いながらもYさんは夫の方に振り返った。そうすると、自宅だというのに両膝の上に置いた自分の手のひらでグッと握りこぶしを作った夫が背筋をピンと伸ばしたままの状態で黒目だけをぎょろりとこちらに向けたまま自分を見下ろしていたのだそうだ。見開いた目は血走り、額にはテラテラと脂汗が滲んでいる。唇は引き結ばれていて、どう考えても普通じゃない。
尋常じゃない気配を感じ取ったYさんはすかさず夫の膝を掴んで軽く揺らし、「どうしたの…?」と問いかけた。
お腹が空いて来たのでちょっと休憩。
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怪談
初公開日: 2023年05月01日
最終更新日: 2023年05月03日
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